1-15「憩」

 ラッタと恵里はベッドに横になると直ぐに眠りに落ちた。


 ラッタはいつもの様に朝から動き詰めだしスタミナが少ねぇから当然だ。恵里も結構疲れちゃいただろうが、コイツの場合はめっちゃ寝付きが良いだけだ。寝ようと思えばいつでも2秒で寝られて一瞬で起きる。


 二人は一階の奥のベッドで寝ている。俺と会長がいる居間とはカーテンで仕切られているだけの仮眠用だ。二階にはもっと立派な寝室がいくつかあるが、燃料の節約の為に一階だけ温めることにしたからだ。それに人数が少ないから近くに固まっているに越したこたとはねぇ。


 この小屋はちょっとしたペンション並みに豪華だ。森の入口から2キロほどで、資材を運びやすかったからだろう。強敵と言えるA級妖怪数匹に襲われても、数時間は籠城できるほど頑丈でもある。


 内部にはキッチンや風呂にテレビやネット回線まである。飲料や保存食も色々だ。冷蔵庫は冬場は電源を落としてあるが、夏なら冷えた飲み物が常備してある。時間がありゃあ、外の浄水装置に雪をぶっ込んで溶かしてシャワーを浴びることも出来る。

 

 とにかく色々あるが、それはここが東側では一番奥にある山小屋の一つだからだ。この先で休むにはテントでも張るしかねぇ。その分、ここの設備が充実している訳だ。今回は朝までには帰るが、長丁場の時はこういう大きい山小屋を拠点として、奥と行き来する訳だ。


 俺と会長は居間のテーブルで向かい合って茶を飲んでいる。暖房は抑え目にしてるから紅茶の暖かさがありがてぇ。レーションと一緒に流し込む。部屋の端の方の壁ではノゾムたちがびっしりと張り付いて休んでいる。あいつらには虫用セーターを着せてはいるが、アレは羽や気門に干渉しないように作った結果、殆どマフラーみてぇなもんだから寒さを完全にしのげるわけでもねぇ。セーターの内側にミリサイズのカイロも入っちゃっいるが、腹と下半身側が無防備なんだ。今のうちに休ませとこう。


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 紅茶を飲み終えた。エアコンとストーブの音だけが部屋に響く。テーブルの向かいの会長はタブレットを取り出して地図をみている。

 なんか話そうかとも思ったが、改まると話題が出てこねぇな。

 今日の任務の話は、情報が少な過ぎて憶測しか出来ねえから無しだ。生徒会の話も今するようなのはねぇな。どうすっかな。間が持たねぇ。無理に喋らなくてもいいだろうけどよ


「片桐くん」

「ん、なんです?」


 俺が困っていると会長のほうから話しかけてきてくれた。流石だ。


「最近……どうです?」

「なんすかその、話題に困った父親みてぇな……あ、いや。……すみません」

「え?……ああいえ、そんなつもりでは。でもそういう片桐くんは最近、ご両親と殆ど会話してないでしょう?」

「それは……まあ。でも仕方ねぇでしょう!?うちの親ときたらいつまでもあの野郎を庇い立てしやがるから……!」

「そうは言いましても……」


 会長は腕を組んで考え込んじまった。いけねぇ。この話題は俺にとって地雷なのにうっかり自分から踏んじまった。先に会長の地雷を踏んだばかりなのに……。ともかく謝らねぇと。


「すんません。会長に怒ったって仕方ないのに」

「あ、そうだ。それですよ」


 会長は肘を下に向けた状態で、俺を人差し指でぴしっと指差した。


「どれです?会ちょ……」

「それです!……学校じゃないんですから『会長』は止めてください……!」


 会長はテーブルに手をついて俺のほうに身を乗り出してきた。


「うわっ!?……あ、ああそれもそうすっね。じゃあ……隊長……」

「違います!名前で呼んでください……!」

「そっち!?」


 思わぬ発言に俺は面食らった。仮にも作戦中にそんなフランクに呼んで良いのか、と言うとそれは大丈夫だ。僚勇会はそういう形式張った方面は緩い。作戦中にも下の名前やあだ名が飛び交ったりもする。というか親戚、家族同士で隊員をやってる人が多いもんだから、名字で呼ぶと該当者が多くて紛らわしいんだ。

