第三談 死角の殺人鬼 影

 翌日から僕とサキ、智里さんたちによる怪異ロア狩りが始まった。

 コインロッカーベイビー

 人食いポスト。

 三本足の少女人形。

 有名どころの怪談のオンパレード、まさにリアルお化け屋敷、なんだかちょっとしたレジャー気分だ。

 バケモノ連中相手に、なんで僕がそんなに余裕なのかというと……。

 怪異ロアとの戦いは、なんというか、ハッキリ言って楽勝だった。

 ジンさんには広範囲の霊力を嗅ぎ付ける『鼻』があり(犬だかららしい。人面犬の鼻って人間だと思うんだけど……)、それで怪異の位置を調べ、奇襲を仕掛けるのが、僕達のとっている怪異狩りの方法だった。

 有利な状況で戦っていることに加え、サキが怪異ロアの中でも相当に強力なものであることも、大きな要因だ。

 怪異の持つ能力と言うのは、当然ながら怪談の内容に左右される。怪談の結末において明確に殺害、及び重症を負わせる『口裂け女』は、怪談の中でも、危害を加えるという点で非常に強いというワケである。そういう意味では『ドッペルゲンガー』もかなり強力な怪異ロアだったのだが、殺害方法が明確である分、サキのほうが勝っていたらしい。

 怪異ロアが現れるようになってからの数ヶ月、サキが霊力の補充無しに生き延びていたということ事体が、その能力の強烈さを物語っていると、智里さんは言っていた。

「もし『口裂け女』がサキではなく、他の自由気ままに人間を襲う霊がなっていたら、この事件、もっと恐ろしいものになっていたかもしれません」

 実際、サキは遭遇した怪異ロアのほとんどを『彷徨う焼死体』同様、一撃で始末していた。

 その間、僕のしていた事と言えば、ただ近くにいただけ。近くにいないと怪主かいぬしの契約が効果を発揮せず、霊力の供給ができないとか。

 まぁ、安全にすむなら、それに越したことはない。僕の目的は、怪異ロア狩りとは別の所にあるわけだし……。

 だから、僕にとって当面の問題は、別にあった。

「おい瑞樹、最近よく草条センパイと一緒にいるらしいじゃねえか」

 いつもと同じ休み時間。

 こちらをすごい目で睨み付けてくる勝こそが、現在の僕が抱える最大の悩みである。

「しかもオマエ、草条センパイ以外にも、絶世の美女を連れてるって聞いたぞ」

 放課後や休日、怪異を探して歩き回る僕達の姿は、当然というか、街中で目撃された。

 曰く、一年の葛原が学園のアイドル草条智里とさらにもう一人謎の美女を連れている。これはいったいどういう事体なのか、と。

 とりあえず、全校男子から拷問にかけられずに済んでいるのは、兼ねてより智里さんの『彼氏』と認識されているジンさんが一緒にいるおかげだろう。

「それも勝の剣幕を見ていると、時間の問題に思えるワケですが……」

「なにブツブツ言ってやがる。今日こそ事の真相を聞かせて貰うからな」

 ずいっと顔を近づけてくる勝を押し離しながら、僕はため息を付く。

「それについては、前にも説明しなかったっけ?」

「聞いた。しかし納得いかん、もう一度言ってみろ」

「だからぁ……」

 と、僕は頬杖をついたまま、適当な口調で説明を始める。

「まずその絶世の美女だけど、その人は僕の父型のイトコ。名前は葛原サキ。家庭の事情ってヤツで僕の家に居候中。綺麗な人だとは思うけど、ヘンなことは一切無し。街中で発見されるのは、僕がサキに街を案内してるから」

「それがなんで草条センパイが出てくるんだ」

「それは誤解。智里さ……草条センパイの彼氏って言われてる人、ジンさんって言うんだけど、その人とサキには共通の探し物があって、それで二人が一緒にいるだけ。僕はサキの、草条センパイはジンさんの付き人で、べつに僕と草条センパイが一緒にいるわけじゃない」

