第四談 死角の殺人鬼 現

 彼女の名前はカシマレイコと言った。

 どこか古臭い名前だと、彼女自身は不満そうに言っていたけど、僕はとても素敵な名前だと思った。

「でもレイコってのが、なんかイヤよねぇ。昔は幽レイコなんてヒドイことを言われたわぁ。まぁ八鹿町生まれの身としては、ある意味ピッタリの名前かしらぁ」

 当時から八鹿町は、心霊現象の多発する街として有名だった。

 そして子供の頃の僕と言えば、それはもう絵に描いたような怖がりで、なにかの間違いで怖い番組を見てしまったときなど、なかなか眠ることができなかった。

 そんな僕に、彼女が言った言葉がある。

「じゃあ、オバケが怖くなくなるとっておきの方法を教えてあげるわぁ」

 そんな魔法みたいな方法があるのかと聞く僕に、彼女は笑ってこう答えた。

「簡単よぉ。オバケと友達になればいいのぉ」

 できるわけないと、僕は言った。オバケは人を襲ったり食べたりするじゃないか、そんなのと友達になんてなれるハズがない、と。

「あら、最初から無理なんて決め付けちゃダメよぉ。瑞樹だって、会ったことも無い人に、話を聞いただけで友達になれないなんて言われたら、悲しいでしょう?」

 オバケは話と違うのかと、僕は聞く。

「さぁ? わたしも会ったことがないから知らないわぁ。でも、怖いっていう噂があるだけで、本当は違うかもしれない。口裂け女は、本当はとっても優しい人かもしれない。人面犬は、本当は飼い主想いの忠犬かもしれない。みんなは怖い怖いって言うけれど、みんなの知らないイイ所が、いっぱいあるかもしれない」

 とても優しい声で、彼女は言う。

「だから、もしかしたらオバケとも友達になれるかもしれない。そう思えば、怖くなんてないでしょう?」

 今にして思えば、彼女は随分とんでもないことを言っていたと思う。

「そして、イイ所を見つけたら、優しくしてあげる。一緒にいてあげる。味方になってあげるの」

 僕に出来るかな、そう聞く僕に彼女は言った。

「出来るわよぉ、だって瑞樹は優しいものぉ」

 その時の僕が、なんと答えたかは覚えてない。

「瑞樹が好きになれば、きっと相手も好きになってくれる。そのことを忘れないでね」

 ただ、彼女ともっと一緒にいたいと、そう強く思ったことは覚えている……。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 朝。

 登校した僕を待っていたのは、教室を包む異常な空気だった。

 あちこちから聞こえる話し声はいつもと同じ。

 いや、何かが違う。誰もが何かから隠れるようにヒソヒソと声を潜め、その中に笑い声は一つもない。

 まるで教室全体が怯えているような、そんな落ち着かない雰囲気が満ちていた。

「ねぇ、なにかあったの?」

 僕は手近なクラスメイトを話しかける。

「瑞樹か。その様子だと、まだ知らないんだな……」

「知らないって、どういうこと?」

「聞いてもショック受けるなよ? オマエ、アイツと仲良かったし……」

 彼の表情は真っ青で、僕にソレを話すのをだいぶ躊躇をしたようだったが、やがてゆっくりと口を開いた。

「勝が『死角の殺人鬼』に襲われたらしい。意識不明の重体で、今は病院にいるって――」




「二年生の子が襲われたって話は聞きましたけど、まさか瑞樹の友達だったなんて……」

 いつものファミレス。

 集まった僕達の話題は、当然、勝を襲った『死角の殺人鬼』のことだった。

「ジン、霊力の反応はどうなのぉ?」

「サッパリだな。昨日の晩、怪異ロアは人を襲っていない。もっとも、俺が感じ取れる範囲での話だけどな……」

「感じ取れないほど小さな霊力で人を襲った、という可能性は?」

「どうだろうな……。怪異ロアったってイロイロだ。正直そこに関しては自信が無ぇ。結局、昨日話した通り、正体不明としか言いようが無い」

 勝が入院している病院には、放課後にその足で行ってみたが、完全に面会謝絶。勝に会うことは出来なかった。

 病院の医師に聞いた話では、勝は腹部を刃物で数回刺され、病院に着いた時点で、すでに意識は無かったという。

 緊急手術をしたものの、過度の出血に加え、臓器へのダメージが激しく、今は何とか生命を保っているが、意識が戻る可能性は極めて低いとのことだった。

 勝の生命力は、もはや風前の灯で、このままだと、もって数日……。

「事件の概要は、どうだったんですか?」

「ああ、そいつも調べておいた。なんつーか、今まで通りだな」

 真夜中に勝の部屋から、暴れるような騒音を聞きつけた勝の両親が、何事かと思って部屋に行くと、そこには血まみれの勝が倒れていた。

 勝は両親に、犯人がいつのまにか部屋に潜んでいたこと、その犯人が窓から逃走したことを伝えると、そこで意識を失った。

 勝の自宅でも、今までの事件同様、戸締りはしっかりとされていたという。

 犯行現場である勝の部屋も、当然窓に鍵はかかっていた。クーラーをフル稼働させ、寝るときもタイマーをセットしておく勝の部屋の窓は、夏の間中、開かれることはない。

 このことは、僕もよく知っている。

「今までの事件と違うことは、被害が大きいってことか。今までのはなんだかんだで、命に関わるような怪我を負ったヤツはいなかったけど、今回のはこのまま行くと、殺人事件に――」

