第八話(終):『これはきっと、ニセモノがホンモノになるためのおはなし』

冥府からの手紙・ぱーと2

「待って」

 席を立つおれの肩を、菜々緒の柔く温い手が摑み留める。やめろと返すが、返事はない。

「止めるなよナナちん。何もかもおれが悪いんだ。罪、償わなきゃだろうが」

「良いとか悪いとか……、そういう問題じゃない」

 肩を掴むその手は微かに震えている。嗚咽混じりの思い詰めた声には、絶対におれを括り付けてやるという意志があった。

「あんたが罪を認めるのは勝手よ。でもあの子は。死んでいったマツリは。そんなことして納得するの?」

「うるせぇよ」あぁ、駄目だ。

「アンタに書いてって言ったんでしょ? 続けてほしいと言ったんでしょう!?」

「うるせぇ……」沸々と、怒りが湧き上がる。

「これ以上、あの子の気持ちを踏み躙らないで。茉莉のことを思うなら、アンタも」

「うるせぇって、言ってンだろ!」

 抑え込んでいた芯が抜け、淀み狂った感情が顔を出す。そんなことは重々承知。他が個人の復讐を咎めるのと同じだ。正論に違いないだろう。

 だが。「辛いのはお前や茉莉だけだって思ったか? おれだって同じなんだよ。原稿に向かうと辛いんだよ。お前が悪いと囁かれ、茉莉の居ない事実が蘇って来て……!

 お前のそれだって、結局はただのエゴじゃねぇか。死人に口なし。イタコ気取って抜かしやがって。ナニサマのつもりだふざけんな」


 我ながら、イヤな奴極まりないと思う。ナマの感情を曝け出し、向こうの気持ちも考えず、責任をあいつに押し付ける。

 その報復は直ぐにやって来た。俯くおれを上向かせ、勢いのついた頬への平手がばちんと響く。


「あんたは、茉莉のことなんにも解ってない。自分が悪いと塞ぎ込んで、あの子はそれで納得するの?」

「だから、それは」

「私も、あんたからの又聞きだから詳しくは知らない。でも、あの子が望んでいたのは、少なくも贖罪や自責に苦しむことじゃない。あんたが、ガーストを書き続けること、そうじゃないの?!」


「手前勝手なことばっかり言いがやって……!」

 贖罪なんて高尚なもんじゃない。これはただの自己満足だ。逃れられぬ恐怖から独り脱するための。

 菜々緒の言っていることは正しい。奴がおれを代筆者ゴースト・ライターに選んだのもそれが事由。やらなきゃ浮かばれないことだって解ってる。

「おれはガーディアンでも、ストライカーでもないんだよ。ココロが傷付きゃ、何も出来ずに筆を折る弱虫チキンなんだよ。そんなおれにまだ無茶強いるってのかよ。冗談じゃないぜ。

 上代茉莉は死んだ。もういない。いないんだよ。荼毘に付されて三途の川渡った人間を、いつまでもふらふら追い回すんじゃねえ」


 調子に乗って言い過ぎたと口を覆うも時遅し。菜々緒の眼から怒気が失せ、瞳の朱が色を失ってゆく。火葬場で視た、生気のない、あの時のように。

 すまん。違うんだ。そんなつもりはなかったんだよ。思い付く限りの弁明を言い連ねるが、向こうは俯いたまま動かない。


「わかった。もういい」

 口ではそう言いつつも、上目で見るその眼光は不気味に淀んでいる。何が良いのかと問い掛けた瞬間、柔く華奢な手が、おれの右腕を摑んで止めた。

「書いてとは言わない。でも、一緒に来てほしい場所があるの」

「来てほしい……場所?」

 菜々緒ら無言で首を縦に振り。「茉莉の……お母様から連絡があった。少し、話せないかって」



※ ※ ※



 酒と泪となんとやら。ひとつならまだしも、複数重なって迫られちゃひとたまりもない。断ろうとしたのだが、鬱屈としたおれは、そうするだけの反証を持ち合わせてはいなかった。