「探し物ってのは何なんだよ?」

「プレミア物のアクセサリー。八鹿町に在庫があるって噂が、ネットで流れてるらしいよ」

 以上が、僕と智里さん周りの噂に関する『公式発表』である。

「……なんかウソくせえな。無理があるっつーか、とってつけたみたいっつーか」

「――僕もそう思う」

「あん? なんか言ったか?」

「えっ!? いやいやなにも!」

 この穴だらけの設定、考えたのは智里さんだ。

 数日前、このままでは校内によからぬ噂が立つかもと知れないと、智里さんに進言したところ、帰ってきた答えがこれだった。

 ちなみに智里さん本人は、僕が言うまで、周りが自分たちどう見ているかを知らなかったらしい……。

『そんなメンドクサイことしないで、付きあってることにしちゃったらぁ?』

『そうだな。というか、いっそ本当に付きあっちまえよ』

 という、サキとジンさんの意見は、

『なっ、なにバカなこと言ってるんですか! そんなの、できるワケないです!』

 智里さんによって完全否定、大却下となった。

 僕としても、全校男子に半殺しにされるのはゴメンなので、できれば願い下げだったのだが、真正面から切って捨てられると、さすがにヘコむ。

 流石は草条智里の都市伝説……。

「とにかく、怪しかろうとなんだろうと、事実がそうなんだから」

「それが事実だとしても、実際、かなりオイシイ位置にいるってことじゃねえか。くそっ、オマエなんか『死角の殺人鬼』に襲われちまえ」

「死角の殺人鬼……?」

 利き覚えの無い単語に、僕は首をひねった。

「なんだよオマエ、知らないのか? 今この八鹿町を騒がせてる怪事件。通称『死角の殺人鬼』を……」




「その事件ならわたしも知ってます。というか、街中どこでも噂になってますよ。瑞樹、ホントに知らなかったんですか?」

 呆れたように、こちらにジト目を向けて来る智里さん。自分の噂には気づかないクセに、こういう事には詳しいらしい。

怪異ロア狩りで家に帰るのは遅いし、それに僕、もともとニュースとかあんまり見ないから」

「それでも、話くらい聞いたことがあってもよさそうなものです」

 駅前のファミレス。

 僕らが学校に行っている間、サキとジンさんで怪異の霊力や情報を探し、放課後にここに集合して『襲撃先』を決める。それがこれで十回目になる、怪異狩りのスケジュールだった。