 そんな訳で会長は作戦中も名前で呼ばれるし、隊の名前も佐祐里隊だ。だから名前で呼んだって悪くはないんだが……。


「俺、やっと『会長』呼びに慣れてきたんすよ……?」

「良いですからほら。遠慮しないで『佐祐里様』で良いですよ」

「畏まりました佐祐里様」


 俺は頭を九十度倒して片腕を手前に曲げ、俺なりに恭しい感じのポーズをしてみた。ちらっと上を見ると、会長は横を向いて目線を逸していた。それは酷ぇぞ。


「……すみません冗談です。割と悪くありませんが、恥ずかしいので勘弁して下さい。普通にさんづけ辺りでお願いします」

「じゃあ………佐祐里……さん」


 俺は頭を下げたままの状態から恐る恐る言った。再び顔を上げると、会長は開いた左手で額を抑えて天を仰いでいた。どうしたんだ?


「会長……じゃねぇ、佐祐里さん?」

「良い……」

「?」

「良い……」

「あの、かいちょ……佐祐里先輩?」

「『先輩』!……萌え殺す気ですか!?」

「何が!?」


 俺は一気に起き上がって姿勢を正した。先輩は両手で顔を覆って体を左右に振っている。それを見ていた俺の表情は、怪訝な感じになっていただろう。


「あの、やっぱり『西条先輩』じゃダメですかね?正直ちょっと」


 ……照れる、と言うのすら照れるんで言葉を切った。


「ダメです」

「ええ……」

「考えても見てくださいよ、他人行儀過ぎて傷付きます!例えば、想像してみてください。瑠梨ちゃんに名字で呼ばれるのを」

「瑠梨に……?」


 会長は人差し指を立てると、天井を見上げた。あたかもそこに漫画の吹き出しでもあるかのような雰囲気だ。俺も見上げてみる。


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 朝、いつも通り瑠梨を起こしに行った俺に瑠梨が返事をする。

 

(おはよう、はる君……じゃないや、片桐くん。どうしたんですかこんな朝早くに)


 瑠梨の表情は『何故貴方がここに?』と言わんばかりの怪訝そうなものだ。むしろうっすらと恐怖と拒絶すら混ざっている。


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「うげぇっ…!!」


 俺は胸を抑え、前のめりにうずくまった。額が勢い良くテーブルにぶつかる。バン!と結構な音がしたが、それどころじゃねぇ。起き上がる気力が出ねぇ。恐ろしいモンを想像しちまった…名前呼びの幼馴染が急に名字呼びになる……堪えるぞコレは……。


「ひぃっ…!」


 俺の頭上、つまりテーブルの向かい側でもバン!と音がした。気合を入れて顔を起こすと、俺と同じように突っ伏した会長の頭が見えた。


「って何、自爆してるんですか…」

「申し訳ございませんでした……私はなんて恐ろしいことを…」


 自分の体を掻き抱きガクガクと震え、うっすら冷や汗と涙まで見える。明らかに俺の10倍はダメージが有るぞコレ。恐らくだが、悪い妄想が悪い妄想を呼びどんどん悪化してるんじゃねぇだろうか。


「瑠梨ちゃん……捨てないで……」


 例えば『何故、急に名字で呼ばれる羽目になったのか』具体的な理由を考えちまったとかそういう奴だ。嫌なことを考えまいとして逆に考えちまうのは、誰しも経験があんだろう。多分それだ。


「そんなゴミを見るような目で……いや、これはこれで……」


 ……まずい。これは止めねぇと。別の意味でやばくなってきた。俺は椅子から腰を浮かせて会長の方に向かおうとした。その時、カーテンの向こうから音……いや声がした。ラッタの声だと思うが、何と言ったから聞き取れねぇ。寝言なら良いが起こしちまったか?結構な音の二連発だからな。


