メトロポリス・イン・ザ・ナイト
夜の染み込んだ異国の街。
されど、人々はまだ眠らないようです。
「あー、そういうことですか」
「チャオが話してる言葉は、この国の方言がぐちゃぐちゃになって混ざってるんだ。それを言語ソフトで無理やり日本語に直せば、そりゃ日本の方言がぐちゃぐちゃになって出力されるに決まってるだろ?」
街路に灯る明かりは、さきほどまで在った炎のそれとは光の趣が違います。
静かに揺らぐ様子は、星か宝石に似て、思わず手を伸ばしてみたくなるような温かさがありました。路上にはいまだ多くの人々が行き交い、伸びしろのある繁栄を感じさせます。時折漂ってくる食べ物の香りは食欲を誘いました。
「屋台がいっぱいですね……うぅ、お腹空いてきちゃいました」
「気のせいだぞ」
「さっきお仕事したので食べてもいいでしょうか? あっ! でもこんな時間に何か食べたら太っちゃうでしょうか?」
「いや、太らないからなオレたち……」
私とエナさんは、二人で夜の街を散策していました。
昼間は通り過ぎただけだったので、少し見ておきたかったのです――案内役もいることですし。ライカさんとサジィさんは、先にアユタナへ帰りました。
「あの屋台の鳥の串焼き、美味しそうです」
「腕力足りないって言ってたな?
「いや、私たちに体鍛えるとかいう概念無いですから……」
何言ってんですかこの人は。
「エナさんも食べます? 私、代金出しますよ」
一人だけ食べるのもあれなので、道連れです。
それから……チャオさんたちと揉めそうになった時に助けてくれたお礼も兼ねて。
「今日はいろんなヤツにおごられてワリィなぁ。じゃあオレ、モモの塩ダレで!」
「私は……テリヤキで!」
この国にもテリヤキがあるんですね。
手渡された串焼きは、思った以上に巨大でした。私の前腕くらいの長さがあります。甘辛いテリヤキ串は、アツアツで香りも良いです。道端の段差に腰かけて、私たちはそれを味わいます。
「一口やるから一口くれ」
「しょうがないですね」
正直塩ダレも食べてみたかったので、願ったり叶ったりでした。
エナさんが塩ダレの串をこちらへ差し出します。
「ほれ、あーん」
「いただきます! ――んんっ、こっちも美味しいれすっ」
私もエナさんへ、テリヤキの串を差し出します。
「どうぞ。あーん」
「じゃあ遠慮なく」
パクっ。
「って、あ゛ぁ! エナさんいま二切れ食べた!」
「気のふぇいだぞ」
「いっぱいになったその口が証拠です! もー!」
ほんとに遠慮がなくて困ります。
「ごくん――まぁ、食べ物の恩は忘れない、というしな。いつか返すぜ」
「それをいうなら、食べ物の恨みは恐ろしい、ですから……まったく」
「エナさんはいつからアユタナにいるんですか?」
「大戦中からいるから……10年くらいか」
「大戦が終わってもこちらに残っているってことですか?」
「ま、そういうことだ」
串を近くのごみ箱に投げ入れ、エナさんは空を見上げます。空気が湿っていて、スコールが近いようでした。
「姉さんたちが眠ってる。この国で。だからもうちょっと居たいな、って思ってたら、もう10年経ってた。深い理由は無い」
「お姉さんたちが……」
「ま、もうこの国も好きだっていうのはあるぜ。花とか水がきれいだし、あったかいし、活気もある。食い物もうまい」
「私の串焼き二切れ食べましたもんね」
「お前性格悪いな」
「性格が良い人には良くに見えるんですけどね」
「どういう意味だよ!」
「あはは」
エナさんがふと目を丸くしました。
「? どうしました?」
「……いや、笑ったところを初めて見た、って思って」
「!」
思わず頬を押さえます。
いわれてみれば、久しぶりに笑ったような気がします。
こちらに来てから、というより、退役してからカウントして、久しぶりに。
「何だよー、けっこうカワイイじゃんかー」
「きゃっ、ちょ、ちょっとやめてくださっ、ひゃあっ!」
「ライカはほとんど笑わねーし、ダイヤモンドスターは表情すら変わんねーからな。あいつらみたいになるなよ新入り」
エナさんが私の頭をなでなでします。フードの上からですが。不快ではありませんが……子ども扱いされてるみたいでちょっと複雑です。
「もっ、もうっ、ダメですって!」
エナさんの手首をつかんで引き剥がします。
「あとまた新入りってっ」
「うはは」
と、その時でした。
「……あ、雨」
「うおっ、スコールか! 走るぞ!」
「へ? あっ、ちょっ!」
エナさんが私の手を掴んで走り出します。
雨は瞬時に強くなりました。風も足早に吹き抜けます。夜が流されていくかのようです。
「エ、エナさん! 私、雨が避けるように制御できるんですけど!」
「はぁ!? だったら始めからそうしろ!」
私の手をエナさんが投げ捨てました。
「ちょっと待ってくださ――きゃあああああ!」
「おいいいいい!」
突風が吹いて体が浮き上がります。
しかしエナさんがすかさず手を伸ばし、私の手を捕まえました。
「す、すみません……」
「何のギャグだよ……行くぞ」
そのまま手を引かれて歩きます。
エナさんの手は、その宿した火精のように温かく感じられました。
「……」
少しだけ。
もう少しだけ、その温かさを感じたくて。
私はエナさんの手を握り返します。
彼女が振り返ることはありませんでした。ただ受け入れてくれたのです。
手に感じるエナさんの熱が、精霊炉まで伝わっていくような気がしました。
「……ふぅ。ここでしばらく雨宿りするか」
どこかのビルの軒下でした。
エナさんは、髪や頬に滴る水を手でぬぐいました。フードをかぶっていてわりと平気な私は、少し申し訳なく思いました。
「大丈夫だ。この雨はすぐに止む」
「はい。そうですね」
私たちはそのまま、並んで雨を眺めていました。
言葉を交わすことなく。
交わす必要もなく。
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