第二談 彷徨う焼死体

「葛原瑞樹クンはいますか?」

 ざわざわざわ!

 冗談抜きで、本当にそういう音が聞こえた。

 奇妙な夢の夜の翌日。突然、草条センパイが僕のクラスにやってきて、開口一番こういった。

 それまで和やかに談笑していたクラスの空気が一瞬にして氷付き、それからざわざわ音。

「おっ、おい瑞樹! どういうことだよ!」

 と、それまで話していた勝が僕に食ってかかる。

「えっ、えーと、さぁ……? とりあえず呼ばれたから言ってくるよ」

 掴みかかってくる勝を振りきり、席を立つ。

 草条センパイかぁ。いったい何の用だろうか。

 昨日のことは、やっぱり夢だったのだろうし、そうなると僕と草条センパイは知り合いでもなんでもないハズだ。

 クラス中の男子の視線を背に受けて、草条センパイの待つ教室の入り口へと向かう。

 ていうか、なんか教室が妙に静かだ。みんなして聞き耳を立ててるなぁ……。

「あの、センパイ、僕に何か用事ですか……?」

 おずおずと話しかける。

 初対面のハズなのに、やっぱりそういう感じがしない。昨日の夢、やけにリアリティがあったからなぁ。いや、リアリティって言っても、口避け女にドッペルゲンガーなんて妖怪もどきが出てきたんだけど。

 草条センパイは、ジロジロと不審なものでも見るようにして目つきを僕に向けてくる。

 とてもじゃないけど「昨日、夢の中でセンパイに会いました。センパイの彼氏もいましたし、一緒に口裂け女とドッペルゲンガーもでてきたんです」なんて言える雰囲気じゃない。

 いや、雰囲気がどうあれ言わないけどさ……。

「葛原クン」

「はっ、ハイ!」

 ヘンなことを考えていたせいか、妙に緊張してしまう僕。

 そんな僕の様子もよそに、草条センパイが口を開く。

「体の調子は大丈夫ですか?」

「えっ、体?」

「はい、体です」

「えーと、とくになんとも無いと思うけど……、はい、大丈夫です」

「そうですか、それならいいです」

 と、それだけ言って、草条センパイはさっさと廊下へ行ってしまった。

 なんだったんだろ、いったい?

「おい瑞樹ぃ!」

 いきなり勝に背中から蹴りを貰う

「ぐあっ!? なっ、なんだよいきなり!」

「なんだじゃない! 体ってなんだ! 体をどうかしたのか! 体でなにをした!」

「ちょっとまった!? オマエなんか誤解してるって絶対!」

「体をどうした! 草条センパイに体をどうされたんだよ! いや、むしろ草条センパイの体を――」

 終いにはこっちの首を締めにかかってきた勝を、なんとか身に覚えが無いことを説得して落ち着かせる。

 それでも勝は、それからずっと体、体とブツブツ言っていた。

「体、体、草条センパイの体……、にへへ」

「いや、勝。それはちょっと危ない……」




 放課後。

 よからぬ電波を受信している勝を放置して教室を出る。

 それにしても草条センパイ、いったいなんだったんだろうか。

 体が大丈夫かって言ってたけど、べつに体を壊すようなことをした覚えはないしなぁ。

 たしかに夢の中じゃ、なんだか死にそうになった気もするけど、それをセンパイが知ってるわけないし……。

 黙々と考えつつ廊下を歩く

 そしてふと気づけば、辺りには誰もいなくなっていた。

「あれ……?」

 誰もいない。

 それどころか、何の音もしない。

 時間は放課後になったばかり。まだまだ学校は騒がしいハズなのに。

 僕だけが世界から取り残されたみたいに、完全に気配も音も消えていた。

「この感覚は、たしか……」

 そうだ。昨日の夢でもそうだった。

 辺りから一切の音が消え、誰一人としていなくなる。

 それから現れたのだ。僕の同じ姿をした異質のモノが。

「いったい、どうして……」

 今は夢の中じゃないハズ。それとも僕がそう思っているだけなのか。

 漫画とかで夢かどうかを確認するのに、よく頬をつねるシーンが出てくるけど、実際にアレは意味が無いらしい。

 そもそも、夢の中だから痛みを感じ無いというのがウソっぱちで、夢の中にいるときは、脳の認識としてその世界が全てなので、痛みを伴うようなことがあれば、当然痛い。

 もっとも、痛みを感じるような強烈な出来事があった場合、そのショックで痛みを感じる前に目が覚めてしまう場合がほとんどだそうだけど。

 だから僕は、頬をつねったりはしなかった。

 信じられるのは自分の感覚だけ。

 夢でも現実でも、今起きていることが本当だ。

 二度目だからだろうか、昨日の夢の中に比べて、僕は心のどこかで落ち着いていた。

 けれどそれも些細な事。

 目の前にそれが現れたときは、僕のわずかな冷静さなんて、軽く吹っ飛ばされてしまった。

「熱イ……、熱イ……」

 ずべり、ずべりと。何か湿ったものが擦れる音。

 それは足音。

 炎に炙られてグジュグジュになった足が、摩るようにして歩く音。

「熱イ……、熱イ……」

 僕の前に現れたのは、ゾンビみたいな異形だった。

 ただ、ゾンビと違うのはその体。骨や肉をモロに露出させている原因は、腐敗ではなく重度の火傷。

 ありとあらやるところが焼け爛れ、男か女かもわからない。

 だから発する臭いも腐臭ではなく、バーベキューで嗅ぐような焦げた臭い。

「これってもしかして、噂の戦没者の霊……!?」

 この学校に流れる怪談の中で、もっとも有名な一つ。

 戦時中、この学校は疎開者の宿泊場として使われていて、空襲で多くの人が焼け死んだ。その時の死者の霊が、未だに自分が死んだことがわからず、今でも学校の中を俳諧しているとか。

 もちろんこれはただの怪談。だから実際に霊を見たことがあるなんてヤツは、誰一人いなかった。

 ――それが今、僕の目の前にいる!

「なっ、なんだよこれ!」

 逃げないと!

