キミはキミの人生を生きてくれ

「大雑把、これ」

「まあ、間違いは無いわな」


 過去の生原稿と一緒に折り畳まれ、今ようやっと日の目を見たそれは、原稿用紙を便箋代わりにした手紙らしい。

(この絶妙に頭悪い感じ、間違いなくアイツだ)

 中学を共にして来たから分かる。普段お高く止まって、答案用紙にすら畏まったことばを記すくせに、その反動でか、おれと話を綴りあっていた頃は、度々ふざけた文言を並べ立てていた。

 ガーディアン・ストライカーでも、死してなお耳元で囁く骸骨でもなく、久しく見なかった茉莉の『素顔』か。なんだかとっても、なつかしい。


『――キミも知っての通り、あたしは筆まめな方じゃないので、単刀直入に言わせてほしい。激情に駆られ、ゲロを吐くか吐くまいかって感じの、あの真に迫ったプロポーズ』



「ゲロ?」

「いや、そこでおれを見るな」

 一体何の話だ。あの時おれは、売り言葉に買い言葉で喧嘩別れ。そのままタクシーに乗せられ、帰されたんじゃあ。


『――覚えてないかも知れないから、もうちょい細かく書こう。互いにベロを出して仲違いしたのは覚えてるでしょ? でもさ、ざっぱーったらその後、酔いが完全に回ってぶっ倒れちゃったんだよ』


 綴られた内容に間違いはない。怒り狂って意識が飛び、気が付いたら自室で見知った天井をぼうと眺めていた。

 要領を得ない文章に、原稿用紙で時折余白を挟むが故に、先が気になってしようがない。この辺は連載作家らしいと言うべきか。ヒトを引き付ける術を理解している。


『――大好きだ。おれの傍に居てくれよって。おれの隣はお前じゃなきゃ駄目なんだって。蒼い顔して、うわ言みたいに呟いて。ばーか、ざっぱーのばーか。そういうのさ、面と向かって言わなきゃNGなんだよーっ』


「大雑把、あなた……」

「呑みの後だろ!? 酒の席の戯言に目くじら立てンなよ!」

 茉莉のはなしで、鬼子の首取ったみたいな顔で睨まれると気が気じゃない。あいつもあいつだぜ。泥酔した人間の台詞だぞ。マトモに取って何になる。

 今の今までそう思っていた。けれど真実はそうじゃない。

 半ば冗談と受け取っていたおれは、そんな気持ちのまま次の段落に進み、続く言葉を、ことばを。



『――あたしもね、大好きだよざっぱー。沈みに沈んで、そのまま駄目になって来そうな所で、この言葉にどれだけ救われたことか。こんなあたしを愛してくれてありがとう。面と向かって伝えられたらよかったのにね』



「こ、れ、は」

 おれも、菜々緒も。二の句が継げずに押し黙る。

 正直なはなし、とても気まずい。おれとしては涙が出る程嬉しいが、同じくらいやつに好意を向けていたナナちんが隣に居るのだ。手放しに喜べるものじゃない。


「大雑把」続きを読まず、固まっているところに、その元凶が背中をつつく。

「何を止まっているの。早く続きを読みなさい」

「よ、読むってお前」

「大丈夫よ」恐る恐る振り返って見てみれば、菜々緒の顔は憑き物が取れたみたいに穏やかで。

「私にとって大事なのは、あの子が笑顔でいられるかどうか。他はどうでもいい」

「いや、でも」

「心配してくれて有難う。気遣っているのなら、さっさと話を進めなさいな」


 察しが悪いと同僚に言われてばかりのおれだけど。あの微笑みが痩せ我慢だってのは直ぐに解った。如何な結果になろうとも、最期の言葉を知りたかったのだろう。

「わ、わァったよ。続ける、続けっから」

「宜しい」

 ようやく最後の単元か。嬉しい返しなんだけど、おれがこうして生きている以上、答えなんてたかが知れている。


『――でも。その気持ちには応えられない。理由は前に話したよね。死を待つだけのあたしと、この先まだまだ未来のあるキミとじゃ釣り合わない。それにさ、あたしってば見栄っ張りなんだ。日に日弱ってく姿を、好きな人に見せたくなくて。

 最後に病院に行った時、宣告されたのが二ヶ月。あれから三月くらい経って、少しだけ長生きしてるけど、ここ数日、水くらいしか口に出来なくて。きっとそう永くない。

 おわかれだよ、ざっぱー。キミは、キミの人生を生きてくれ。出来ることなら、途中退場しちゃったあたしよりも』


 途中退場。

 自らの人生を、途中退場なんて言いやがるのか。どこまでも惚けたやつだ。何が面と向かって言わなきゃNGだよ。こんなに大事な手紙、読ませずに焼いちまおうとしたお前は何なんだよ。

