ジャングル・レーヌ 4
無音。
もしくは雨の音。
いつでも振り下ろせるように肩に置いた
私たちはダム湖の右手に据えながら、森の浅い地域を進みます。湖に面したエリアは射線が通って危険ですが、かといって森の奥へ入り過ぎれば位置が分からなくなります。GPSもどこまで使えるかわかりません。
ガササッ!!
「「!!」」
二人で頭上を見上げます。鳥が飛び立ち、木の枝が揺れていました。少し粒の大きい水滴がフードを叩きます。
「鳥……」
「驚かせやがって……」
聞き慣れない鳴き声で鳥が歌います。日本にはいない鳥だと思います。こんな静かな森で、緊張に体をこわばらせている私たちを笑うかのような歌でした。
「……この森、トラとかヒョウとかいますか?」
「もっと怖い猛獣がいるから安心しろよ」
「ですよね……」
全く安心できませんでした。
「オオカミにも気を付けた方がいいんじゃないのか、炎の"赤ずきん"ちゃん?」
「そっちこそ、炎は水に弱いんじゃないですか? 雨にぬれてもいいんですか?」
「こちとら水中でも発火燃焼できるんでね」
「えっ!? なにそれずるいです!」
「まぁ炎を遠くに飛ばしたりはできないけどな、水中では」
「あ、でもお風呂とか沸かせそうです」
「その発想は無かった」
服は水と土でドロドロだし、湿度と雨のせいでちっとも乾きません。体に貼り付いて動きにくいし……か、体のラインも強調されて恥ずかしいです。
「うぅ……今のでお風呂入りたくなりました……」
「なら、あの世で血の風呂に浸かると良い」
――ザンッ!!!!
「!」
「!?」
エナさんを狙った攻撃を、彼女は間一髪で回避していました。
そしてエナさんの足元には一人の少女――メトロがしゃがみ込んでいました。
よく見れば、メトロの右手首から手の甲を超えて伸びる、緩やかなアーチを描いた長く肉厚な鎌が、地面に深々と突き刺さっていました。
(……!)
もし自分が狙われていたら。
そう思うと、生きた心地が全くしませんでした。
もし自分が狙われていたらなら、私はなすすべなく首を刈り取られていたでしょう。
「アンス――!!」
「我らが
エナさんの言葉を待たず、次の攻撃が放たれます。
「忘れられるわけがない!」
アンスリウムの左手から、スルリと伸び出た鋭利なツメ。
指の数だけあるそれは、黒く光った鋼でできていました。
鳥のくちばしのようにまとめられたそれは、エナさんの心臓部分を
ガギィ!!!!
「く……うっ……!」
エナさんは腕をクロスさせ、アンスリウムの攻撃を防いでいました。
しかし一方で、エナさんの腕を覆っていた応撃シリコンには、巨大な傷ができていました。
「エナさんから――」
アンスリウムの動きが止まった一瞬を狙って、私は斧を振り下ろします。
「離れてください!!」
ガァン!!
金属同士がぶつかる音がしました。
おそらく攻撃は防がれました。しかしアンスリウムは横滑りし、そのまま跳躍して私たちから距離を取りました。
「……久しぶりだな。二度と会いたくなかったぜ」
「……」
このときはじめて、私はアンスリウムの姿をはっきりと捉えました。
アンスリウムは小柄な少女の姿をしています。非常にほっそりとした凹凸に乏しいフレームで、少し力を加えれば折れてしまいそうな印象です。背丈だけで比べれば、私よりも小さく、ライカさんと同じくらいのように思います。
ですが、そのライカさんとはちょうど正反対であるかのように、短めの髪は漆黒、肌は褐色、身に纏っているのは豪奢なドレス風の衣類ではなく、露出度の極めて高い、ベルトだけでの要所のみを保護したかのような格好をしていました。おそらくは、極限まで軽量化と運動性能を求めた結果でしょう。
そして最も特徴的な点といえば、やはり角でした。
額の中央から真っ直ぐに天を突く一角は、その名の通り、アンスリウムの花を思わせました。そしてあの角こそが、エナさんのお姉さんの遺物なのでしょう。
アンスリウムは着地の残心をほどき、そしてゆっくりと顔を上げ、左右の武器を体内に格納しました。
「何日ぶりだ、
「日? ばーか、10年だよ。どこで寝てたんだ、アンスリウム」
エナさんは姿勢を低くし、じっとアンスリウムに眼差しました。指先の動きひとつ見逃さないつもりのようです。
しかし。
「……?」
アンスリウムは動きません。隙をうかがっているのでしょうか。それにしては構えもしていないようでした。
「どうした。早くかかってこい」
「……早くあの姿になれ」
「……」
「近接武器と格闘だけの戦いなら、お前に勝ち目はない」
「どうだか? でも、せっかくだから、お言葉に甘えさせてもらうぜ」
肩をすくめてそう漏らした後、エナさんはきゅっと表情を引き締めます。
深呼吸をしてから、体の調子を確かめるかのように、ゆっくりと両手で拳を作ります。そして、その両の拳を胸の前で重ね合わせた後、左右に素早く振り抜きました。
――ドグン。
周囲に重く、そして深くへ響く波動が生じます。
「【
ドゥッ!
