第一談 口裂け女




 一度入ると抜け出せない呪われたトンネル。

 火事で焼け落ちた病院跡。

 地図から消された殺人鬼の村。

 神霊スポットというのは多々あるけれど、僕、葛原瑞樹の住む八鹿町やしかちょうは、その最たるもの一つじゃないだろうか。

 とにかくこの街には、神霊スポットと呼ばれる場所がたくさんあった。

 座敷童子の出る旅館。

 スピード違反の車を追い抜く首無しライダー。

 役所の裏の池に、河童がでるなんて話もあったかな。

 そんなわけで、テレビやインターネットでも八鹿町やしかちょうは話題になり、毎年七月から八月、ちょうど今頃の時期になると、ホラー番組の記者やら、肝試しにやってくる街外の若者が殺到する。

 なんでも世間じゃ「妖怪町」だなんて呼ばれているとか。

 そんな八鹿町の住人たる僕だから、幽霊の一匹や二匹、見たことがあってもよさそうなものだけど、あいにくと僕は霊感というヤツがさっぱりで、今まで一度も、その手のモノに遭遇したためしがない。

 それになにより、中学二年生の僕たちは、幽霊よりももっと興味のあるトピックがいっぱいあるのだった。

 すなわち、

「聞いたか瑞樹。草条センパイ、また大人の男と一緒にいたんだってよ」

「大人の男って、例のガテン系のマッチョマン?」

「そうそうソレソレ。隣のクラスの木原が見かけたらしいんだけど、昨日の夜、西口通りを、二人っきりで歩いてたんだってさ!」

「西口通りって、どんなとこだっけ?」

「バカ! ホテル街だよホテル街! あー、麗しの草条センパイ、マッチョマンといったいなにを・・・・・・」

 と、こんな感じである。

 まぁ、盛り上がってるのはコイツ、僕の悪友、結城勝だけなんだけど。

 八鹿第二中学校(ちなみにここも、戦時中の疎開時、宿泊者たちが空襲で焼け死に、その時の霊が校舎を這い回ってるなんて噂がある)、2年A組教室。

 休み時間の僕たちは、近頃噂になっている草条先輩の「お付き合い」してる人について話していた。

 草条センパイ。

 フルネーム、草条智里。

 三年C組。出席番号十二番。

 意思の強そうな感じの釣り目と、長くてキレイな髪が特徴な、学校中の男子生徒が認める美少女。いわやる『注目の彼女』ってヤツだ。

 全校男子の四分の一がセンパイにアタックし、その全てを撃墜したというのは、この学校の生徒なら誰もが知ってる都市伝説である。

 その草条センパイ、なんでも最近、校外で二十台前半くらいの背の高いマッチョな男と歩いてるところが、頻繁に目撃されているらしい。

 で、この衝撃のゴシップが、八鹿二中の男子生徒一同に波紋を呼ばないハズもなく、皆あの手この手で、その秘密を探ろうとしているのだけど、真相は未だに不明。

 同学年の生徒が、草条センパイ本人に直接聞いたところ、帰ってきた答えが「アナタには関係ありません」と、袈裟切り一刀両断。

 その知名度のわりに、草条センパイは校内に親しいトモダチというのがいないらしく、調査は暗礁に乗り上げているのだった。

「はぁ・・・・・・。やっぱアレかねぇ? 女ってのは、年上のワイルドマンに憧れるモンなのかねぇ?」

「さぁ、知らないけど。ところで勝、ちょっと気になるんだけどさ」

「ん? なんだよ」

「その木原ってヤツは、どうしてそんなところにいたのかな?」

「なっ! まさかあのヤロウ!?」

 叫び声をあげて、勝は廊下に飛び出して行った。

 元気だよなぁ、あいつ・・・・・・。

 勝含め、多くの男子生徒が盛り上がってる草条センパイの話だけれど、実を言えば、僕はあまりハマってはいなかった。

 同じ校内の人といっても、僕は草条センパイと一言だって口を聞いたことが無いし、それどころか、多分半径5メートル以内に近づいたことすらないだろう。

 たしかに綺麗な人だなぁとは思うし、十分魅力的な人だとは思うんだけど。なんというか、それだけというか。テレビの中の芸能人を見ているような感じで。

 あーでも、中には芸能人に本気で惚れちゃう人とかいるらしいし。それは関係ないのかなぁ。

 どうも僕には、女の人を好きになるって気持ちがわからない・・・・・・。




「よかったよ。木原のヤツ、ただ西口のゲーセンに行っただけだとよ。まったく、先を子されたかと思ったぜ・・・・・・」

 放課後。

 あのあと木原とかいうヤツを締め上げて教室に戻ってきた勝は、それ以来この話を延々と続けていた。

