3-11「電子娘②」

「ダメです!目標A、森を目指しません!軌道にも今のところ変化なし!」

 

 結界開放から一分。

 断続的に観測される姑獲蝶の霊波反応は、軌道を変えることなく開放地点上空を通り過ぎた。愛衣の予想が当たってしまった形だ。

 片桐たちは新たな待ち伏せ地点となった里見が丘にあとニ分半で着く。蝶が急に軌道や速度を変えなければ、こちらには間に合う計算だ。


「結界前の部隊は待ち伏せの失敗と同時に、半数を残して里見が丘に向かっています。到着は片桐くんにニ分ほど遅れて、四十八分頃を予定しています」


 全員で後を追う訳には行かない。蝶が軌道を変える可能性もあるし、どこかにいるであろう目標Bへの警戒も要る。

 何より結界の開放はまだ続けている。途中で蝶が巣の存在に気付く可能性に期待してのことだ。蝶以外の妖怪の出現にも備えて戦力を残す必要がある。


 加えて言えば、大勢で蝶の後を追えば、気づかれて軌道が変わる恐れもある。

 彼等が救出に使う予定だったクッション材は、森の低階層に常備してあるもので、本来は妖怪の大量発生時に他の資材と組み合わせて即席の防壁を作る為のものである。一辺が十メートル、厚さニメートルほどの正方形型で重量も相応にある。

 こんな目立つものを持って追跡する訳には行かないし、そもそも運搬手段のトラックが着くのに数分掛かる。

 片桐が蝶の足止めをしている間に、彼の足元の地上へ運び込むつもりだ。


「あっ、でも高所作業車は間に合いそうですよ……です!」 


 みちるが安堵の表情で報告した。

 この高所作業車はトラックの荷台部が高さ十五メートルまで延びるもので、片桐の空中への移動や救出活動に役立つものと思われた。

 高所自体が少ない風科には一台しかない上に滅多に使わない為、里見が丘に近い東地区のとある家でガレージの奥にしまわれていたのを急いで引っ張り出したものだ。

 数カ月ぶりの使用に伴う最低限の動作チェックをしたお陰で、本来の作戦には僅かに間に合わなかったが、その怪我の功名で里見が丘には間に合いそうだった。


「では、里見が丘の三番出口前に片桐くんの到着に合わせて停車させて下さい。停車と同時に台車は延ばし始めて構いません」


 衛守の指示を紹子が運転手に伝え、返答を受けた。


「一分後に里見トンネルを抜け次第、作業台を延ばし始めるそうです。あまり早く延びないそうなので、片桐くんが来る前に何処までいくかは微妙ですが……」

『少しでも伸びてりゃ十分だ!あとは何とかする』


 通信に入ってきた片桐の声は、準備が整ってきた為か、興奮気味だった。それを落ち着かせるかのように、麻衣が静かに片桐に指示を告げる。


「片桐くん。今から四十秒後に武器を載せた貨車が並走します。中身は粘着弾、ビーコン、発煙弾を込めた銃が三丁です。荷物になるので使った端から地上に投棄して構いません」

『……分かった!』


 そして、副司令が改めて作戦概要を説明する。


 一分半後の4:45に、片桐が里見が丘に到着。作業車とブレードのハシゴで地上五十メートルまで跳び上がる。

 早ければ4:46には姑攫蝶がやってくるので、それを足止めする。

 4:48頃に地上に援軍が到着するので、彼らと連携して蝶から乃愛と子供たちの計四人を取り返す。

 奪還方法としては、片桐を地上班が援護して敵の高度を下げたところで、高所作業車の上に子どもたちを救出するのが基本となる。作業車で拾えない場合は、クッション材や空中に具現させる魔力ネットやシールドでフォローすることになっている。ただし、こちらは子どもたちに怪我をさせる可能性が高いため、次善の策だ。