「ジン、よしなさいよぉ。瑞樹の前なんだからぁ……」

「……そうだな、悪ぃ」

 そんなジンさんの言葉にも、僕は返事を出来なかった。

 勝が襲われたことを知って以来、ずっと茫然自失の状態。

 未だになんだか、なにが起きたのか理解できていない自分がいた。

「ねぇ瑞樹ぃ、大丈夫……?」

 心配そうに声をかけてくるサキ。

「大丈夫、だとは思うんだけどね……。身近な所から被害が出たってのは、やっぱショックだったのかな……」

 自分で口にしておきながら、全然リアリティを感じられない。

 怪異ロアによって被害を受けている人がいるということは、話には聞いていたし、実際に僕も襲われた一人だ。

 いや、『死角の殺人鬼』が怪異ロアと決まったわけじゃないけど……。

 サキたちとの怪異狩り、敵をこちらから探して見つけ出す攻勢スタイルをとっている以上、当然だけど被害者の姿を見る事はなかった。

 直接怪異ロア探しをしているサキとジンさんなら、その怪異ロアがどういう被害を振りまいたのかを知っているだろうけど、二人ともそういうことは口にせず、ただ怪異ロアの場所を示すだけである。

 だから今回、被害者が自分の間近で明確に見えた事が、少なからずショックだった。

「いや、それよりなにより……」

 勝が重体であること、友人が死の間際に立っていること。そのこと自体が、かなりキツイ……。

「でも、あまりボーっともしてられないか」

 僕はバシバシと顔を叩き、自分に活を入れる。

「ホントにいいのぉ? なんなら今回は瑞樹抜きってことでも」

「いや、僕もやる。一度やるって決めたんだ。それに――」

 言いながら、拳を握り締める。

「勝をこんな目に合わせたヤツを、放っておくつもりはない……」

「瑞樹……」

「わかりました」

 どこか不安げなサキの声とは対照的に、智里さんが意志のこもった燐とした声を出す。

「瑞樹の友達に、わたしの生活圏内である学校の生徒に手を出した『死角の殺人鬼』を、これ以上のさばらせる気はありません」

「おっ、また随分と心変わりしたじゃんか」

「瑞樹と同じですよ。身近な被害者が出たから考えが変わったんです。これって偽善だと思いますか?」

「さぁな。でも正常な反応ではあるんじゃねえか?」

 皮肉のようなセリフ。

 だけど智里さんの様子に、ジンさんはどこか嬉しそうだった。

「『死角の殺人鬼』が怪異ロアであるかそうでないか、現時点では不明ですが、仮に怪異ロアであった場合、誘き出す手段はあります」

「誘き出す、方法?」

 聞き返す僕に、智里さんはサキとジンさんの顔を交互に見つめると、ゆっくりと口を開いた。

怪主かいぬしの契約を、解きます」




 智里さんの提案した作戦は、ずいぶんと大胆で、そしてお世辞にも安全とは言えないものだった。

「今現在生き残ってる怪異ロアの間では、恐らくわたしたちの事は噂になっているでしょう。怪異ロア狩りを行っている、怪主かいぬしを持った強力な怪異ロア二人、これをどうするかは、自分達が生き残ることにとって最重要事項のハズです」

「そうでしょうねぇ。このままいけば怪異ロアの全滅は時間の問題だものぉ」

「ですから、相手にそのチャンスを与えます」

 怪主かいぬしを契約を解くことで、サキとジンさんへの霊力供給はカットされる。必然、二人の力は弱まる。

「敵は今が二人を始末するチャンスと思い、ジンとサキのいずれか、もしくは再び契約されることの無いようにと、わたしか瑞樹のどちらかに接近するハズ、罠と解っていても、そうせざるをえないハズです」

 もちろん、向こうが接触してきた際、すぐに再契約ができるように、サキとジンさんは僕たちの側で待機する。

 とはいえ、あまりに近くにいたのでは相手もやってこないだろうから、ある程度は離れなければならないけれど。

「全員で囮をやるってワケだな」

「ずいぶん乱暴な作戦ねぇ」

 さすがに驚いた様子のサキとジンさん。

「わたしたちが契約を解いたということを知らしめるために、しばらく通常の怪異ロア狩りは中止し、それぞれに別行動をとります。どうせ反応も無いですから、それは問題無いのですが……」

 そこで智里さんが口ごもる。

「問題は、『死角の殺人鬼』とは違う怪異ロアが引っかかった場合です。潜伏している連中を引っ張り出せる点では好機ですが――」

「それが俺やサキじゃなく、智里か瑞樹の所に行った場合か……」

 二人の力が無ければ、僕と智里さんは無力なただの人間だ。

 それで怪異ロアに襲われた場合、無事で済む保障は無い。

「わたしは反対よぉ。相手を誘い出すためでも、二人を危険に晒すような作戦にはオーケーできないわぁ」

 あからさまに不満な顔をしてサキが言う。

 でも、僕は……。

「いや、やろうサキ。『死角の殺人鬼』を倒すには、この方法しか無いと思う」

「瑞樹、だけどぉ――」

怪異ロアだって人を襲うには、相当なリスクを負ってるハズだ。そういう連中と戦うって決めたんだ、僕だけ安全な所にいるつもりはない」

 僕の口調があまりにも真剣だったからだろうか、みんな驚いたように押し黙る。

 そんな中、最初に口を開いたのは智里さんだった。

「……そうですね瑞樹。アナタの言うとおりです。怪異ロア狩りが危険であること、そんな覚悟は、とっくにできています」

「まっ、そこまでハラが決まってるなら、俺も反対はしねぇよ」

 智里さんにつられるようにして、ジンさんもニヤリとしながら答える。

「というつもりなんだけど、どうかな、サキ?」

 僕達の様子に、しばらく不機嫌そうに黙っていたサキだったが、やがて意を決したように、テーブルの上の飲み物を一気に飲み干すと(ちなみにメロンソーダ)、吐き出すようなにしてこう言った。