 ちなみにサキとジンさんは、今日はまだ来ていない。

 外の窓から見えない奥の席。ここが僕らの定ポジション。

 学校での噂を避けるために選んだこの場所は、人が集まるファミレスという場所の予想に反して、店内で誰かに見つかると言うことはなかった。

 たしかによく考えて見れば、一品が千円前後するファミレスのメニュー、基本的にバイトのできない中学生が立ち寄るには、ちょっとばかり高級品だ。

 僕にしたって、たとえ使っている肉がミミズだという噂があっても、半額以下で腹の膨れるファーストフード店を利用している。

 都市伝説より貧困節約、中学生の財布事情は常にカツカツなのだ。

 じゃあなんで僕がファミレスに入り浸れるのかというと、情けない話なのだが、智里さんのおかげある。

 ファミレスでの払いは、全て智里さんが受け持っていた。

 怪異ロアであるサキとジンさんがお金を持っているハズもなく、例によって僕も貧困学生。消去法的に払えるのは智里さんしかいなくなる。

 とは言ったって、智里さんだって僕と同じ中学生なのだから、そんな大金を持っているとは思えないのだけど、智里さんは毎回の払いを特に何を気にすることなく支払っていた。

「智里さんって、もしかしてお嬢様とか、そういう類の人……?」

「違いますよ。ただ、お金をくれる人がいっぱいいるんです」

 ……謎である。

 閑話休題。

 くだんの『死角の殺人鬼』、その詳細はこうだ。

 深夜、自宅で寝ているところを、突然何者かに襲われる傷害事件。家の戸締りはキチンとしており、外部から侵入された形跡は一切なし。

 また、金品などが手付かずな所から、窃盗、強盗の類ではないと見らていれる。

「それってつまり、家族の誰かが犯人ってことでは?」

「事件が一回だけならそう思うのが当然ですね。事実、警察も最初の事件の際、そう考えて捜査していたようです」

 しかし二回目の事件で、様子は少し変わってくる。

 その時の被害者は学生で、事件当日、被害者は両親と喧嘩をし、頭に来た被害者は自室のドアに即席の鍵を作った。

 鍵は鎖と南京錠を組み合わせた簡単なものだが、外から無傷で開けることは絶対に不可能。そしてその夜に、被害者は謎の襲撃者に襲われる。

 不思議なのは、その即席の鍵に、開けられた様子が無かったこと。犯人が逃げ去るときに開けたと思われる窓の鍵も、当然ガラスを割るなりしない限り外部から開ける事は出来ない。そこから進入することは、ほぼ不可能だ。

「でも僕、前にテレビで見たよ。窓についてる、あのクルって回すタイプ鍵、なんかプロの泥棒なら、針金みたいな道具で外から簡単に開けられるって」

「サムターン鍵に対するピッキングでしたら、わたしも聞いた事があります。でもそういうのは、専門家が見ればわかるそうです。現場にそういった跡は無し。まぁ、専門家にもわからない新しい技術という可能性はありますが……」

 こうなってくると、一番の可能性としては、締めたと思っていた鍵が、じつは開いていた、ということだろう。

 だが三番目の事件、これは完璧だった。

 事件の被害者は一人暮らしの女性。彼女は過去にストーカー被害に遭っていたことがあり、その際のクセというか名残で、今でもドアや窓には、常に三つ以上の鍵を設けていた。

 この女性の戸締りに対する異常さは近所でも有名で、彼女が鍵をかけ忘れるなんてことは、たとえ世界に一人きりになってもありえないと言われていた。

 しかし彼女は襲われた。有体ありていに言うなら、密室の中で。

「狂言とか自作自演とかにしては、同じような事件が続き過ぎ、そこで、一つの説が生まれました」

「一つの説?」

「犯人はどこからやってきたのか。もしかしたら外部から侵入したのではないのではないか。つまり、被害者が寝静まるまで、ずっと部屋にいたのではないか――」

「……えっ?」

「犯人は常に被害者の死角に潜んでいたのではないか。被害者の背中に、ベッドの下に、タンスの中に、被害者のすぐ近く、被害者の見えない所に」

 人間の目は、自分の周りの物を、全て一気に見ることはできない。

 前を向けば後ろが死角。上を向けば足元が死角。いつも必ず、どこかが見えない。

「でも実際、ありえないよね、そんなこと」

「そうですね。人間一人が常に死角に潜む、そんなことは不可能です。この『死角の殺人鬼』っていう名前だって、マスコミが持ち出した、怪談をモチーフにしたネーミングです。ほら、よくあるでしょう、ベットの下や車のシートの下に恐ろしい殺人鬼がいて、それに気づかずに一晩過ごしたことが後から判明する話。『死角の殺人鬼』っていうのは、ああいうヤツの総称です」

 そう、現実的に考えて、そんなことはありえない。

 だけど僕らは知っている。現実的に起りえないような怪談が、今、実際にハッキリとした形で現れていること。

 具現する怪談、これはまさに――

怪異ロアの仕業……?」

「わたしたちとしては、そう考えるのが当然ですね。でも正直、よくわからないんです……」

 智里さんの言葉は歯切れが悪い。

「よくわからないって、どういうこと?」

「たしかに起こってる現象は、怪異ルビを入力…の仕業のようなところもあるんですが、この事件『死角の殺人鬼』って呼ばれてますけど、

「あっ……」

「被害者はどれも寝込みを襲われてますが、物音で目を覚ましたり、襲われてる段階で気づいたり……、中には重症を負った人もいますけど、捕まえられないまでも、とにかく犯人を追い払うことはできてるんです」

