3-8「追跡行」

 新司と子供たちが倒れ、物が散らばった広い室内。全員息は有るようだが、部屋が暗くてよく見えねぇ。天井の蛍光灯が割れた上に、日が沈み始めているせいだ。

 甘ったるく咽返るようなアルコール系の匂いが微かに残っている。薄い靄が掛かった空気に夕日を反射してキラキラと反射する細かい粒……これは見覚えがある!


「電波が悪いな……鱗粉のせいか?」


 追いついてきた幸川よしかわの兄ちゃんは頭のインカムを弄っている。左手には携帯用の霊波探知機、右手にはサーベル型の剣を握っている。


「霊波探査もダメになった……コイツは……」

姑獲蝶こかくちょうだよ……!ガキを攫って、幼虫に食わす奴だ……屋内で鱗粉が籠もってやがるんだ」


 細かい粒は奴の鱗粉、電波や霊波を妨害する作用がある。

 匂いの元は獲物に吹きかける麻酔毒だ。

 俺は引っ手繰る勢いで探知機を借りて、割れたガラス戸の桟を力ずくで肘で押して全開にし、屋外へ飛び出した。

 夕空を見渡すが、見える範囲に姑獲蝶はいねぇ。常備している小型ドローンを兄ちゃんと共に飛ばしてはみたが、追えるかは怪しいもんだ。

 外には鱗粉はあまり舞ってねぇから探知機は使えたが、有効範囲内には何も見つからなかった。そもそも外の鱗粉がもう少ねぇ時点で、奴が飛び去ってから何分か経っていると考えるべきだ。

 一度屋内に戻ると、ちょうど瑠梨が部屋に入るところだった。兄ちゃんが指示を出す。


「瑠梨ちゃん!そこの掃除機で鱗粉を吸ってくれ!その後は禊を頼む!」

「はい!」


 瑠梨は口を覆っていたハンカチを顎の下に巻きつけると、部屋の隅の掃除機を取りに行った。鱗粉には大した毒性はねぇが、単純に呼吸と視界の邪魔だ。

 毒のほうも妖怪由来だから禊で少しは緩和できると思う。


「確か、毒も鱗粉も致死性じゃなかったよな?」


 口元をマフラーで縛った兄ちゃんは、近場の子供の脈を測っている。

 

「ああ、瑠梨も掃除は大体でいいぞ。それより禊だ」

「うん!」


 鱗粉は床に散らばっている量だけで小麦粉の袋で数パック分は有る。無視って訳にも行かねぇが、部屋の隅々まで綺麗にしてる余裕はねぇし、その必要もねぇ。


「麻酔毒も後遺症が残る程じゃねぇから、さっとで良い……誰でも良いから喋れるようにしてくれれば……」


 新司の具合を見ながら、暗い部屋を見回す。ざっと見た感じコイツの怪我が一番酷い。それでも頭の血も軽く切っただけで重傷じゃあなさそうだが、麻酔毒も多めに浴びている。早く医者に診せてぇ。

 それ以上に心配なのが乃愛の姿が見えねぇことだ。子供も何人かいねぇ感じがする。人数は正確には聞いてねぇが、どうも散らばった座布団とこの場の人数が合わねぇようだ。

 応援はまだかよ……!



 その時、俺の背後で物音がした。

 ピアノの下だ。

 俺が駆け寄ると、見覚えのある子供が這い出そうとしていた。

 よく見れば、月曜に佐藤商店で話した、あの瑠梨を好きな眼鏡のガキじゃねぇか!

 少し眠そうだが、意識ははっきりしてるらしい。俺は腹の下に手を入れて片腕で抱き抱えた。


「外に!」


 兄ちゃんの指示に頷きながら外に連れ出す。

 屋内は鱗粉や蒸散した麻酔毒に加えてガラスも散らばってるし、何より電波が入りにくい。俺は本部に連絡しながら手頃な場所にガキを安置した。


「おい!喋れるか!どんな化物だった!?ここに何人いたんだ」

『片桐くん!落ち着いて。まずは名前から聞いてください』


 本部と繋がったままのインカムの声に怒られた。舞園麻衣さんという二十代のオペレーターだ。

 そうだ。いくら周りより頭が良いっつっても相手は普通の小学生だ。妖怪の存在する知らなかったんだ。気が動転してるときに矢継ぎ早に聞かれたら余計パニックに……。


 「僕は久瀬怜人くぜれいとです。連れていかれたのは乃愛さんと、小学生3人です。新司さん以外は外傷はあまりないと思います」

「……お、おう」


 やたら冷静で淀みが無かった。こっちの頭が冷えたくらいだ。

 こいつ、僚勇会の関係者じゃねぇ筈だよな?妖怪のことは知らなかったんだよな?いや、それどころじゃねぇ。

 怜人はやや早口で続けた。

 

