光差す下で
「……ふぁ……」
運河での事件が過ぎて数日。
メトロポリタンには穏やかな空気が流れていました。
市街の喧騒は遠く、葉擦れの音、小鳥の鳴き声、水のせせらぎばかりが聞こえます。銃撃や爆発の音という概念はありません。
眠りを妨げるものはありませんでした。夜は一層静かで、早寝がはかどります。早寝がはかどるとくれば、早起きだって苦ではありません。
私はベッドから立ち上がり、軽く伸びをしてから身だしなみを整えます。着替えたり、髪を梳かしたりです。
日本にいたころは、隊のみんなと同じ部屋で眠っていたので、一人部屋はなんだか新鮮です。女の子ばかりで朝はいつも大騒ぎだったので、独りでの目覚めは少し寂しくもあります。過去を懐かしむいつもの瞬間です。
便宜上の就業時間は8時15分からです。今日の朝ごはんの当番はシャッテンさんで、厨房は今頃、忙しく湯気を上げているでしょう。覗きにいっては急かしているようなので、私は厨房とは反対の方へ歩みを向けました。
建物の中はシンとしています。そもそも建物内にいる人(人?)がほとんどいないうえに、時間帯もそれに拍車をかけています。
「そういえば……」
こちらのほうへは来たことが無かったかもしれません。というのも、こちらはライカさんやダイヤモンドスターさんの寝室があり、私はあまり用がなかったからです。
行き止まり……ということも無いでしょうから、進んでみることにしました。古い学校の校舎のような趣のある廊下を、芳醇な木の香りをまといつつ、私は進みました。
すると。
「……?」
廊下の先に明るい一角がありました。
そのまま進んでみると、どうやらサンルームがあるようです。
と、そこに。
「ライカさん……?」
ライカさんがいたのでした。
光の差す部屋の中央で、跪いていたのです。
「その声は……セラさん……?」
すっと立ち上がり、こちらを振り返ります。白銀の髪がゆらりと光を照り返しました。こちらを見つめる瞳は、今日も蒼く澄んでいます。
「あっ、す、すみません、何か、邪魔しちゃいましたか……?」
「いいえ。もうおわったところだから」
「もしかして、毎朝ここで?」
「ええ」
ライカさんが膝を払います。もうずっと続けているのか、足元の床は他の場所より色が褪せていました。部屋は円形に近い多角形をしていて、外周には椅子が数個だけおいてあります。
「? 何ですか、これ」
サンルームの天井に、見慣れないシンボルが掲げられていました。天空から降る光のせいで、そのシンボルと同じ形の影が床にも落ちていました。
「わからないわ」
「え? わからないんですか?」
「ええ」
じゃあさっきの所作は何だったんでしょうか?
「いま、お祈りしていたんじゃ……?」
「お祈り……? 機械が何に祈るというの?」
いわれてみればそれもそうです。
「じゃあ、これは何なんでしょう? いままで見たことがありません」
「私にもわからない。でも、一つだけ知っていることはあるわ」
「?」
「私を作った人が祈っていた」
「!」
「それだけは知ってる。でも、それ以上は何も知らない。誰も知らない。調べたけれど分からなかった」
ライカさんがARを展開します。何かのデータファイルのようでした。ライカさんはそれを私にスワイプして渡します。
「古今東西、ありとあらゆる宗教信仰に関する資料を読み漁った。だけどこれが何なのか、いまださっぱりわからない」
データ量的に、ちょっとした図書館くらいの分量です。メトロでも処理するのに数週間はかかるでしょう。少しだけ内容を確認してみますが……頭上のシンボルのヒントになりそうなものはありません。私は改めて頭上を見上げました。
「何だと思う?」
「……やっぱりわかりません」
「そうよね」
ライカさんはふっと笑いました。
「本当に、人間って分からない。私を作った人は特に」
「どんな方だったんですか?」
「……詳しくは知らないわ」
曰はく、変り者で有名だった。
曰はく、メトロを作らせたら右に出る者のいないアーキテクトだった。
曰はく、ライカさんを作っている途中に命を落とした。
「最終的に私は、技術研究目的で米軍の研究所で仕上げられたわ。だけど費用が掛かり過ぎるせいで私の姉妹は製造されないから、いまのところ彼らは骨折り損だと思う」
「……やっぱり姉妹がいないのは寂しいですか?」
「あなたは姉妹がいるの?」
「はい、2人。現行の最新鋭機で、今も消防の現場にいます」
「そう。それは良かったわね」
自慢の妹たちです。私の設計をベースに製造されていますが、法改正後の基準に対応しているため、まだまだ活躍していくことでしょう。
そんな風に思いを馳せていると、ライカさんがぽつりと言いました。
「家族って、どんな感じなのかしら」
「……」
「私を作ったあの人がいたら、少しは理解できたのかもしれないけれど」
つまり。
ライカさんはその答えに近づくため、おそらくは彼女を作った方がそうしていたように、この見慣れぬシンボルに、見様見真似の祈りを捧げていたのでしょう。
「……。ライカさん、お腹空きましたね」
「そうね。そんな時間ね」
「じゃあ食堂に行きましょう」
ぎゅっ。
「!」
ライカさんの手を握ります。少し驚いているようでしたが、そのまま私は歩き出しました。ライカさんはそのままついて来てくれました。
「あの、セラさん……? この手は?」
「一緒にごはん食べましょう?」
「一人で歩けるわ」
「おんなじ家で寝て、一緒にご飯を食べれば、それでもう家族みたいなものです」
食堂に入ると、私たち以外の全員がそろっていました。厨房の奥ではシャッテンさんが最後の仕上げをしています。
「……なんだお前ら、手なんか繋いで」
エナさんが寝癖まみれ&パジャマと思しきクソダサTシャツで椅子に座っていました。
「ちょっとエナさん、せめて寝癖くらい直した方がいいんじゃないですか」
「いいだろ別に、誰に見られるわけでもないし」
「私たちがいるじゃないですか」
「うるせーな。お前らは家族に寝癖姿を見られて恥ずかしいのか?」
「ぐっ……」
なんてひどい文脈で使われる家族というワードなんでしょうか。
「……ライカさん、こんな風になっちゃダメですよ」
「こんな風とはなんだ! こんな風とは!」
エナさんがちょっと腹を立てていますが、寝癖とクソダサTシャツのせいで怖くありません。
「ふふふ。朝から楽し気でいいわね」
ライカさんは微笑んでから私の手を放し、自分の席に着きました。
「エナさんはもうちょっと倫理観というかマナーとか節度を身に着けた方がいいです。さっきライカさんからもらったデータ、差し上げましょうか?」
「いらねー」
「ライカさんと一緒にお祈りの仕草をしていれば、あとからいろいろ付いてくるかもしれません」
「しねーよ。ていうかライカだってお祈りなんかしてねーだろ」
「え? でもさっきサンルームで」
ライカさんに目配せします。
が、予想に反してライカさんは否定したのです。
「私は祈らないと、さっき答えたと思うのだけれど」
そ、そんな。
「じゃあさっきは何をしてたんですか?」
彼女は一拍おいてから、一言答えました。
「時計を合わせていただけよ」
「電波式だったんですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます