第六談 テケテケ

 彼女の名前はカシマレイコといった。

 その日の僕たちは、バスに乗って隣町を目指していた。

 いつもは、彼女のほうから僕を訪ねて来ていたけれど、その日に限って言えば、彼女を誘ったのは僕のほうだった。

 今にして思えば、それは子供心が生む初恋というものだったのか、僕はその感情の意味も知らず、名前も知らず、ただドキドキして彼女の家に電話をかけたのを覚えてる。

「いいわよぉ。じゃあ明日は瑞樹とデートね、楽しみだわぁ」

 電話をかけるのに二時間かかった僕の誘いは、繋がってからわずか数十秒で発せられた彼女の声で、みごと承諾された。

 そして、その日。

 新聞の記事に載っていた映画館に、きちんと辿り着けるのかとか、叩き割って中身を全部もってきた貯金箱の貯蓄が、今日一日に十分な額なのだろうかとか、とにかく僕は緊張していて、だからずっと、隣に座る彼女と喋ることも出来なかったし、きっと青い顔をしていたのだろう。

 だから彼女は、僕にこう言った。

「どうしたの瑞樹ぃ? あっ、もしかしてバスに酔っちゃったぁ?」

 僕たちは席を入れ替え、僕が窓際、彼女が内側に座る。


 ――そして、バスは、それから運命の場所になる、踏み切りへと、やってきた。


 衝撃自体は、強烈だったけれど一瞬の事だった。

 突然バスを襲った圧倒的な暴力に、僕の体は窓を突き破り、車外へと放り出された。

 踏み切りの誤作動が原因で起こった、バスと電車の衝突事故。

 被害者百二十七名。内、死者五十二名。

 何億分の一という確率が引き起こした、あってはならない悲劇、その日、神様の気まぐれとしか思えない偶然によって、僕たちは見舞われた。

 衝突の衝撃で外に飛び出された僕は、全身をガラスで切ってはいたけど、それでも軽傷のうちだった。

 だけど、その時の僕はなに一つ理解できず、ただ目の前の光景が、何の地獄なのかと必死に考えていた。

 互いの車輪を向けて横倒しになるバスと電車、車両から燃え上がる紅蓮の炎と黒色の煙、鼻を突く強烈な油の臭い、その意味のたった一つですら、僕にはわからなかった。

 倒れたバスの、僕の座っていた窓側から、こちらに向かって手を伸ばす人がいた。

 だけど、そんな光景は、ありえない。

 バスは完全に真横に倒れていて、だから今、窓は道路の上。

 そこに人がいれるハズがない。

 倒れたバス、だから窓の位置には天井。

 そこからなんてことは、

「あっ……」

 僕に向かって手を伸ばしている人――彼女と同じ髪形で彼女と同じ服を着て彼女と同じ顔をしたダレカには、下半身が無かった。

「あっ、あぁ……」

 その表情は狂気。痛みだとか苦しみだとか、そういう次元じゃ絶対に収まらない憎悪のような顔。

 伸ばすその手も、助けを求めるものじゃない。のうのうと生き残った僕を、ソチラの地獄へと引き摺り込むためのもの。

 そこにいたのは彼女じゃない。

 僕の知らない悪魔だった。

「あっ、あぁ、ああぁ……」

 悪魔が僕へと近づいてくる。

 全身から血を噴き出し、赤黒い軌跡を残しながら、ズリ、ズリ、と二本の脚で這い寄ってくる。

「あああああああああああああああああああ!」

 だから僕は逃げ出した。

 悪魔に背を向けて、全力で、一秒でも早く遠くへと行くために。

 ただ、その悪魔が怖くて、怖くて、怖くて―――


 見上げる空は、まだ昼間のはずなのに、

 血と炎に照らされた僕の目には、夕焼けみたいに真っ赤に見えた……。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 あの後、逃げる僕たちの前に、法頼さんと異形の怪異ロアは、再び姿を現した。

