1-2「髪」

 校庭の脇を通って下駄箱の前に来ると、箒の音が聴こえた。

 生徒会長で二年生の西条佐佑里さいじょうさゆり先輩だ。瑠梨と同じ長さの黒髪が朝の光に透けてうっすら紫を帯びている。背は瑠梨より少し高い。多分、二年の中では小柄なほうだろうな。体型はスレンダーだ。


「あ、おはようございます。瑠梨ちゃん。片桐くん」

「おはよう、さゆちゃん」

「おはようございます。会長」


 瑠梨は会長と幼馴染だ。

 お互い忙しい中でも、月に2・3回は一緒に出かけたり家に泊まったりする程度には仲が良い。

 

「ふふ。今日も綺麗ですね」

 会長が瑠梨の髪を手に取る。

「さゆちゃんこそ、サラサラ」


 瑠梨が会長の髪を撫でる。

 ……二人は仲が良い。


 えっと何だったか……ああ、そうだ。

 瑠梨と違って俺が会長とまともに話すようになったのはここ2・3年のことだ。

 会長の家は風科で有名だから、俺は知っていたんだが、会長も俺を知っていたのは意外だった。

 考えてみりゃ俺たちには瑠梨という共通の幼馴染がいる。たまに出くわした時に挨拶を交わす程度だったのがおかしい、と言われりゃそうかも知れねぇ。

 

「私もそろそろ引き継いでいきますから、 先に行ってて下さいね 」


 会長は集めていたゴミをちりとりに入れ始める。

 玄関担当の掃除当番はもうちょいで来る。会長一人で今掃く必要もないんだが、皆が確実に使う下駄箱周りだけでも自分の手でやっておきたい、と都合がつく日は始発で来て掃除している。実際、ほぼ毎日だ。更にその前には校庭を一通り見回りと点検もしているんだから頭が下がる。


「ところで会長、藤宮先輩はいつ戻るんでしたっけ?」

「そうだよね。週明けには戻るって聞いてたのに」


 副会長の藤宮涼平ふじみやりょうへい先輩は森の奥へ「遠征」中だ。これは生徒会、というか学校絡みじゃねぇ。また後で説明する。先輩が半年前から何度か遠出していたのは知っていたが、行き先まで知った最近のことだ。

 

「年末は忙しかった上に、雪も多かったですからねぇ。調査の遅れを取り戻す為に長居するって言ってたそうですよ。無理はしないで欲しいんですけどね…」


 先輩は手を止めると、顎に手を当て溜息を吐いた。同感だ。あの人なら大丈夫とは思うが、万一ということがある。

 俺達はそれを知っている。

 食料と水は多めに持ってったそうだが、その分長めにいたんじゃ意味がねぇ。先輩なら現地調達でも大丈夫だろうが、あの森ではそれは最後の手段だ。



「俺も今日『レベル2』まで入りますけど、ついでにちょっと見てきましょうか?」

「いえ、涼平がいるのはレベル4辺りの筈ですから……。まあ大丈夫ですよ。ガイアちゃんも一緒ですからね」


 先輩は微笑んだが、不安は拭いされていないように見えた。

 

「それで結局いつ戻るのかな?」

「もう2・3日…ですかね?木曜まで掛かるようなら、皆で首根っこを引っ掴みに行きましょう」


 先輩は左手でぐっと握り拳を作り冗談めかして笑った。ただし本当に木曜まで掛かればその時は冗談じゃなくなっちまうだろう。

 ……死にたくなきゃ早く戻ってきてくれ藤宮先輩。



「ところで片桐くん」

「な……なんすか?」


 作業を再会しかけた会長は、何かを思い出したように手を止めて、俺にささっと近づいてきた。正直、ホラー映画の敵を連想する動きだったが、寄ってきたのが綺麗な顔だったんで悲鳴は挙げずに済んだ。


「瑠梨ちゃんを見てなにか気づきませんでしたか?」

「え?」

「ほら!先週までと違うところがあるじゃないですか!」


 会長は左手をハンカチで拭うと、瑠梨の髪を手に載せてそっと揺らす。我が物顔か。


「もしかして髪を切った話ですか?」

「あ、気付いてたの、はる君?」

「そりゃあな」


 瑠梨は意外そうに瞬きをした。

 心外だ。そんくらい気付く。


「気付いてたんなら言ってあげてください!女の子が、髪を、切ったんですよ?」


 会長は右手を瑠梨の腰に回して軽く抱くと、瑠梨の髪を撫で付ける様を俺に見せつけてくる。だから我が物顔か。


「いや切ったてっつっても1センチ位でしょう? その程度で反応すんのもどうかと…」

「いいえ!平均で約1・4センチです」

「 誤差の範囲じゃねぇか!」


 思わず苦手な敬語も忘れて突っ込んじまった。

 そして測りもしねぇで何故分かる……!ふと気づくと、俺は一歩後ろに後ずさっていた。


 会長は美人で頭も良くて性格も良くて強くて顔も良くて胸はともかくスタイルも良くて人望があってしかも綺麗だが、瑠梨が絡むと……途端にアレな感じになる。

 はっきり言えばダメになる。

 俺はぐったりしながらも弁解を試みた。

 

「いや分かりますよ。1センチだろうが1ミリだろうが髪は女の命だってのは。だからって、ちょっとやそっとでいちいち男に反応されても困りません?逆に引かれちまうでしょう?」