 頭ではそう思っているのに、体が言うことを効かない。

 目の前の怪人は、とても見ていられないほどグロテスクなのに、目を逸らすことすらできない。

「熱イ……、熱イ……」

 ねっとりと耳に絡みつくような怪人の呪詛。

 コイツの一番恐ろしいのはソレだ。脳に直接語りかけるような、奈落の底から響いてくるような怨磋。

 

 ――それが、唐突に遮断された――

 

 バスッ、という景気のいい音と共に、怪人の胴体が真っ二つに吹き飛び、廊下の床に到達するまえに掻き消える。

 続いて聞こえてきたのは声。

 夢の中で聞いた、どこかあの人に似た声。

「やれやれだわぁ。昨日の今日で、いったいどこから嗅ぎ付けてくるのかしらぁ」

 そして赤。

 昨日と同じ真っ赤なコートを着たその女性が、夢の中と同じ唐突さでもって、僕の前に現れた。




「夢じゃ、なかったんだ……」

 彼女の姿を見た僕は、そう呟くことしかできなかった。

「あー、昨日のことぉ? そっかぁ、夢だと思ってたんだぁ。だったら出てこないほうがよかったわねぇ。でも襲われてるのを放っておくこともできないしぃ」

 マスク越しに喋りつつ、彼女が困ったような表情を浮かべる。

 僕は思い切って、彼女に話かけた

「あっ、あのっ」

「ん? どうしたのぉ?」

「その、コイツらって、なんなんですか? 昨日の僕にソックリなヤツに、それに今の焼け爛れた生霊。これってこの学校の怪談ですよね? どうしてそんなのが、実際にでてきてたりするんです。それにアナタも、いったい――」

「まぁまぁ落ち着いて、説明するとちょーっと長くなるんだけどぉ」

 そこで急に、ドタドタという廊下を走る音が飛び込んできた。

 もしやと思い、足音の方に振り向くと、そこには昨日同様、草条センパイが走りこんできていた。

 草条センパイはこちらの姿を見つけると急停止し、慌てた声でまくしたてる。

「霊力の反応があったと思って来てみれば……、口裂け! なんでアナタがこんなところにいるんです!」

 草条センパイ、学校では落ち着いてる人とかクールな人とか思われてるらしいけど、僕の中じゃあ、すっかり慌ただしい人になっちゃったなぁ。

「なんでって言われてもねぇ。瑞樹、あたしの怪主かいぬしになったでしょ? だから他の怪異に狙われると思ってこっそりガードについてたら案の定やってきて、で、それを今ズバっちと退治したところ」

「なっ! アナタまだ葛原クンと解約してなかったんですか! 余計な人を巻き込むつまりはない! 霊力が回復したら契約解除するって、昨日あの後言ってたでしょう!?」

「そのつもりだったんだけどぉ、なんだか瑞樹って妙に気になるのよねぇ」

「気になるって、そんな曖昧な理屈で――」

「えーと、ちょっといいですか・・・・・・?」

 いきなり口論をはじめた二人の間に、僕はなんとか割って入る。

「そろそろ僕としても、事情説明が欲しいなー、なんて」

 小さな声で自己主張をする僕を、草条センパイがキッと睨んでくる。

 うわっ、すごい迫力。

「葛原クンは無関係なんですから、黙っててください!」

「いや、思いっきり当事者だと思うんですけど……」

「そーよそーよぉ、仲間ハズレはよくないわぁ」

 いつのまにやら、僕のことをコートの女性が擁護する形になっている。

「昨日のことが夢じゃないっていうなら、僕はもう二度もヘンなのに襲われたってことになるし、だとしたら、せめて事情ぐらいは知っておきたいんですけど……」

「事情、ですか……」

 僕の言葉に、草条センパイは語気を弱める。

「そうですね……、口裂けの怪主かいぬしじゃなくなったとしても、一度怪異に目を付けられたのは事実。質のいい霊力の持ち主ということ。だったらまた襲われる可能性もある。だったらいっそ仲間に引き込む? いや……。けれど事情を知れば、身を引いてくれるかもかもしれない……」

 ブツブツと呟く草条センパイ。

 この人も勝と同じで、考えごとが口に出るタイプなんだなぁ。

 友達少ないとかいう話だけど、もしかしたらこれが原因なんじゃないんだろうか?

「葛原クン」

「えっ、はっ、はい!」

 失礼なことを考えているところに声をかけられ、ビクリとする僕。

 なんか教室でも、同じやりとりがあったような気がする。

「わかりました。この異変について事情を説明します。この後、時間は空いてますか?」

「はぁ、大丈夫ですけど」

「そうですか。口裂け、アナタも来てください。葛原クンの進退、同席してもらいますよ」

「かまわないわよぉ。事情を知った瑞樹がイヤだっていうなら、あたしもこれ以上瑞樹には係わらないわぁ」

「それじゃあ、この後裏門の方へ来てください。待ってますから」

 そういうと、草条センパイはスタスタと行ってしまった。

 なんかホント、慌ただしい人だなぁ……。




「乗ってください」

 裏門の前には車が止まっていた。

 運転席にはいないと思っていたジンさんが座っており、それがますます、昨日の出来事が夢じゃなかったことを思い知らされる。

 草条センパイはジンさんと二、三言葉をかわすと、さっさと助手席に乗り込んでしまう。

 とくに説明も無いので、僕とコートの女性は後部席へと乗り込む。

「しかしいいのか智里? 本当に法頼のところに連れてっちまって」

「もう決めました。早く発車してください」

 なにやらすごく怒っている様子の草条センパイ。

 ジンさんは呆れたようにため息をつくと、大きな体を窮屈そうにしながら、それでもなれた手つきで車を発進させた。

 車内は終始無言。

 僕やコートの女性がなにか喋ろうとすると、草条センパイの不機嫌そうな咳払いが、それをことごとく遮る。

 なんとも居心地の悪いまま、走る事約十分。

 僕たちは、町外れの古びたお寺へと連れられた。

 雑草は伸び放題、樹木の手入れもされている様子がない。トドメに賽銭箱にカビが生えていた。

 古びたお寺というよりは、滅びたお寺といったほうがいいかも知れない。

「ここは?」

「来福寺。名前も含めて、どこにでもあるようなお寺です」

「いや、それは見ればわかるんだけど……」

 草条センパイは、頑として僕達とコミュニケーションをとらないつもりらしい。

「智里、俺は車の中で待ってる」

「またですか? 前もそういって出てきませんでした」

「俺はあの野郎とは気が合わねぇんだよ。気の中でも一番大切な気、空気が合わねぇ」

 ジンさんはそういって、車の中に残る。

 この件だけに関しては、普段はどちらかというと、なだめ役っぽいジンさんのほうが頑なだった。

 そうして僕たちは、お寺の本堂の方ではなく、離れへと案内される。

 草条センパイがインターホンを鳴らすと、ギギギと錆びたような音がしてドアが開かれた。

「待っていたよ。智里から話は聞いている。怪異の異変について聞きたいのだろう? 入りたまえ」

 中にいた人物は、お寺という場所柄、予想通りというか、お坊さんだった。

 年齢は三十半ばくらい。それが正装なのか袈裟をしっかりと着込み、頭はキレイな丸坊主。現代のお坊さんは、べつに頭を剃る必要は無いと聞いた事があるから、結構マジメな人なのかもしれない。