「生きてたのか……」

「ジンめ、予想以上にてこずらされたよ。こちらもかなりのダメージを受けた」

 法頼さんの言う通り、二人の姿はかなりボロボロだった。だがそれでも、無事だった……。

 消耗が激しく、未だに回復のおいついていないサキが、それでも僕たちの前にたって鎌を構える。

「やめておけ。たしかに傷は負ったが、それでも満身創痍の貴様一人、滅ぼすことは簡単だ」

「……目的は、なに?」

 荒い息を上げながら、構えをとったまま質問するサキ。

「私の目的は怪異ロアを滅ぼすことだ、それ以上のことは何もない。そして怪異ロアは貴様と『テケテケ』の二体を残のみ。とはいえ、こちらも万全ではなくなったので、一度仕切りなおそうと思ってね。それから、通告というものをしにきた」

「通告、ですってぇ……?」

「瑞樹」

 法頼さんの視線が、僕へと向けられる。

「キミと、それから智里はよく頑張ってくれた。とくに『ドッペルゲンガー』と『死角の殺人鬼』を始末してくれたのは、大いに有難い。だから、キミたちの事は見逃してもいいと思っている」

 法頼さんが顎を動かすと、異形の怪異ロアは僕に向かって飛びかかり、サキが反応するよりも早く、その手を僕の首に突きつけた。

「瑞樹、サキの契約を解け。そうすればキミと智里には、手出ししないと約束しよう」

「…サキとの契約に、智里さんは関係ないだろ!」

 なんとかそれだけ叫び返す。

 それに対して法頼さんはフンと鼻を鳴らすと、面白くなさそうに告げてくる。

「人質というモノがあるだろう? これはそういうことだ。それに智里には、もう交渉の材料が

「――!」

 法頼さんに飛びかかろうといる智里さんを、サキが腕を伸ばして制止する。

「なに、すぐにとは言わんさ」

 異形の怪異が僕の体から離れ、法頼さんの所へと戻る。

「三日だ。三日後、再びキミたちの所に行く。それまでに契約を解いていれば、キミたちには二度と近づかないと誓おう。だが、もしそうでなければ――全員残らず始末する」




 そして僕たちは、お互いに一言も口を聞かないまま、それぞれの家へと戻った。

 サキもまた、何も言わずに部屋へと入って行った。

 着替えもせず、ベットに倒れこむ。

 今日は、いろいろなことがありすぎた……。

 僕らの襲う法頼さん。

 元気な姿を見た直後の勝の死体。

 あの日の怨念そのままに姿を現した、彼女の怪異ロア

 ジンさんの犠牲。

 その全てが夢であったらと、本当に願いながら、僕は死んだように眠った――。




 夜中。

 突然なったインターホンの音に目を覚ます。

 夜中の訪問者というと、どうしてもジンさんを思い出してしまう。

 だけどジンさんのハズがない。あの人は、インターホンなんか鳴らさない。

 誰かと不思議に思ったけど、それでも何かを疑う気力もなく、僕は黙ってドアを開ける。

 そこにいたのは、智里さんだった。

「家に、誰もいないんです……、お父さんも、ジンも……、わたし、一人で……」

 そういうと、智里さんは僕にすがりついてきた。

 抱きつくというには力無く、弱々しく、頼りなく、ただ、身を寄せてきた。

 だけどそれは、きっと僕も同じ。

 泣き震える智里さんの背に手を回すことさえ、僕にはできなかった。




「ジンと最初にあったのは、この夏最初の夕焼けの日でした……。日射病で倒れたわたしを、家まで運んでくれたのがジンだったんです。わたしが目を覚ましたのは自分の部屋のベッドの上、ジンはわたしのことを、まるでお父さんがするみたいに、心配そうに見下ろしてました……」

 智里さんを家に上げ、できあいの飲み物を出す。

 その間も智里さんは泣き続け、それから何を聞いたワケでもないのに、涙と一緒に言葉を吐き出した。

「不思議なんです。家の鍵はわたしの荷物から探し出したにしても、わたしその時、家の住所を記したものを何も持ってなかった。それなのに、ジンはわたしの家がわかったんです……」