 具体的にどう高度を落とし、子どもたちを奪い返すのかの委細は現場の判断に依存するしかないが、突発事態に対して二十分で急遽組んだ作戦ではこの辺りが精一杯だ。


『それで、肝心の乃愛たちの無事は確認できたのか?』


 片桐が問う。結界の穴に入らなかったにしろ、地上に数十名の隊員がいるその上空を通ったのならば、蝶や乃愛たちの姿を確認するくらいは出来た筈だった。


「いえ……この二十分間、霊波反応だけで、誰も姿は見ていないのよ」

『……なんだと?』




――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 紹子が片桐に説明を行っている間、司令室には僅かに休息の時が出来た。水分を摂ったり、体を延ばすなどしている。間もなく救出と討伐の本番である。当分休む間はない。

 みちるは珈琲を口にしてから、先程から気になっていたことを尋ねた。地元民とはいえ、この中で一番若く勤続期間も短い彼女には知らないことも多い。


「あの……非常時で副司令達も受け入れてたので後回しにしてましたけど」

「ああ、彼女のことだろ」


 駆は重々しく答えながら、片桐の通信状況を確認する。今の彼には紹子以外の通信は聞こえていない。


龍宮愛衣たつみや あい……彼女はあの龍宮黒乃たつみや くろのの姉ですよ」


 副司令が目を伏せたままに、言葉を継ぐ。みちるは眉根を寄せる。


「黒乃……?」

「あの時は、まだ貴女が入る前のことでしたね。万理くんを連れていったウォーロックと言えばお分かりでしょうか」

「えっ……!」


 ウォーロック。魔術を悪用する犯罪者のことだ。日本語では魔法犯罪者や妖術師などと表記される。

 龍宮黒乃は、殺人や破壊の罪で国際指名手配されているが、僚勇会や風科は直接彼女の被害を受けた訳ではない。

 だが僚勇会の関係者であった万理という男が、彼女の仲間になってしまった。

 つまり身内から犯罪者が出てしまったのだ。これがきっかけで、上からの援助に多少の制限がかかるようになった。

 このことを話題にすることもタブーに近かったが為に、みちるには黒乃の名ではピンと来なかったのだが、流石に「身内」の名が出たことで思い当たった。


「じゃあ何故愛衣……さん?と春夏くんがあんなに仲が良さそうなんですか?」

「そこは私にはなんとも。交流があることさえ知りませんでしたから」


 副司令は軽く首を捻る。


「あ、それは俺もです」


 駆はこの中ではプライベートでも片桐と付き合いの深い方だが、彼も知らなかった。


「あと……何なんでしょうか。凄いハッキング能力を見せたり、こう……パソコンのモニターから出入り?している様に……ひぃゃあっ!?」

「それは私から説明してやろう」


 みちるは奇声を挙げて大きく仰け反った。危うく椅子から落ちるところだった。面食らったのも無理はない。眼前のモニターから当の愛衣がにょろりと出てきたのだから。


「にょろんぬ」


 ホラー映画の如く画面から這い出し、ヌタウナギめいた動きでみちるの背後に回り込み耳元で囁く。


「お前はなかなか良い奴だ。ネットで炎上させたい奴がいたら私に言え。一人

人百円で請け負うぞ」

「何ワンコイン価格で人の人生台無しにさせようとしてるんですか!」


 みちるは後ろを振り向いて愛衣に叫んだ。

 ……視界の端に違和感を感じて、もう一度前を向く。片桐たちの中継映像の中に愛衣がいた。後ろにもまだいる。

 一人の人間が同時に二ヶ所にいる!?


「お前は今、『何でだ?何でだ?二人いる?』と思ってあるようだが、なんのこたぁない。多重ログインだ」


「……ろ、ろぐいん?」

「私は電脳世界に存在の比重を置き、向こうからこっちにログインしている感覚なのだ。我々サイバーチルドレンはそういう存在だ」

「うへああっ!?」

 

 四体の愛衣がみちるの周囲を取り巻く。いつの間に増えたのかは分からなかった。


「こういう能力を活かして、魔術師によるネット犯罪を防いだり検閲をするのが我々サイチルの使命だったのだが……」


 手の中に黒髪の少女の映像を具現する。


「あのアホのせいで第二世代チルドレンまで研究者ごと壊滅したんだよチクショウ!」

「ひぃっ!!?」


 映像を床に叩きつけて赤いシミに変える。


「……スマン。取り乱した…そろそろ時間か」

「うぉっ!?」


 叫んだのは今度は駆だった。

 みちるの周りから一人もいなくなった愛衣は彼のモニターの上に立っていた。

本来ならモニターが破損ないし変形する筈だが特に異常はない。

 かといって愛衣の体はホログラフの様にも見えない。存在感がある。見た目に反して体重が極端に低いかのようだ。

 愛衣の足元のモニターの向こうではブルームに並走してきた小型の貨車から片桐が武器を受取り、瑠梨に手伝わせて装備しているところだ。向こうの愛衣は手伝わずに貨車に乗っている。