 おれと菜々緒は、茉莉に恋い焦がれ、相応に負い目を持つ者同士。その母親が理由も告げず呼び付けたとなれば、連れを伴いたくなる気持ちもわかる。

 逆の立場なら、おれだって間違いなくそうしただろう。


「無理言って来てもらってごめんなさいね。どうぞ、おかけになって」

 上代神楽かみしろ・かぐら。茉莉の母で、時折奴の家にゆくこともあってか、面識はそれなりにあった。

「でも驚いたわ。雑葉くん、もう……大丈夫なの?」

「ええ、おれのことなら……別に」

 思えば、会うのは火葬場で戻しそうになって以来か。そんなヤツが平気な顔で門戸を叩けば不思議がるのも無理はない。

 おれの気持ちを知ってか知らずか、おばさんは「丁度良かった」と席を立つ。

「あなた、あんな調子だったでしょ。当分会えないかと思っていてね」

 背の高い戸棚を漁るうち、その声はおれではなく、菜々緒の方へと動く。

「桐乃さん。あなたを呼んだ理由はね……。『これ』を、そちら伝てで彼に渡して欲しかったからなの」

 戸棚から取り出し、おれたちに見せたそれは、手のひらに収まる煤けた小箱。所々に焦げが見られ、磨かれた様子もない。

「これ、って」

 この箱には見覚えがある。焼かれて骨だけになった茉莉の足下、極楽浄土に持ってゆく死出の土産。

「待ってください。これってあの日、一緒に火葬されたはずじゃ」

「そうする……つもり、だったんだけどね」おばさんの目線は再度おれに向く。「雑葉くん、これを見て吐いて、逃げ出しちゃったでしょ。あの様子がずーっと印象に残ってたのかな。お焚き上げする前にこれだけは、って」

(傍から見りゃあ、そんなに記憶に残るモンだったのか)

 まあ、冷静に考えて失礼だしなあ。記憶に残るのも仕方がないか。「でも、どうしてそれを?」

「見れば解かるわ」留め具を外し、中に収まっていたものをおれたちに見せる。

 どんなたからものかと息を呑むが、しまわれていたのは幾重にも折り畳まれた紙が数枚。経年劣化で大分黄ばみ、読み返しの跡で千切れそうな年代物だ。


「大雑把。これ」

「分ァってるよ」

 刻まれた文字のクセ。印字に使うインクの匂い。そして何よりへたっくそなストーリーライン。

 かつて、おれがマツリに贈ったガーディアン・ストライカーの初稿。現行作のパイロット版。オリジンのオリジンってやつだ。

 死出の土産に持つモノか。あれだけの喧嘩になりゃあ中身なんて見ずともわかる。上代茉莉が、この駄文をどれだけ好いていてくれたのかも。


(今更何だってんだよ、畜生)

 死んでなお、おれに書けと迫るのか。でなきゃ救われないぞとでと言いたいか。罰にしたって重すぎるぜ。

 確かにそうさ。おれが悪い。あの時ちゃんと話を聞いてさえいれば、思い詰めて死を選ぶことなんて無かっただろう。

 だったら口で言いやがれ。回りくどくやるんじゃなく、書いてほしいと直接伝えてくれよ。

 お前ってやつは何時だって嘘つきで。

 ホントのことを冗談めかして煙に巻いて。

 結局手前ェひとりが損をして。

 挙句、死んでからヒトに文句を言うってのか。


「こんなやり方、酷すぎる」

 視界が霞み、眼前の紙が滲む。あの日涸れ果てた筈の激情が、頬を伝って止まらない。

 なんでだ。なんでお前は死ななくちゃならなかった。不甲斐ないおれに喝を入れんとしていたお前が。ぶすくれていたおれを真っ直ぐにしてくれたお前が、なんで!



「ありがとう、ね」啜り泣く菜々緒のすぐ後ろから、おれを指した感謝の声。神楽おばさんの目にもじんわりと涙が浮かんでいる。

「あの子、独り暮らしを始めてからうちには寄り付かなくなっちゃって。もっと早くに病気のこと、気付いてあげなきゃだったのに」

「顔を、上げてください」もらい泣きの連鎖なんざもう沢山だ。「おれのコレは、別にその、なんていうか」

「御免ね、御免なさい」人差し指で涙を掬い、潤んだ瞳でおれを見据え、「雑葉くん。その紙ね、続きがあるの。それがあなた達を此処に呼んだ、本当の理由」


「何」

「ですって?」

 溢れる涙も何のその。おれと菜々緒は同時に声を上げ、広げた紙を慎重に捲る。

 これは、ガースト草案の続きじゃないぞ。折り目で軽く膨らんで、劣化の染みも見当たらない。


「葬儀の日、封筒に入った手紙があったのを憶えてる? どうして分けたのか知らないけれど、これがその続きみたいなの」

「あぁ、あれ」

 あの手紙に、続き? どうしてそんなものを書く必要がある。これ以上、あいつは何を残したって言うんだ。

「中身を見て、渡すべきかどうか悩んだわ。だけどあなたが。あなたたちが読まなきゃ終わらない。そんな感じがして」

 つらいなら、突き返しても構わない。降りるなら今だと遠回しに釘を差された。

 おれはお心遣いどうもと頭を下げ、折り畳まれた紙を平と開く。ここまで来て逃げるだなんて、そんなのおれがおれ自身を許せなくなる。

 上代茉莉。この期に及んで、お前は何を伝えようとしたんだ?



『――やあ、雑葉大くん。キミがこれを読んでいるということは、あたしはこの紙を渡すつもりになった、そういうことだよね。そうだってことにしといてください。弁明終わり。ツッコミ拒否』

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