 返事が欲しいワケじゃない。なにか言って欲しいワケじゃない。

 ただ誰かに聞いて欲しい。

 それは僕が、あの人にしたのと同じ事だった。

「ジンが怪異ロアであることを知るのに、時間はかかりませんでした。怪異ロアにとってわたしの霊力は上質のものらしくて、わたしの知らないところで、多くの怪異ロアがわたしを狙っていた。その怪異ロアからわたしを守って戦うところを、偶然見てしまった……」

 智里さんを守る理由を、ジンさんはふざけたように「将来の美人を守るのは、男の義務なんだ」と言ったらしい。

 ウソが下手な人だと、そう思った。

「そこでわたしは知りました。怪異ロアのこと、この街に溢れてる悪鬼のこと、ジンがそれと戦っていること……。わたしは決めました、この街を守ろうって、わたしがお父さんの帰る場所を守るんだって……」

 その決意がどういうものだったのか、僕にはわからない。

 だけどその動機が、とても純粋で、とても正しい事のように、僕には思えた。

「わたし、本当はわかってました……。お父さんがもういないこと。きっと、もう帰ってこないこと……!」

 ジンさんは最後、智里さんのことを娘と言った。

 そのことを、僕は言っていない。

 ジンさんが智里さんに伝えなかったのなら、僕が言うべきことではないと、そう思ったから。

 いったいジンさんは、どんな気持ちで、怪異ロアとして過ごしていたのだろう。

「ジンは、わたしの傍にいてくれたんです……、ずっと傍で、ずっと近くに……。あの時だって、本当に一緒にいてくれたのは、わたしじゃなくて……!」

 応えてくれる言葉は無く、抱いてくれる腕も無く、それでも智里さんは、一晩中泣き続けた……。




 それから僕たちは、互いに顔を合わせることもなく、互いの傷を癒す者もいず、ただ絶望に飲まれて過ごした。

 智里さんは、あのまま家には帰らず、僕の家で起きているんだか寝ているんだかわからない生活をしている。

 何もできない。

 ただ目の前の現実が朧で、何をしたらいいかもわからないまま二日が過ぎ、ついに明日、法頼さんの言った期日になる……。




 その夜、真っ暗な僕の部屋の中、それでも眠ってはいなかった僕の所に、サキがやってきた。

 昨日も今日も、僕はサキのことを見ていない。

 家の中にいるのはわかっていたけれど、互いに顔を合わせようとしはなかった。

 だからサキの姿を見るのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。

「瑞樹、起きてるぅ?」

「……うん。ああそっか、契約のこと、どうするか決めないとね。僕は、どっちでもいいよ……」

「あたしもどっちでもいいわぁ。瑞樹がこのまま腐ってたいって言うなら破棄すればいいし、あの怪異に殺されたいっていうなら続行すればいい」

 サキの言葉にはトゲがある。

 当然だろう、こんな姿の怪主かいぬしじゃ、サキだって嫌気が差したに違いない。

「レイコさんに殺される、か……。そうだね、それが一番いいのかもしれない……」

「……本当にそれでいいのぉ?」

 ドアを開け、部屋の中に入ってきたサキが、喋りながら僕に近づいてくる。

「このままでいいの? 友達を殺されて、大切な人の怪異ロアとして利用されて、ジンまでやられて、それで瑞樹は、本当にこのまま終わらせるのぉ!?」

 暗闇の中で顔は見えなかったけれど、それでもサキが怒っている事はわかった。

「だって、しょうがないんだ……。僕があの日にレイコさんを呼ばなければ彼女は死ななかった。そのうえ僕は彼女を見捨てて逃げたんだ。恨まれて当然じゃないか……。僕はそう言う人間なんだ、そんな僕になにが出来るっていうんだ、なにをしろって言うんだよ……」