「仕方ないわねぇ……。怪異ロアに襲われたら、すぐにわたしかジンに連絡すること、いいわね?」




 帰り際。

 僕はトイレに行くフリをして、ジンさんを呼び出した。

「なんだよ瑞樹。男と二人っきりで狭いところにいる趣味は無いぜ?」

「いえ、そんなつもりは全然無いんですけど……。お願いがあるんです」

「あん?」

「さっきはああ言いましたけど、出来ればこの作戦の間、こっそり智里さんの側にいて貰えませんか? そうすれば怪異ロアも、智里さんのほうには行かないと思いますから」

「ほう……?」

 僕の言葉が意外だったのか、ジンさんは少し驚いたような表情を浮かべた。

「まさかそんなことを頼まれるとはな……。なるほどね、思ったよりも男らしい所があるワケだ」

「茶化さないでください。僕は真剣に――」

「いいぜ。元々智里の護衛は優先するつもりだったし、ばっちりストーキングしてやるよ」

 そう言うと、ジンさんはなんとも悪意たっぷりな表情で、ニヤリと笑った。




 そうして、サキとの契約を解いてから、早くも一週間。

 契約を解いて初めて感じたのだが、いつのまにか僕の中に『サキの霊力』みたいなものがあったことに気づいた。

 普段はまったく意識しないけれど、いざ無くなって見ると、体の部品が不足しているような感じがして、どうにも落ち着かない。

 その、元々そうだったハズの感覚に慣れるまで、今日までの一週間を使った気がする。

 そのサキだけれど、この作戦は離れてなければ意味がないので、彼女には悪いけれどけれど、外で寝泊りして貰っている。一応ある程度のお金は渡しておいたから、野宿ということは無いと思うけど。

 この間、僕も智里さんも、怪異ロアには襲われていない。

 あったことと言えば、深夜に智里さんから電話がかかってきて「余計な事しないでください!」と一言、怒鳴りつけられたことぐらいである(それだけ言われて一方的に電話は切られた)。

 気になってジンさんに確認をとってみたところ、智里さんの近くを徘徊していたのが初日でバレたらしかった。しかも、余計な事にそれを僕のせいにしたらしい。

「まぁ、別にいいけどね……」

 僕達同士が連絡を取っていることが判ったら作戦が台無しなため、報告は最低限ということにしてからしばらく、今晩は久々に、あらかじめ決めておいたサキからの連絡が入る時だった。

(サキ、大丈夫かな……?)

 彼女と初めて会った時、『ドッペルゲンガー』に襲われる姿を思い出す。

 もちろん、今とあの時ではイロイロと違うのだけれど、それでも契約しているときと比べてサキが弱まるのも事実だ。

 そうこう考えているうちに、電話が鳴った。

「もしもし、サキ――」

『あぁん瑞樹ぃ! 久しぶりぃ、会いたかったわぁ』

 電話口から、とんでもなく甘ったるい声が飛んでくる。

「いや、会ってるワケじゃないでしょ」

『あら、冷たいリアクションねぇ。こっちは瑞樹の霊力が貰えなくなって、欲求不満なのにぃ』

「欲求不満って……」

 まぁ、なんというか……。

 電話の向こうにいたのは、いつもどおりのサキだった。

怪異ロアの霊力って、なんかドロドロしててイヤなのよねぇ。その点、瑞樹の霊力はサラサラで気持ちいいわぁ』

「自分じゃわからないけど……、ていうかサキ、怪異の霊力って、もしかして襲われてたりするの?」

『まぁねぇ。どうも敵さんとしては、元怪主かいぬしがまた契約することより、今のうちに怪異ロア本体を叩いとけって感覚らしいわぁ。この一週間で四体も倒しちゃったぁ』

「四体!? 大丈夫なのサキ!?」

『あー、楽勝よ楽勝。もうずっと欠食状態の連中じゃあ、ついこの間までオイシイものを食べてたあたしとは比べ物にならないわぁ』

 貧富の差は残酷なのよぉ、とおかしそうにサキが笑う。

「まぁ、無事ならそれでいいけど。でも無茶しないでよ? 危なくなったらすぐに僕と再契約してね」

『わかってるわぁ。ねぇ、瑞樹ぃ……』

 そこで、急にサキは声のトーンを落とした。

「どしたの?」

『あんまり、こういう時に言うことじゃないとは思うんだけどぉ……、でも、ならどういうタイミングで言えばいいのかってのも、よくわかんないしぃ……』

「えっ? なんのこと?」

『あたしとしては、やっぱりそれが優先事項なワケでぇ……、気になるしぃ……』

 電話の向こうのサキは、ずいぶんと歯切れが悪い。

「なに? ハッキリ言ってくれなきゃわかんないよ」

『うん……、まぁ、そうよねぇ』

 はぁ、という息の吹きかかる音が電話口を叩いた。

『あのね、瑞樹、この間話してくれたじゃない? 大事な人が亡くなったって……』

「……うん」

『それでねぇ、あたし、自分で言うのもなんだけど、そんなに古い霊でもないと思うのよぉ。八鹿町の景色はなんとなく、見覚えのあるような気のするものが多いし……』

「……それで?」

『うん。それでね、聞きたいんだけどぉ。その人以外で、近いうちに亡くなった瑞樹の関係者って、いる……?』

 ……。

 遠まわしな言い方だけど、サキは感づいている。

 自分の、無くした記憶の正体が、あの人なのではないかと。

 たしかに、ちょっと考えれば当然の事だ。サキの記憶の断片は僕のことを覚えていて、それで近年の死者といえば、あたりまえに思いつく。

『記憶が戻ったとか、そういうのじゃないの。ただね、なんていうかぁ、状況証拠って言うのぉ? そういうのから、もしかしたら、そうなのかもって……』

 サキの声は弱々しい。

 いったい今、どういう気持ちなのだろうか?

