1-16「変」


 俺は無線通信機を手に取ると、桐葉さんに繋いだ。

 この小屋には直接本部と繋がる有線ケーブルはねぇが、ここまで俺が引っ張ってきたケーブルをこの小屋に繋いだから、この無線も後ろの隊と繋げられる。


「桐葉さん、聞こえるか!エイジたちがなんか見つけた!多分妖怪だ!」

『……そうか。近そうか?』


 エイジたちの様子を見る。音の間隔はまだゆっくりだ。

 コイツらの動きは敵との距離や相手の強さと数によって変わるが、基本的に危険が迫るほど動きは激しく大きくなる。


「まだ近くても、0・5キロは離れてると思う。もっとかも知れねぇけどな」

「霊波レーダーにはまだ反応はありません」


 会長も壁に備え付けのレーダーを見ながら補足する。

 エイジたちの感覚は俺たちのレーダーより鋭い。 基本的に俺の指示にしか従ってくれねぇのが難点だがな。俺としか会話できねぇし、俺がいる時にしか頼れねぇってことだ。


『敵の数は?』

「そこそこ多そうだ。強さはまだ何とも分からねぇな」

『なら、そこで籠城しろ。私達が今……』

「いえ、拠点を破壊されるのは望ましくありません。ここを出ましょう」

『佐祐里!』

「それに近付かないと、正確な情報が把握できませんよ」

『……ッ!』


 桐葉さんは苛立っているようだが、会長の意見にも理があるのは分かっている様子だ。そもそも敵がこのままこっちに向かってくるとも限らねぇ。せっかく尻尾を掴んだのに見失ったら面倒だ。


「恵里ちゃんを起こして外に出て正確な数と強さ、方向を探ってもらいます」

『分かったよ……くれぐれも気を』

「分かったわ!」


 桐葉さんの返事を打ち消すような叫び声が響いた。休憩室だ。

 会長が駆け寄ってカーテンを捲ると、休憩室の二重窓が勢い良くこちら側に開いたところだった。

 恵里のベッドは軋みを挙げ、横にあるコート掛けは空の状態で揺れている。長靴が置かれていた受け皿にも何もない。

 そして勿論恵里は……。


「起きてた…んですよね」

「多分、先輩の言葉を聞いてすぐに、飛び起きて靴を履いてコート掴んで窓開けて飛び出したんでしょう」


 3秒と掛かってねぇ早業だ。飛び起きてベッドの下の長靴に一発で足を放り込んで、コート引ったくって一発で外に飛び出るとかどうなってんだアイツ。

 窓際には長靴の足跡の水滴らしきものは見当たらねぇ、

 靴置きから窓まで1mはあるんだが、それをひとっ飛びしながら片手でコートを掴んで、同じ手で窓も開けたってとこか…。


 軽く放心しかけたが、そんな場合じゃねぇ。恵里のあまりの迅速さにかえって俺たちが遅れちまっちゃあしょうがねぇぞ。


「起きろラッタ!起きろ!」

「う~ん…」


 コイツの欠点の一つは寝起きの悪さだ。瑠梨の10倍は悪い。コイツが女だったら、コイツこそ容赦なく揉んで起こすところだ。外の風が吹き込んでるのによく寝てられるな……いやだからこそ寒くて動けねぇのか?

 頬をペシペシと叩いてやっても全然ダメだ。仕方ねぇ。


「起きろ!敵だ!」

「ウェッ!?」


 俺がマジのトーンで怒鳴りつけると、ラッタは飛び起きた。空中で一回転して木張りの床に着地すると周囲を見回す。


「おま……!」

「起きたな」


 騙されたのかと訝しむラッタの前に手を突き出して黙らせる。


「敵が近づいてんのは本当だ。出るぞ」

「……おう」


 ラッタはそれ以上文句を言わず、両腰の横で握り拳をして気合を入れると自分の上着と荷物を手に取った。


「片桐くん、クワガタ君たちを。準備は私達が」

「お願いします」


 先輩がまず窓を施錠する。閉め忘れると山小屋の結界が弱まって妖怪の侵入のリスクが高まるからな。急いじゃいるが、その辺はきっちりと片付けておかねぇといけねぇ。続けて荷物を準備して貰ってる間に俺の仕事をする。


「お前ら、来い!」


 エイジ達が卓上にニ列縦隊で整列していく。俺は正面に立ち、頭数分のミニカイロを両手に握る。

 円さんがコイツラに編んでくれたカイロ入れつきマフラーだが、屋内じゃ流石に熱くなりすぎるんで、カイロを一度抜いておいた。それを戻す作業だ。

 俺の両拳の下目掛けて歩いてくるクワガタたちのマフラーに次々とカイロを入れていく。入れた奴から俺の体にくっつく。カゴは嵩張るから戦闘になりそうな今となっちゃ置いていったほうが良い。1分かけて20匹にカイロを付け終わる頃にはラッタは先に出て、佐祐里さんは外の玄関横に待機してくれてた。