「そんなに安心しなくても。ていうか、そんなに焦ることかなぁ?」

「オマエねぇ。都会のほうじゃ小学生でも・・・・・、って話だぜ? もっと危機感を持て! 俺達は遅れてるんだぞ!」

「でも、クラスの中で誰かがしたなんて話、聞いた事ないし・・・・・・」

「いいやわからんね! 隠してる可能性がある! 長谷川と村田、たしか今月で付きあって四ヶ月だよな。そろそろ何かあってもおかしくない!」

「はぁ・・・・・・」

 勝がモテない理由は、多分コレだ。

 こういう話を教室とかで大声で話したりすることが、女の子たちの反感を買ってるんだと思う。

 顔だって決して悪いわけじゃないし、ちょっと下ネタを控えれば、こういう明るいタイプは人気があるんじゃないだろうか?

「くそぉ、俺の春はいつ訪れるんだぁ」

「まぁまぁ。いいじゃん、そういうのは大人になってからでも」

「ノン気に構えやがって……。見てろ瑞樹、オレのほうが先に卒業したら、広辞苑よりブ厚い感想文を書き綴ってやるからな! 徹夜で読めよ!」

 自ら大声で春とやらを遠ざける勝。

「はいはい……。僕はもう帰るからね。今日はちょっと寄りたいところもあるし」

「おー帰れ帰れ。欲望の枯れた少年ほど寂しいものは無いな」

 勝をてきとうにあしらうと、僕は教室を出た。

 ちなみに勝は部活。新聞部というキャラに似合わない文科系の部に所属している。

 まぁ、入部動機が草条センパイのパパラッチだって言うんだから、キャラにはピッタリなんだけど・・・・・・。

 校門をくぐり、外に出る。

 そういえば、門をくぐるとは言うけれど、うちの校門はアーチがかかってるワケじゃないし、くぐるってのはおかしいよなぁ。

 などと、どうでもいいことを考えながら、僕は歩く――帰り道とは違う方向に。

 勝に言った寄りたい所があるというのは、アイツを追っ払うためのデマカセではなかった。

 べつに用事があるわけじゃない。

 誰かに行けと言われたわけでもない。

 もしかしたら、行かないほうがいいのかもしれない。

 それでも僕は、数日に一回、どうしてもその場所に足を運んでしまう。

 大事なものを無くした場所。

 大切な人がいなくなった、あの場所……。




 カンカンカンカン……。

 独特の警告音を鳴らしながら遮断機が下りると、これまた独特のプアーンという音を立てて、電車が通り過ぎていく。

 踏み切り。

 繁華街から離れた、草原と道路が一体化しているような所にある、ランプの錆びた踏切が、僕の目的地だった。

 ここは学校からもだいぶ離れていて、僕が到着する頃には、ずいぶんと時間がたっており、空は夕焼けに包まれて真っ赤になっていた、

 この季節の夕焼けは珍しい。

 近くで子供が、空を見てはしゃいでいる。

 でも僕は、夏の夕焼けが苦手だった。

 そう、確かあの時も、こんな夕焼けだったんだ。

 赤い空。

 赤く染まる街。

 赤く染まる僕。

 赤く染まる――。

 

 カンカンカンカン。

 再び踏み切りが下りる。 

 カンカンカンカン。

 音をたてて電車が走る。

 カンカンカンカン。 

 電車が通り過ぎて。

 カンカンカン・・・・・・。

 警報機の音が鳴り止むと。


――僕の世界から音が消えた。


 えっ? あれ? えっ?

 なんで、何も、聞こえないんだ?

 大声ではしゃいでた子供たちはどこに行った?

 いくら繁華街から離れてるからって、ここだって人が暮らしてる場所だぞ。どうして何の喧騒も聞こえないんだ?

 いやいや、それよりなにより、今は真夏だ。どうしてセミの声が聞こえない? 

 いつもは意識の外にて、聞こえてても聞こえないセミの鳴き声。

でもだからって、それがこんなに耳を澄ましても聞こえないなんて、絶対におかしい!

 耳がおかしくなったのかと、僕は慌てて自分の耳を手で押さえる。

 手のひらが耳に擦れる音が聞こえた、たったそれだけのことに、僕はものすごくホッとして、それからすぐに不安になる。

 音が、音が……。

「どうしたの、ずいぶん怯えた顔をしてるよ?」

 無音の世界で、突然、後ろから声をかけられる。

 体が震えるのが、まるで違う場所から自分を見ているみたいハッキリとわかった。

 跳ねる様にして振り返る。

 そこには、僕と同じ制服姿の少年が、ニヤニヤといやらしく笑っていた。

 なんだ、コイツ・・・・・・?

