3-7「姑獲蝶」

 ……十六時。

 禁忌の森・エリアM。森の中ほどより東、月曜の事件現場の洞穴からは更に北。

 瘴気レベルは3。殆どの隊員が数十分で滞在限界を迎える濃度だ。



 探索部隊は、薄く広い陣形で森の東側全体を捜索していた。

 ローラー作戦である。

 探索目標は二つ。洞穴以外の場所での不明者の有無及び遺体や遺品と、洞穴から逃げたバケグモたちである。後者に関しては昨日の内に大半が討伐され、残りはニ匹だけになっている。


 餌の少ない冬ではあるが、森の中層以上の濃い瘴気を吸うだけでも妖怪はある程度成長するし、冬眠中の獣でも食えば既に成体になっていることも有り得る。時間を掛けるほど、バケグモが成長してその霊波を捕らえやすくはなるが、巣を張られたり、繁殖してしまう可能性も増すので、悠長にはしていられない。

 何より探索の障害になる。


 昨日は森の入口から洞穴までの道とその周辺、及び東側低層全域をほぼ調べ尽くし、遭遇したバケグモは全て倒した。月曜に森に入った部隊が通った辺りを再調査した形になる。

  バケグモたちは結界の有る東には行けないにしても、森の中央へ向かった可能性もあったが、あちらは開けた場所が多く雪も深い。

 武装した人間が大勢いる今、無理にそちらに動けば目立つ。バケグモは知能の高い種ではないが、その程度の警戒はする。

 こうなると、残るは森の奥のみということで、精鋭小隊が他の隊に先行している。

 通常、僚勇会……特に森探索を担当するスサノオ大隊は、特定のメンバー五・六人で組まれた小隊単位で行動するが、今日は異常事態に対して特別シフトが組まれている。

 各小隊を割って、本業・副業の手の空いた者や休みを充分に取ったものだけで隊を編成している。

 この精鋭隊は特に耐魔力と戦闘力を併せ持つ者を引き抜いて集めたものだ。



 ……読みは当たった。

 物陰から先頭部隊の側面へ飛びかかってきたバケグモは、対魔アサルトライフルの射撃を受けて飛び退き、今は樹上を蠢いている。

 飴色の体色で、後脚の倍以上の長さを誇る二対四本の前脚が特徴的なこの種類は、ナガヤリバケグモである。姿の似た近縁種と比べて殺傷能力が高く、バケグモ全体の中でもかなり厄介な部類だ。

 体幅が三メートルを超えた大型の成体だ。



 隊員たちが武器を構えて備える中、若い二人が進み出た。


「ここは俺にやらせて貰えませんか。稼いでおきたいんで」


 細身の長槍を構えた少年は久浦祥汰ひさうらしょうた。風科の外でスカウトされた高校一年生。前髪を両側に逃がし、後ろはゴムで留めている。端正な顔立ちで淡々と喋る。


「私も手伝う」


 朝来想良あさごそら。眠たげな印象の目が特徴的で、彼女も外からスカウトされた高校一年である。


「俺一人で良い」 


 祥汰は敵の方を見据えたまま片手で制す。


「お金は良い。手伝う」


 妖怪の討伐報酬はあまり高くはない。ナガヤリのようなB級でやっと五千円だ。

 ニ人以上で倒した場合は、貢献度によって更に割られる。

 B級妖怪の対人殺傷能力が普通のクマ数匹分以上ということを考えれば、安過ぎる額ではある。

 だがこれは討伐報酬を高額にすることで獲物の奪い合いが起きない為の措置で、代わりに基本給や諸手当を充実させてある。


「金とかじゃない。危ないから」

「危なくない」


 互いに頑として譲らない。他の隊員たちが苦笑する中、後ろで見ていた隊長の桐葉は白い溜息を吐いた。


「はぁーっ……。お前らな。いいから二人でやれ」

「うん」


 元よりそのつもりの想良は素直に頷いたが、祥汰からは返事がない。


「嫌なら私一人でやっちまうぞ?」

「……分かりました」


 祥汰が武器を両手で構え直すと、桐葉は弄んでいた双剣を鞘に戻した。生き残りの雲の中でも一番歯ごたえの有りそうな相手を一人で倒したかったのは本当だが、隊長の役目がある以上、部下を差し置いての単独戦闘は頂けないし、討伐報酬が欲しいと言われては引き下がるしかない。


