遥かなる運河 3/7


 突然ですが、いま私は川の底にいます。


 泥やゴミだらけかと思っていましたが、存外に小石が敷き詰められていました。そのおかげか、なんとか足を取られることもありません。ついでにヒンヤリとして涼しかったです。

「キミを雇った課長は正解だったようだ」

 背後でシャッテンさんがつぶやきます。

「なぁ、今度、南の綺麗な海でこれをやってくれないか。サジィと一緒にそこで過ごしたい」

「なに暢気なこと言ってんですか! 大変なんですよこっちは!」

 思わず怒鳴ってしまいました。

 ですが許してください。私はいま、聖典にある光景を再現しようとしているのですから。



「どうやって船に乗り込みましょう?」

 時間を少し戻して。

 シャッテンさんと合流した私は、開口一番そう尋ねました。

 川岸に立つと、視界の隅に例の船が映りこみます。太陽に照らされた白い巨体が、刻々とこちらに近づいてきていました。

「普段ならヘリから飛び降りるが……あいにくと今はヘリがない」

 ヘリがあっても飛び降りるのはできればご遠慮したいです。

「だから」

「だから?」

「跳び乗ろう」

「跳び乗る」

「走って」

「走って?」

 相手は水の上にいるんですが。川岸からとか?

「キミの力を使えば、水の上か、あるいは水を押しのけた川底を走って移動できるだろう。私がいることも考えると、川底の方がいい。川底を走って船に近づいて、跳び乗る。川底と甲板ではとんでもない高低差があるが、そこは私の力でなんとかする。よし、これで行けるな」

「なんか自己完結してますけど、ちょっと待ってください」

 川の方へ歩き出したシャッテンさんを引き留めます。

「シャッテンさんの能力で空とか飛べないんですか? 訓練の時に標的浮かべてたみたいに」

「軽ければな。だが人間以上のサイズと重量となると話は別だ。制御が一気に難しくなる。私自身を飛ばすならまだマシだが、イメージとしては、野球バットでボールを打つだけでリレーをつなぐような感じだ。それでもかまわないんだったら、フライトチケットを渡そう」

「え、遠慮しておきます……」



 というわけで。

「無茶させてすまないな」

 軽っ。謝罪かるっ。

「シャッテンさんは常識人っぽかったのに! 結局はあのエナさんのお仲間だったってことじゃないですか! ガッカリです!」

「ひどい言われようだなぁ、エナは。ハハハ」

「あなたです!」

 何なんですかこのメトロポリタンは!

「だが、エナはすごいヤツだぞ。いわゆる【生きる伝説】ってやつだ。私なんて足元にも及ばない」

「え?」

 それってどういう……。

「まぁ生きる伝説なんて言っても、私たち生きてないんだがな。ハハハ」

「少し黙っていてください」

 そうこうしているうちに。

 私たちは船のすぐ近くにまで来ていました。

 近くで見上げる貨物船はいっそう巨大です。これが何か衝突しようものなら、大惨事は免れないと背筋が凍りました。自分の両脇にそびえる水の壁も相まって、恐怖心はなお高まります。

「さて、キミの初陣だ。お手並み拝見と行こうか。きっとエナたちも見ている」

 実戦。

 その二文字が頭に浮かびました。

 いままで幾度となく死線を超えてきましたが、それはあくまでも炎を相手にしての話。明確な殺意を持った相手と向き合い、実戦――殺し合いをするのは初めてです。

 ……本当に、私にそんなことができるのでしょうか。

 生き残れるのでしょうか?

「3カウントで突入する。準備してくれ」

「は、はい……」

 手が震えます。

 それを紛らわすために、私は腰に差していた火災斧マスターキーに手を伸ばします。すがるように取っ手を強く握りました。

「甲板に投げ入れるから、警戒しつつ敵を探せ。おそらく船橋だろう。私もすぐに行く。この水壁が崩れる前に」

「はいっ」

「よろしい。じゃあ行くぞ。3……2……1」

 私は口を引き結びます。緊張に体が強張らないよう意識して、その瞬間を待ちました。

「ゼロ!」


 ドン!!

 合図とともにジャンプします。上から吊り上げられるような力を感じるや否や、私の体は一気に跳躍しました。視界が明るくなり、コンテナの積まれた甲板に視線が落ちます。


 スタッ。

 シャッテンさんの制御のおかげか、難なく甲板に着地できました。

 顔を上げ、周囲を見渡します。近くに脅威はなさそうです。

 ですが。

「――目標を視認しました」

 甲板を見下ろす船橋。

 そのガラスの奥に、人型の影がありました。

 それをズームして、映像をダイヤモンドスターさんに送信します。

『ありがとうございます。セラさん。映像を解析します』

 そして瞬きをする間もなく。

『解析終了。やはり該当はありません。外見的特徴から、【爆竹バオチュウ】をベースとした改造メトロと推定。撃破時に、通常のメトロの3倍の熱量を放出する規模の爆発が予想されます。また爆竹バオチュウは、任意のタイミングでも自爆が可能です。知能は高くはありませんが、十分に注意してください』

「船の上では撃破できない」

 続いて甲板に上がったシャッテンさんが言います。

「水に落としましょう。船にも衝撃が来るかもしれませんが、減速に役立つかも」

「だといいが」

 

 ガラガラガラガラ!

 シャッテンさんの体に、極太の鎖が巻き付きます。先端には巨大ないかりがつながっており、今は彼女の背後でふよふよと宙に浮いていました。あんなもので殴られたらひとたまりもないでしょう。

「行こう」

 声色を美しく研ぎ澄ませて、彼女は言いました。

「この運河で好き勝手にはさせない」



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