 僕は音がなくなった瞬間、何事かと辺りを見回したハズだ。

 右も、左も、もちろん後ろも。

 だから言える。

 こんなヤツ、一瞬前まで絶対にいなかった!

「もーしもーし、なんか喋ってよ。あーやだなぁ、みんな同じリアクション。最初のころは面白かったけどさぁ、いい加減ちょっと飽きちゃうな」

「おっ、おまえは――」

 突然現れた異質な少年。

 けれど僕は、この少年を、どこかで見た事があるような・・・・・・。

「あっ、もしかして僕が誰だかわかってない? 人間ってさぁ、自分と同じ顔をしたヤツが目の前に現れても、それを自分の顔だと、すぐには認識できないんだってさ。鏡の顔は左右反対だし、写真はリアルタイムじゃない。だから自分の顔を、正真正銘本当に知ってる人ってのは、実際ほとんどいないんだって。でも、最近はビデオカメラなんかも発達してるから、そのへんイロイロやれば、見ることもできるかもね」

 ああ、そうだ。

 コイツは、この少年は・・・・・・。

「自己紹介しようか。はじめまして、僕は葛原瑞樹です」

 コイツは、僕だ。

 この少年は、僕と同じ姿をしている。

 顔も、髪型も、制服のシワですら、まったく同じ。

「ほらほら、僕はちゃんと自己紹介したよ? キミも自己紹介してよ。簡単なことさ、べつに恥ずかしい秘密が聞きたいんじゃない。ただ、名前を教えてくれるだけでいいんだ。ほら、言ってごらんよ。僕は葛原瑞樹です、てさ」

 ギャハハハと、『僕』が下品な声で笑う。

 その様子を前に、僕は凍りついたようにして、ただ黙っているしかできなかった。

「それにしてもさ」

 ひとしきり笑い終えた『僕』が、僕の横をすり抜けて、踏み切りの方へと向きやった。

 ハリガネで引っ張られるような感覚で、僕は『僕』の姿を追う。

「こんなところにきて、いったいどうしたいの? なにをするわけでもないのに飽きもせず、何年も何年も、あの日以来さ」

「なっ、なんで――」

「なんで知ってるのかって? そりゃあ知ってるさ、僕は葛原瑞樹なんだから。キミの記憶は僕の記憶だよ」

「ヘンなこと言わないでよ! 葛原瑞樹は僕だ!」

「もちろんそうだよ。キミが僕で、僕がキミなんだ。だから知ってる。キミがここで、大切なあの人を――」

 やめろ

「いつも自分を守ってくれたあの人を」

 それだけは。

「ずっと一緒にいてくれたあの人を」

 そのことだけは。

「とても優しかったあの人を」

あの人のことだけは。


「キミが――殺したことをね」

 