「よし。合図で威嚇射撃だ。祥汰、デモンズナントカはまだ使うなよ」

「ここで使えって言われても困りますよ……」


 正しくはデモンズデザイア。

 魔力で怪物を具現化する祥太の能力にして、その怪物の名前である(無論、佐祐里の命名である)。


 触腕の塊のようなこの怪物は強力だが欠点も多い。

 重量が有る上に歩行に向かず、一度具現するととその場から動かしにくい。のパワーは凄まじいが、射程は十メートルと短い。

 あまつさえ、具現化に全魔力の七割を消費する。回復薬を使っても、一度の出撃で二度以上使うのは難しい。

 逃げ隠れする敵の追跡や探索での使用には向かない。

 本来なら一箇所に留まって、そこに向かってくる敵を迎え撃つ拠点防衛向きの能力である。


 それでもなお祥太が森の探索に回されているのは、彼の耐魔力が高い為である。怪物デモンズデザイア込みでAランクの戦闘能力と評される彼だが、彼自身もBランク以上の力があるので、怪物抜きでも充分な戦力なのも幸いしている。


「想良、奴が落ちてきたら、前脚全部を徹底的に潰せ。他は無視しても良い」

「うん」


 想良は桐葉に頷くと両腕を左右にゆっくりと開き、能力の準備に入る。

 彼女の能力は引力や斥力を操る玉を出すグラヴィティ・グローブ(佐祐里命名)である。普段は魔導具によるリミッターが付けられ、出力は落とされているが、それでもなお強力である。


「っし……撃て!」


 隊員たちが発砲する。

 弾はバケグモの周囲の空間を通過して行く。

 狙撃手たちも精鋭だ。当てようと思えば少なくとも掠らせるくらいは出来たが、下手に手傷を負わせて逃げられても困る。クモの周囲の空間のみに火力を集中させ、動ける範囲を制限する。そうして移動ルートを絞り真っ直ぐに祥汰たちに向かわせる作戦だ。任せると決めた以上はサポートに徹する。


 祥汰は片足を引く。

 ナガヤリが祥汰目掛けて両脚を突き出す。迎撃体制の祥汰は、しかし動かない。


「グラヴィティ・グローブ」


 祥汰の周囲にハンドボール大の黒い重力球が二十個ほど現れ、ナガヤリへと飛んでいく。突き出された二本の前脚と待機中の残り二本に纏わり付いて拘束し、体の外側へと折り曲げる。



 前脚の中に折り畳まれた隠し脚……という凶悪な武器も使う前に潰されてはどうにもならない。バケグモは慌てて口から溶解液を吐こうとするがもう遅い。


「ハァッ!」


 この機を逃さず、祥汰は全力で突きを放つ。体の中心付近を顔の横から尾の近くまで両断された体は、続く二撃で完全にとどめを刺され、地に落ちる。


 切り裂かれた死体は雪上で煙を上げて消えていく。一堂はその場で手を合わせて軽く黙礼する。煙は黒く、向こうの景色がほとんど見えない程度には濃い。

 人々が囚われていた洞穴で食事をしたか、脱出後に運良く何匹が野性動物を補食したのだろう。瘴気だけで育った場合は、もっと煙が薄くて白くなる。「実体」が少ないからだ。


「これで後一匹か……」


 桐葉は他の隊へと報告する。


『洞窟にいたので全部ならですけどね』


 義奥が指摘する。


「お前、そういうこと言うなよ…」

『可能性の話です』

 

 絶対ないとは言えないが、その可能性は低いと考えられていた。どの道、森の中で油断は禁物だが。


 既に洞穴内部の遺体や遺留品はほぼ捜索を終えている。外では誰一人、何一つ見つかっていない。これ以上犠牲者の数が増えなさそうなのはせめてもの救いだ。

 恐らく、後一匹のクモを倒せば撤収となるだろう。


『あの……取り合えず引き返しません?』


 桐葉隊の新人、高柳霜夜そうやが提案した。


 先頭を行くこの特別中隊は、桐葉小隊の六人に他部隊からの六人を入れた十二人で構成されているが、霜夜や義奥など耐魔力の低い半数の者は特殊防護服を着込んでいる。

 宇宙服に似た完全密閉型で、高濃度瘴気下でも活動が出来る。ただし、動きにくいので機敏な回避行動は取れない。


 本来なら、これを着た者は足手まといになるので、装備者は隊の二割以下に留めるべきところだが、今回は残敵の数がはっきりしており護衛も多いので危険が少ないと判断され、レベル3での作業可能人員を増やすべく多数の防護服が投入されている。

