1-9「虫」

 神社の階段下で瑠梨と別れた俺は、そこから西へ向かった。国道沿いに早歩きで10分ほど歩いてから北へ曲がり森の中に入る。つってもまだ仕事じゃねぇ。仲間のクワガタ達への飯やりだ。

 普段なら朝に瑠梨を起こした後の日課だが、来れそうもねぇ時はこうやって夜に来とくんだ。20cmばかし雪の降り積もった道を長靴で踏みしめて歩く。これでもまだ歩きやすい方だ。週末にざっと除雪したばかりだからな。


 森に入ってから更に5分ほど北へ歩くと青い鉄柵に囲まれた洞穴が見えてくる。これが俺の秘密基地って奴だ。いや、瑠梨やその他のダチに町のおっさんたち、挙句の果てには親にまで場所を知られてるから秘密でも何でもねぇんだけどな。そこは気分って奴だ。秘密基地で通す。

 高さ3mの鉄柵の1つ、扉の部分を開けて入る。洞穴の入口の両側開きの鉄扉も開けて中に入った。ここは数年前まで昆虫学者の爺さんが使っていた飼育所だ。天然の洞穴を改造して作ったもので、確か昭和の50年代には既に使っていたらしい。爺さんが引き払うに当たって、手伝いをしてた俺が譲り受けた。最初はクワガタたちだけの住処だったが、今じゃ俺も週の半分はここで寝泊まりする身だ。


 元々、爺さんも泊まることが多かったから設備はそのまま使えた。そこへ更に僚勇会や町のおっさん達に要らねぇ家具やら食器を貰ったり、太陽光と水力を付けて貰ったりしたんで大分助かってる。


 スイッチで灯りを点ける。入って右の俺の居住エリアに荷物を放り込んでから、正面の部屋へ直進した。俺も腹は減ってるが後回しだ。俺は時間が無きゃ最悪レーションでも食やぁいいが、アイツらはそうもいかねぇ。扉を開けて中に入ると、暖かい空気が出てくる。中に入りコートをすぐ横の、細長い木みたいな形の服を掛ける奴に掛けた。


 部屋の中には天井まで届く2m超えの金属ラックが3つあり、そこの虫カゴの中にクワガタ達がいる。虫カゴと言っても大きいカゴは1個辺り幅1m、奥行きや高さは50cm以上あってラックの1段が一杯になる。その中に10匹前後づつが住んでいる。それと別に普通の、子供も使うような小さいカゴが10個くらいある。そっちは多くて2・3匹づつだ。なるべく種類別や体のサイズ別に分けるようにすると、小カゴに住んで貰う奴も出る訳だ。


 この部屋にいるのは冬眠したがらない連中で、幼虫を入れて大体80匹ちょい、奥の冬眠部屋と合わせると200近くいる。成虫の殆どには名前をつけているし見分けもつくが、流石に正確な数は把握してねぇ。夏場になると一部は自由に出入りするしな。

 ともかく冬眠中の連中が起きている春から秋に掛けてはエサ代が馬鹿にならねぇ。……と見せかけて暖房代の掛かる冬場のほうがやべぇんだなコレが。


「おい、野郎ども食事だぞ」


 俺が呼びかけると、クワガタ達が動き出す。カゴの横についてる扉にハシゴでよじ登り、扉から垂れ下がる輪っかをハサミで挟み込む。体重をかけて引っ張ると、内側から扉が開く仕組みだ。

 その間に俺はいくつかある小型金属ラックの一つから、プラケースに入った昆虫ゼリーを取り出す。このケースはかなり頑丈で、コイツらが勝手に外に出たとしても簡単には食い破れねぇ代物だ。食い破るだけの力のある連中もいるが、ソイツらにはよく言い聞かせてるから大丈夫だ。


 俺がゼリーのケースを開けた途端、音か臭いに気付いてか、何匹かハサミをカチカチと打ち鳴らす。ブーイングのつもりだろう。お前らは殺気立った時のスズメバチか。

 コイツらが怒っているのは腹が空いてるからだ。クワガタは夜行性なんだが、ここでの暮らしで昼夜が逆転していやがるのか、昼のほうが元気に動く奴も多い。この時間に来たほうが動き疲れてかえって腹を空かしてることもある。こりゃあ面倒でも明日の任務帰りにも追加してやらなきゃダメか?


「しゃあねぇだろう。こっちにも都合ってもんがあるんだよ」


 今朝剥いてやったりんごの食べかすを片付けながら、ゼリーを入れていく。


 クワガタの餌にも色々あるが、グレード的には


安物のゼリー<フルーツ<高級ゼリー


 ってところだ。これをだいだい等間隔でくれてやる。

 ゼリーつっても所詮は虫が食う分だし、大した額じゃあねぇが、高級品ばっかりでも飽きが来るらしいので節約も兼ねて安物も混ぜる。フルーツは加工すんのがメンドい。


 餌を替えていると、緑色のコルリクワガタが飛んできて頭に乗った。察しの良い奴だ。


「ああ、そうだ。出動だぜ。敵の種類が分かんねぇから取り敢えずエイジとタカシの隊は来い」


 この頭に乗った奴は、緑野鋭児みどりのえいじ。書く時は人間と紛らわしいから「エイジ」とカタカナ表記で統一するが、一応成虫は殆ど全員名前がついてる。

 そして、俺の指示を聞いて飛んできたのは青いルリクワガタのタカシこと青木高志あおきたかし。差し出した俺の右手に乗った。二匹共々、メジャーなオオクワやヒラタよりはずっと小さくて見た目は頼りねぇが、タカシは飛ぶのが早く、エイジは感覚が鋭い。森での探索で特に役に立つ奴らだ。似た特徴の連中の指揮を任せている。