 僕の視線から内心を読み取ったのか、お坊さんは口を開く。

「ああ、几帳面なものでね。どうもキッチリとしていないと落ち着かないのだ。と言っても気になるのは自分の住んでる離れの中のでだけで、外の整理はまったくやる気がしない」

 多分、冗談とか初対面の人への挨拶とかで言ってるつもりなんだろうけど、口調が厳格なので、そういう気がちっともしない。

 なんか正直、苦手なタイプだなぁ……。

 言っていることに嘘はないらしく、離れの中は外の惨状がウソのように、キッチリと整頓されていた。

 居間に通され、用意された座布団の上に、お坊さんを前にして僕達は座った。

「では、まず始めに名乗っておこう。私は宮代法頼。この来福寺に勤める者だ」

「あっ、僕は――」

「いや、構わん。キミの名前はすでに智里から聞いている。葛原瑞樹だろう?」

 こくりとうなずく僕。

 そういえばこの人、さっきも草条センパイから話を聞いてるとか言ってたけど、いったい、いつ連絡をとったんだろう?

 僕が見る限り、草条センパイが電話をかけてた様子も無いし。

 あっ、もしかして携帯電話のメールだろうか。それだったらセンパイが助手席に座っている間にメールを打っていたとしても、気づかなかったかもしれない。

 目の前のお坊さんが携帯電話と睨めっこしてる姿を想像すると、なんだかシュールな光景である。

「しかし驚いたよ。まさか口裂け女の怪異が、私の所に訪れるなんてね。キミは人間と係わらない、孤高なイメージがあったのだが」

「べつにそういうつもりはないわぁ、ただ無関係な人を巻き込みたくなかっただけ」

「ならば、何故瑞樹に?」

「それはあたしの個人的事情、必要がありそうだったら話すわぁ」

 ふむ、と法頼さんは呟くと、視線を僕に移した。

「さて瑞樹。話を聞きたいとのことだが、いったいどこから聞きたいのだね?」

「どこからっていうか……。こっちはもう全然さっぱりなんで、最初っから全部が聞きたいんですけど」

「そうか。ならば全て話すとしよう。なぜ怪異の異変がおこり、そして我々がなにをしようとしているのかをね」

 そう言うと、法頼さんはゆっくりと語りだした。




「瑞樹、キミは霊道れいどうという物を知っているかね?」

「霊道ですか? さぁ、聞いたことないです」

「ふむ。霊道というのは、言葉のままに霊の通り道だ。死者の霊はこの霊道を辿り、墓や神社などの供養場を通り、冥界、まぁ平たく言えばあの世に行くわけだ。乱暴な言い方をすれば、霊専用の下水道のようなものかな」

「下水道、ですか?」

「下水道だ。霊と言うのはそれ自体に意思や方向性はなく、本来は水同様に無害なものなのだ。まぁ稀に意思の強い霊と言うのがいて、それが俗に言う幽霊になるわけだな」

「はぁ……」

 いきなり霊だなんだという話を持ち出され、なにかもっとパッとした答えが出てくるのだと思っていた僕は、正直肩透かしを食らった気分だった。

 とはいえ、話を急かすのも失礼かと思い、黙って法頼さんの言葉に耳を傾ける。

「それでだ、瑞樹、キミもここ八鹿町が、巷では心霊スポットだなんて呼ばれていることは知っているだろう? それはこの街に多くの霊道が集中しているからなのだ。霊道が多ければ幽霊も多く出る。だから心霊現象を多く起こる。まぁそのうち半分は、噂に尾ひれのついたガセだと思うがね」

「まぁ、なんとなくはわかりました」

 というか、ここ八鹿町で心霊現象が多発するのは、なにか霊を呼び寄せるものがあるのだというのは、それこそ噂の一つだった。

 それ改めて説明されたという感じである。

「そして私は、その霊道を管理する職に着いている」

「霊道を管理、ですか?」

「私は職業的霊能力者というヤツでね、八鹿町の霊道の管理と監視が私の仕事だ」

 法頼さんの話はこうだ。

 八鹿町は霊道の多く通る町で、他の場所に比べて幽霊が多発はするものの、本当に実害のある悪霊が発生することはむしろ稀で、今までは特に問題もなかった。

 ところが数ヶ月前、その霊道に異変が生じる。

 故意か自然現象かは不明だが、霊道の流れが悪くなり、ついには詰まってしまったらしい。

 すぐさま持ち前の霊能力で霊道を正常化した法頼さんだったが、霊道が詰まっていた間に溢れ出してしまった霊に関してはどうしようもなくなってしまったという。

「霊が霊のままでいるぶんには問題は無い。やがて自然に元に戻るし、そうでなくても、少々道案内をしてやればそれで住む。だが事態は厄介なことになった」

 霊は霊のままでは意思もなく無害。だが霊道が詰まったことで硬化してしまった霊たちは、その存在を主張にするため、自分の存在を名のあるモノへと昇華させた。

 すなわち、怪談との融合である。

「霊たちは八鹿町に溢れる怪談の姿をとることで、その存在を確かなものにしている。つまり、今起きている現象は、本来の怪現象とは逆。霊が現象を作るのではなく、現象が霊に姿を与えているのだ」

 言われてみればたしかにそうだ。

 口裂け女にせよドッペルゲンガーにせよ、八鹿町に限るまでもなく有名な怪談である。

 有名すぎて、オリジナルはとうに消え失せ、怪談だけが一人歩きしているような。

 それが溢れだした霊たちには、形をとる絶好の獲物だったわけだ。

「怪談の姿をとった霊。それを私達は都市伝説フォーク・ロアからとり、怪異ロアと呼んでいる」

怪異ロア……」

 怪談の多くは、人に害を与える形で結末する。ならばこそ、怪異ロアの形をとった霊は危険だ。

「だが問題はそれだけではない。一部の怪異ロアとなった霊たちには、生前の記憶があるのだ。そして生きている頃に縁のあった人間と無理な接触をし、結果、悲劇を生んでいる」

 死者が生者と接触して悲劇がおこらないハズがないと、法頼さんは言った。

「記憶あるものが縁者との接触を願うほかにも、怪異ロアの目的は様々だ。怪異ロアとして手に入れた力を欲望のままに振るうもの。自身が変貌したバケモノになりきり、怪談のままに行動するもの。だがどの怪異ロアにも、共通する危険性がある」

