3-10「電子娘」



「愛衣さん!?」


 瑠梨は愛衣を助けようとベルトに手を外して飛び降りようとする。俺はそれをベルトを掴んで制した。


「はる君!?何で止めるの!」

「前」


 俺はブルームのモニターを指差した。モニターからは愛衣が上半身を這い出しているところだった。ホラー映画の絵面だ。頭には漫画みてぇなデカイたんこぶをつけている。


「いやお前、ぶつけたの横だったろうが」

「ああ、そうだったそうだった。でも痛かったのは本当だぞ!」

「そんなところに立つからだろうが」


 愛衣は両手を横について下半身も引き摺り出し、たんこぶをポンと取り外してどっかに投げ捨てると、俺の腕の中にぬるりと収まりやがった。何故か瑠梨に不敵な笑みを見せてやがる。瑠梨は一連の出来事にポカン、とあっけにとられている。そりゃそうか。


「ま、それより人命が掛かっているしまずはこっちを急ぐか。コレを見ろ」

「うわ!?」


 愛衣はおもむろに白衣を左右に開いて胸を晒しやがった。

 そこには……ホログラフで作ったらしいモニターがあった。白衣の下は何も着けてねぇのか肩とかは見えるが、その下の肝心な部分はモニターに隠れて見えねえ。いや見ようとはしてねぇけどな!


「これが私が今あちこちから集めたデータだ」


 モニターに映っているのは風科の衛星地図のようだった。何度も見たことがあるから分かる。

 地図の上に重なって点線や破線、曲線の入り交じった線が表示されている。蝶の……目標Aの軌跡だと凡例に書かれている。 

 電話会社経由で拾った例の子供の携帯のGPSに加えて、風科周辺の気象情報や電波の状況を、官民問わずあちこちの施設から拾い集めて整理して、蝶の移動ルートを推測したものだ、と愛衣は説明した。

 そして愛衣の右手の上の空間には、僚勇会が自前で把握したほうのデータがホログラフが表示されている。

 要は既に俺たちの方にもハッキングをしやがったってことだ。とにかくやることが早ぇのは助かるんだが、こう軽々しくセキュリティを突破されると頭が痛ぇのも確かだ。


「これを合わせれば敵の位置と移動ルートはかなり正確に割り出せると思う。で、僚勇会よ。どうする?痕跡は極力消すが、これを受けとれば私の無断ハッキングの共犯に……」

「すぐにお願いします。先程の会話は聞いていたのでしょう?」


 おっさんの即断に愛衣は一瞬キョトンと目を剥いた。二秒ほどしてブルームの通信用カメラに不敵に笑いかけた。 


「では五秒待て」 


 愛衣は右手の地図を胸の地図に押し込む。それだけでニつが重なり、単体の時よりも鮮明な地図になった。同じものがブルームのモニターにも、本部にも表示されている様だ。インカムの向こうの皆が反応している。


「よし。終わった」

「五秒も経ってねぇぞ」

「仕事の納期は多めに吹っ掛けるのが大人の常識だぞ」


 愛衣は俺の額を指でつついてきた。無駄に長い袖がその度にたわんで揺れる。ちょっとウザい。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 僚勇会本部司令室。

 総司令・篠森の屋敷の地下数十メートルに位置し、広さは一般的な大学の大講義室ほど。オペレーター数名と副司令、事務員、護衛の戦闘員など十数名がいる。

 各々の持ち場で人員の配置の確認や手配、外部との折衝、索敵などを行い。別々の画面を注視していた彼等の視線が、今は中央の一つの画面に集まっていた。


「これは……」


 愛衣から送られてきた姑獲蝶の推定飛行軌道は、北側に開いたCの字型をしていた。禁忌の森、正確にはその周囲の結界を避けて風科の上空を右回りに飛んでいるようだ。時速百キロ近い速度で、一周するのに六、七分。高度は地上五十メートルほど。

 地図の西寄り中央、子供会会場を起点に飛び始めた蝶は、今は間もなく二周目を終えようと言うところだ。


「行けませんね。予定を前倒しします。三十秒後に結界を解放!」

「はい!」


 各員が副司令の指示を現場に伝達する。


「宜しいですね、司令」

『ああ……!』


 篠森は移動中の車内でモニター越しに頷いた。


 急いだのも無理はない。結界の解放予定は五分後に迫っていたが、それより三分早く蝶が開放地点を通り過ぎようとしていたのだ。

 これを逃せば次の接近はまた六分以上も後になる。

 そもそも同じ軌道を二度通ったからと言って、三度目も同じになる保証はない。不規則に飛ばれては待ち伏せは不可能になる。

 子供たちは既に推定十二分以上も高空を高速で連れ回されている。今は無事としても三周目を耐えられるかは怪しい所だ。


「しかし、片桐くんたちが間に合うかはギリギリですね……」


 東端近くから引き返す途中だった二人は、予定通りなら三分前には間に合ったが、今の変更でそれが怪しくなった。


『 限界まで飛ばしてくれ!』

「いえ、あなたたちはそのままで良いわ。射撃で足止めして貰います」


 紹子は片桐を制した。本部でブルームのリミッターを外してやり無理に加速させれば間に合わなくはない。だが、病み上がりの彼と瑠梨の体の負担を考えると避けたかった。


『いや、待ち伏せの位置を変えたらどうだ?敵のルートは把握したんだからな。結界付近にこだわる必要もなかろう』


 愛衣の姿が本部モニターに大きく映し出される。丁寧にも、押しのけたモニター上の他の窓は見やすい形にソートしている。愛衣の背後は地下道ではなく無機質なバーチャル空間だった。