「頼むぞ」


 タカシはハサミを交差させて反り返る。人間で言えば頷いた感じだ。

 ああそうだ。すっかり言い忘れたていたかも知れねぇが、俺はクワガタと話せる。


 ……いやマジだって。一般人が犬猫と意思疎通できるのと似た感覚だ。 


 まあコイツラが普通のクワガタとは言い難いのも確かだ。半分妖怪じゃねぇのかという説もある。実際、普通のクワガタの寿命が2年くらいのところを4・5年以上成虫で生きている連中もいる。

 確かに風科の森の影響でどうにかなってるのは否定できねぇが、大半の奴は少なくとも外見は普通のクワガタと差異はねぇ。たまにデケェのや変わった色のはいるけどな。

 そもそも俺は他所のクワガタや他の昆虫ともある程度は話せる。単に風科のクワガタが一番相性が良いってだけだ。


 まあ、コイツラが妖怪だろうがなんだろうが関係ねぇ。人間と同じ大事な気のいい仲間たちだ。


「あと20分で出るぞ。出撃する連中は早めに食っといてくれ。タカシたち以外も何匹か来てもいいぞ」


 俺は壁の時計の針を示す。コイツらに数字や時間の概念は分かりづらいらしいが、こうすることで多少は伝わるようだ。


「ん、なんだエイジ?……痛て」


 跳ねるような飛び方で、俺の頭から顎に移ってきた。そして俺の口を足でトントンと叩きやがった。地味に痛ぇ。


「え、『俺達には安物のゼリーで、自分はなんか食ってきたな』って?」


 肉まんと珈琲の匂いに気づいたらしい。そう、さっき言ったようにコイツは感覚が鋭いんだ。


 ハサミをカチカチさせて不満気な様子を見せる。周りの連中にも伝染して、ちょっとした養蚕所みたいな煩さになった。あれはいっぺん聞いてみたら良い。育ち盛りが千匹もいりゃ食事中はちょっとした豪雨みたいな音だぞ。

 それはともかくこの「カチカチ」には9割くらいの奴が参加してるぞコレ。


「お前らなぁ…いいからとっとと食え!……うるせぇ!間食くらい好きにさせろや!」


 カチカチが続く。

 人間と同じ大事な気のいい仲間たち…だよな…?


 ……俺はエイジを引き剥がすと、部屋を出て右の台所に向かった。さっき荷物を投げた寝室の向かいだな。そしてやかんに湯を沸かす。

 この基地からは集合場所までは10分あれば余裕で着く。カップ麺に卵と野菜とハムを混ぜて食う程度の時間はありそうだ。何が最後の晩餐になるか分かんねぇし少しでもマシなもんを食っておきたい。


 そう考えるとエイジたちにも悪いことをしたか?

 ……考えすぎても仕方ねぇ。

 クワガタの平均よりは長生きとはいえ、奴らは5年かそこらの命だ。そもそも俺だって人間だ。いざって時には、仲間の人間とクワガタのどっちを守るかと言ったらそりゃあ人間のほうだ。流石に迷わねぇ。

 だからこそ俺は代わりに連中の子供や兄弟を守り育てる契約ではあるんだけどな。


 そう、契約だ。俺はたまに虫使いとか呼ばれたりもするが、それは違う。あくまで依頼して力を借りているだけだ。

 バケモン相手にクワガタが何の力になるかってのは、実際に見てのお楽しみって奴だな。



 食事を終えた俺は、任務用の頑丈で軽い虫カゴを点検してからクワガタ部屋に戻った。


「おい、お前ら。そろそろ行くぞ」


 エイジ隊とタカシ隊、その他合わせて計26匹がウレタンマットの床をのそのそ歩いてきた。準備運動のように羽を動かす。


「久々の出撃になるかも知んねぇからな。無事生きて帰ったらとっておきのゼリー出してやるぞ」


 俺が言うと、一瞬部屋が静まり返る。ラックの外やら中からガソゴソと音がしたかと思えば、数秒後、60匹近いクワガタが一斉に飛び立った!

 連中は俺に文字通りに飛び付き、全身を覆った。


「痛ててててて!!ゴホッ!ガホ!……アホかこんな連れてけねぇよ!」


 勢い余って俺の口に飛び込んだアホを手の上に吐き出しながら叫ぶ。今の俺はニホンミツバチに集られたスズメバチみてぇな感じだろう。俺を蒸し焼きにする気か?言っとくが、お前らが先に死ぬぞ?


「最初の26匹で十分だ!留守番組にもちったぁ分けてやっから残れ!」


 40匹ほど……いやちょうど42匹の後発組がしぶしぶと俺の体を降りていく。

 足がチクチクして痛ぇ。飛べよ。今さっきの急速離着陸の勢いはどうした。甲虫らしからぬ見事なアクロバット飛行はなんだったんだ。普段からやれ。


 なんで出撃前に味方の手で蜂球ごっこを体験しなきゃなんねぇんだよ全く。冬で厚着だから良かったが、夏だったら跡が酷ぇことになるところだったぞ。


 全身の状態をよく確認したかったが、時間が押してきやがった。

 俺はわざとらしく大きな溜息を吐いてやると、エイジ達をカゴに入れた。

 背中に火打ち石を二度打ち合わせたような軽く高いハサミの音を受けながら、俺は部屋を出てそのまま基地を去った。

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