「危険性?」

怪異ロアと姿を変えても、元は一つの霊。怪異ロアとしての力を、いつまでも保ち続けられるわけではない。怪異ロアは在り続けるために、霊力を補充する必要があるのだ」

 霊力というのは、霊の力。つまりは魂自体が持つエネルギーのようなものであるらしい。

「霊力を補充する方法は二つある。怪異ロアを討ち倒して捕食するか、人間を殺して略奪するかだ」

 言うまでもなく、怪異ロアにとって都合がいいのは後者である。ヘタをして自分よりも協力な怪異ロアに接触してしまう危険を冒すより、怪談の通りに人間を襲ったほうが、遥かに安全だからだ。

 とはいえ、怪異ロアにとって互いが食料になりえることに変わりはなく。怪異同士が争ったりすることも、無いわけではないらしい。

 ちなみに怪異ロアは、霊道などの霊を、直接捕まえることはできないらしい。怪異ロア怪異ロアとなった時点で霊とは別の存在で、素の霊を感じたり干渉したりすることはできなくなるのだという。

「例外として、怪異ロアが霊力を補充する方法がもう一つだけある。それが怪主かいぬしの契約だ」

 怪主かいぬしの契約。

 僕とコートの女性が結んだ契約のことだ。

怪主かいぬしの契約とは、怪異ロアと人間の魂を霊的な線で結ぶことにより、霊力を共有する技法だ。これは怪異ロアなら全てのものが行うことができる。恐らくは、人間との競演が前提である怪談をモチーフにしているが故であると思われるな」

 怪主かいぬしの契約は、結ぶのも破棄するのも自由にできるらしい。

 結ぶことは怪異ロアのほうからしか出来ないが、人間の方が相手を拒絶すれば契約はなりたたない。そして、解除するのはどちらの意思でも、任意に可能であるとのこと。

 だから、怪異ロアが無理やり契約を結んで霊力を得るということは不可能。契約をするには、怪異ロアと人間が、なんらかの形で協力していなければいけないのだ。

「契約の利点は、常に一定の霊力が供給され続けることだ。これによって怪異ロアは、通常よりも安定して力を使うことができる。あまり言いたくは無いが、人間を襲う方法にも利点はある。人間一人分の霊力を一気に得ることで、契約よりも大量の霊力を補充できるからだ。充電式バッテリーと使い捨てのアルカリ乾電池の差といえば、わかりやすいか」

 そこまでをほとんど一気に話し、法頼さんは一度、会話を区切った。

「どうだ、今までのことで質問はあるか?」

「……質問って言われても、なんか突然過ぎる話ばかりで、正直、鵜呑みにするのが精一杯っていうか……」

「ふむ。まぁ、そうであろうな。私とて聞き手だったら、こんな話、信じられたかどうかわからない」

 草条センパイと赤いコートの女性は、法頼さんの話に始終無言だった。

 まぁ二人にしてみれば、すでに知っていることなのだから、とくに返事をする必要が無かったんだろう。

 それにしたって、合いの手ぐらいはいれてくれてもよさそうなものだけど、ここにきてからなんだか、二人は機嫌が悪そうだった。

 もしかしたら僕と同じで、法頼さんのようなタイプは苦手なのかもしれない。

「では次は、もう少しわかりやすい話をしようか。すなわち、私と智里、そしてジンの馴れ初めについて」

「ヘンな言い方はやめてください。それにわたしはアナタと馴れ合ったつもりはありません。わたしはわたしで、勝手にやっているだけです」

 法頼さんの言い方が癪に障ったのか、それまで黙っていた草条センパイが憎々しげに言い返した。

「そのわりには、こうして瑞樹と口裂けを、私のところに連れてきているじゃないか」

「それはアナタが管理者という立場だから、とっととこの事態を収めるべく仕方なくです。アナタ個人に対するわたしの評価とは関係ありません」

 それだけ言うと、草条センパイは、これみよがしにツーンと顔を横に向けた。

 訂正、草条センパイは法頼さんのことが苦手なんじゃない。大ッキライなんだ。

「手厳しいね。だが事態を早々に収拾したいというのは私も同じ意見だ。では瑞樹、話を続けようか」

「はっ、はい」

 僕の方に向き直り、再び語り始める法頼さん。

「人間の持つ霊能力では、とても怪異ロアには対抗できない。怪異ロアを倒すには怪異ロアの力しかない。どこかに私に協力してくれる怪異ロアはいないものかと思っていた時、ジンがすで智里と契約をし、独自に怪異ロアと戦っているという情報を得た私は、彼らと接触し、協力を要請したのだ」

「ジンさんは、なぜ草条センパイのところに? というか、なんで草条センパイはこの事態に協力を?」

 草条センパイに尋ねる形で聞く。

「……葛原クンには関係ないと思いますけど。今は葛原クンのために集まってるんですから、余計なことは考えなくていいです」

 と、草条センパイの答えはそっけなかった。

 もしかして僕、草条センパイに嫌われてる?

「ジンの真意については私も知らない。ただ怪異ロア狩りには協力的なのは確かだ。怪異ロア狩りというよりは、智里に協力的といったほうが近いかな。智里に接触したのは、なんでもジンのほうからだという、案外、智里と縁のある者なのかもしれん」

 言葉を続ける法頼さん。

「正直な事を言えば、目的の不明な者と組むのは得策ではない。だが他に適任がいないというのも事実だ。私としては、キミと口裂けに協力してくれると、非常にありがたいのだけれどね」

「はぁ……」

 法頼さんの話は、そこで一応、終わりのようだった。

 怪談の具現。

 街中に溢れる、怪異ロアとなった霊たち。

 それを始末して回っている草条センパイたち。

 僕の知らない世界が、今、目の前にある。

「一つ、聞きたい事があります」

「なにかね?」

「僕が、この事態にもう関わりたくないって言ったら、僕はどうなるんでしょうか?」

「別にどうにもならない。キミは昨日と今日のことを忘れ、口裂け女との契約を解き、今まで通り普通に生活するだけだ。まぁ、余計な混乱を防ぐため、怪異ロアのことは口外しないよう約束はしてもらうがね。もちろん、この先キミが怪異ロアに襲われることが無いよう、影ながらサポートもするつもりだ」

「でも、そうしたら――」

 僕は視線を、コートの女性へと向ける。

「この人は、口裂け女さんは、どうなるんですか……?」

 コートの女性は無表情だった。僕の方を見ようともしない。

 これから無関係になるだろう僕に、気を遣っているようにも見えた。

「それもまた今まで通りだろうな。おとなしく成仏する気が無いというなら、再び我々と敵対することになる。ドッペルゲンガーの件もあるので、今日この場でどうこうというつもりは無いが、何か変化がない限り、やがてそういう日もくるだろう」