 俺は様子を伺うべく椅子を立って歩き、カーテンを捲ろうと手を掛けた。その肩を会長にポンと叩かれた。


「まさか、夜這いですか?」

「んなわけねぇでしょう」

「私も同行します」

「会長!?」


 会長はいやらしい感じに両手の指を動かす。瑠梨だけでなく恵里にまで目をつけていたのか?それはまずいぞ。


「まあ、勿論冗談で……」

「死にたいんすか!?」

「死!?」


 両手を宙に上げたまま会長が固まる。銃を突きつけられたようなポーズだ。

 そんな驚くことか?いや、驚くことだよな普通。これは説明が必要だ。会長を椅子に座らせた俺は、立ったままで少し顔を近づけると声を潜めて話した。


「俺、昔寝てる恵里に悪戯しようとしたことがあったんですが」

「えっ」


 会長がすごい勢いで後退った。座ってる椅子を手で持って下がり、一メートル近く距離を取られた。胸の前で腕をクロスさせてる。言い方は悪かったかも知れねぇが、今あんな話した人にこんな態度取られたくねぇぞ。


「いや、顔に落書きしてやろうと思ったんすよ」


 逆回しじみた動きで前に戻ってきた。ちょっと面白い。


「何でまた……」

「恵里ん家に泊まりに行った時で、なんだったか原因は忘れたんすけど、食事の後で喧嘩したんですよ」

「泊まりに行った先で喧嘩を……お家の人と気まずかったでしょう」

「まあそうですけど、話の腰折らねぇで下さいよ……そしたらアイツ、俺が近づいた途端……」

「寝言で『ハル……大好き』って……」

「何悍まじい想像してんすか!あと俺の話の腰になんか恨みでも…!?」


 俺は思わず身震いした。だが今の囁く感じの『大好き』は良い感じだった。架空の恵里からの引用文というていなのが残念ではあったが、それでも事前に気配を感じで録音し損ねた己の不明を恥じた。ここに瑠梨がいればダビングして貰えたものを……!勿論、アイツなら録り逃がさないのは大前提だ。


「すみません、片桐くんで遊ぶのが楽しくてつい……でも片桐くんも後で恵里ちゃんに謝りましょうね……悍まじいって貴方……」


 会長の発言をスルーして俺は続ける。


「で、アイツ竹刀で俺をぶっ叩いてきたんすよ。間違いなく寝てたのに」

「え?あの……色々気になるんですが、まず竹刀は何処から?」

「え、そりゃ抱いて寝てたんすよ、ホラ」


 俺はカーテンを少し開けた。恵里は鞘に収まった真剣を抱いて寝てる。


「………」

「あん時は剥き出しでしたからね。今は真剣だから当たり前ですけど、鞘に入れる様になっただけ成長したんですねアイツも」


 カーテンを閉める。ラッタの安眠を妨害しちゃ悪い。


「常在戦場にも程がありません?」

「せめて枕元に置いて欲しいとこですけど……無駄です」


 黙って首を横に振った。


「えっとそれで…片桐くんはなんで生きてるんですか?」

「ご命令とあらば、この首すぐにでも差し出しますけど……」

「そんな覚悟は要りません!……そんな重い話じゃなくてですね。竹刀とはいえ、恵里ちゃんの攻撃を食らって子供が生きていられる訳がないじゃ無いですか!」

「会長も割と恵里に失礼じゃねぇですか!?」

「私のは事実を言っているだけです」


 会長がまるでゾンビや幽霊でも見るような目で俺を見てくる。そんなに今俺が生きてるのはあり得ないことですかねぇ?