 そう。物騒なネーミングから、僕も最初勘違いしたのだが、これはあくまで傷害事件。

 正確に言うなら、

「法頼みたいな霊能力者ならともかく、普通の人に怪異ロアを追い払うなんて、出来るんでしょうか? いくら小物だったり弱まっていたりしているとしても、怪異ロアが人間相手に敗走するなんて、考えられないです」

 僕を襲った二番目の怪異『彷徨う焼死体』。

 自意識も無く、サキの接近にも気づかなかったアレは、恐らく怪異ロアの中では下の下のランクだろう。

 しかし、もしあの場所にサキが現れなかったら、僕は自力で助かる自信がない。

 運動神経がどうとか、走る速さがどうだとか、そんなものは関係ない。

 怪異を前にして、人はどうしようもない。人間に退治できてしまうバケモノを、ホラーとは呼ばない。

 真の怪物とは、人の手には負えないモノ。怪異とはそういう存在だ。

「うん、たしかにそうだ」

「それにジンの話じゃ――」

 とそこに、丁度名前を呼ばれるようなタイミングで、サキとジンさんが店内にやってきた。

 二人は入り口の辺りで僕たちの姿を見つけると、店員が出てくるのよりも早く、こちらの席にやってくる。

「ワリィワリィ、ちっと遅れたわ」

「ごめんねぇ」

 笑いつつ適当に謝りながら、サキは僕の、ジンさんは智里さんの横に座った。

 しかしこの二人、目立つなぁ……。

 身長百九十はありそうな大柄のマッチョに、太陽光線を完全防御するような真っ赤なロングコートの二人組み。店内の視線が、一気に僕達のところへ集まる。

「遅いですよ二人とも。どこで油を売ってたんですか」

「ていうかサキ、なんでコート姿なの?」

「えっ? あぁ、この格好のままだったわねぇ」

 言われて始めて気づいたようで、サキは座ったまま器用にコートを脱ぎはじめる。

 服も含めて構成要素の全てが霊体の怪異であるサキ、その気になれば、わざわざ脱ぐようなポーズをとらなくても、手品みたいにコートを掻き消すこともできる。

 そういうことををしないのが、怪異となっても人を襲わなかった、サキの人間らしさだろう

「ここに来る途中、ちょっと一戦やらかしてきたのよぉ。そのまま元に戻るのを忘れてたわぁ」

「まぁでもシッカリと始末してきたからよ、それで遅刻は勘弁してくれや」

『えっ!?』

 僕と智里さんの驚きが見事にハモった。

「一戦やらかしたって、どういうことなんですか!?」

「ん? ほれ、例の探してた『白いセダン』。そいつの霊力を探ってたら、本人とバッタリ遭遇しちまってな」

「なんでわたしたちに連絡しないんです!」

 怪異ロア狩りを始めるにあたって、サキとジンさんには、智里さん名義で購入した携帯電話を、連絡用に渡してある。

「いやぁ、アチラさん、だいぶ弱ってるみたいだったからな。こっちは二人だし、これなら怪主かいぬし抜きでもイケるだろって」

「楽勝だったわねぇ。無敵街道バクシン中よぉ」

「ヘタに動くと俺達に感づかれるってんで、怪異ロアどもも積極的に人間狩りが出来なくなってるみたいだな。このままなら、ほっといても全員自滅するんじゃねえか?」

 ガハハと、ジンさんの大きな笑い声がファミレスに響き渡る。

 その真横にいる智里さんが、煩そうに耳を抑えながら、うんざりしたような声でうめいた。

「……とにかく、今後は怪異ロアと遭遇したなら、わたしたちに連絡してください。怪主かいぬしの霊力供給抜きで、もしアナタたちがやられたら、怪異ロアと戦う手段が無くなるんですからね」