「なるほど。では、片桐くんたちには里見が丘に向かってもらいましょう」

『そうだな。私もそこが良いと思う』


 里見が丘は結界開放地点から南東一キロにある国道沿いの場所であり、もし蝶が結界に入らなかった場合、ここの上空を通る可能性が高い。

 ここは風科全体を見渡せる撮影スポットで見晴らしが良い。道幅も広く援護の車両を入れやすいのも好条件だ。何より片桐たちが間に合う。ただし、結界付近と違って今は支援部隊はいない。


「どの道、迂闊に蝶を射撃出来ない以上、地上からの牽制には限度があります。片桐くんに止めてもらうことを優先し、その間に支援部隊を集結させることにしましょう。各所に手配を!」

「はい!」


 片桐たちのブルームの移動ルートが変更され、支援部隊の配置変更指示も飛んだ。ただし、結界開放は予定通り行われる。子どもたちが瘴気を吸うリスクはあるが、上空を飛び続けるよりは巣の上に降りさせ、そこを立森隊が救助するほうが安全だからである。


『そのほうが安全だと思うんだがな』

『しかし、そっちの作戦は多分うまくいかんと思うぞ』

『何でだ?』


 里見が丘に急行しながらの片桐と愛衣の会話が本部にも流れる。


『前に姑攫蝶が里に出たのは八十年ほど前……その時は犠牲が出る前に倒している。その前の記録は結界が今より相当弱い頃だからあんまり参考にはならん』


 言葉と共に該当資料が本部モニターに表示される。


『この半世紀強、姑獲蝶の犠牲者が出ていないわけではないが、それは全部森の中でのことだ。そもそも今回はどこから結界を抜け出したのかも分からない。つまり……』

「蝶が巣に戻れるのか分からない、と言うことですかな?」

『そうだ』


 会話に入った衛守副司令の問いに愛衣は頷いた。

 このやり取りの間に結界が開放され、到達予想まで後一分ほどとなった。予定通り蝶が結界に入れば、片桐たちの里見が丘行は無駄足になる。


『待ってくれ。どういうこったよ!?』

『逆に聞くがな、姑攫蝶はどうやって自分の巣の位置を把握しているんだ?』

『それは……帰巣本能?いや……』


 片桐は言葉を止めた。並列思考を発動して考えてみるが、そもそも考察の材料が足りないことに気がついた。


『そうだ分からん。デジタル化された分の妖怪のデータは全て閲覧したが、風科の妖怪で「里に出てきて獲物を拐い、森の中に持ち帰る飛行種」というのは見つからなかった。普通は森で襲ったなら森の中の巣に連れ去り、里で襲ったなら巣は里にあるのが普通だ。飛行種ならな。陸生なら地面にフェロモンか何かの標を残して森と里の往復を可能にするモノもいるようだが、飛行種の場合は空中に目印を撒いても吹き散らされたり、瘴気に阻まれるのだろう』

『そういうことか……!』


 片桐は思わず天を仰いだ。蝶が上空を迷走しているのは、結界が塞がっているせいで巣に帰れないからだと考えていた。

 だが「里で攫った子供を森に連れ帰った」前例がない以上、結界を開けたところで蝶が巣を目指せる保証はない。何しろ、どうやって巣の位置を把握しているのかさえ僚勇会には分かっていないのだ。

 この状況で結界解放作戦に全てを賭けるのは確かに博打の要素が大きい。ならば蝶の軌道が変わる前に待ち伏せをしたほうが良い。勿論、結界前で待ち伏せが出来ればベストだったのだが。


『野郎は、蟻の行列から一匹だけ遠くへ引き離されたようなもんってことか』

『ああ、巣が見つからずにヤケになって飛び回ってるんだとしたら、結界を開けるんなら大きく開けてやらんと森に入らんかも知れんぞ。』

「流石にそれは出来かねますね……」

 

 衛守は重々しく言った。妖怪の少ない冬場とはいえ、大規模に結界を開くのは危険すぎる。


『じゃあいっそ、ヒナを今燃やしましょうか?流石に自分の子供の断末魔は聞き取れるでしょう?』 


 新たに通信に割って入ってきたのは、蝶の巣の前で待機していた小方黒音だった。 


『なんて物騒なこと言うんだ黒音さん!?』

『まあ流石に駄目よね……』

『そうだぜ……!』


 妖怪相手とはいえ、無闇に残酷な殺し方は憚られる。どの道ヒナも殺すことにはなるが、それではヒナの死の利用方法がえげつなさ過ぎる。


『エサを手放して最速で飛んで来るかも知れないしね』

『そっちかよ!』

 

 その可能性は確かにある。大いにある。いまヒナを殺すのはリスクのほうが大きい。だが、他の点も気にして貰いたかった。


『そうだな。やるにしても被害者を助けてから、蝶に止めを刺すときとか良いかも』

『そうね。親子仲良く互いの断末魔を聞かせてやりましょうか』

『だな』


 愛衣と黒音が何故か意気投合し始めた。片桐は後退りしたい気分だったが、あいにく今そうすると、先程の愛衣のようにブルームから転落する羽目になるので、それもままならなかった。後部座席の瑠梨は、無体な会話に頭を抑えている。

 

『いや最終的には殺さなきゃならねぇんだけどよ……この女共怖い……』


 片桐の意見には全員が同意するところだったが、それを口にする者はいなかった。



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