「あたしに気を遣う必要はないわよぉ。瑞樹に関わったのはあたしの勝手、瑞樹は自分のことを第一に考えなさぁい。瑞樹が嫌だっていうなら、あたしはもう瑞樹には近づかない」

 やはり僕とは目を合わさず、心なしか暗い声で言ってくるコートの女性。

「私としてもそれを薦めるよ。昨日のような事はあったが、怪異狩りは我々だけでも順調に運んでいる。キミと口裂けの協力はたしかにありがたいが、無ければ無いでそれだけの事だ。今ならキミは、引き返せる」

 法頼さんの言うことはもっともだ。

 この街には魑魅魍魎が跋扈していて、それを狩り取るための戦いがあって、そして僕は、偶然にもそれに関わることになってしまったけど、だからって別に、よくある活劇みたいに、僕が必要とされているってワケじゃない。

 僕のするべきことは、今すぐ席を立ち、この事態から背を向けて、自分の家に帰る事。

 きっと誰も、僕を責めたりはしない。そもそもこのことは誰も知らない。仮に知っていたって、賢い判断だと判ってくれるハズだ。

「僕は――」

 だけど、

怪異ロアの事件に――」

 死者達が、姿を変えて溢れかえるこの怪奇に、

「協力したい――と、思います」

 関わりたいと思った。

「葛原クン!?」

 草条センパイが驚いたように声を上げる。

「あっ、アナタ、なに言ってるか分かってるんですか!? こんな異常事態に自分から関わるなんて!」

「いや、でも草条センパイも関わってるわけで――」

「わたしには理由があるんです! 葛原クンにはあるんですか!? ないですよね!?」

 ガーっと食ってかかる草条センパイ。

「いや、理由って言うほどでもないんだけど……」

「なんですか!?」

「えっと、このままだと草条センパイと口裂け女さん、戦うことになるんですよね……?」

 僕はコートの女性を見やる。

 マスク越しの顔は、驚いたような表情で固まっていた。

「僕としては、二人とも命の恩人みたいなものだから、その二人が喧嘩とかするのは、ちょっと嫌かなぁって」

「そんな理由で――」

「まぁ、待て智里」

 そのまま僕の首を締めにかかりそうな勢いの草条センパイの前に、法頼さんが割って入る。

「契約解除のタイミンクは自由だ。なにも今すぐに身を引かなければ、後が無くなるという話じゃない。ならばどうだろうか、今はとりあえずこちらに協力し、瑞樹が嫌になった時に解放する。口裂け、キミも最低限、瑞樹の意思を尊重するつもりはあるのだろう?」

「えっ、まぁ、それはモチロンよぉ……」

 面食らった表情のまま、こくこくとうなずくコートの女性。

「それなら話は簡単だな。瑞樹、キミがキミの意思で我々に協力するというなら、キミがキミの意思で戦いをやめるのも、また自由な話だ。ならば今の答えが永劫とは限らない。私は今の瑞樹の意思を尊重するよ」

「でも!」

「草条センパイ」

 僕は草条センパイに向けて、ゆっくりと告げる。

「この街で、僕の暮らしてる八鹿町で、今、大変な事が起きていて、それで僕に、手伝えることがある。それなら僕は、なにかしたいって思う」

「けど葛原クン――」

「自分に助けられることがあるなら迷わず助けなさいって、昔ある人に言われたんです。僕はその人の言葉を信じてるから……」

 その答えが、あまりにも真摯だったからだろうか。

 草条センパイはしばらく押し黙り、それから脅すような口調で一言、念を押すように口にした。

「……後悔、しますよ」

「そうかもしれない。でも、その時まではとりあえず――」

 スッと手を差し出す僕。

「よろしく、センパイ」

 その手を前にして、草条センパイはしばらく悩むように僕の手を見つめていたが、やがて目を逸らすと、長い髪でうつむいて顔を隠しながら、申し訳程度に指先を絡めてきた。




「それで、肝心なことなんだが」

 草条センパイと握手したまま、なんとなく止まっていたその場の時間が、法頼さんの声で再び動き出す。

 僕と草条センパイは慌てて手を離し、バタバタと互いに元の場所に戻った。

「口裂け、キミは瑞樹と共に、我々に協力することに異存はないか?」

 そう言えばそうだった。

 なんだか僕の事情だけで話が進んでたけど、コートの女性は別に、元々法頼さんたちの協力者ってワケじゃない。

 僕との契約続行を望んでるみたいだけど、それと怪異ロア狩りに協力するかは別問題だ。

 だけどコートの女性は、特に悩んだ様子もなく、法頼さんに即答した。

「構わないぁ。瑞樹の側にいることが、あたしの当面の目的だったわけだしぃ」

 甘ったるい声を出して、コートの女性が僕にしだれかかる。

 ロングコートでひっつかれるのだから、さぞかし暑いだろうと思いきや、女性の感触はヒンヤリとしていて、逆に心地よかった。

 ……そして何故か、草条センパイがすごい眼でこっちを睨んでいた。

 コートの女性を引き剥がしながら、僕は気になっていた事を聞いてみる。

「えっと……、ちょっと疑問なんですけど。口裂け女さん、なんで僕を助けてくれたんですか? それに、僕のことが気になるって、いったい……」

 話を聞く限り、コートの女性は他の怪異ロアみたいに人間を襲ったりはしないらしい。

 では怪異ロアでありながら、人間側の味方なのかというと、これも微妙に違う。もしそうなら、すでに法頼さんたちに協力していてもいいハズだ。

 この人には、この人の目的がある。

 そんな僕の質問に、コートの女性は別方向からツッコミを入れてきた。

「もおぉ、これからはお仲間さんなんだからぁ、そんな他人行儀な喋り方はやめてぇ。それと『口裂け女さん』ていうのもナシ。自分がそういうのだって自覚はあるけど、人から言われると傷つくわぁ」

「へっ!? あの――」

「あたしの事は、そうねぇ……。あのワンちゃんがジンなら――サキって呼んでぇ」

「えっ? ジンさんがって、どういうこと?」

「ジンは人面犬です。人面犬のジンです」

 僕の表情から疑問を察したのか、草条センパイが答える。

「ていうか人面犬!? えぇ!?」

「……怪異ロアはある程度なら姿を変えることができます。ドッペルゲンガーみたいに変幻自在とはいきませんけど、人型になる程度なら可能です。といっても、生前の姿との関連は無いみたいですが」