「あの、例えば龍宮……さんの力で桐くんを子供たちの所に飛ばすとかは出来ませんか?」


 駆がふと思いついて尋ねると、愛衣は足元を指さした。


「ちょうど今ダーリンにも聞かれているが、それはちょっと無理だ。大体私は基本、画面からしか出られんし、出せん。子供のスマホの向きによってはエラいことになるぞ」

「ダメですか……」

「そもそも鱗粉のせいで電波が悪いからな。下手するとダーリンが真っ二つになるぞ」

 

 ちょうどモニターの向こうでも片桐が続きを尋ねていた。


『じゃあ……恥を忍んで頼むけどよ…』

「こっちでも言っておこうか。『私が手伝えるのはここまでだぞ。物理的に手伝うと逆に迷惑がかかる……犯罪者の姉らしいからな、私は』」


 モニターの向こうとこちら、二人の愛衣が同時に両手を投げやりに開いて溜め息を吐く。


「でも!子供の命が掛かってるんですよ!」


 駆は思わず叫んだが、片桐と声が重なることはなかった。


『……分かった。コレ以上迷惑はかけらんねぇしな……瑠梨』

『うん。分かってる。その時は教えて』


 代わりに片桐と瑠梨が視線を交わす。その意味は駆たちには明らかだった。



「まあダーリンにはああ言ったが、ヤバそうなら助けてやるさ。お前たちにどれほど迷惑が掛かろうが知らん。子供の命は一般に大人の面倒事より重いからな」


 愛衣は司令室と篠森だけに聞こえるように宣言した。


「……宜しくお願い致します」


副司令は立ち上がって頭を下げた。他の隊員たちも急いでそれに倣う。


「じゃあ!せめて一つだけお願いが!」

「うん……?」

 

 この後に及んでなんだろうと愛衣が見てみると、駆は足元から幅三十センチほどのアクリルケースを取り出していた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 俺の乗るブルームは、里見が丘の三番出口まで残り二十秒を切った。出ると同時に飛び出せるように、今はルートだけでなく速度制御も本部に預けてある。

 片手でハンドルを握り、保護カバーを掛けたコンソールの上に片足を掛けている。

 ブルームは急停車させる予定なんで、瑠梨は減速中の貨車へ移した。


「はる君……頼んだよ!」

「おう!」

「無理はしないで……ううん、死なないでね!」

「……ありがとよ!」


 何せ、時間がねぇ上に空中で奴と直接戦えるのは俺だけだ。無理をするなと言われても聞けねぇ相談だ。


 加速し続ける俺と減速する瑠梨との距離がぐんぐん開いていく。

 俺の真横で愛衣が呟いた。


「ダーリンよ」

「違ぇけど何だ?」


 ブルームに片足だけ掛けている愛衣からは、体重は殆ど感じない。この辺はかなり自在に制御できるらしい。


「私は手伝えない」

「ああ」

「が……お前の進路上の私が轢かれそうになったらブルームを全力で撥ね上げてしまうかもしれない」

「そうか」


 つまり、このブルームを上へ跳ばしてくれるってことか。


「それと、お前の仲間からプレゼントだ」


 愛衣は光る球体を俺の手に持たせた。球体がふっと消えると中には、俺の仲間のクワガタたちがいた。月曜に森に連れて行った連中は本部で駆兄ちゃんが面倒を見てくれていた。俺が姑獲蝶を追い始めてすぐに司令室までケースで連れてきたはいいが、俺への援軍として渡すタイミングが無くて困っていたらしい。


「ありがとな」

「私からじゃないさ。だから問題ない」


 残り五秒。愛衣は姿を消した。時速三百キロを越えたブルームは照明に照らされた出口へと跳び出し、『偶然そこにいた』ピンク髪の長袖女を轢きかけ、長過ぎる袖を鞭のようにしならせたそれに思い切り上へと撥ね上げられた。