「恵里ちゃんは少し北に行きました。最初は屋根の上に登ったそうですけど、感度が悪かったみたいで」


 妖怪の探知は開けた場所、高い場所のほうが都合が良い筈だが、風向きとかもあるからな……俺はその辺が苦手だから何とも言えねぇ。

 恵里はアホだがその辺は天才的だからアイツの感覚を信じるしかねぇか。


「クワガタ君たちはどうですか?」


 俺は頭上のエイジたちに反応を促す。ハサミと腹を震わせだした。


「距離はちょっと近付いてますが……割とゆっくりですね。数と強さはまだです。方角は……」


 エイジ達が体の向きを変える。北東。恵里たちが向かった方角だ。


「急ぎましょう。通信機は礼太くんが持って行きました」


 北東へ大きな1人分の足跡が続いている。恵里の足跡にラッタが続いたんだろう。まず俺、後ろから会長がそれに続く。走りながらラッタに無線通信を試してみたが通じねぇ。この辺でも有線通信機まで30m程度の距離なら通じる筈だが、もっと遠くまでもう行っちまったのか、それとも瘴気の流れが悪いだけか?

 4~50mほど足跡を追っかけると恵里たちに追い付いた。

 北東に向かう前に一度西側に緩やかに曲線を描く経路だったせいで、道中、前方の二人がなかなか見えてこなくて少し焦った。雪も腰より高いし、この程度でも走ると割としんどい。


「おいコラ恵里ぃ!」

「あ、ハル遅かったたわね。大丈夫?」


 俺が怒鳴りつけるも、アホ娘は意に介してねぇようだった。このアマ……。


「そりゃこっちの台詞だアホ!一人で走ってくんじゃねぇよ!」

「そ、そんなに怒らないでよ!?早いところ敵の数とか知りたいじゃない。それにすぐついてくると思ったのに遅いじゃない」

「俺のクワガタ軍団をお忘れじゃねぇですかね、恵里大先生様よう?」

「あ、そっか、ゴメン」


 確かに正確な情報は大事だし、測定のために場所を移すのも分かる。一理はある。だから会長も苦笑はすれどあんま怒ってはいねぇんだけどよ……。


「エイジ達がいりゃ距離くらいは分かんだから、焦らなくても良かったんだよアホめ……」

「あっそうか……。ゴメン………」


 エイジ達の存在と能力を完全に忘れてやがったなコイツめ。


「ハル、そんくらいにしときなよ」

「わぁってるよ」


 恵里のやつ完全にしょげちまってるしな。これ以上追求してもしゃあねぇ


「それで恵里ちゃん。楽進盤らしんばんの様子はどうですか?」

「うん。近付いてきてる」

「多分、200mくらいですかね。数が多いのか強いのか、両方か……コイツらも怯え……痛っ……緊張してますね」


 俺もエイジたちの様子を見て補足する。

 エイジのやつ今わざと足で刺しやがったぞコイツ。ビビってるくせに……。お前が会長に見栄張ってどうすんだよ。


「結構ゆっくりですね……今のうちにあそこに移動しましょうか?」


 会長が50メートルほど北にある林を指差す。

 木と木の間隔がこっちの林よりも開いていて、雪も少しは浅そうだ。

 動きやすく戦うのに適している。敵が予想より多いか強いかして身を隠す必要が出た場合には少し不利だが、雪上では動きやすさのほうが重要だ。

 俺たちは会長に同意して移動を開始した。その間も恵里は左腕の楽進盤を操作する。


 楽進盤は妖怪や遭難者の捜索に使える魔道具だ。腕時計を全体にでかくした感じでゴム素材のベルトの太さは普通の腕時計の倍、本体の直径は15cmちょっと。盤全体を透明な球面が覆い、頂点と盤の間の空間は2cmくらいだ。底の同心円上に20種類くらいの盤が重なってる。

 盤の文字はアラビア数字、漢数字、十二支・十干、十二星座、ルーン文字、エノク文字、梵字……ともうよく分かんねぇ。この無数の盤を外側に突き出てるツマミで回すんだが、これを分かって操作してるとしたら恵里の奴、実は俺より……?

 いや、んな恐ろしい事実が有ってたまるかよ。直感の筈だ。

 恐ろしいことに、楽進盤の操作にはマニュアルがない。大昔に使われていた道具を最近再現したもんだが、操作は直感頼りで、同じようにやっても同じ結果が出るとは限らねぇ厄介な代物だ。

 これを風科で一番上手く使えるのが恵里だ。エイジたちと話せる俺と二人合わせたら索敵に最適な人選って訳だ。


 恵里は会長に先導されながら進み、俺はラッタから通信機を取り戻してその後ろを行く。アイツ自分は休んだから背負ってくと抜かしやがったんだ。そのラッタは一足先に林を探っている。敵との距離は100ちょいだ。


「出た!……え、嘘!」


 恵里は、盤の中央の鏡から、上の球面に映写された表示を見て驚いてる。どうした?