「まっ、善処するぜ」

「でもぉ、あたしたちが戦った場所、ここから結構離れてたし、呼んでも着く前に終わっちゃってたと思うわぁ」

「それでもです!」

 途端にピリピリしだす智里さん。

 この人、一度決めたことを守らないってのが許せないんだろうなぁ。委員長とかになったら、恐ろしいことになりそう……。

「そうカッカするなよ智里。それより二人とも、俺らが来るまでナニ話してたんだよ。随分神妙な顔してたじゃねえか」

「もしかして告白とかぁ? 愛の修羅場かしらぁ」

 『死角の殺人鬼』に関する話を二人にも説明する。

 二人とも、この事件のことは知っていたようで、どうも本当に始めて聞いたと言うのは、街中で僕だけらしい。

 ジンさんに至っては、最初の事件が起こった時点で、早急に調査していたらしい。

「でも正直、怪異ロアの仕業かどうかは微妙だぜ」

 というのが、智里さん同様、ジンさんの意見だった。

「人間相手に仕留め損ってるってるのも理由の一つなんだが、仮に怪異ロアの仕業だったとして、人間を襲うなんてマネしたら、俺の『鼻』でわかるハズなんだよなぁ」

「しかし、極端に霊力を隠すのが巧い怪異ロア、という可能性もありますからね。もし『死角の殺人鬼』の怪談が具現化しているのなら、隠れる事に特化した能力になりそうです」

「霊力ってのはそういうのと関係無しに残るもんなんだが……、だけどありえねぇ話ってワケでもない。人面犬の俺が『鼻』を持ってたり、怪異ロアは元になったイメージ次第で、どうにでも変化しちまうからな」

 結局のところ、『死角の殺人鬼』に対する判断は、灰色のままというわけである。

 曖昧なモノの調査に時間を裂くよりは、怪異だとハッキリわかっているものの始末を優先するというのが、事件開始時における智里さんとジンさんの結論だった。

「でも、人が襲われてるのに、それを放ってくなんて……」

怪異ロアだって人を襲います。そちらのほうこそ、放ってはおけません」

 煮え切らない僕の態度に、智里さんが冷たい口調で言い放つ。

「瑞樹、わたしたちは怪異ロアを狩っていますが、別に正義の味方じゃないんです。怪異ロアに関することなら、わたしたちにしか出来ないことですが、ソレではない、ただの人間が起こした事件なら、それは警察とかの仕事です。わたしたちがどうこうするべき問題ではありません」

 智里さんの言うことは正しい。

 『死角の殺人鬼』が、人間による犯行ならば、人外の存在である怪異ロアは、むしろ関わってはいけない。

「でも、身近な所でヒドイ目にあってる人がいて、それを知ってて何もしないなんて……」

「何もしないなんて言ってません。ただ、わたしたちの管轄じゃないと言ってるんです」

「智里さんはそれでいいの?」

「ですから! いいも悪いも――」

 そんなつもりはなかったのに、僕達は言い合いになってしまう。

 なにが気に障ったのかは、自分でもよくわからなかった。

 智里さんがどういう動機で怪異ロア狩りをしてるのか、僕は知らない。

 だからどこかで期待していたのかもしれない、智里さんの戦う理由が正義とか平和とか、そういう純粋なものであって欲しいと。

 僕自身の動機が歪んでいるから、余計に……。

「はいはい! いいからオマエら、ちょっと落ち着け」

「そうよぉ、ケンカはよくないわぁ」

 今にも掴みかかりそうな勢いな僕たちの間に、サキとジンさんが、文字通り割って入った。

「あたしたちが言い争っても、どうしようもないでしょう?」

「ですけど――」

「でも――」

「ああもう! じゃあこうするぞ!」

 いい加減頭に来たと言った感じで、ジンさんが大声をあげる。

「ここらへんで霊力の反応は『白いセダン』が最後だった。怪異ロアのほうから動かない限り、俺はこれ以上霊力は嗅ぎ取れない。となると、今ある情報でなんとなくのは『死角の殺人鬼』だけだ」