「あのですね、そん時は恵里も子供だったの分かってます?」

「いやそれでも……」


 会長は食い下がったが、まあ正直それは正しい。更に話を続ける俺は多分、遠い目をしているだろう。


「……確かに竹刀が焦げるような匂いしましたけどね。まさか空気と摩擦を起こしたなんてあるはず無いっすよね」

「うわぁ……」

「アイツが動いた拍子に俺の踏んでた布団だかシーツだががズレて、それで俺がすっ転んだお陰で躱せたんですよ」

「……追撃は?」

「ありませんでした。獲物を見失ってすぐにまた寝ました。今なら故意に転ばせて手前に引き寄せたり追撃もあるでしょうね」


 しばし会長も遠い目になった。本当、恵里の奴はなんであそこまで恵里なんだろうな……。


「……本当に寝てたんでしょうか」

「そりゃあ、見りゃ分かりますよ。幼馴染ですし。アイツめっちゃ眠り浅い代わりに、どこでもすぐ寝てすぐ起きるんすよ」

「言われてみれば…」


 会長も心当たりがあるようだ。今日のメンツでの泊まり掛けの出動は初めてだったかも知れねぇが、会長と恵里が一緒に泊まり掛けになったことは何度かあった筈だ。

 会長は(恐らくわざと)震えながら呟いた。


「危なかった…」

「なんかしようとした覚えがあるんすか?」

「そうではないんですが。いえね、瑠梨ちゃんに恵里ちゃん並みの迎撃性能があったら、命が百個あっても足らなかったなぁ、と」

「待て。瑠梨に何しやがったおい」

「……一つだけお教えしておきますと、普通に揉んだくらいじゃあ、まず起きないですね」

「……おい会長……様、それは本当でございますですか」

「本当でございますですよ。まあ私の指だからかも知れませんが」


 俺たちは顔を寄せ合い、指をワキワキと動かした。

 客観的に見てなんだコイツら。


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 再び席に着いた先輩は残りの茶を一気に飲み干す。そろそろ交代時間だ。


「…まあ、冗談はともかく……今の情報は本当ですが……ともかく私、恵里ちゃんや片桐くん達のことを結構知らないんですよね」

「そうなんですか……!……そうですかね」


 前半に納得し後半に疑問を呈する。会長は俺たちのこと、ちゃんと見てくれてると思うんだがな。


「能力面については、私なりに見ているつもりですよ。そうじゃなくて普段の生活……プライベートの話です。無理に立ち入る気は無いんですが、出来れば距離を縮めていきたいですね」


 俺も席に戻って茶を飲み干す。今の体制になって半年ちょい。俺たちは確かに戦闘態勢の確立ばかりを優先してきてたな。

 ここで言う俺たちってのは生徒会メンバーだけじゃねぇ……この半年間、大人も含めた僚勇会、もしくは風科全体にそういう空気が有ったのは気のせいじゃねぇだろう。必死に戦闘態勢を安定させ、設備整備に注力して他をあまり考えなかった。

 実際、考える余裕がなかったのも確かだが、ある程度はわざと考えねぇようにしていた部分もあったと思う。

 だが、年も明けてやっと余裕が出てきた今、そろそろ視野を広げてもいいだろうな。


「そっすね。もうちょいして藤宮先輩たちが戻って、鳩寺が日本に帰ってきて、久浦たちとの連携も確立させて……そんで雪融けして整備と点検を一気に終わらせたら、そんな余裕もどんどん増えて行きますよ。絶対。そしたら」

「ええ、『今年』、何が有っても大丈夫なようにしましょう」


 先輩がゆっくりと立ち上がる。俺もそれに続いた。


「その為には、まず目の前の任務、ですね」

「ええ。さあ、寝るぞー!」


 先輩は左手の握り拳を上に突き出した。

 ……可愛いは可愛いが、ちょっと不吉だぞそれは。

 何故かは上手く言えねぇが。


「『俺たちの戦いはこれからだ!』みたいなの止めて下さい…!」

「実際、これからじゃないですか?」

「そうですけど!」



 そんなやり取りをしながらカーテンに手をかけた瞬間、背後でカチカチ、という異音がした。


「エイジ?」


 天井近くにいたコルリクワガタのエイジが緑色の体を震わせハサミを打ち合わせていた。部屋中に散らばっていた他の奴らもそれに続いた。先輩が咄嗟に手元の端末で小屋のレーダーを確認し、俺はテーブルの上に置いたままの通信機に駆け寄る。



 今のは……エイジたちが妖怪の気配に気付いた時の反応だ!

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