「あっ、ああ・・・・・・」

 僕はその場にうずくまる。

 体が吹雪の中にいるみたいにガタガタと震える。

 呼吸が詰まる。息ができない。

 無理に吸い込もうとして、大きく咳き込む。

「違う、違うんだ・・・・・・。あれは違う」

「違わないよ。キミである僕がそうだと思ってるんだから。それはつまり、キミがそうだと認めている証拠」

 いつのまにか『僕』は近づいてきていて、僕の耳元で囁くように、言葉を続けた。

「あの時、手を離したのはキミだ。あの時、彼女に背を向けて逃げだしたのはキミだ」

「だってしょうがなかったんだ・・・・・・。僕には何もできなかったんだ・・・・・・」

「そんなのは別問題。大事なのは、キミが彼女を見捨てたってこと。本当は自分でもわかってるんだろう? えぇ!?」

 『僕』が僕の髪を鷲掴みにし、強引を上を向かせる。

 空には雲一つなく、ただただ真っ赤な夕焼け。

 あの日と同じ。

 あの日と同じ、真っ赤な・・・・・・。

「見えるだろう? 真っ赤な空が。街全部が燃えるみたいな、赤い赤い夕焼けが。こんな空の日だ。今日と同じ、こんな空の日にキミは――」

「そいつの言葉に、耳を貸してはいけない」

 唐突に、『僕』の言葉を、別の誰かが遮る。

「ソレはアナタじゃないわぁ。アナタは今ここにいるアナタ一人。気をしっかりと持ちなさい」

 どこか間延びするような女性の声。

 妖艶で、けれど不思議と優しくて、そしてとても力強い声。

 どこかあの人に似ているような、そんな声。

「ソレはただの悪魔。人間の姿を真似るのが好きな、醜悪なバケモノよぉ」

 自分の声だけが聞こえる空間に、他の誰かの声が聞こえたことがよかったのか、僕の意識は『僕』から解放されたような気がした。

「ずいぶんと、酷いことを言ってくれるね……」

 『僕』の声のトーンが一気に下がる。

 それから、引っ掴んでいた僕の頭を投げ捨てるようにして突き放した。

「うっ、うわぁっ」

 慌てて後ずさり、僕は『僕』から離れる。

 あらためてソイツの姿見ると、僕はもう、ソレが自分にそっくりだとは、ちっとも思えなくなっていた。

 姿形が同じでも、コイツと僕は全然違う。

 それどこらか、まとっている空気からして異質。

 あえて言葉にするなら、

「よくも邪魔してくれたね。せっかくいい霊力を持った人間を見つけたっていうのに」

 『僕』、いや、僕の姿をした人外が、声の聞こえたほうへと顔を向ける。

 それに釣られるようにして、ようやく僕は、僕を助けた声の主の姿を見た。

 まず目に付いたのは、彼女の全身を包む、夕焼けよりもさらに真っ赤なロングコート。

 夕暮れとはいえ、夏の灼熱の陽気の中、その人は顔色一つ、そんな季節感のカケラも無いものを見にまとっている。

 顔色といっても、実際のところ僕には、彼女の表情がよく見えていなかった。というのも、彼女の顔の口元には、病気の人がするような、真っ白なマスクが掛けられていたからだ。

 上半分の顔だけで言うなら、彼女は驚くほどに美しかった。見ているだけで射抜かれてしまうような切れ長の目。病的なまでに白い肌。コートの肩口にかかる赤みの入った髪。

 赤い美人。

 一度は解放された僕の意識が、一目でその人に魅入られる。

「こんなところで会うなんて、思いもしなかったわぁ。ねぇ、神出鬼没の『ドッペルゲンガー』さん」

「それは僕も同じだよ。赤い惨殺魔『口裂け女』」

「物騒な呼びかたはやめてくれなぁい? あたし、アナタたちと違って、人間を殺したりなんてしないわぁ」

「ああ、もちろん知ってるとも。キミは怪異の中じゃ有名人だからね。口裂け女は人間を襲わない腰抜け切り裂きジャックだって。おっと、女性にジャックは失礼かな?」

「ノストラダムス並に失礼よ。お望みならそのフザけたお口、今から引き裂いてあげようかしらぁ?」

「遠慮しておくよ。せっかく愛らしい少年の姿になったんだ。噂に聞く口裂け女みたいに・・・・・・、ガマガエルのような口にはなりたくないからね!」

「悪口がヘタねぇ。もっと口喧嘩の強い人間に変身したほうがいいんじゃないのぉ? ほら、世の中にそういうオバサン、たくさんいるじゃなぁい」

「それもいいかもね。でもやっぱりこのままでいいよ。だって僕がしたいのは口喧嘩なんかじゃないから」

 突然、わけのわからないことを喋り始める両者。

 口裂け女にドッペルゲンガー? 

 いったい、なにを言ってるんだ?

「僕がしたいのは食事。同じ口でも、喧嘩に使うつもりはないよ」

「それはあたしも同じ。でもぉ、あたしが食べたいのはアナタ。あたしの大きなお口で、マルカジリにしてあげる」

「僕もキミが食べたくなったよ。この少年に噂の口裂け女。今日はパーティーだ! 馳走が二つもある!」

 ドッペルゲンガーと呼ばれた少年の手に、どこから取り出したのか、豚をそのまま解体できそうな、バカでかい包丁が握られる。

 対する口裂け女と呼ばれた女性の手の中にも、少年の包丁同様に物騒な刃物。やたらと刃の長い草刈り鎌が、これまたいつのまにか握られていた。

 ああ、わからない。

 目の前の光景が、何一つ理解できない。

 わからない、わからないけれど。

「葛原瑞樹くんって言ったっけ? 悪いんだけど、ちょぉっと危ないから離れててねぇ。あーでも、できれば離れてても逃げないでいてくれるかなぁ。ドッペルゲンガーって、変身した相手の所に移動できるって能力があるらしいのよねぇ。途中でワープされて逃げられちゃったら、キミが危ないのよぉ」