「はぁ……」

 うーん、まさかあのマッチョマンが人面犬とは……。どこにも犬の部分が無いと思うんだけど。

怪異ロアの種類にもよるが、ジンのように見た目で正体が判らない者というのも多くいる。相対する際には注意が必要だ」

 どこか的外れな忠告をしてくる法頼さん

「口裂け女だからサキかぁ……、えーと、じゃあよろしくお願いします、サキさん」

 先ほどと同じように、サキさんに手を差し出す僕。だけどサキさんはすぐには手を取らず、首を横に振りながらチッチッチッと指を動かした。

「さん付けは無しよぉ、敬語もダメ。あたしたちはこれからパートナーになるんだからぁ」

 にこにこと、それが怪現象の具現とは信じられない笑顔を浮かべるサキさん。

「……うん。じゃあ改めて、よろしく、サキ」

「よろしく瑞樹ぃ」

 僕の手を取り、子供みたいにブンブンと振り回すサキさ……サキ。

 その暖かい表情に、僕はどこか安心していた。

「ごほん……」

 僕たちの間に割り込むように、草条センパイがわざわざ声に出して咳払いをする。さっきとは逆のパターンだ。

「じゃあサキ、これからそう呼ばせて貰います。それから葛原クン、わたしもこれからはアナタのこと、瑞樹って呼びますから」

「えっ、別にいいけど、なんで急に……?」

「アナタのパートナーになるのはサキだけじゃありません、わたしもなんですから。だったらそうするのは当然だと思いますけど」

 つっけんどんな声で言ってくる草条センパイ。

 それなら、もう少しフレンドリーな調子でもいいと思うんですが。

「じゃあ、わかりました智里さん」

「っ!?」

 と、僕に名前を呼ばれて、智里さんがビクリと肩を震わせた。

「なっ、なんで急に名前なんですか!」

「いや、智里さんの言葉の通りなら、僕も名前で呼んだほうがいいかなぁと。といっても一応センパイなワケで、呼び捨てもなんだし……、嫌だったらやめるけど」

「べっ、別に嫌だなんて言ってません! ちょっと驚いただけです! どうぞ名前で呼んで結構ですっ!」

 真っ赤な顔をしてフンと横を向く智里さん。

 その様子を見て、サキがニヤニヤしながら口を開いた。

「あれぇ? 智里ぉ、もしかして」

「なっ、なんです!?」

「自分から言い出しておいて……、男の子から名前を呼ばれたこと、今まで無かったりするのぉ?」

「なっ……!」

 サキが立ち上がり、智里さんを正面から抱き締める。

「ちょっ、離れなさいサキ!」

「キッツイ子だと思ってたけど、意外とカワイイところもあるのねぇ」

 抱きしめるというよりは、正面から羽交い絞めにしているのに近い。

 なんとか無理やり振り払おうとする智里さんだったけど、怪異ロアの腕力相手ではそれもできないらしく、なんだかペットが暴れてるみたいな構図だ。

「そんなことよりサキ! 瑞樹に近づいた理由です! 今はその話をしてたハズです!」

 ジタバタともがきながら、智里さんがサキの腕の中で声を上げる。

 そういえば、元々それを聞いたんだっけ。

「簡単な話よぉ」

 智里さんを解放しながら、サキはなんでもないような感じで、

「あたし、生前の記憶が無いのよねぇ。他の怪異ロアはどうか知らないけど、あたしは気づいたら怪異ロアになってた。で、自分の正体を探すために、あたしは怪異としてここに居続けてるってワケ」

 と、衝撃的なことを口にした。

「ふむ。生前の記憶が無い怪異ロアというのは多いが、そういった連中は、そもそも自分が元々人間として『誰か』だったということすら覚えていない。サキの場合、そのことがわかる程度には記憶がある、ということか」

「そうなのよねぇ。多分、この街の出身なんだとは思うんだけど、それ以外はサッパリ。だから気になっちゃって」

「まって下さい、それが瑞樹となんの関係が?」

「あー、それはあたしにもよくわかんないんだけどぉ」

 サキの視線が、僕に移る。

「昨日、ドッペルゲンガーに襲われてる瑞樹を見て、こう、うまく言えないんだけど、なんとなぁく見覚えがあるような気がしてねぇ」

「……それじゃまさか!」

 僕は思わず声を上げてしまう。

「生前のサキは、僕と関わりのある人物だったかもしれないってこと……?」

「もしかしたら、だけどねぇ。そんなこんなで、あたしには元々人間だったって自覚が強くって、どうしても自分から人間を襲う気にはなれないのよぉ。それで昨日、ついに力尽きちゃったわけだけど。まぁ怪異ロアと戦うのは、弱ったあたしを狙ってくる連中とバトってるうちに慣れたけどねぇ」

 カラカラと笑いながら、あくまであっけらかんとした口調で話すサキ。

 けれどその境遇は、どんなに辛いものだったろうか。

 中途半端な意思のまま、突然怪異として投げ出され、記憶を求めて街をさまよう日々。

 徐々に弱っていく体で、それでも人を襲うことはできず、怪異ロアに獲物と見なされ追わける。

「とくにしつこかったのは智里とジンねぇ。こっちが連戦で弱ってるのをいいことに、親の仇みたいにつけまわして、ホント、死ぬかと思ったわぁ」

「……謝罪はしませんよ。アナタは怪異ロアで、わたしとジンはそれを滅ぼすために戦ってるんです。これはただの巡り合わせです」

 その中で僕と出会ったことは、サキにしてみれば、やっと見つけたチャンスだ。

「そして、僕と関わりのある死者……」

 僕がこの事件への介入を決めた理由。

 それは決して、智里さんに言ったような、正義感だとか使命感からくるものじゃない。

 もちろんそれだって嘘じゃないけれど、本当の理由は、もっと僕の個人的な、私欲からだった。

 法頼さんの説明で、僕が一番興味を持った部分。

 死者たちの霊が、怪談の姿を模して現れる。それはつまり、形は違えど、死者が甦っている、ということ。

 ならもしかしたら、もう一度会えるかもしれないのだ。僕は、あの人に。

「あたしにとって、瑞樹は唯一のヒントなのよぉ。だから瑞樹のこと、もっと知りたいわぁ」

 そして、生前の記憶が無く、だけど僕を知っているかもしれないというサキ。

 だから僕は、少し期待をしているのかもしれない……。

「これがぁ、あたしが瑞樹に近づいた理由」

 あの人と再会して、僕はいったいどうするのか。いったいどうしたいのか。それはワカラナイ。

 だから僕は、そのことを言えない。

 きっとこれは、すごく卑怯なことなのだと、わかっているのに……。




 法頼さんの所を出た頃には、時刻は八時を回っていた。

 外の空気は、まだまだの暖かい時間のハズなのに、なぜだか暑く感じない。

 幽霊が街に溢れてる、なんて話を聞いたからだろうか、だとしたら我ながら現金な感覚だ。

 ジンさんの車に送ってもらい、僕たちは帰路につく。

 意外というかなんというか、僕とサキが智里さんたちと共闘することに、ジンさんはなんというか、歓迎的だった。

「よかったよかった。智里にもやっと友達が出来たんだなぁ。コイツ、休日に全然携帯鳴らねぇし、それどころかそもそもメモリー十件も入ってないんだぜ? ちなみにラインナップは自宅、学校、親戚――」