「数は……いっぱい。大きいのが5、小さめのが……いっぱい」


 流石の恵里も小1の学習範囲……1・2桁の数が分からねぇ訳じゃねぇだろう。多分。

 足を止めた恵里に追いつき右肩から覗き込むと、盤上を大小無数の光点が不規則に動き回っている。こりゃ数えられねぇわな。


「17だろ」


 代わりに俺が数えた。追いついてきた会長が更に聞く。


「強さは?」

「小さい方でC級 、大きいのはB級以上……まあAってことはないと思いますけど」


 妖怪の等級は俺たち人間と同じように数える。俺達で言えば、俺がB、他3人がAだ。俺が一番弱ぇよ。悪かったな。


 このランクについて説明するとまた長ぇんで今は簡単に済ますが、ランクが一つ上のやつに安全に勝つには2、3人は必要になるって感じだ。

 そして結論から言うと、コイツらを俺たちだけで倒すのはキツいな。単純に数が多い。

 能力値の上では充分に勝てる数なんだが、安全に戦う為には敵の倍の戦力を揃えるように推奨されてるんだ。出来れば後ろと連携した方がいい。


 そう考えているとエイジ達も震えだす。ハサミの動きで強さ、腹の動きで数を知らせてくる、がその数が楽進盤と合わねぇ。


「恵里、範囲広げろ。多分もっといる。どうなってんだこりゃ」

「え、嘘?……分かった」


 おかしい。

 冬場だってのに数が多すぎる。確認済みの22匹だけでも既に多過ぎる。どんだけ人を食ったらこんな増える?この近くで行方不明者の情報なんて聞いてねぇぞ?

 毎年、森の入口の監視網を抜けて入り込む馬鹿は出るが、それだって冬場は少ねぇし、この数の妖怪を食わせるだけの人間に入られるほど監視網はガバガバじゃあねぇ。正確には断言できねぇが、ここまで増えて育つには犠牲者は一桁じゃ効かねぇ筈だ。


 首を捻る俺の横で、恵里が盤を再操作し始めてると、会長が制止した。


「その前に身を隠しましょう」

「え、戦わないんですか?」


 恵里はきょとんとした表情でそう言った。正気かコイツ。


「敵の陣形は間延び気味ですし、うまく連携すれば、私たちだけでも充分勝てるでしょうが、ここは慎重に行きましょう。まだ正体も敵の第二陣の数も不明ですからね。隠れてやり過ごしてから、引き返して桐葉さんたちと挟み撃ちにしましょう」


 俺なら「アホかお前」と一周する所を、会長は丁寧に説明してくださった。恵里も頷いた。人里まではまだ数キロあるし、後方部隊も健在だ。俺らだけで無茶する必要はねぇ。すぐに後ろに状況を伝える。


『よし、それでいくか。お前らは敵をやり過ごしながら正体と数の特定に努めろ。敵の動き次第では援軍も送る』


 両翼の部隊へは今の状況を信号弾だけで知らせたそうだ。数に限りがあるドローンは敵の情報を得てから飛ばす。


「皆!もういいぜ」


 ラッタが声を押し殺し気味に呼び掛けてきた。俺たちが話してる間、熱の出るロッドで雪の窪んだとこを広げてたんだ。これは除雪機が入りづらい場所で使う為のものだ。鉄も溶かせるが、強度はねぇんで戦闘には使えない。仮眠の時点で部屋に運んでいたものだ。


「そろそろ隠れましょう。もう70mは切ってます」


 恵里が盤を見ながら言う。索敵範囲を広げた代わりに、地図が縮んだことで、第一陣はまとめて二・三個の光点に見えている。あと5分とせずに接触するだろう。

 その後ろの第二陣は一・二個の光点になっている。第一陣よりは少なそうだが、それでも十匹以上はいる計算になる。


 取り敢えずこれも報告してから雪穴へ移る。背中のトーチライトも消し、お守りを握り締める。ビビってるわけじゃねぇ。祓いの効果を集中させる為だ。全員で息を殺す。雪が音を吸い、辺りは無音となる。


 ―そして2分。偵察に出したカラス型のドローンが戻ってきた。ラッタがドローンをスマホに繋いで映像を再生する。体高1mほどの蜘蛛の群れが映っていた。


「バケグモかぁ……」

「マダラバケグモだな」


 俺が補足する。特徴的な体の模様は影に隠れてよく見えねぇが牙や単眼の配置からして間違いねぇ。


 30秒ほどの映像には体高50cmくらいの小型……いや中型の個体も何体か確認出来た。こっちは成長途中で他の種類の幼体と区別しづらいが、まず同種族だろう。基本、別種の妖怪が仲良く行動することはねぇからな。

 しかしまずいな。


「やべぇぞ。桐葉さん。これ二陣で終わんねぇかも」

『どういうことだ?』

「連中は巣分かれすんだよ…最悪コイツラと別に巣がある」

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