 それでもわかるのは、この赤い女の人が、僕の味方だってことだ。

 言われたとおり、僕がその場から見えなくならない程度に距離を取ると、女性と少年は互いの獲物を構え、真正面から斬り合いを始めた。

「引き裂いてあげるわぁ、!」

「その姿も頂こうかな、!」

 ギンギンギン、と、時代劇かアクション映画でしか聞いたことのないような音を立てて、二つの刃物がぶつかり合う。

 なにかで聞いた話だと、実際に刃物が衝突しても、ああいった派手な音はしないらしい。

 じゃあ、僕が聞いているこの音はなんなのか。

 それは刃物がこすれる音。

 高速で触れ合う刃が、火花を散らし、互いの刀身を擦り、削りあう音。

 それが連続で繰り返され、幾十にも重なり合って響くから、うそっぱちの音を、本当に鳴らしているのだ。

 それほどに、女性と少年の剣戟は凄まじい。

 音がブラウン官の中のものなら、動きはそれ以上に活劇染みている。

 どうやればそこまで速く動けるのか。

 振られる刃が、秒の十倍はあるかのような連続動作。

 人知を超えた戦いが、僕の前で繰り広げられ、そして、その超人的な打ち合いは――女性の方が押されていた。

「僕は幸運に思うよ、今ここでキミに会えたことをね!」

「なっ、なにがいいたいのかしらぁ・・・・・・!」

「キミはどうしてか人間を襲わない。だから霊力の補充には怪異を倒すしかない。だけどそれだけじゃ、一人っきりの怪異は保つわけがない。どうして今まで生きていられたのか……。外見を取り繕っていても僕にはわかる、キミの霊気はスカスカだ!」

 大振りに放った少年の一撃が、女性の鎌と激突する。

 刃は受け止めても衝撃までは殺せなかったのか、女性は大きく吹き飛ばされ、地面に膝を着く。

 余裕を感じたのか、少年は包丁をブラさげるようにして構えると、ゆっくりと女性に近づいていく。

「やってくれるわねぇ……」

「ねぇ、なんだってこんな場面に出てきたんだい? 実際キミ、満身創痍も同然じゃないか。ほうっておけば、僕はキミに気づかなかったのに」

「アンタには、関係ないわぁ……!」

「ヒロイズム? それともこの少年が好みだった? まぁ、なんだっていいけどさ。人間を狩らない不思議な怪異口裂け女。なにか厄介がおきる前に始末できる! それが僕の幸運だ!」

 少年の斬撃が、再び女性を襲う。

 さっきまでとは状況が違う。膝を着いた女性を上から狙う形である。

 今はなんとか受け止めているが、女性が殺されるのは、時間の問題に思えた。

「死ね! そのマスクの下の口、縦に引き裂いて十字にしてやる!」

「くっ!」

 っていうか。

 これ、もしかしてヤバイんじゃないか!?

 誰がどう見ても、これは傷害事件の真っ最中ってヤツだ。いや、数秒後には殺人事件に発展しかねない。

 そうだ、警察!

 でも、この近くに交番なんてあったっけ。あぁ、でも今からで間に合うのか。

 それに女性は、僕にこの場から離れるなと言っていた気がする。けれど、そんなことを言っている場合じゃないのかもしれないけど。

 とにかく、彼女を助けないと!

 彼女は僕を助けてくれた、それを放ってなんていけない。

 一瞬、あの思い出が頭の中で瞬く。

 それを強引に振り払うようにして、僕は決意を固めた。

 ここには僕しかいないんだ・・・・・・、なら!

「見つけました!」

「えっ!?」

 今まさに駆け出さんとする僕の耳に、突如、横から声が割り込んでは来た。

 狙ったとしか思えないような絶妙なタイミングに出鼻をくじかれ、僕は思わず声のしたほうに振り向く。

 こちらに向かって走ってくる髪の長い少女と、体格のいい男性。

 この組み合わせ、どこかで聞いたような・・・・・・。

 よく見れば、少女の方は僕の通う八鹿二中の制服を着ている。あれってもしかして、草条センパイ!?