「そんなの関係ないわぁ! あの怪異ロアだって法頼が操ってるからヒドイことをしたんでしょう!?」

「でも、僕が恨まれてるのは本当だよ。そんなの当たり前じゃないか……」

「違うわよ! 瑞樹、あの人に会いたかったんでしょう!? もう一度あの人に会って、言いたいことがあるんでしょう!? それって何!? 僕を殺してくださいとでも言うつもりだったの!?」

「そうか……、そうだったのかもしれない……」

「そうじゃないわよ! あたしの知ってる瑞樹はそんなこと言わない! 瑞樹はあたしを助けた! 優しくしてくれた! 友達が怪我をしたことにショックを受けたし、怒りもした! そんな瑞樹が、そんなこと言うわけないじゃないのぉ!」

「そんなのサキの思い込みだよ……。僕は自分が一番大切なんだ、怪異ロア狩りだって、結局全部、自分のためにやってたんだ……」

「だから何!? 誰だって自分が一番カワイイわよ! 自分が一番カワイイ人は、人に優しくしちゃいけないのぉ!? 愛される資格がないのぉ!?」

 気づけば、サキは目の前に来ていた。

 至近距離の顔と顔、月光が照らす彼女の瞳の、虹彩すら数えられそうなほど。

「僕は優しくなんてない……、ただ自分が大事なだけ――」

 途端、ベットに押し倒された。

 口が何かに塞がれる。

サキの顔が妙に近い。

 乱暴に口内を侵略するモノが、彼女の舌だと気づいた時、これはキスなのだと初めてわかった。

 声が出せない。

 喋ることが許されない。

 抗う手段もないままに、僕はサキの暴力に犯される。

「……はぁ……!」

「んっ……」

 永遠に続くかと思った蹂躙も、時間にして見れば十秒にも満たなかっただろう。

 ゆっくりと唇を離したサキは、そのまま拭うこともせず、さっきまでとは正反対の静かな声で口を開いた。

「あたしはカシマレイコじゃなった……、だけどあたしは瑞樹を好きになった。あたしが瑞樹と一緒にいたいと思ったのは、あたしがカシマレイコだからじゃない、瑞樹が瑞樹だからよ。智里だってそう、一人になって、辛くて、どうしようもなくて、それで最後に瑞樹の所にきたのは、瑞樹のことが好きだからでしょう……?」

 辛そうな声、だけども優しい声。

「瑞樹、自信を持ちなさい。あなたは愛されてるの……」

 そう言って、サキはもう一度――唇を寄せてきた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 人は霊となり、霊は怪異となる。

 ならば怪異は、何になると言うのだろう?