炎。
エナさんの体がひと
雨は止みましたが、木々からまだ水滴が滴っています。ですが、エナさんの炎により、周囲は早くも乾燥の気配を見せていました。
「さぁ、御望み通りの
「相変わらず暑苦しい技」
「てめえも相変わらずコソコソしてて辛気臭ぇんだよ」
「言葉遣いが下品なのも変わらない」
「……おまえ、どうしてこんなところにいたんだ」
「それは機密」
「もう戦争は終わった。いまさら機密なんて無ぇ」
「……」
「……」
火弾!
エナさんが二回のジャブを放つと、それと同時に拳から火の玉が射出されます。アンスリウムは二発の火弾をいとも簡単に回避。驚くべき身軽さで、近くにあった大木の枝に跳び上がりました。
そして息もつかずに落下攻撃! 右手の大鎌が再びエナさんに迫ります。
エナさんはこれを、アッパーの要領で放たれた火弾で迎撃。アンスリウムの被弾は免れない――かと思いきや、アンスリウムは突如、空中で水平に移動したのです!
「!」
エナさんは予想外の挙動に体が固まります。その隙にアンスリウムは再び、空中で軌道を変え、三日月を描くような動きでエナさんの背後に回り込みました。
「エナさん!!」
アンスリウムの大鎌が、エナさんの首に!
ガギンッ!!
「……どうかしている」
大鎌は制止されていました。
なんと、エナさんの歯に、まさに食い止められていたのです。白刃取りを口でやって見せたのです。アンスリウムは忌々しそうに眉間にしわを寄せながら、あわてて距離を取ります。
「追い詰められりゃ何でもするんだ、人間ってやつは。まあ、オレは人間じゃないけど」
「人間はそんな大道芸しない」
「大道芸! お前には言われたくねえよ。カンフー映画か」
アンスリウムが空中で軌道を変えたギミックは簡単でした。体のどこかからワイヤーを放ち、周囲の樹木へくくりつけ、ワイヤーを緩めたり巻き戻したりして、体を動かしているのです。
「次は
すぅ……。
アンスリウムの姿が景色に溶けます。輪郭から消えていきました。
「光学迷彩!?」
噂には聞いていましたが、実物を見るのは初めてでした。
エナさんはすぐさま火弾を放ちます。しかしアンスリウムはすぐに消え、火弾もアンスリウムがいた位置を通り過ぎたところで燃え尽きました。
「気を付けろ新入り! 来るぞ!」
「く、来るって言われても!」
「そこの木を背中にして警戒しろ!」
私の身体より遥かに太い幹の木に、私は背中を預けます。これなら確かに、背後以外の前上左右を警戒すれば済みます。
「音と影だ!」
頼りにするべきは音、そして影。
「光学迷彩は見かけの姿が見えにくくなるだけだ! アンスリウムがそこにいることは変わらない!」
土を踏みしめる音、落ちた小枝を踏み折る音、それらがヒントになります。
「それに体表を景色に合わせて調色しながら、自分の影を消すために背後に光を放つことは至難の業だ!」
まして、今ここには太陽のほかに、揺らぎの強いエナさんの炎があります。仮に光源の反対に光を放つことができても、調整は困難極まります。
こっ。
(左!)
物音にエナさんも反応します。その勢いに任せて巨大な火弾を放ちました。
ボゴォン!
火弾が着弾。炎が炸裂します。爆炎が立ち上り、火の粉が舞う様は、どこか彼岸花を思わせました。やがて炎が消え、明かりがしぼんでいきます。
そして森に静寂が戻った時。
「……」
アンスリウムはどこにもいませんでした。木の幹にぶつかって落ちた小石が転がっていただけです。
ガシャコン。
「「!」」
頭上。
細い木の枝に、誰かが鳥のようにとまっていました。
角が生えた、黒くのっぺりとした頭部と思しき球体に、二個一対の赤い光がぼぅと光っていました。球体の周りには、黒いプレートが花弁のように五枚付いています。
角の先端と視線が向けられているのは――私でした。
エナさんの声が聞こえます。それとほぼ同時。
球体から伸び出た角に、静電気のように赤い稲妻が走った、次の瞬間――。
ドッ!!!!!!!!
「新入り――!」
赤道砲の紅蓮の光が、私の、視界を埋めて……。
「避けろオオオオオオオオオオッ!!!!」
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