「うおらぁっ!行けぇぇっ!!!」

「おうっ!!」


 お前、『偶然いた』ってていはどうしたんだよ!……なんて突っ込んでる暇はねぇし、言うのも野暮ってもんだ。

 俺は最高到達点付近で車体を蹴って、更に跳んだ。出口は地上から十メートルの位置にあったが、今の二段ジャンプで更に七メートルほど稼げた。


 眼前には高所作業車。

 荷台は今の俺より少し低い位置にあるが、その上に三メートルほどの脚立があり、それを下で二人が支えている。更にその脚立の上では体格の良い兄ちゃんが乗って、これまた三メートルほどの梯子を垂直に抱えている。

 合計すると地上から二十メートル近い筈だ。


 俺はブレードを一枚だけ出してそれを蹴り、梯子へ跳んだ!。


「行くぞっ!」

「来い!ハル坊!」

「頼んだぞ!」

「弟は任せた!」


 三人が次々に叫ぶ。その中の一人の柳原の兄ちゃんの声は一際必死だ。攫われた中に弟がいたらしいとさっき聞いた。


「任せろっ!」


 跳び乗ると、衝撃で梯子どころか作業車全体が揺れる。かなり無茶な体勢だったからな。遅れて別の大きな音。ブルームが地上に落下した音だろう。作業車に激突しなかったのは、愛衣の投げ方のお陰だ。

 俺はそれら全部に構わず、梯子を数段飛ばしで跳び上がり続け、頂点で一際強く蹴った。


「「うおわぁ!?」」


 兄ちゃんたちが転げる音がしたが、少なくとも荷台からは落ちてねぇようだ。

 それ以上は気にしねぇで、ブレードをもう一度出して、二メートル間隔で垂直方向に並べて、今度はこれを蹴って跳んでいく。


 本当ならこのブレードの梯子だけで上空へ行くことも出来た。前は二百メートル上空まで行ったこともあるくらいだからな。

 だが戦いになる以上、何があるか分からねぇ。少しでも俺の力を温存させるために皆が力を貸してくれたんだ。

 お陰で上空までの移動距離は半分近くで済んだ。



 奴がいる筈の高度五十メートルに着いた。奴はあと一分でこの辺に来る筈だが、今のところ影も形もねぇ。

 俺は足元のブレードを絶えず交換して、その場に滞空する。

 エスカレーターを逆走するかのようで、少しでも交換を止めれば高度が下がっちまうのが厄介だ。

 気温は0度前後。俺はともかく、乃愛たちが心配だ。屋内にいたアイツらは厚着はしてなかった筈だしな。



 その時、俺の胸ポケットがもぞっと動いた。

 さっきトラックにぶつかって気絶してたコルリクワガタのエイジだ。ゆっくりと、まずはハサミを覗かせ、続けて頭を出した。ポケットの中では、さっき受け取ったノゾムたちがエイジの口に栄養ゼリーをねじ込んだりして叩き起こしてたところだ。


「起きたか。早速で悪ぃが奴は何処だ?」


 エイジは俺の仲間のクワガタの中でも一番知覚能力が高ぇからな。ここで起きてくれたのはありがてぇ。エイジは体をボケットから胸まで出すと、触覚を伸ばして頭を回す。次の瞬間。



 カチカチカチカチカチ!!

 エイジは激しく鋏を打ち鳴らした。

 この反応は……敵がすぐ側にいる!!


 俺はエイジが向いた方向に慌て気味に粘着弾を放つ。


「きゃあっ!?」


 悲鳴が上がった。

 人間の……いや乃愛の声だ。当てちまったのか?

 

 一瞬心臓が止まるかと思ったが、すぐに冷静になった。この粘着弾は元は対人・人質救出用の奴だ。人に当てても怪我をさせるもんじゃなぇし、最悪目に入っても取り除ける。

 当てたのはこの際気にしねぇでいい。それよりも……!



 俺の目の前には乃愛も蝶もいねぇ。

 空中に粘着弾の中身が広がったものだけが浮いている。これは……!


「何で姑獲蝶が透明になれんだよ……っ!!?」

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