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「さて、と……」

 三日目、くだんの日の朝。

 家のドアを開けながら、僕は玄関から外にでる。門のところには、すでにマスクをつけ、赤いコートを纏ったサキが待っていた。

「瑞樹ぃ、本当にいいのぉ?」

「もちろん。ていうか、サキが僕を焚きつけたんじゃないか。あんなことまでしてさ」

「そっ、それはそうだけどぉ……」

「冗談だよ。僕がこうしたいって思った、これは僕の意思だ」

 法頼さんには屈しない。

 これが僕の出した結論だった。

 自ら命を危険に晒す、馬鹿な行為なのだろう。

 それでも、もしここで逃げてしまえば、僕は一生後悔する。あの人を亡くした時と同じ思いは、二度と御免だと思った。

「僕の方こそゴメン。サキの記憶の探し、ほとんど手伝えなかった……」

「いいわよそんなのぉ。ちょっとの間だけど、あたし、瑞樹のカシマレイコでいられて、幸せだったわぁ」

「……ありがとう」

「なに最後みたいな会話してるんですか」

 後ろからドアが開く音が聞こえ、中から智里さんが出てくる。

 その手には、僕の家のどこから見つけてきたのか、木刀が握られていた。

「わたしたちは帰ってきます。法頼を締め上げて、それでこの馬鹿げた妖怪戦争は終幕です」

「智里さん……」

「ヤケになってるワケじゃありませんよ。ただ、あまりウジウジしてると、あのお節介な父親が、また戻ってきてしまうかもしれませんから」

「……そっか」

 それが智里さんの選んだ道。

 初めてみた時、強い人だと思った智里さんは、第一印象の通り、やはり強い人だった。

「じゃ、行こうか――」

 僕たちは歩きだす。

 理不尽な悲劇が僕らを襲っても、前を向くことをやめないために――。




 その場所をどこにしようか、実はずいぶんと悩んだ。

 最初は法頼さん――いや、もう敬称は不要だろう――法頼の所に直接乗り込んでやろうかとも思ったのだが、正体を明かした以上、今でもそこにいるという保障が無かったため却下する。

 怪異ロアには、目標とする人間以外を近づけない性質でもあるのか、今まで誰かが偶然通りかかるなんてことはなかったけど、それでも万が一のことを考え、街外れの開拓地跡、まず誰も近づくことのない山中の空き地を選んだ。

 誰の助けも期待できないことは、怪異ロア狩りに関わった時から先刻承知。それよりもこの戦い、決して邪魔されたくなかった。

 太陽が真上に昇る頃、幽霊とは縁遠いような時間、目の前の空間が歪んだかと思うと、そこから法頼と異形の怪異は現れた。

「まさかこんな所にいるとはな。その様子では瑞樹、私の忠告は聞いて貰えなかったようだ」

「僕はレイコさんに会いに来た。僕の目的は、最初からそれだけです」

 どんな思いを抱かれようと、再びレイコさんと向き合うこと。赤い記憶から逃げないこと。

 それが、僕の出した結論だった。

「残念だったわねぇ法頼。瑞樹、アナタのことなんか眼中にないって」

 サキが手の中に草刈鎌を現出させると、その切っ先を法頼さんに向けて言い放つ。

「御愁傷様。フラれちゃったわね、アナタ」

「まぁ……、どちらでもいいことだかな」

 法頼の言葉に合わせ、異形の怪異ロアが前に出る。

 それと同時に、僕は智里さんの持ってきた木刀を構えた。

「法頼、最後に教えてください。アナタの本当の目的はなんです? 人を犠牲にしてまで怪異ロアを滅ぼす、その理由はなんなんですか?」

 智里さんが法頼を睨みつけ、いつもの凛とした声を叩き付けた。

「本当の目的などないさ。私は怪異ロアの存在を認めない、この世に怪異ロアなどというバケモノがいてはならない、世は正常であるべき、ただそれだけだ」

「……そうですね、それはその通りかもしれない。だけどそのための犠牲をなんとも思わないアナタは、すでに怪異ロア以上のバケモノです」

「どう思おうと構わんよ。どうせお互い、理解できる範囲はとうに過ぎている」

 もう話すこともないだろうと言って、法頼は『テケテケ』の後ろに下がる。

 智里さんも同様に、もはや見る価値無しと言わんばかりに、法頼さんから視線を外した。

 対峙するサキと『テケテケ』。

 目には見えない互いの殺気がバラ撒かれ、夏の日差しを遮るほどに場の空気を凍結させる。

 僕はもう、夕焼けの日に怯えない。

 悲しみは受け入れて、乗り越えなくてはいけない。己の正体を決して伝えなかったジンさんのように。

「だから、ごめんなさいレイコさん。僕はまた、アナタを殺します」

 毟り取るようにしてマスクを投げ捨てるサキ――

 威嚇するように胴体を上げる異形の怪異――

『ワ タ シ キ レ イ ?』

『ア シ イ ル カ ?』

 互いの恐怖を象徴する呪文をもって、最後の怪談が始まった。




 鎌と豪腕、二人の怪異がそれぞれの得物で相手を狙いあう。

 その横を走りぬけ、僕は木刀を片手に法頼さんに駆け寄った。

 僕たちの作戦はこうだ。

 真正面から戦って勝てないのなら、怪主である法頼さんを締め上げて怪主の契約を解除させる。レイコさんが霊力で強引に支配されているなら行動が止まり、うまく行けば自我を取り戻す可能性もあるハズ。そうでなくても、力を弱体化させることはできるだろう。