 手紙がぼやけて字が見えない。伝わっていたのに。伝えようとしていたのに。おれはその総てに背を向けて、あいつの気持ちをまるで理解してやれなかった。

 ごめんよ。本当にごめん。おれが、もっと、真剣に耳を傾けてさえいれば。あの日、やってやるよと頷いてさえいれば。


「ちょっと。ちょっと大雑把」


 もっと早く、向こうの言わんとしていることに気付いてやれれば。マツリの猛アピールを聞き咎めてさえいれば。


「こら。おい。こらってば」


 あいつは何時だって真面目に考えていたのに。仕事がどうだ、今更ダサいと切って捨てたおれは大馬鹿だ。かつてガーストを切り捨てた連中と一緒じゃないか……。



「こっちを見ろォオオオオッ」

「ぐへぇっ!?」

 涙で曇った視界の外から、後頭部目掛けて固く鈍い鉄拳が飛んだ。菜々緒の奴め、ヒトが感傷に浸ってる間に何しやがる。

「感極まるのも結構だけど。それ、まだ続きがあるわよ。追申文」

「へ、ついしん……?」

 促され、左端に目線を向けると、『PS』と振られた小さな文字。締めくくりの文章っぽかったから、これで終わったものだと思っていたのに。

 それに気付いたおれの目の前に、現れたるは花の香りを漂わす薄ピンクのハンカチ。

「最後まで読みなさい。泣くのはその後、でしょ?」

「左様で……」言いたいことは分かるけど、その都度暴力に訴えるの、やめてくんない? 引っ叩いて涙を拭けって、傷心の人間にアメとムチはきついっすよ。

 などと文句を並べてみても、向こうの表情が変わる筈もなく。どこか釈然としない思いを抱え、三度文面を睨み付ける。


(おや?)

 一息ついて見返すと、悲壮感溢れる右側と、これから読むべき左側とでは、文字の濃さが微妙に違う。それまでの文言が薄く、追伸分が濃いめ、ってことは。

 全部書いてまとめた後に、書き足した?



『――未練がましく続けちゃってごめんね。さよならをして終わるつもりだったんだけど、どうしても最期に伝えたい事があったので、もうちょっとだけおつきあいください。

 ざっぱー、キミの書いたガーストを読んだよ。同じキャラで、中途半端にバトンを繋いで貰ったのに、惰性とモヤモヤの侭に書いたあたしのよりずっと、ずぅっと面白かった。でもね、そのせいで心配になったんだ。キミがこれを重荷に感じて、つらい目に遭ってるんじゃないかって。

 もしもあたしのように惰性で書いているのなら。あたしの言葉があなたに取って重荷なのだとしたら。止めて別の道を探してほしい。

 頼んでおいて、今際の際に告げ逃げするのが卑怯なことなのはわかってる。だから、最期の最後にひとこと言わせてほしい。

 誰が何を言おうと、あたし上代茉莉は、キミの紡ぐ物語が大好きです。続けてくれて、ありがとう』


…………

……


「終わり?」

「ああ、これで終い」

 長い長い懺悔の手紙。おれがあの時見咎めなかったら、誰にも見られず焼かれて消えたであろう遺言。

「あの、野郎……」

 茉莉のやつが何故こんな風にホンネを隠したかはわからない。慮って解かるものでもない。

 だからおれは。今おれがすべきことは。両の頬を引っ叩き、引っ叩き、引っ叩く!


「ちょっ!? いきなり何のつもり?」

「えぇい、止めるなナナちん」

 如何に奇異に見えようと。その行為に意味がなかろうと。ケジメを果たさにゃ前に進めん。

 あぁそうさ。お前の言う通りだよ。今おれが筆を執るこの場所は、あいつが切り拓いてくれたんだ。手前勝手に沈んでる場合じゃない。ここで終われるわけがない。


「どうやら、答えは見つかったみたいね」

 菜々緒ひとりが困惑する中、神楽おばさんは厳かな表情でおれを見る。それくらい察しが良くなきゃな。ナナちんも見習え・なんて言葉を喉元に留め、はいと一言礼を言い。

「ご心配をかけてすみません。ところで」

「その手紙。言われなくてもあなたのものよ。茉莉はその為に残したんですもの」「重ね重ね、ありがとうございます」

 もう立ち止まる理由はない。不安がる菜々緒の肩を叩き、笑いながら言ってやるとも。

「行くぞナナちん。遅れた分を取り戻す。席だ、飲み会の席を持てィ」

「あ、あんた……。本当に、大丈夫?」

「元はと言えば、お前が持ち込んだ話じゃないか。ビビってねえでさっさと来い」

 ああ、これがおれだ。おれの居るべき場所なんだ。

 上代茉莉。お前が紡いだこの道は、おれがばっちり繋いでみせる。

 お前がファンと言ってくれるなら。おれはそれを紡ぐ作家であってみせる。


 だからさ。心配するなよな。

 おれは独りでも、いや――、菜々緒やギギちゃんたちと一緒に、おれの人生を生きてやるからよ。








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