 やっと見えた自分の正体のヒントに戸惑っているのか。記憶の無い自分の事を、僕に対して申し訳無く思っているのか。

 そして僕は、彼女に対して、どう答えればいいのだろうか……。

『あっ、あはは、ごめんねぇ。気にしないでね瑞樹ぃ。まだ全然確信があるってワケじゃないしぃ。あたしが瑞樹を知ってるかもしれないって言うのも、勘違いかもしれないしぃ』

 わざと明るい声でごまかそうとするサキ。

 僕は喋れない。

 あの人と話す言葉を、僕は持っていない。そんな資格は、無い……。

 会いたい人に、僕はなにもできない。

『ねぇ、瑞樹? あの、そんなに考えなくてもいいわよぉ? これは、あくまで可能性の話であって――』

 携帯電話を握ったまま、ベッドに腰を下ろす。

 自分の体が、かすかに震えているのがわかった。

『瑞樹ぃ……、あの、ホントにごめんね。急にこんなこと言われたって、瑞樹だって困るわよねぇ』

 サキの声が、僕の耳に響く。

 僕は何も言えない。

 それが、無限に繰り返されるような、そんな時の流れを、


 ――誰かが、影から見ていた。


 いつからそこにいたのだろう。

 本棚の影。普段なら絶対に目を向けないような、生活の死角。

 そこから、何者かが僕を見ていた。

 顔の半分だけを出して、方目で、僕の事を、じっと睨み付けていた。

「――」

 ソイツは何も言わない。

 僕が気づいたことは、ソイツにもわかっているハズなのに。

 ソイツは動かない。だから僕も動けない。

 まるで鏡の前の猫。

『ねぇ、瑞樹ぃ……? 聞こえてる? 瑞樹ぃ?』

 思い出したのは、この間のジンさんの襲来。

 総毛立つ感覚、これはあの時に近い。

 けれど、あの時とは違うこと、それは相手がジンさんではなく、そして、サキが側にいないということ。

『瑞樹、瑞樹ってば――』

 耳に当てた電話から聞こえるサキの声。

 それが僕の感じている音の全てだった。

「――」

 ソイツがなんであるか、僕は一瞬で察知した。

 僕たちの追っている相手。多くの人を襲い、勝を傷つけた脅威。

「『死角の殺人鬼』――』

『っ!? 今そこにヤツがいるの!? そうなの!? そうなのね!?』

 僕の呟きが合図であったかのように、ソイツはゆっくり、物陰から姿を現した。

 思ったのは、ずいぶん普通っぽいやつだな、ということ。

 男。

 二十歳前ぐらいだろうか? どこにでもいるような顔、どこにでもありそうな服。とりたてて特徴が見あたらない、そんな青年。

 その手にはナイフ。これもまた、凶器としてはありがちすぎる。

 だからだろうか、僕はソイツを怪異ロアだとは感じられなかった。

『今からそっちに向かうわぁ! なんでもいいからとにかく全力で身を守って! 自分の安全を第一に考えて! 間違っても戦おうなんて思っちゃだめよぉ!』

 けれどソイツが突然、いや、いつのまにか現れたのは間違いない。

 部屋のドアは開いていない。窓を開けた覚えもない。

 ソイツは気づいたらそこにいた。

 まるで、最初から死角に潜んでいたとでもいうように……。

『五分! いえ三分でそっちに着くわぁ! それまで、なんとしても生き延びて!』

「わかった、待ってるよ――」

 その声が引き金となって、

「――」

 青年はナイフを片手に突進してきた。

 僕は電話を相手に向けて投げつける。

 それを青年は片手で振り払うと、腕を伸ばしてナイフを突き出してきた。

「くっ!」

 横に飛んで回避する。

 たいして広くもない自分の部屋で、僕は自ら壁に激突した。

 だけど、それでいい。

 相手は刃物をもった狂人。壁にぶつかるぐらいの気持ちで動かなければ、滅多刺しにされるのはこっちだ。

「――」

 だけど、そんなことをしたら、動きが止まるのもまた確実。

 僕の動きを失策と見たか、青年がナイフを横向きに薙ぎ払う。

 重力よりも速く動くつもりで膝を落とす。ガリガリというナイフが壁を削る音、その隙に、僕は青年の横を走りぬけた。

「――」

 再び向かい合う僕と青年。

 互いに出方を伺って、僕たちは停止する

 そうだ、これでいい。これでいいんだ。

 僕はただ時間を稼ぐだけ。ただ耐えるだけでいい。そうすれば、すぐにでもサキがやってくる

 だから、これでいい。向かい合ったまま時間が流れるのは、一番いい。

 でも、何か違和感が――

「――」

 次に青年のとった行動は、一瞬理解ができなかった。

 青年は持っていたナイフを、こちらに向けて投げ放ってくる。

「なっ!?」

 凶器を投げつけてくる意味がわからず、瞬間の判断が遅れた僕は、かなりギリギリのタイミングでソレをかわした。

 刃が肩を掠め、鋭い痛みが走る。

 だが、それ以上に痛かったのは、無理な避けかたをしてバランスを崩したことだった。

 青年はその隙を見逃さず、全身でこちらに体当りしてくる。

「――」

 床に押し倒され、後頭部を思い切り打ち付ける。

 仰向けになった僕の体を、青年は思い切り踏みつけてきた。

「ぐ……ぅ……」

 あまりの痛みに意識が消えかかる。

 僕がすぐには立ち上がれないことを悟った青年は、自分の背中に手を回すと、そこからもう一本、ナイフを取り出す。

 早計。相手の凶器が一つきりだなんて、そんな保障はどこにもなかった。

「――」