 僕が不思議に思う間もなく、少女はこちらにやってくると、いきなり僕の肩をひっつかんだ。

「アナタ八鹿やしかの生徒ですよね!? この状況、どうなってるんですか!? なんで口裂け女が、あなたと同じ姿の人と戦ってるんですか!」

 至近距離で僕を睨みつけながら詰問してきたのは、紛れもなく『噂の彼女』草条センパイだった。

「えっ? なんで草条センパイがこんなところに・・・・・・」

「なんではこっちの台詞です! あっちのアナタは怪異ですよね!? なんでアナタと同じ姿なんです。あなた、アレの怪主なんですか!?」

 草条センパイは、ハッキリ言って血相を変えていた。この人のこんな姿は始めてだ。

 そんな表情とはいえ、こうして目の前に顔があると、学校中の男子が熱を上げる理由もわかる気がする。

 しかし、どんなに顔がかわいいことがわかっても、言ってることはサッパリだ。

「しっ、知りませんよ。突然僕と同じ姿をしたヤツがやってきて、その後あの赤い女の人が現れて、それで、急に戦いだしたんですから!」

「はいっ!? 知らないってなんです! アナタここにいたんでしょ!?」

 なんとかわかる範囲で事情を説明するが、僕の答えでは草条センパイを納得させるには不十分だったらしい。

 たて続けにまくしたてる草条センパイを、センパイの後ろにいた男性が制する。

「落ち着け智里。状況はよくわかんねぇけど、あっちの口裂けとやりあってるの、多分ドッペルゲンガーだぜ」

 言いながら、少々乱暴の手付きで草条センパイと僕を引き離す男性。

 近くに立たれると、そうとうに大きい人だということがわかる。百九十近くあるかもしれない。

 筋骨隆々の体に、タンクトップとブカブカのズボン。どこかの工事現場にでもいそうな出で立ちだ。見上げるようにして顔を眺めると、歳は思ったよりも若そうで、二十台の前半くらいだろうか。短髪の軽薄そうな、だが作りのいい顔立ちが、マッチョな体には、どこかアンバランスに見えた。

 この人が噂になっている、草条センパイの彼氏だろうか・・・・・・。

「この少年と同じ姿ってことは、おそらくドッペルの野郎、コイツを襲ったんだろう。で、その現場に口裂けが遭遇、どういうつもりかは知らないが、口裂けはコイツを助けてドッペルと戦闘開始。だいたいこんなところだろ」

 男の言っていることがだいたい当たっている気がしたので、僕はブンブンと首を縦に振った。

「だがどうする智里、俺たちゃ口裂けの方を追ってきたんだぜ? それで見つけたはいいが、ドッペルなんてとんでもないオマケ付きだ」

「両方とも始末する自信は?」

「まぁ……、まず無理だろうな。弱ってる口裂けだけならともかく、ドッペルゲンガーはトップクラスの怪異だ。俺もここにくるまでに結構霊力を使っちまってるし、なにより準備が足りなすぎる」

「あっ、あの!」

 なにやら話し込み始めた草条センパイと男性に、僕は思い切って声をかける」

「なんとかして、あの赤い女の人を助けられませんか!? あの人、僕を助けてくれたんです、ですから、なんとかしたい!」

 主に男の方に向けて訴えかける。

 この人ならガタイもいいし、なんとか戦ってる二人をとめられるかもしれない。

 そうこうしているうちにも、赤い女性はどんどんと押されていた。

 少年が連続で振り下ろす包丁を、なんとかギリギリで捌いているけど、着ているコートにはいくつも穴が開き、その下には、コートと同じ赤い血が滲んでいる。

「わかりました」

 焦る僕に返事をしたのは、男の方ではなく、草条センパイだった。

「やりますよ、ジン。口裂け女がドッペルゲンガーに変わっただけです。ここで怪異を始末します」

 草条センパイの言葉に、男――ジンと呼ばれた、愛称だろうか?――は呆れたように言い返す。

「おいおい、正気か智里? まぁオマエがやれって言うならやるけど、正直言って勝てる気はしないぜ」

「わたしたちだけじゃありません。そこのアナタ。アナタにも協力してもらいます」

 言いながら、僕を指差す草条センパイ。

「アナタには、口裂け女の主になってもらいます」

「なにぃ?」

 この発言に驚いたのは、僕ではジンさんのほうだった。

「また大胆な方法だなぁ。いいのか? 今日まで口裂けを倒すためにやってきたことが、全部パァになるぞ?」

「最初にいった通り、口裂け女がドッペルゲンガーに変わるだけです。補足不能と言われていたドッペルゲンガーに会えたのは、むしろ好機です」

「この少年を巻き込むことになるぜ?」

「・・・・・・仕方ありません。彼の姿をとったということは、ドッペルゲンガーは彼を殺すつもりでしょう。それを見過ごすわけにはいきません。後のことは……、後で考えます」

「へいへい。まぁ御主人様がそうしたいっていうなら、俺は従うよ。なにせ俺は忠犬だからな」

 なんだかよくわからないが、二人の話はまとまったようだった。

「それで、僕はなにをすれば……?」

「アナタには、口裂け女……、あの赤いコートの人と、怪主かいぬしの契約をしてもらいます」

怪主かいぬしの契約?」

「詳しく説明している時間はありません。とにかく彼女の手をとって、契約したいという旨を伝えてください。彼女も、自分とアナタが助かるためには、それしか無いことがわかるハズです」