「だからなんです?」

「現時点で追える目標は『死角の殺人鬼』だけってことだよ。他でハッキリと怪異ロアとわかるヤツがいたらそっちを優先するが、それまでは『死角の殺人鬼』の調査をする、それでいいな」

 と、キッパリと断言した。

「いいんじゃないかしらぁ? 仮に怪異ロアだったとしたら万々歳。そうでなかったとしても、なにか判ったなら警察に届ければいいし。ねっ? それでいきましょう?」

 優しい口調で、サキが僕たちをなだめるように言う。

 僕らはしばらく睨み合っていたが、やがてどちらからともなく、無言で頷いた。




 調査と言ったって、実際に警察が調べているような事件を、一介の中学生である僕らがたいした事を調べられるハズもなく、その日に出来たことは、事件に関するニュース、例えば被害者の証言などが掲載されている事件後の新聞なんかを見たりすることしかやれなかった。

 その間、ジンさんの『鼻』による霊力反応も無し。

 結局、この日はなんの収穫も得ることは出来なかった。

 ファミレスを出た後、僕と智里さんは、最後に別れるまで互いに気まずいままだった。

 なんとなく謝るタイミングを逃したというか、謝る理由を探していたというか、とにかく僕たちは、ロクに顔を合わせることすらしななかった。




 そして深夜、普段ならとっくに眠っている時間。

 いつもなら間借りしている両親の部屋にいるハズのサキが、僕の部屋にいた。

「ねぇ、なんで智里とケンカしたのぉ?」

 とくに責めるような調子ではない。

 優しくて甘ったるい、いつもの声。

 ただその中に、いつものような無邪気さはない。

 わからないから聞いている、という感じではなく、それはもっと包容力のある、例えばイタズラをした子供を一通り叱った後、その理由を尋ねる母親のような、そんな聞き方。

「なんで、か……」

「瑞樹ってぇ、人と言い争ったりするタイプだとは思って無かったから。だから、なんでかなぁって」

 その質問は、僕がサキと一緒にいる理由に、僕が怪異狩りに参加した理由に繋がる。

 だから、あまり答えたくないというのが本音だった。

「でも、サキには話さないとね……」

 いつか言わなきゃいけないこと。多分、今言わなきゃいけないこと。

「……僕がこの怪異ロアの事件に関わってるのは、自分のためなんだ」

「自分のため?」

怪異ロアに襲われるからって意味じゃなくて、もっと個人的な、利益っていうか、目的っていうか……。死者が怪談の姿で甦るっていうこの事件、僕は、会いたい人がいるんだ」

「それって、亡くなった人……?」

 僕の口から出た言葉が予想外だったのか、すこし気まずそうな声で聞き返してくるサキ。

「優しい人だった。暖かい人だった。すごく親切にして貰った。あの人がいたから今の僕がいるって言っても、決して過言じゃないと思う」

「大切な人、だったんだ」

「僕は僕の為に、怪異ロア狩りをしてる。サキと一緒にいる。それが後ろめたい事なんだってわかってて、だからきっと、智里さんには正義の味方でいて欲しかったんだ」

「そのほうが、自分がラク?」

「ごまかす理由にしてたんだと思う。智里さんが怪異ロア狩りをしてるのは怪異のせいで傷つく人がいるからで、そういうヒーローみたいな人と一緒いるってことで、僕のワガママを正当化してたんだ、きっと」

「だから、怪異ロアじゃない問題に積極的じゃなかった智里が許せなかった?」

「智里さんは悪くないよ。智里さんの言ってることは正しかった。僕の方こそ、自分の理由で正義感をふりかざして、最低だ……」

 サキの顔が見れなくて、うつむく僕。

 サキは僕の理由の象徴だ。

 僕がサキと一緒にいるのは、怪異ロア狩りに参加するためだけじゃないから。

 、思ってるから……。

「でも瑞樹――」


 ――ダンダンダン!