 体に乗せた足は動かさないまま、そのままゆっくりと膝を折るようにして、青年は僕に近づいてくる。

 先端をこちらに向けたナイフを、大きく振りかぶり……。

「――このぉ!」

 火事場の馬鹿力というやつか。科学的に証明された都市伝説。

 万有引力すら跳ね飛ばす勢いで、僕は一気に体を持ち上げた。

 足場を失った青年は、倒れるというよりは吹っ飛ばされ、反対側の壁に叩きつけられる。

「――!」

 ここにきて、青年は初めて慌てた様子を見せた。

 吹っ飛ばされるときに取り落としたのか、急いで足元のナイフを拾いあげる。

 それに対応するようにして、僕も投げつけられた方――壁に刺さっていた――のナイフを引き抜いた。

 三度向かい合う僕と青年。

 しかしその様子は、最初とはあきらかに違う。

 最初、無機質、無感情に見えた青年は、今は荒く息を上げ、なかなか仕留められない獲物に怒ったのか、濁った瞳でこちらを凝視してくる

 その姿を見て、僕は違和感の正体がわかった。

 『死角の殺人鬼』。コイツ、怪異ロアにしては明らかにおかしい。

 怪異ロアは、もっと圧倒的なモノのハズだ。人間が敵うようなものではないはずだ。

 僕みたいな、大して腕力もなければ、運動神経も特別優れているワケでもない普通の人間が、そこそことはいえ、抵抗できるモノのハズがない。

 怪談は対処不能だからこそ怪奇。

 故に怪異ロアは恐怖の具現。

 僕相手に必死になるコイツは、在り方が根本的に――

「瑞樹ぃ!」

 ガシャァァァン。

 派手といえば派手に。お約束といえばお約束に。

 真っ赤なコートを羽のように翻し、白いマスクの救世主は、窓を叩き破って参上した。

「サキ!」

「こいつが『死角の殺人鬼』……、よくも瑞樹を襲ってくれたわねぇ……」

 相手の姿を瞬時に見極めると、サキは青年に向かって疾駆した。

 ナイフを構え、迫り来る赤を迎撃しようとする青年。

 だが止まらない。止められるはずもない。

 まさに怪談のような非常識な速度でもって、青年がなにをするよりも速く、サキの手は青年の顔面をわしづかみにし、そのまま壁に叩きつけた。

 メキメキと、家にヒビの入る音。

 サキは片手で青年を押さえつけたまま、もう片方で自分のマスクに手をかける。

「見せてあげるわぁ……、口裂け女の怪談を――」

 横から見ても、サキは怒り心頭だった。

 ドッペルゲンガーとの戦い、その最終部分を思い出す。

 薄れゆく意識の中で見た、サキの怪異としての真の姿。

 怪談が示すとおり、あのマスクは口裂け女の最終防壁、言うなれば怪奇におけるリミッターだ。

 それを外した状態こそが、口裂け女の完全体。怪異のサキが、もっとも力を振るえる状態。

 その末路は、八つ裂きよりも残酷な口裂きの骸。

 サキは『死角の殺人鬼』を、完全に抹殺するつもりだった。

「ワ タ シ キ――」

「って、ちょっとまったサキ!」

 僕は慌ててサキに声をかけた。

「そいつは怪異ロアじゃない! だから待って!」

「……えっ?」

 青年の頭を掴んだまま、サキがこちらに振り返る。

 片方だけヒモを外したマスクが耳からぶら下がっているものの、その口は裂けていない正常なモノだった。

 どうやら、間に合ったらしい……。

怪異ロアじゃないって、どういうことぉ?」

「どういうことって言われても困るけど……。とにかく調べてみてよ、サキなら怪異ロアかどうか、霊力でわかるんでしょ?」

 どうも納得がいかない様子ながら、サキがしぶしぶと青年に目を向ける。

「たしかに……、コイツ怪異ロアじゃないわ、ただの人間よぉ」

 そう言って、青年から手を離す。

 最初の一撃でとっくに気絶していたのか、青年はそのままドサリと倒れこんだ。

「えーと、なんなんのかしらぁ? あたし『死角の殺人鬼』だって言うからダッシュで来たんだけどぉ?」

 ただの人間をボコしてしまったことが不満なのか、サキが不機嫌そうな声を出す。

「いや、『死角の殺人鬼』に間違いはないと思うけど……」

「じゃあ『死角の殺人鬼』は人間の仕業だったってことぉ?」

「そういうことに、なるのかな……」

 なんともあっけない幕切れに、僕とサキは二人してため息をついた。

 けれど僕自身、この結末にあまり納得しているわけではなかった。

 なぜなら、コイツがいつのまにか僕の部屋にいたのは事実なのだから……。

「もしかして、本気でずっと死角にいたのかな。留守中に忍び込んで、それからずっと隠れてて」

「そんなの、それこそ怪異業かみわざじゃないのぉ」

 どうにもすっきりしない幕引き。

 この事件の真相については、倒れている青年からイロイロ聞きだす必要がありそうだった。

「……ねぇ瑞樹ぃ。どうしてあたしを止めたの?」

「えっ?」

 目を覚ます様子のない襲撃者を部屋の隅に押しやりながら、サキが不思議そうに聞いてくる。

「だからぁ、なんでコイツを殺そうとするあたしを止めたのぉ? コイツが怪異ロアでもそうでなくても、瑞樹の友達を襲った事に変わりはないワケでしょう?」

 ああ、なんだ、そんなこと。

「だって、サキを人殺しにしたくなかったから」

「……へっ?」

「サキは怪異ロアになっても、ずっと人間を襲わずにいた。霊力が無くなって死にそうになっても、絶対に人を襲ったりしなかった。それってつまり、サキは人間でいたくて、だから人としてのルールを守ってきたってことでしょ?」