 怪主かいぬしの契約・・・・・。

 いいかげん訳のワカラナイ展開に、僕の頭はパンクしそうだったが、それであの赤い女性を助けられるというのなら、やるしかない。

「わかった、やってみます」

「ジンは契約の間、ドッペルゲンガーの足止めを。霊力は全力で供給します」

「了解、立派にはたして見せるぜ」

「では、いきます!」

 草条センパイの掛け声と共に、僕とジンさんは、女性と少年に向かって駆け出した。

 一緒にとは言っても、ジンさんの足はとんでもなく速く、僕が置いてけぼりを食う形になる。

「オラァ猿マネ野郎! 俺が相手だ!」

 素手のまま少年に殴りかかるジンさん。

 少年は一瞬慌てたようだったが、その拳を後ろに飛ぶようにしてかわすと、すぐにジンさんと向かい合った。

「犬っコロまでやってきた! 今日は本当に大漁だ!」

「大漁だとも! ただし、三途の川がテメエの死体でな!」

 ジンさんが少年を押さえているうちに、僕は赤い女性の前へと躍り出た。

「えーと……、口裂け女さん、ですね」

「・・・・・・驚いたぁ。アナタ、あのマッチョたちの知り合いだったのぉ?」

 地面に片手を付き、荒い息を上げながら、赤い女性が不思議そうに僕を見上げる。

「知り合いっていうか・・・・・・、とにかく契約ってのをしてください! 助かるためにはそれしかないって聞きました!」

「えっ!?」

 僕の発言に、明らかに驚いた様子の女性。

 だけど、今はかまっていられない。

 ジンさんはあの少年に勝てないようなことを言っていた。なら、早くしないと・・・・・・!

「契約って、意味わかってるのぉ……?」

「わかりません! ていうか、さっきからの事態が全然理解できません!」

「なら……」

「でも、このままじゃアナタはあの僕ソックリなのにやられる!」

 いや、彼女だけじゃない。

 草条センパイは僕もやられると言っていた。

 それにジンさんがやられれば、恐らく草条センパイも無事ではすまないだろう。

「僕は――」

 僕は彼女に向けて手を差し出す。

 あの日、今日と同じな角夕焼けの日、あの人にしたのと同じように。

「僕はもう――」

 離してしまった手。

 決して離してはいけなかった手。

「僕はもう――僕せいで誰かが死ぬのは、嫌なんだ!」

 絶叫する。

 僕の声が、僕自身の頭にこだまする。

 甦る記憶。

 赤い風景。

 許されないこと。

 決して許されはしないこと。

「瑞樹・・・・・・」

 それは偶然だったのか。

 あの人と同じ呼び方をして。

 彼女は、僕の手を握った。




 体が二つになったような気がした。

 いや、二倍になった気がした。

 血管も臓器も、あらゆる器官が全て二倍。

 だけど心臓は一つのまま。

 だから心臓の仕事は二倍。

 どくどくどくどくどく、鼓動が二倍。

 足りない足りない血が足りないと、あらゆる器官が悲鳴をあげる。

 心臓はこんなに頑張ってるのに、どこもかしこも血が足りない。

 だから心臓はもっと働く。

 三倍。

 四倍。

 それでも足りない。まだ足りない。

 心臓意外の全身が、心臓に張り裂けんばかりの過労を要求する。

「あっ、ああ・・・・・・」

 頭が霞む。

 世界が濁る。

 目の前の光景が、垂れ流される映画のよう。

 その何一つが、どういうことなのかワカラナイ。

「そっ、そんなバカな――!」

 この声は、僕にそっくりなあの少年。

 その少年が悲鳴を上げている。

「ありがとう、瑞樹――」

 彼女の声。

 赤い赤い女性の声。

 彼女は少年の前に立つ。

 堂々と、絶壁のごとく立ちはだかる。

 そして彼女は、自分のマスクに手をかける。

 赤い口。

 真っ赤な真っ赤な、赤い口。

 それはグロテスクな傷跡なんかじゃない。

 例えるならピエロの口だ。

 耳まで裂けたその口は、笑ったような形をしていた。

『ワ タ シ キ レ イ ?』

 その一言を。

 有名すぎるその一言を真っ赤な口から吐き出すと。

 彼女は鎌を振りかざし。

 少年の口どころかその顔面の全てを。

 一瞬で真っ二つに切り裂いた。

 