 法頼をどうするか、それが僕たちの鍵だった。

「フン……」

 相手もそれは予想していたようで、僕の接近に驚いた様子もなく、法頼は懐に手を入れた。

「やあぁっ!」

 構わず木刀を振り下ろす、何か心得でもあるのか、法頼さんは軽く一歩下がるだけでそれをかわすと、懐から何かを取り出し、ソレを僕に向けて一閃させる。

 慌てて後ろに跳び、ソレの正体を確かめる。

 それは短剣。だが、ヤクザ映画でみるような所謂ドスではない。

 刀身に刻み込まれた漢字のような文字の羅列で、それが呪術的な何かであることはすぐにわかった。

「職業柄、こういう物も多少は持っていてな」

「うっ……!?」

 蓬莱さんが短剣を閃かせた瞬間、急に体がダルくなったような感覚に襲われる。

「わたしとて、無策で怪異ロアを支配する危険を冒したワケではない。これは霊力を吸う除霊道具の一種でね。これの閃きは場の霊力を吸収し、当然霊力の塊である怪異ロアの力は弱まる。突き刺せば消滅させることも可能だ」

 サキの方を見やる。

 法頼の言葉の通り、サキだけでなくレイコさんまでもが苦しそうな表情を浮かべていた。

 それでも停止は死を意味し、苦悶の顔のまま、二人は戦闘を続ける。

「サキ!」

「大丈夫よ瑞樹ぃ……。わたしも弱まるけど相手も弱まる、それなら結果はかわらないわぁ……!」

 気丈な声と共に、レイコさんに鎌の一撃を叩きこむサキ。しかし弱っても鋼の体は健在のようで、刃はレイコさんの体の上を削るようにして通り抜けた。

「流石だよ口裂け。実を言えばどちらの怪主かいぬしになろうか、私は随分と悩んだんだ」

「勝手なことを!」

 厄介な短剣をどうにかするため、僕はダルくなった体を押して木刀を薙ぎ払った。

 しかし、短剣の効果は使い手には及ばないのか、法頼さんは鋭さを失った僕の攻撃を片手で受け止めると、そのまま木刀を掴んで僕の手から引っこ抜いた。

「終わりだ、瑞樹!」

 木刀を投げ捨て、短剣を閃かせて突進してくる法頼。

 なんとか反撃しようと拳を突き出すものの、あっさり打ち払われ、その勢いのまま圧し掛かられる。

怪主かいぬしが吸霊の刃をその身に受ければ、怪異ロアに供給される霊力は激減する! 契約の効力が無ければ、口裂けにカシマレイコを抗う力は無い!」

 叫びと共に法頼さんは短剣を振り下ろす。

 なんとか身を捩ってかわそうとするが、乗っかられた状態では大きく動くこともできず、短剣は僕の肩に深々と突き刺さった。

「瑞樹!」

 智里さんの悲鳴が耳を叩く。

「終焉だ! 滅びされ、切り裂きの怪!」

 短剣を引き抜き、僕のであろう血を振り飛ばしながら、法頼さんは哄笑した。

 その視線がサキへと移り、それに釣られるようにして、僕も彼女のほうを向きやる。


 ――サキとレイコさんは、先ほどまでと同様、斬り合いと抉り合いを続けていた。


「どういうことだ! なぜ戦える!」

 驚愕の表情を浮かべる法頼。

 だけどこの結果は当然だ。

 たとえ僕の霊力がどうなろうと、サキに送られる霊力が変わるハズはない。

 サキの怪主が僕であると思っているのなら、法頼さんが怪主を始末しようとした場合、狙いは僕に来る。やられる危険性は智里さんより僕のほうが上だ。

 もし僕に何かあった場合、サキは契約の力を失うことになる。

 だから、ここに来るまでの間、事前に僕とサキは契約を解除し、サキと智里さんとでしておいたのだ。

「へへっ……」

「まさか貴様ら――」

 僕の笑い声で仕組みを察知したのか、法頼が憎々しげな声を上げる。

「ふざけたマネをしおって……、『テケテケ』! 今すぐ全員を始末しろ!」