「瑞樹……」

「それを、こんなつまらない勘違いで台無しにするワケにはいかないよ」

 サキはしばらく僕の事をボーっと見つめ、それからイキナリ抱き付いてきた。

「あぁん瑞樹ぃ、やっぱりアナタ最高よぉ」

「ちょっ、ちょっとサキ!?」

 僕は慌ててサキを振り払う。

「まっ、まぁ、とりあえず『死角の殺人鬼』は片付けたワケだし、智里さんに連絡しよっか」

 青年に向かって投げつけた携帯を、すっかり散らかってしまった部屋から探し出す。

 幸い、外装部分が多少割れているだけで、問題なく動くようだった。

「ていうか、部屋の被害で目立つのは、サキが叩き割った窓ガラスと、へこむ勢いでソイツを叩きつけた壁なんだよなぁ……」

「しょっ、しょうがないじゃなぁい。瑞樹がピンチだと思ったんだからぁ……」

 プルルルという呼び出し音が鳴り、予想よりもずいぶん早く、智里さんは出た。

『瑞樹ですか!? 今どこにいるんです!?』

「どこって、自分の家だけど。それより報告、『死角の殺人鬼』は始末したよ。まぁ、予想とはちょっと違うんだけど、それはこれから調べるってことで」

『えっ!? 『死角の殺人気』を始末した!?』

 智里さんの声はずいぶんと慌しい。それに、電話の向こうから、なにか騒がしい音が聞こえるような……。

『なに言ってるんですか! 『死角の殺人鬼』は、今こっちでジンと戦ってます!』




 こちらにやってきた襲撃者を、目を覚ましても大丈夫なように縛り上げてから、僕たちは智里さんの家へと走った。

「もぉう! 智里の所にも『死角の殺人鬼』だなんて、なにがどうなってるのよぉ!」

「とにかく急ごう! 智里さん、電話の様子じゃ、かなりヤバイことになってる!」

 走るといっても、正確には走っているのはサキ一人。

 百メートルを三秒で駆け抜けるという口裂け女の俊足を活かし、猛然と突き進む。僕はといえば、少々マヌケな体勢ではあるのだが、サキの背中におぶさっていた。

 まぁ、緊急事態だし、しょうがないんだけどさ……。

 余談だが、百メートルを三秒という口裂け女のスピードは、口裂け女の噂が全国に広まったその速さが起源であるらしく、大元の怪談には「どこまでも追ってくる」という話はあっても、「猛スピードで駆け抜ける」というモノは無いらしい。

 もっとも、怪談を素にして生まれる怪異に、そういった真偽は関係無い。

 夜の街を、僕を乗せた一陣の赤が、ウスノロな夏の風を追い越していく。

「着いたわぁ! 降りて瑞樹!」

 サキに言われるまま、僕は彼女の体から飛び降りる。

 智里さんの家の前、道路の真ん中で、ジンさんはソイツと戦っていた。

 ソイツの風貌は、先ほどの襲撃者とは比べ物にならないほど、不気味な雰囲気をかもし出している。

 異常なまでに細い体、それでいてジンさんと並ぶほどの高身長。喪服のような真っ黒なスーツをピッチリと着こなし、頭には映画で昔の紳士が被るようなキャノチェ帽子まで被っていた。

 スーツの男は両腕を鞭のように振り回し、ジンさんをめがけ、連続で叩き付けている。それをジンさんは、どこから調達したのか、金属製のバットでなんとか受け止めていた。

 バットと男の手がぶつかる音は、金属同士のぶつかる甲高い音だ。

 不思議に思って男の手をよく見ると、そこには、なんというか、刃が付いていた。

 いや、刃で出来ていた、といったほうが近いのか。男の手には指の一本一本に刃の付いたカギ爪がはめられていた。

 どうみても用途のわからない凶器。それこそ、殺人以外の使用方法が思いつかない。

 あれは『殺人鬼』だ。あんなものを持っているヤツ、他に形容しようがない。

「なによアレ、シザーハンズでも混じってるんじゃないのぉ……!?」

 僕の横でサキが戦慄した声を上げる。

 ジンさんは、完全に防戦一方だった。殺人鬼の攻撃が激しいのもあるが、それ以上に理由がある。

 ジンさんの後ろには、智里さんがいるのだ。

 殺人鬼の刃は、正確にはジンさんを狙っていない。智里さんの方を目標にしている。

 その間に割って入るようにカギ爪を捌いているので、ジンさんは反撃に転じられないでいるのだ。

「ジン、下がって!」

 手の中に草刈鎌を出現させ、サキが叫ぶ。

 だが、それは失策だった。

「サキか!?」

 こちらの声に反応して、ジンさんが一瞬顔を上げる。

『殺人鬼』はその隙を見逃さず、凶器をジンさんに――いや、智里さんに繰り出した。

「――ヤロォ!」

 挟撃に気づいたジンさんが、強引に二人の間へと体を割り込ませる。

 振り払うには遅すぎる。

 殺人鬼の爪は、ジンさんの胸へと、トマトをフォークで貫くように、冗談みたいにあっさり、深々と突き刺さった。

「――!」

 智里さんの顔が悲壮に包まれる。

 バカみたいにスローモーションな視界の中、ジンは地面に崩れ落ちた。

 全員、その場で停止する。

 駆け出そうとしていたサキですら、鎌を構えたまま動かない。

 ジンさんの体から流れ出し、道路を染めていく真っ赤な血。

 ああ、怪異の血も赤いのだなと、妙に場違いな事が頭に浮かぶ。

 そして、沈黙した世界を再び動き出させたのは、

「――じゅる……」

 殺人鬼が、爪に付いた血を舐めずる音だった。

「――差別ってさぁ、あるよな?」

 唐突に殺人鬼が口を開く。

「人種、能力、生まれ持った特長、オレたちの世界は様々な不合理で不当な差別に溢れている」

 芝居がかった口調のまま、くるりダンサーのようにこちらへと振り向く。

「オマエさん学生課? なら例えばだ。オマエさんが学生だったとしてクラスに外国人が転校してきたとしよう。ソイツの国じゃあ虫を食べるのは当然の事で、その日のソイツの弁当にも原形を留めた虫料理が入っていた。しかも文化的習慣ってやつで、ソイツはそれを手づかみで貪り食った。そういうことがあったとしよう」