「ジン!」

 そんなこんなで、今後の連絡のため智里さんの携帯番号をゲット。念のため、パスワードでロックして、簡単に見れないようにしておく。

 勝あたりに見つかったら、なにされるかわかったもんじゃないし……。

「じゃあ、詳しいことは明日決めましょう。今日はもう遅いですし」

 僕の家の前で、僕とサキを降ろし、智里さんたちは帰っていった。

「それじゃ瑞樹、明日からよろしくぅ」

 そういうと、サキはひらひらと手を振りながら、僕に背を向ける。僕も手を振ってそれを見送り――

「って、ちょっとまってサキ!」

「ん? なぁにぃ?」

「いや、なにっていうか……。その、サキ、これからどこ行くの?」

 というか、サキっていったい、どこに住んでるだろう? 口裂け女の住処なんて、どんな怪談にも出てこないしなぁ。

「うーん、どこって決めてはいないけど、駅の駐車場か役場の裏山か……」

「えっ!?」

「住む場所なんて無いしねぇ。怪異ロアの体って霊力衝突以外じゃ汚れたりしないから、こういうことには便利だわぁ」

「いや、そういう問題じゃなくて!」

 もしかしてサキ、怪異になってからずっと、そんなことをしてきたんだろうか。

 だとしたらダメだ。そんなのはダメだ。どんな理由があったって、女の人がそんな生活、するべきじゃない。

「サキ、来て!」

 僕はサキの腕を掴むと、自宅のドアまで引きずって行く。

「ちょ、ちょっと瑞樹ぃ!?」

「だめだよそんなの。そんな浮浪者みたいなこと」

「でも、あたしは怪異ロアで――」

「そんなの関係あるもんか。少なくとも僕にとってサキは恩人なんだから、野宿なんてさせられない」

 ずりずりと、抵抗するサキを引きずりながら、なんとか玄関の前まで連れてくる。

「けど、両親にどう説明する気よぉ。瑞樹、中学生でしょ?」

「あー、そのへんは問題無し。両親は揃って出張中、しばらくは帰ってこないから」

「……寂しくない?」

「寂しい。すごく寂しい。だからサキを家に入れる」

「あうぅ、これじゃ誘拐よおぉ」




 まぁ、そんなわけで、ついサキを家に入れてしまったワケなのですが……。

 無人の家に女の人を連れ込むって、これはなんというか、男として最低なんじゃないだろうか、とか。両親に申し訳がたたない、とか。そういうことのような気がしてきた僕は、今更ながらに緊張してきた。

 サキといえば、家に入ってしまった以上どうでもよくなったのか、家中を探検しながらはしゃいでいた。

「人の家の中なんて、怪異ロアになってから初めて入ったわぁ」

 まぁ、なんか嬉しそうだから良しとしよう。僕が変な気を起こさなければいいだけだ、うん。

 努めて冷静でいようと決心した僕だったが、その次にサキのとった行動には、さすがに驚かずにはいられなかった。

「それにしても暑いわねぇ。瑞樹ぃ、クーラーつけましょぉ」

 言いながら、サキは着ていたコートを、口裂け女の象徴とも言える真っ赤なコートを、あっさりと脱ぎ捨てた。

「えっ、それって脱げるの……?」

 コートの下の格好は、ティーシャツにジーンズと、なんだか至極普通な夏の格好である。

「んー? そりゃ脱げるわよぉ。智里も言ってたけど、怪異はある程度なら姿を変えられる。流石に普段からこんな暑苦しくて目立つ格好はしないわぁ」

 喋りつつ、口にしていたマスクも取り払う。

「だから口も……、この通り」

 こちらに笑顔を向けるサキ。

 その口は、いつかみた時みたいな、耳まで裂けた真っ赤な穴ではなく、薄くて小さくて、そんなとても綺麗な唇だった。

 口だけじゃない。あらためて見るサキの顔。少し垂れがちな大きな瞳に、女性らしい柔らかな輪郭。これも怪談の成せる業か、その全てが、病的なぐらいに美しい。

 間近で見るサキは、思っていたよりも、ずいぶんと若く見えた。

 僕よりも二つか三つ上ぐらいか、二十歳には届いていなそうな感じ。たったそれだけのことが、彼女の美しさを身近なもののように感じさせて……。

「どしたの瑞樹ぃ? 顔赤いわよぉ?」

「なっ、なんでもアリマセン!」

バタバタと慌てながら、僕はサキから離れる。

「んー?」

「なんでないから! そっ、それよりサキ、お腹空いてない!? 昼からなにも食べて無いし、そろそろ夕飯の時間――」

「あー、怪異ロアって食事しなくていいのよぉ。というか怪異ロアの食事は霊力だから、瑞樹と契約したあたしは、外から栄養をとる必要が無いのぉ」

 完全体よぉ、とサキがおどけて見せる。

「食事と言えば、瑞樹ぃ、契約の時はゴメンねぇ」

「えっ? なんのこと?」

「あたしと契約した時、瑞樹ブッ倒れちゃったじゃない。覚えてない?」

 言われて思い出す。

 たしかサキと契約した途端、なんか体が二つになったような感覚がして、それでそのまま意識を失ったような覚えがある。

「あれってぇ、ちょっと言いにくいんだけどぉ……」

「?」

「なんていうかぁ……、瑞樹、死んじゃったのよねぇ」

「……はい?」

 なにか今、とんでもないことを言われたような気が。

「あたしの霊力がほとんどカラッポで、んで、それを一気に元通りにしようとしたから、今度は瑞樹のほうの霊力が無くなっちゃって……」

「それって、その、ヤバイんじゃあ?」

「ヤバかったわねぇ。慌てて霊力を戻したんだけど生き返らなくって、その場で救命活動よぉ。人工呼吸とか」

「人工呼吸!?」

 それって、口と口でのアレですか!?