 月・火曜で除雪をした上に、殆ど雪が降らなかった為に、比較的動きやすいことも集中投入の理由だ。

 防護服の中は空調や暖房も効いており快適では有るのだが、重苦しいには違いない。


『そうですね。もう遅いですし、交代要員も先程森に入りましたから引き返しますか?』


 義奥も同意する。空気ボンベには余裕があるが、残る一匹がどこまで逃げたかも分からない以上、無理は禁物だ。


「……ま、そうだな。個人的にはクモのついでに、涼平探しの名目で奥に入って妖怪の二・三十匹もぶったぎりてぇけど」

『け、桁おかしくないですか?』

『この大変なときに余計な藪蛇はやめて下さいね』


 霜夜が仰天し、義奥が呆れる。

 その時、霜夜の背負う通信機に無線が入った。


『はい……えっ本当ですか?』

「どうした?」


 霜夜は回線を中隊全員へオープンにしながら報告した。


『I-7地点で、最後の一匹……の巣が見つかったようです。高い位置にあるようで中はまだ確認できてないそうですけど、中から霊波反応はあるそうです!』


 I-7はここから南西、レベル2の後半だ。東方の森林地帯と中央の雪原との境界に近い辺りで、昨日捜索済みのエリアでもある。


「マジか。そんな手前かよ」

「何にせよ良かったな」


 昨日の時点で見落としが有ったのか、それとも捜索隊が去った後に逃げてきたのか?それは分からないが、ともあれこれで心置きなく帰還できる。


 この二日間は大規模に人を出したので、捜索のついでに設備の点検や山小屋への資材の補充なども、月曜やり損ねた分に加えて週内の分も前倒しで終えている。解析班はまだ忙しいだろうが、実働部隊は暫く休めそうだ。気の早いことに飲み会や小旅行の相談を始める者もいた。


『待ってください……!……これは……バケグモじゃない?』


 I-7地点から不穏な通信が聞こえた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 I-7地点:


「なんだこりゃ…ジグモ妖怪の巣…?」


 隊員たちの眼前には、数本の生木を糸で束ねた構造物があった。

 確かに何かの巨大生物の巣に見えた。そして、生木を丸ごと束ねられる強度と量を持つ糸となれば、正にバケグモのそれに他ならなかった。

 だが、それにしては巣の形状が奇妙だった。


 前提としてバケグモの生態や巣の形状は本物のクモのそれに近い。

 その上で蜘蛛の巣と言えば、網状を想像してしまうが、実際はトンネルやテントの形など多種多様である。

 その上でなお、この巣は奇妙な形状に見えた。木を隙間なく束ねた上で、上方に向かって半円状に開いている。

 獲物を捕らえるにしても、あれでは上から来た鳥くらいしか狙えない。下から登ってきた生き物も捕らえられなくは無かろうが、捕食に一手間以上掛かりそうだ。

 第一、クモの巣は目立たないのが普通だが、これでは目立って仕方がない。

 隊員たちはこの奇妙な巣を端末の図鑑で調べるが、見つからない。


「無駄よ。あれはバケグモの巣じゃないわ」


 若い女性隊員が彼等を止める。


「やっぱりね」


 ドローンの空撮映像を見た副隊長、小方黒音こがたくろねは溜息気味に呟いた。


「でもありゃあ、どうみても蜘蛛の糸だろう?黒音ちゃん」

「黒姉さんと呼んで」

「いや俺のほうが十歳以上年上なんだが……」

「最近の若者の間では年下の姉がブームなのよ」

「嘘だろ……!?」


 それには答えず、本題の話を続けた。


「蜘蛛の糸が使われていたら、蜘蛛の巣、とは限らないわよ」

「それって確か……」


 隊長の立森太臓たてもりたいぞうは記憶に引っかかるものを感じながら、スマホをおそるおそるタップして、ドローンから転送されてくる動画を見た。他の隊員たちも同じようにする。


 ドローンが上から覗いた巣の中には……小型犬ほどの大きさの小妖怪たちが蠢いていた。


「こいつは……!」


 バケグモではない。

 毒々しいクリーム色をした幼虫が数匹。口の部分は鳥のような嘴が有る。

 立森は合点して叫んだ。


姑獲蝶こかくちょうか!」

「ええ。霊波分析も出たわね。バケグモの妖気の残留反応も有るわ。恐らく、姑獲蝶の親に殺されて雛の餌になったのね」


 空撮の前にも巣の下から分析を掛けていたのだが、魔力を吸収するバケグモの糸が邪魔で、朧気な反応しか出なかった。だが流石に真上から探査すれば一発だった。


「姑獲蝶!?」


 隊員の一人が霊波反応のデータをスマホ内の妖怪図鑑で照合する。

 別の、通信手の隊員が中継ドローン経由で他の隊にこの情報を伝える中、電子音声が図鑑を読み上げる。


『姑獲蝶:B級妖怪。危険度:高。嘴から吐く麻酔液で獲物を麻痺させて連れ去り、雛の餌にする。特に子供や女性が狙われやすく、カゴのような構造の七本の足で同時に数人を拐うことが可能。鱗粉には探知を妨害する作用が……』

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