 胸にカギ爪の手を当てて、あくまでも優雅に殺人鬼は喋る。

「オマエさん、ソイツのことをどう思う? 気持ち悪い? ちょっと近づきたくない? ヒデェよなぁ、オレたちはたまたまあまり虫を食わない文化にいるってだけで、ソイツにしてみれば、それは当然の、極めて普通の事だっていうのに、オレ達は偏見と不条理でもって、ソイツのことを差別する」

 ゆっくりと、モデルのようにポーズをとる殺人鬼。

「でもよぉ、しょうがねぇよなぁ。気味悪ぃモンは気味悪ぃんだ。文化が違うってのは在り方が違うってことだ。在り方が違うってことは理解できねぇってことだ。頭で何を言っても生理的に受け付けない。差別するしかねぇ、だって自分とソイツは違うんだからな」

 なっ、なんなんだコイツ。

 いったいイキナリ、なにを話してるんだ!?

「……オマエ、『死角の殺人鬼』か?」

 緊迫した空気の中、僕はなんとか言葉を搾り出す。

「ん? あぁ、そうだぜ。もっとも、今日が初犯だけどな」

「初犯……、どういう意味だ!?」

「あん? オマエならわかるだろ? 今まで実際に手を下してたのは、オマエの所に行ったアイツだよ。まぁオレも、現場に運ぶくらいのことはしてやったけどな」

「だからジンさんの鼻に引っかからなかったワケ……?」

「オレは『死角の殺人鬼』なんだぜ? 隠れてる分には絶対に見つからない。まぁ、死角から出て人を襲ったら匂いが残っちまうけどな。もっとも、どうにも腰抜けヤローだったみたいで、結局一人も殺せてねえ。いやはや、役立たずなご主人様だぜ」

 喋りながら、殺人鬼はわざとらしく両腕を揺らしつつ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

「ご主人様!? オマエ、怪主かいぬしの契約を!?」

「意外か? べつに怪主かいぬしはあんたらだけの特権じゃねぇぜ」

怪主かいぬし付きなら霊力は必要ないだろ!? なんで人を襲った!」

「そりゃあ霊力が必要だからに決まってるだろ。怪異ロアを狩って回るおまえらみたいな連中がいるんだ。こっちだって死にたかない、霊力を集めて強化しないとなぁ」

「順番が逆だ! 消えたくないだけなら、そういう旨で僕たちと接触することもできたハズだ。そうしないのはなんでだ!?」

 僕の怒号に、殺人鬼はクツクツとおかしそうに喉を鳴らす。

「なにがおかしい!」

「わかってねぇんだなぁ、オマエさん……」

「なにを――」

「オレたちは怪異ロアだ、バケモノなんだぜ? 人間から霊力を貰わなきゃ生きていけない怪物。けれどそれさえ賄えば永遠に生きることもできる不死身の存在。これがどうやって人間と共存するんだ? 無理だろう?」

「それでも、僕とサキはうまくやってる!」

「じゃあオマエ、その口裂け女との契約をずっと続けるつもりか? 霊力の供給は側にいないとできない。一生涯、そいつの側にいるつもりなのか? それからオマエが死んだ時はどうする? 毎度毎度都合よく、怪主かいぬしになってくれるお人好しが出てきてくれるとでも言うのか?」

「それは――」

「オレたちは怪異ロア。霊力無しには生きられない存在に変貌してしまった。だったらそれらしくやっていくしかないだろう。誰かを騙したり、誰かから奪ったりしなけりゃならない。怪異ロアってのはそういう存在だ」

「だけど――」

「アイツは簡単だったよ。オレが死者の霊だって言ったら、すぐに食いついて来た。死人に会いたいってヤツは、意外と多いんだなぁ。会わせてやるって言ったら、喜んで協力してくれだぜ!」

「なっ――」

 それじゃあ、僕の所にやってきたアイツも、僕と同じ……。

「オマエさんだってそうなんだろう? 怪異ロア狩りなんかして、オマエさんになんのメリットがある? 人間代表の正義の味方か? 違うだろう? オマエさんにも何か目的があるハズだ。怪異ロアと、バケモノになった死人と一緒いるワケがな! だけどそれでいい、だってオレたちとオマエさんたちは違うんだからなぁ! 怪異ロアと人間、互いに利用しあいの騙しあい、そうやっていくしかねぇんだ! オレたちの関係はぁ!」

