遥かなる運河 1/7
「胸骨圧迫は、1秒に1回より……少し早いペースで、じ、実施します」
今日はサジィさんの救命講習に同行していました。
首都の小学校ではこの時期、一斉にこの手の訓練が行われます。チャオプラヤーさんたちのような、本職の救急隊だけでは手が足りず、毎年手伝っているようです。
「以前は人工呼吸も……せ、セットで行うよう指導して……ましたが、双方のハードルの高さや、感染症の恐れがありますので、省かれるようになりました……」
胸骨圧迫とは、いわゆる心臓マッサージのことです。私は仕事で飽きるほど訓練しましたが、初めて講習を受ける方々にとっては、新鮮な内容のようでした。
「胸骨圧迫で、胸骨にヒビが入る場合が、あ、ありますが、死ぬよりはマシですので……や、やってください」
もともと救助も行ってきたということで、これ幸いと、私も手伝いに駆り出された形です。駆り出されたというと印象が悪いですが、命を救う術を教えることは、戦闘をするよりはるかに前向きに臨むことができ、むしろ嬉しいくらいです。子供たち(わたしがいうのもなんですが)も元気で可愛く、こちらがエネルギーをもらうような感じさえしました。
「それでは、特に質問がなければ……実践に移り……ます」
そのとき、一人の児童が手を上げました。サジィさんはおずおずと児童を示します。
「な、なんでしょう……」
「はい! 先生には必殺技とかあるんですか!」
「ゲッホゲッホ!」
急病人のようにサジィさんは咳き込んでいました。質問が予想外すぎたのでしょう。
「コホッ……す、すみません、わたしは……そういうのは……」
「えー! メトロのなのにー?」
「ご、ごめんなさい、機械式で、おまけに医療型なので……」
機械式とは、主に精霊刻が刻まれていないメトロおよびメトロポリスのことを指します。メトロとメトロポリスは全て機械ですので、精霊刻を刻まれた個体と区別する意味で、完全機械式といった具合でしょうか。
炎や電気といった特殊な攻撃を行わない代わりに、それらを使用するにあたっての措置を施さなくて良いため、製造コストが抑えることができます。メトロポリタン・アユタナでは、サジィさんの他に、ダイヤモンドスターさんがこれに該当します。
「つまんないのー」
「も、もうしわけない、です……」
「あはは……」
私もつい苦笑いしちゃいました。
その後、学校の先生方の合図で、実践に移っていきました。
「つ、疲れましたね……」
「は、はい……」
「たしかにこれは、エナさんがいてくれると助かるかも……」
「でしょう……」
小学校での講習は、まるで嵐のようでした。
子供たちは講習もそこそこに遊び出し、メトロである私たちが物珍しいのか集まってきます。そのあと鬼ごっこやらかくれんぼやらなんやらの遊びに付き合わされ、気が付けば私たちはへとへとでした。エナさんならたぶん、気が合って遊んでいられ――いえ、これ以上はやめておきます。
「明日筋肉痛に、なりそう……」
「私たち筋肉無いですよ、サジィさん……」
職員室であいさつを済ませた後、私たちは学校を後にしました。時刻は午後3時を回ったところです。他に仕事はありませんので、あとはもう帰るだけです。緊急事態ではありませんので、ヘリではなく電車です。
「それじゃあ帰りましょうか」
「あ、ちょっと……」
サジィさんが私を引き留めます。
「あの……少し……見学、していきません、か……?」
「?」
彼女に案内されたのは、運河の近くにある喫茶店でした。
サジィさんは店員さんと既知のようで、注文は「いつもの」で通りました。私はそうもいきませんので、アイスミルクティーをお願いしました。
通された席は二階で、大きく窓が作られていました。入り口からはわかりませんでしたが、店は川岸に建っているらしく、窓のすぐ外は運河になっていました。幅数百メートルはある運河には、たくさんの船が行き交っており、波が波を、何度も何度も打ち消し合っていました。
「あの、サジィさん、ここは……? 見学って、何ですか?」
サジィさんは答えません。ですが、理由はすぐにわかりました。
彼女は窓の外を一心に見つめています。同じ川岸、しかし湾曲した運河の先に、巨大な荷揚げ場がありました。そこで淡い光がたたずんでいたのです。
「……シャッテンさん?」
シャッテンさんでした。そういえば首都の荷揚げ場でアルバイトしているとか、前に言っていました。ズームして見てみると、たしかに能力を使って大小さまざまな荷物を移動させていました。周囲の人間の方々や、民生メトロとは効率が段違いです。
「いつもここで?」
「いいえ、たまに」
反応が返ってきました。
「毎日見てたら、怒られました……照れるって」
「あはは」
「ほんとはもう少し……近くで……見ていたいん、です、けど……」
「怒られた、ですか?」
こくん。
「て、照れると……あと気が散るって」
「あははっ」
私が笑うと、彼女はぷぅっ、とふくれっ面を作りました。
「笑わなくても」
「あっ、ご、ごめんなさい……あんまり可愛くって、つい」
可愛い、という感想も、サジィさんはやや不満げでした。彼女にとっては深刻な問題なのでしょう。なお後日、「サジィさんにふくれっ面をさせてしまった」という話をシャッテンさんにしたところ「なんだと……見たい」と、ひとこと言って立ち去りました。そしてその夜、サジィさんとシャッテンさんの姿を見た者はいませんでした。
「後で一緒に近くまで行きませんか? 私がどうしてもと言ったってことにして」
「! 行きます! 痛ぁ!」
ガタン!
勢いよく立ち上がったサジィさんは、机に膝をぶつけてしまったのでした。
「……う、嬉しい……です……ありがとうございます」
膝を押さえながら、彼女はお礼を述べました。
ちょうどその頃、テーブルに飲み物が運ばれてきました。サジィさんの「いつもの」とは、トマトジュースのことでした。
私のミルクティーも運ばれてきて。
「それじゃあ、いただきます」
ストローに口をつけようとした、まさにその時。
まさにその時、事件の報が飛び込んできたのです。
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