 突然響き渡った騒音に、深夜の静寂が破られる。

「なっ、なに!?」


 ――ダンダンダン!


 衝撃に揺れるカーテン。

 音はそこから聞こえる。

 何者かが、この部屋の窓を外から叩いてる!


――ダンダンダン!


「もしかして、『死角の殺人鬼』!?」

「瑞樹ぃ、下がっててぇ……!」

 立ち上がると同時に、サキの体を真っ赤のコートが包み込む。

 口はマスクで覆われ、手には草刈鎌が握られる。


――ダンダンダン!


 たいして大きな音でもないのに、その音が家全体を揺らしているように思える。

 開く場所を叩く。内側から開ける場所を外から叩く。それはノックと呼ばれる行為。

 でもこれは異常だ。

 窓は人が出入りする場所じゃないし、そもそもここは二階だ!


――ダンダンダン!


「――」

 息を殺して窓に近づくサキ。

 右手の鎌をしっかり握り、ゆっくりと、万力で物を潰すみたいにゆっくりと、左手をカーテンに伸ばす。


――ダンダンダン!


「瑞樹、鍵は……?」

「……閉まってる」

「じゃあ、ごめんねぇ――」


――ダンダンダン!


 サキの手がカーテン越しに窓を掴むと、そのまま一気に、錠を吹き飛ばしつつカーテンごと窓を開け放った。

「食らいなさい!」

 勢いのまま半身を乗り出し、窓の外に向けて鎌を一閃させる。

「のわぁ!? ちょっ、ちょっとまてよ!」

 どこかで聞き覚えのある声。

 ていうか、この声、ジンさん……?

「ジン? アンタ、いったいなにしてんのぉ?」

 気が抜けたようなサキの声につられて、僕も窓の外を見やる。

 そこにはジンさんが、片手で窓枠にぶら下がっていた。




「フツーいきなり斬りかかるか? 口裂け女ってのは前口上がウリだろうが」

「そんな知らないわぁ。そっちこそどういうつもり? 深夜に窓から参上なんて間男みたいなマネして。人面犬にも発情期があったのねぇ」

「バカ抜かせ。だったらなんで瑞樹の家に来るんだよ」

「……それは、ちょっとドキドキねぇ」

 あのまま窓にぶら下げておくワケにも行かず、とりあえずジンさんを部屋に上げる僕ら。

 命の危機に晒されたジンさんは、さっきからずっとサキに文句を言っている。

 思いっきり自業自得だと思うんだけどなぁ……。

「それでジンさん。なんでまたこんな夜中に、それも窓から?」

「こんな時間じゃインターホン鳴らしたって出てこねえだろ?」

「前もって連絡があれば開けますよ。携帯電話はどうしたんですか?」

「いや、使い方よくわかんねえし」

 なにやら人面犬らしいことを言うジンさん。

 いや、そうじゃなくて……。

「まぁそれに、こういう話は面と向かってしたほうがいい気がするしな」

「こういう話?」

「あー、その、なんていうかだな……」

 と、ジンさんにしては珍しく、言いにくそうに頭を捻る。

 それからしばらくブツブツと呟いてから、意を決したように口を開いた。

「まぁ、率直に言うとだ。智里と仲直りしてやってくれ」

「……えっ?」

「……はいぃ?」

「あーヒクな! 俺だってヘンな事を言ってるのはわかってる! しかし聞いてくれ!」

 深夜だっていうのにジンさんが大声でまくしたてる。

「あの後、家に戻ってから智里は瑞樹のことばっかりだ。ヤレここが気に入らない、ソレここが可愛くない、ドレここが生意気だってな」

「悪口のオンパレードじゃないですか……」

「そうだな。だがな瑞樹、智里は今まで家で誰かの事を話題にすることなんて無かった。それが一緒に怪異狩りを始めてからは毎日瑞樹瑞樹……」

「それは……、まぁ光栄ですけど。でもこんなことやってるんですから、当然っちゃ当然なのでは?」

「もっともだぜ。けど俺はコイツをいい反応だと思ってる。冗談抜きでアイツ、今までロクに人付き合いしてこなかったんだよ。だから今回、ちっと強引とは言え瑞樹と一緒に行動するようになったのは、なんつーか、チャンスだと思うんだな」