 ……。

 たしかに、それはその通りだった。

 僕は僕の目的があって、サキにはサキの目的があって、それで僕たちは互いを利用しあう関係だ。

 それは、なにをどう言ったってその通り。決して覆せない、事実。

 両手のカギ爪をちゃりちゃりと鳴らしながら、徐々に歩み寄ってくる殺人鬼。気づけばその姿は、ずいぶん近くまでやってきていた

「もういいわ瑞樹。コイツ、完全に怪異ロア

 殺人鬼の眼前に、サキが立ちはだかる。

「あたしたちは怪異ロアを狩る者で、コイツは瑞樹の友達を傷つけた。たったそれだけよ、コイツとあたしたちの関係は」

「サキ……?」

「コイツの楽しくないお喋りにはもうウンザリ。その口、二度と開かなく、いえ、閉じなくしてあげるわぁ……!」

 草刈鎌を構えたサキは、殺人鬼に駆け寄り、そのまま鎌を振り下ろした。

 カギ爪で鎌を受け止める殺人鬼。鋭い音が夜闇に響く。

「ずいぶん必死だな口裂け。そんなに頑張ってどうする? 怪主かいぬしなんて所詮利用するだけのモノだろう? ヤバくなったなら逃げればいいじゃないか。オレはオマエを追ったりしないよ、たしかに食事にはなるけれど、同士を襲うのは気が引ける」

「訂正しなさい。アンタみたいなゲス野郎と、同士になった覚えはないわぁ」

「そうか……、なら道徳を貫いて天国に逝きな!」

 鎌と爪、二つの斬撃が交差する。

 月光に照らされた刃が、夜の闇に軌跡を残すと、両者は殺し合いを開始した。

「ムカつくんだよその善人面ぁ! テメエだってあの人間を利用してるんだろう!? 同じ怪異ロアのテメエに、オレのやってることは否定させねぇ!」

 ぶつかり合う刃の流れ。

 衝突の回数、三、四、五。

 そして六度目、サキの鎌が殺人鬼の左の爪に、包み込まれるようにして絡み取られる。

「もらったぁ!」

 防御のできなくなったサキの体に、右の爪が振り下ろされる。

「それでも――」

 迫る刃を受け止めるように、サキが空手の左手を振り上げる。

 いや、素手じゃない、サキの左手には、いつのまにか右手同様に鎌が握られていた。

「それでも、あたしは――瑞樹の優しさを裏切ったりしない!」

 一際派手な音を立てて打ち当たる刃と刃。

 閃光が飛び散り、打ち払いの衝撃が殺人鬼を吹き飛ばす。

 その隙に、僕はサキに向けて手を伸ばした。

「サキ、契約を!」

「わかったわぁ!」

 手に持った鎌を消し去り、僕の手を、しっかりとサキが握った。

 ドクン!

 初めての時と同じ、体が二つになるような感覚。

 けれど今度は苦しくない、むしろこの感覚が心地いい。

 彼女と一つのなることが、苦しいことのハズがない。

「くっ、今更怪主かいぬしの契約がなんだってんだ! こっちは人間四人を半死に追い込むだけの霊力の分、力を強化してるんだぞ!」

 起き上がった殺人鬼が、サキに向けて詰め寄りながら、刃の腕を薙ぎ払う。

 ブチン、という太い紐が切れたような音。

 それはサキが殺人鬼の手首から先を、一刀のもとに切り捨てた音だった。

「っ!? ぎゃああああああ!」

「あらそう? ならアンタを始末すれば霊力が戻って、瑞樹の友達も意識を取り戻すかもしれないわねぇ」

 噴水みたいに血を噴出す手首を押さえながら、殺人鬼が甲高い奇声をあげる。

「いろいろと怪異ロアについて講釈してくれたけど、アンタ肝心なところがわかってないわねぇ。あたしは斬殺魔『口裂け女』の具現、驚かせて終わりの『死角の殺人鬼』みたいなチャチな怪談じゃないの。カクレンボならともかく、殺し合いじゃアンタとあたし、格が違いすぎるわぁ」

「コノおおおおおお!」

 余った左手の爪を、やけっぱちに突き出してくる殺人鬼。

 しかしそれも先ほど同様、手首ごと斬り落とされた。

「くっ、クソ! なんなんだよテメエは!」

 手の平の無くなった両腕を見ながら、殺人鬼は再び悲鳴を上げる。

 鎌に付いた血を振り払いながら、サキは殺人鬼を睨みつけ、言い放った。

「あたしは瑞樹のカシマレイコ、そうでありたいって思ってる」

「ヒイイイイイイ!」

 もはやこちらの言葉を理解できていないのだろう。

 殺人鬼はこちらに背を向け、両の腕から血を撒き散らしつつ、一目散に逃走する。

「こっ、殺される! あの女、ホンモノのバケモノだ! 一旦『死角』に入り込んで逃げるしか……、そうすりゃアイツだって、見つけられるワケ――」

「おい待てよ、どこ行くんだ?」

 聞きなれた声と共に、走り去ろうとする殺人鬼の肩を誰かか掴む。

「あっ!」

 思わず声を上げる僕。

 殺人鬼の行く手を阻んだのは、胸を刺され、倒されたと思っていたジンさんだった。

「生きてやがったのか、犬っコロ――」

「ああン? 当たり前だろうが。怪異ロアは心臓と血で生きてるワケじゃねえんだ、あの程度チクッと刺されたぐらいでくたばるかよ。オマエがサキに構ってる間、ゆっくりと回復させて貰ったぜ」

「ジンはわたしの怪異ロアです。そう簡単に死なれては困ります」

 ジンさんの横には、連れ添うような智里さんの姿。

「そういうことだ。俺の怪主かいぬしは、オマエんとこのと違って厳しいんだよ」

 そう言うと、ジンさんは殺人鬼のスーツの胸倉を掴み上げ、全身の溢れる筋肉をふんだんに使い、こちらに向けて投げつけてきた。

「おらよサキ! お返しするぜ!」

「オーライ!」

 鎌を構えるサキ。

 片手でマスクを外し、その下から真っ赤な口を曝け出す。

 吹き飛んでくる殺人鬼と、目が合った瞬間、

「ワ タ シ キ レ イ ?」

 終末の呪文をもって、

 その晩、一人も殺せなかった殺人鬼は、顔面を真っ二つにされて地獄に直行した。



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