「――ッッッッッッッッッッッッッッッッッ!」

 その怒号と共に無茶に霊力を送り込んだのか、レイコさんは頭を抱え、声にならない絶叫を迸らせる。

「コイツ……、やめろぉ!」

「黙って見ていろ! 貴様らの姦計に意味などないことを!」

 短剣の柄で殴りつけられ、簿は起き上がらせかけた体を、地面に叩き付けられる。

 レイコはさんは目と口から血を流し、それでも尚サキへと向けて突進する。

「っ!」

 迎え撃とうと構えるサキ。

 レイコさんの勢いは止まらず、そのまま二人は衝突し、サキの右腕は根元から抉り飛ばされた。

「ぐっ、あああ……!」

 腕の無くなった右肩を押さえ、サキが倒れこむ。

 レイコさんは動きを止めず、そのまま後ろにいた智里さんに襲いかかる。

「智里さん、逃げて!」

 僕の声にも智里さんは動かない。いや、それ以上にレイコさんの速度が速すぎる。

「ジン!――」

 刹那の窮地がそうさせたのか、智里さんが叫んだのは、その名前だった。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオ――」


 次の瞬間の光景は、そこにいる誰の予想をも超越していた。

 倒れていたサキが、まるでジンさんのような咆哮を上げると、腕を無くしたサキの肩から、灰色の毛を纏った筋骨隆々の腕が生え,今まさに異形の腕を振り下ろさんとするレイコさんの体を掴み、遠くへ投げ飛ばした!

「なっ――」

 ズシャリという音と共に、砂煙を巻き上げ、レイコさんが地面と激突する。

 その時にはもう、サキに出現した灰色の腕は縮むようにして無くなり、抉り取られる前と同じサキの腕になっていた。

「今のは……」

 呆然とした声を漏らす智里さん。

 自身、しばらく何が起こったわからずに不思議そうにしていたサキだったが、やがて納得のいく答えを見つけたのか、ニヤリと不敵に笑った。

「智里の中にジンの霊力が残ってたのね。それがあたしの体を介して発現した、だいたいそんなところかしらぁ」

 再生した右腕を動かしながら、サキは楽しそうに言葉を続ける。

「まっ、理屈なんてどうでもいいわよねぇ。

「そうですか……」

 自分の胸に手を当て、噛み締めるようにして言う智里さん。

「ジンはまた、わたしの中に残ってるんですね……」

 この奇跡と言ってもいい現象を、ただ一人納得していない人間がいた。

 言うまでもなく、法頼だ。

「どこまでもナメたことをしてくれる……! カケラが残っているというのなら、塵も余さず消滅させるまで!」

 手近なところから始末しようと思ったのか、法頼が僕に向けて短剣を振りかざす。

「瑞樹ぃ!」

 こちらに向けて駆け寄るサキ。だが位置が遠すぎて、とても間に合いそうもない。

 今度こそ確実に殺すつもりなのだろう、短剣は僕の体の中心を狙っていて、よける手段は何も無かった。

 迫る刃が、コマ送りみたいに、やたらとゆっくりに見えた――。




 ドズリ、という重い音は、僕が貫かれる音ではなかった。

 僕の前に、恐らく例のワープ能力で突然現れたレイコさんが、僕の盾になって短剣を受け、同時に法頼の胸を異形の腕で貫いた音だった。

「馬鹿な……、契約を、解いた……、だと……」

 力を失い、後ろに倒れこむ法頼。

 短剣に貫かれたからだろう、レイコさんの体もまた、光の粒になるようにして掻き消えて行く。

 その姿が、完全に消えてしまうその瞬間。

 レイコさんは僕の方を振り向き、まるで初めて会った時みたいに、優しく笑った……。



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