 どくっ、どくっ・・・・・・。

 限界を超えた心臓が止まる

 心臓が止まれば僕も止まる。

 動かない、動かない、動かない――。 




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 その人の名前は、カシマレイコと言った。

 漢字はわからない。

 僕がその人と会い、その人の名前を知ったときに、僕がまだ漢字を読めなかったから。

 だからその人はカシマレイコ。多分僕が、はじめて覚えたいと思った名前。

 小さい頃の僕は、気が弱いうえに頭が悪く、さらにはすぐに泣くような子供だったので、クラスの子たちによく苛められていた。

 学校の帰り道を泣きながら歩き、泣きながら家の鍵を開ける。

 その頃の両親は仕事が忙しく、僕が学校から帰るような時間に家にいることはほとんどなかった。

 だから泣いていても、誰も慰めたりしてくれない。そんなことは、ついさっき鍵を使ってドアを開けた自分が、一番よくわかっているハズなのに。

 それでも、もしかしたらと声を上げて、だけどもやっぱり、誰も出てきてはくれなくて。

 結局僕に出来ることは、自分の部屋のベッドの中で、泣き疲れて眠ってしまうまで、ただ涙を流すだけだった。

 そんなある日のこと。

 苛めっ子たちに、家の鍵を取り上げられたことがあった。

 僕が必死になって取り返そうとするのが面白いのか、苛めっ子たちはキャッチボールみたいにして鍵を投げあっていた。

 そして、一人の子の投げ方が悪かったのか、鍵は道路へと飛んでいき、トラックに轢かれ、真っ二つに捻じ曲がってしまった。

 いじめっ子達は蜘蛛の巣を散らすようにしていってしまう。

 仕方なくその鍵を拾って家に帰るけど、曲がった鍵は鍵穴に入りすらせず、どうしようもなくなった僕は、自分の家の前で、やっぱりいつもみたいに泣いていた。

 どれだけ泣いていたのか、それともすぐのことだったのか。

 その人が、僕に声をかけてきた。

「ボク、どうしたのぉ?」

 なにがおきたのかわからなかった。

 知らない人に突然声を掛けられて、僕は不思議なのと怖いので、その人の顔を見つめたまま、何も喋ることができなかった。

「あー、鍵が壊れちゃったのかぁ」

 僕の手の中の曲がった鍵を見て、その人は事情を察すると。

 よしよし、と、僕の頭をやさしく撫でる。

 その手がとても暖かくて、その声がとても暖かくて、僕はどうしようもなくなって。

 その人に抱き着いて、安心して、泣いた。

 今思えば、彼女は中学生か高校生くらいだったと思う。制服のような格好をしていたし、母に比べて、ずいぶんと若いように思ったから。

 それから彼女は、曲がった鍵を直そうといろいろ試したが、女の子一人の力でどうなるものでもなく、結局、鍵は元には戻らなかった。

「困ったわねぇ。鍵屋さんの場所なんてわからないし」

 再び不安になる僕。

 そんな僕に、彼女は笑顔でこういった。

「よぉし。じゃあ誰かが帰ってくるまで、お姉ちゃんが一緒にいてあげるわぁ」

 それからずっと、その人は一緒にいてくれた。

 陽も沈み、あたりが暗くなり、夜の九時過ぎ頃、母親が帰ってくるその時まで。

 その間、僕はずっとその人と話をしていた。

 苛めっ子がひどいことをすること。両親の帰りが遅いこと。夕飯がいつも作り置きだということ。

 子供の話だということを差し引いても、聞いていて楽しくなることなど一つもなかっただろう。

 それでもその人は、僕の話をずっと聞いてくれていた。目を合わせて、優しく微笑んで、ずっとずっと、聞いてくれていた。

 なにより印象的だったのは、その人がずっと、僕の手を握っていてくれたこと。

 片時も離さず、ずっと、ずっと・・・・・・。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 目を覚ますと、そこには誰もいなかった。

 僕にソックリな少年も、赤いコートの女性も、草条センパイも、ジンさんも。

 場所は踏み切り。

 夕焼けはとっくに暮れ、辺りは真っ暗。空には沈みかけの太陽ではなく、真っ白な月が浮かんでいた。

 全部、夢だったのかな……。

 いつものように踏切りにやってきた僕は、いつのまにか眠ってしまって、それで、ここがコンナ場所だから、奇妙な夢を見てしまったんだろうか。

 僕は立ち上がると、ゆっくりと辺りを見回した。

 やっぱり、誰もいない。

 僕はなんとも不思議な気分を抱いたまま、帰路につくことにした。


 夢だとしたらリアルな夢だ。

 だって、あの赤いコートの人の手の感触を、僕はハッキリと覚えているのだから。

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