「チャンス、ですか?」

「アイツ、中学生だぞ。まだ十五だ。それがなんだって、あんなにツンケンしてなきゃなんねえんだ……」

 そう言って、ジンさんは少し遠い目をした。

 考えてみれば、僕は智里さんのことをよくしらない。

 学校で評判の美人。だけど友人はいない。

 そして、僕よりも前から怪異ロアと戦っている人。

 だけどその理由を知らない。なぜジンさんと一緒にいるのか、なぜ怪異狩りの道を選んだのか。

 これを知らないってことは、彼女の事をなにも知らないってことなんじゃないだろうか?

「まっ、今回の話、どっちに非があるってワケでもないと思うから、頭を下げてくれって頼むつもりはねぇよ。でもよ、このまま気まずいってのも、なんかやりづらいだろ?」

 重くなってしまった空気を吹き飛ばすように、ジンさんが軽い口調で言う。

「わかりました。というか、丁度僕の方から謝ろうって思ってたところですし、明日智里さんと会った時に、そうしたいと思います」

「おっ、そうかそうか! そう言ってくれるか瑞樹! オマエが素直なヤツで助かったぜ!」

「それから……、もっと、話をしたいです」

「話?」

「はい。怪異ロアとか事件とか、そうのじゃなくて、もっと違うこと。なんていうのかな、学校の事とか、好きな音楽の事とか、そういう、普通の話を」

「そっか。そいつは助かる以上に……、ありがてぇ」

 ジンさんは、どこか寂しげにそう言うと、よっこらせと声をあげながら、ゆっくりと立ち上がった。

「じゃ、俺は帰るよ。なんにせよ『死角の殺人鬼』、とっととケリつけちまおうぜ。あとそうだ、俺が今日ここに来たってこと、智里には内緒な?」

「えっ? 黙ってきたんですか?」

「そりゃそうだろ。こんな用事、話したって許可なんか出るわけねぇって」

「なんかアンタ、智里の保護者みたいねぇ」

 呆れたようにサキが言う。

「智里のために影でコソコソ手を回して、親バカ? 過保護? なんかそういう感じだわぁ」

「保護者なぁ……、実際そんなようなモンだしな」

「えっ?」

「おっとストップ、ここから先は智里本人から直接聞いてくれ。じゃあな」

 そうしてジンさんは、来たとき同様に窓から去っていった。

 思えばジンさんも不思議な人だ。

 法来さんの話では、自分のほうから智里さんに接触したという。

 サキが自分の記憶探しが目的であるように、ジンさんもまた、何か理由があるのだろう。

 ふと、怪異ロアというものを考える。

 生前の記憶をもって現世に帰るということは、それはつまり黄泉返り。

 けれどその身は人ではなく、怪談を模した異形の姿。

 怪異ロアとなった人は、いったいなにをするのだろう?

 怪異ロアとなったジンさんは、いったいなにがしたいのだろう?

「人面犬のジンさん、か……」

「どうしたの瑞樹ぃ?」

「いや――」

 わからない、わからないけど。

 でもジンさんは、智里さんの味方だ。それだけは確かだ。

 僕にとってのサキがそうであるように、ジンさんもまた、智里さんを守る存在なんだろう。

「ジンさん、いい人だなって」

「憧れる?」

「どうかな……、でもあの人のこういう所は、ちょっとカッコイイと思った」

 誰かの味方であるということ、それはきっと、とても正しいことなんだと、僕はこの時感じていた。



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