「いっ、いったい誰が!?」

「ジン」

「げっ……」

 死刑宣告を受けた気がした。というか殺してくれって感じだった。

 まぁ、あの中じゃ一番肺活量ありそうだし、他の人は女の子だし、適切な選択をすれば、そういう結果になるワケで……。

「瑞樹ぃ、死にそうな顔してるわよぉ」

怪異ロアの事件が、こんなに恐ろしいものだったなんて……」

 心が挫け、ガクリと倒れこむ僕。

 少年には辛過ぎる現実だった。

「冗談だったんだけど、刺激が強すぎたかしらぁ」

 サキの声が、ずいぶん遠くに聞こえた気がした。




 そして夜。

 サキには両親の部屋を使ってもらう事にし(怪異ロアからの護衛のため、僕と同じ部屋で寝るとサキはいい張ったが、その目があきらかに笑っていたので却下した)それぞれに就寝。

 電気を消してベットに入り、布団に包まる。

昨日からの慌ただしい事態に、僕はようやく一息ついた気がした。

怪異ロアの事件……」

 あらためて、この事態について考えてみる。

 霊道から溢れだした死者の霊たちが、怪談を模した怪異となって具現する。

 話から成り立つ逆接怪現象。

 それを始末して周る知里さんとジンさん。

 怪異となって記憶を失い、自分の正体を探すサキ。

 そのサキと共に、怪異ロアと戦うことを決めた僕。

 けど僕の目的は、怪異ロアの沈静化なんかではなくて……。

怪異ロア……、実態を持った怪談の跋扈……」

 明日からは、サキと一緒に怪異と戦う日々が待っている。

 僕を襲った怪異ロア『ドッペルゲンガー』と『彷徨う焼死体』は、いずれも怪異の呼び名に相応しい、不気味な存在だった。

 そんな連中を、僕はこれから探し続けるのだ、連続で。

 ふと、部屋の暗闇が怖くなる。

 なにもないと分かっているのに、明かりを付けたくなる衝動。

 例えばホラー映画か何かを見て、見ているその時はちっとも怖くないのに、後から思い出して無性に恐ろしくなるような、そんな根拠の無い恐怖。

 正確には暗闇が怖いわけじゃない。暗闇の中に何か潜んでいるのではとか、そういうことを疑ってしまうわけじぉない。

 暗闇はスイッチだ。忘れていたハズの怪奇の光景が、想像の中で繰り返される。

 いつしか怪物に襲われる映画の主人公は自分になり、どうすれば助かるのか、どうすれば逃げられるのか、そんなことを必死になって考えてしまう、そんな無意味な恐怖。

 誰でもそうなのか。それともこんな怖がりは僕だけなのか。そんな意気地なしは御免だと、なんとか勇気を出して追い払おうとする。だけど恐怖は拭えない。明かりを付けたって、きっと拭えない。恐怖は暗闇の中じゃなくて、自分の頭の中にあるんだから。

「口裂け女の怪異ロア、サキ……」

 彼女のことを思い出す。

 今、僕の家にいる、正真正銘の怪現象。

 不思議なことに、僕は今まで一度も、サキを怖いと思ったことがなかった。

 真夏の夕焼けに、その空よりも真っ赤なコートを着て現れたサキ。

 口裂け女。

 整形手術の失敗だとか、交通事故の後遺症だとか、そのことで気が狂った奇人であるとか、その怨念が生み出した悪霊であるとか、口裂け女の誕生については、諸説いろいろある。

 だいたいにおいて共通するのは、赤いコートを着て白いマスクを付けていていること。

 そして、マスクを取りながら「ワタシキレイ?」と聞き、その質問の是非に関わらず、同様の口にされて殺されるという、その結末。

 僕は、その瞬間を見ている。

 サキの怪異ロアとしての正体。残虐な切り裂き魔としての一面。容赦の無い刃が、僕と同じ姿のモノを引き裂く場面を見ている。

 それなのに、彼女は怖くない。

 その声が、どこかあの人に似ていたからか。

 その声が、僕を傷つけるものではないと、そう思ったからなのか……。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 その人の名前は、カシマレイコと言った。

 壊れた鍵を握りしめたまま、何も言えない僕に対して、彼女が最初にしたのは自己紹介だった。

「あたしの名前はカシマレイコ。アナタの名前、教えて欲しいなぁ」

 彼女にしてみれば、泣いている僕を落ち着けるための手段だったんだろう。

 それに対して僕と言えば、人から名前を聞かれるなんてこと自体が久々で、逆にさらに慌ててしまい、名前一つ言うのに、ずいぶんと手間取ってしまった。

 自分の名前を告げる僕の声は、きっとすごく小さくて、たどたどしくて、とても聞きづらかったと思う。

 でも彼女は、そんな僕の言葉を、僕の名前を、ちゃんと聞いてくれた。

「そう、ミズキって言うんだ。かわいい名前ねぇ」

 当時の僕は、女の子みたいな自分の名前が、それが原因でからかわれたりすることもあって、あまり好きではなかった。

 だけど、彼女の優しい声で呼ばれると、暖かいような、安心するような、そんな気分になる。

 人に名前を呼ばれることがどういうことなのか、僕はこのとき、初めて知ったんだと思う。

 夜になり、母親が戻ると、彼女はすぐに帰って行ってしまった。

「じゃあね瑞樹ぃ、もう鍵を壊されないよう、頑張るのよぉ」

 そういって、再開の約束もしないまま、彼女は夜の闇へと消えて言った。

僕は彼女に、さよならすら言えなかった。

 次の日から僕は、家に帰ってもすぐにドアを開けず、玄関の前にしばらく座りこむようになった。

 偶然の出会いだとはわかっていた。きっともう、二度と会えることはないだろうと、子供の僕にも、それはちゃんとわかっていた。

 ただ、ほんの少しだけ。もしかしたら、もしかしたらと、そう思って……。

「あら瑞樹じゃない。どうしたのぉ? また鍵が壊れちゃったぁ?」

 だから、玄関の前に座り込むようになって数日、再び僕の前に彼女が現れたときは、心から神様に感謝した……。

 これからも会いたいという僕の願いを、彼女は聞いてくれて、それから僕たちは、一緒にいることが多くなった。

 彼女がどんなつもりで僕と一緒にいてくれたのか、ただ純粋に子供が好きだったのか、それとも一人きりの子供放ってはおけなかった保護欲なのか、あるいは内心鬱陶しいと思いながらも、一度関わってしまったからの義務感だったのか、それは今でもわからない。

 ただこの時の僕は、彼女と一緒にいられることが、優しい人と一緒にいられることが、嬉しくて、嬉しくて……。

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