「鳥の嘴に似た口吻を持った蝶の怪物でした。サイズは自動車くらいで、脚が左は三本、右は四本の非対称で……」

「嘴は何本だった!?」


 俺は大事なことを聞いた。


「嘴?……は、一本に見えましたが…?」

「よし、ならまだ助かるぞ」

「それと、もう一つ。捕まった内の一人のスマホにGPSが付いています」

「マジか」


 鱗粉は通信を妨害するが、飛んでる状態なら風向き次第ではいけるかも知れねぇぞ。スマホの番号と拐われた奴の名前、念のため、今日の参加者名簿があった場所を淀みなく伝えてきた。


『すぐに保護者とコンタクトを取ります!』


 本部は早速行動を開始した。霊波観測と併用すれば敵の居場所が一発で分かる筈だ。


「あと化物は一匹だったか?」

「その筈です」

「写真を撮って残すべきかとも思ったんですが……」

「気にすんな!敵の種類は分かってる。下手に撮ったらお前も襲われてたかも知れねぇぞ?」

「はい……あの様な巨大生物の存在が一般に知られていない以上、カメラに映らないか、カメラが『写さない』様になっているのではないかと思いまして」


「……お前凄ぇな」

『……正解ですもんね』


 通信機の向こうも呆気に取られてる。今のスマホやデジカメは出荷段階でそういう細工がされてるそうだが、何も知らねぇ奴がよくそこに気付いたな!?


「あの怪物……妖怪は森から来るのでしょうか」

「妖怪……」

「ですよね?」

「ああ」


 後で記憶を消すにしろあまり話さねぇほうが良いんだが、早口で話す怜人の気迫に押されてつい答えちまう。


「森の妖怪の伝承は知っていましたから……勿論猛獣や自然現象のことだとは思っていましたが今思えば猟友会が妙に人数が多いことや片桐さんたち学生まで所属していることにも説明が」


 怜人が気絶した。どんどん早口になっていくから何事かと思ったが……!


「おい!?」

『屋内……別の部屋に移してあげてください。無理もないですよ。いくら頭が良くても普通の子なんですから。相当無理をして頑張ってくれてたんでしょう』


 インカムのカメラで状況を把握したらしい麻衣さんが指示をしてくれた。

 

「ああ」


 再び怜人を抱き抱えて立ち上がった瞬間、インカムの音が俺の耳を叩いた。


『片桐くん!』

「GPSか!?」

『いえ、ですが今一瞬、霊波のほうに反応がありました。まだ近くです……一番近いのは貴方達です!』

「分かった!」


 中庭に顔を出してた兄ちゃんのインカムにも通信が入ったのか表情を変えた。


「兄ちゃん!ここは頼む!皆は!?」


 俺は怜人を預けようとするが、受け取ってくれねぇ。


「全員無事だが……桐くんは残った方がいい」

「後処理はアマテラスのほうが得意だろ!?それに空の敵だ!虫系なら俺のほうが有利だ!こんなの大したことねぇ!」


 俺は頭の黒い帯を指差す。兄ちゃんは苦い顔だ。俺が病み上がりじゃなきゃ、任せてくれたんだろうがな。近所の一般人への対処は兄ちゃんたちアマテラス隊のほうが得意だし、これが適材適所なんだよ。


「……分かった。俺も処理班に引き継いだらすぐに追う」


 兄ちゃんは怜人を受け取った。


『処理班はもう三分ほど待ってください』

「……遅いな」

『人員の大半を森に送ってしまいましたからね……。全体的に最小の人数で回しています。入り口付近の捜索隊を呼び戻していますが、主力が戻るには二十分は掛かります』


 二人共苦々しげな声だ。

 無理もねぇ……人里でこんな派手に妖怪が暴れるのは、多分十年以上ぶりだ。少なくとも俺の実体験としては知らねぇ。




 怜人を預けた俺は近場の地下施設へ向かうべく、庭の奥へ走り出した。垣根を跳び越えれば最短ルートだ。

 

「私も行きます!」


 禊を終えた瑠梨が俺の後に続こうとする。

 

「待て!君こそダメだ!」

「お前は良い!」


 俺と兄ちゃんの声が重なった。


「敵は空中なんだよ……!?ダメだって言うなら今すぐ『やります』」


 瑠梨は走りながら両手を頭の後ろに回す。



 ………馬鹿野郎!


 俺の心臓が縮み上がった。



「……分かった!分かったから!まずは奴を捉える!良いな!?」

「うん!」


 それだけ確認すると俺は止めちまってた足を再び動かした。


「無理をするなよ!」


 兄ちゃんの叫び声に後ろ手で答え、俺は垣根を一跳びで跳び超えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る