「いいえ!少なくとも好きな人には指摘して欲しいものなんです!……ねぇ瑠梨ちゃん?」


 会長が瑠梨にぐっと顔を寄せる。

 ビビった。キスするのかと思った。それくらいの距離だ。

 俺の位置からだと二人の鼻が重なって見える。俺が男にあの位置に寄られたら反射的に張り倒す近さだ。


「ちょ、ちょっとさゆちゃん…」


 瑠梨が目を逸らした。


「じゃあ会長が反応したんだから良いじゃないですか」

「いや片桐くん。その理屈だと瑠梨ちゃんが私を好きなことに…いや好きですけど…」


 会長が再び左手を瑠梨の髪に手を伸ばす。


「いや確かにさゆちゃんのことは大好きだけど、別にそういうのじゃ…」


 瑠梨も会長の髪に手を伸ばし返し、二人は頬を染めて見つめ合う。




 ……これ以上はやべぇ。ここは人目がある。……既に色々な意味で手遅れだとは思うが、一応は止めねぇと。

 

「…あー…そういえば会長は今回は切らなかったんですね…?」

「……え?まあ、そこはそれこそ1.4センチですからね。かえって不揃いになっちゃいますよ」。


 会長の返事は一見意味不明だから説明がいるな。

 会長は自分の髪の長さを瑠梨と揃えるように切ってんだ。でも延びるのは瑠梨のほうが早いんで、ちょっと切った程度なら会長は切らねぇって意味だ。


「じゃあ後でね。さゆちゃん」

「ええ。あと10分はかからないと思います」


 そう話す間にも掃除当番の連中の姿が見えてきたんで、俺たちは先に行くことにした。


「にしてもはる君」

「……な、なんだ?」


 内履きに履き替えて歩き出した辺りで瑠梨が話しかけてきた。声と顔が非難がましい。


「私が髪切ったの……いつ気付いたの?」

「最初から気付いてたよ。悪かったな言わなくて」

「最初って、いつ?起こしに来てくれた時?」

「そりゃあ、バス停で会った時だな。起こしに行った時は暗かっただろ?」


 だいたい寝起きで髪も少し崩れてたしな。会長じゃあるまいし流石にあれで1センチちょっとの差は分からねぇ。

 にしても変なことにこだわるなコイツ?


「……ってことは土日に家に帰らなかったんだね?やっぱり」

「げ」


 しまった。迂闊だった。


「約束、忘れちゃったの?」

「覚えてるよ。ちゃんと週に一度は帰ってんよ…」


 俺は今一人暮らしをしている。でも瑠梨との約束で週に一度は実家に帰ることになっている。

 色々あってあまり帰りたくはねぇが約束は一応守っている。


「どうせ先々週の土曜の夜に帰って次の日曜の朝に出てきたんでしょう?」

「うっ……」

「それで?次は今度の週末?ダメだよ。せめて丸一日くらいはいようよ」


 お見通しかよ。そう、今日は月曜で、前回実家を出たのは先週の日曜だ。

 そして今週の土曜に実家に戻れば「週に一度は帰る」約束は守ったことになる。

 瑠梨様はそれじゃあご不満らしい。


「なんだよ。ウチの親に聞いたのかよ」

「おじさんたちは何も言わないよ。それで?」

「放っとけよ…」



 瑠梨のこういうお節介なところだけは本当に困る。

 ちなみに、瑠梨の髪と俺の帰宅がどう結びつくのかと言えば、俺の実家が床屋をやっていることが関係してくる。

 鳥姫神社の巫女である瑠梨の髪を切るのは、ウチから特別に神社まで出張して儀式として切るのが基本だ。


 俺自身は特別この儀式に必要じゃねぇが、実家に泊まっていれば出張したことに気づけた筈だ。

 出張は瑠梨相手以外には滅多にやらねえから普段より慌ただしくなる。

 仮に俺がその時間だけ家にいなくても、メシの時間には必ず話題になる。

 つまり、だ。

 今朝まで散髪の件を知らなかったってだけで、瑠梨には俺の不在がバレちまったわけだ。俺の家族が何も言わなくてもな。



「良いだろ別によ…そんな遠くに住んでるわけじゃねぇし。ウチの家族は別に持病もねぇし。大体一緒に住んでたって、目ぇ話した隙にぶっ倒れてくたばっちまうことだってあるんだからよ」

「はる君!ダメだよ、そういう言い方はっ!それにそういう介護とかの話はしてないよ」

「わぁってるよ畜生」


 ……俺が今親元を離れてんのは…なんつーか、少なくとも虐待されただとかそんなんじゃねぇ。

 子供のネーミングセンス以外は……世間的に見て良い親なんだと思う。

 ネーミングセンス以外はな。つーか本当は親が悪ぃ訳でもねぇ。「あの野郎」さえ、ふざけたことをしでかさなきゃ……!

 ……悪い、この件は取り敢えず忘れてくれ。


 それっきり会話もなく俺達は歩いた。せいぜい一分くらいだった筈の時間が、その何倍かに感じられた。生徒会室の前まで来た俺は、気持ちを切り替えるために深呼吸をした。同時に瑠梨も深呼吸をした。

 狙ってもねぇのに全く同じタイミングだった。

 それがなんか面白く、顔を見合わせて軽く吹き出しちまった。少し気分は落ち着いたし丁度良い。

 俺は扉を開けた。

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