やめろ。たのむ。やめてくれ
ぱら、ぱら、ぱら。
目の前に座す赤渕眼鏡のバリキャリ女は、おれ渾身の力作を、ただただ無感情に読み続けている。
面白いとか、つまらないとか。生きた感想が出て来るならまだ良い。
けれど、あの死んだ魚のような目からは、そうした要素が出て来るとは思えないからだ。
「あの、あのさ。どう……どうなのよ、それ」
「どう・って」菜々緒は気だるげに息を吐き、「採用。良いんじゃない? 仔細は判った。後は、これを読めるカタチにして頂戴」
「えっ、マジで。マジで言ってンの?」
流し見したホンを再び見もせず、適当な生返事。
やっぱり、今日の菜々緒はなんだかヘンだ。ホン読みでも何でも無く、ただおれを呼んで、話がしたいなんて。
「結局のところ、何のためにおれを呼んだのさ。カウンセラーを所望なら、駅前のメンタルクリニックを勧めるぜ」
「そんな、高尚な話なんかしないわよ」ナナちんは不意に目を伏せて、疲れた声で言葉を紡ぐ。
「あのさ。あなたは、マツリ……生きてると思う?」
「うん?」質問の糸を計りかね、応とも否とも付かない生返事。
「今更……」と言いかけ、口籠って咳払い。真剣に思い悩む人間に正論でぶつかれば、手痛い反撃をお見舞いされるに違いない。
「時々、不安になるの」
菜々緒はおれの返答を待たず、己が言葉を先へと進める。
「マツリが、あんな紙切れ一枚で私たちにお別れを言うはずがない。何か理由がある。時にそれをあなたに、自分に向けて来たけれど」
そこで一旦言葉を切り、暫しの沈黙。
いつも勝気で、人を散々に引っ掻き回すあの瞳が、どろりと濁って澱んでいる。
「最近は、それすら信じられなくなって。あの子の顔が、日に日に薄れて行くの。あんなに! あんなに一緒だった、はずなのに!」
「いや、ちょっと待てよ。それってどういう」
「どうだっていいでしょ。あんたには関係ない」
いや、いやいやいや。関係あるだろ。なきゃおかしいでしょ。
様子がおかしい――のは、会う前から知ってたことだけど。何故急にマツリのことを気にかける。
そもそも、「おかしい」のベクトルが奇妙だ。熱を帯びた語り口調、おれを敵視するこの態度。感情を制御できず、今にも泣き出してしまいそうなこの表情。
これじゃあ、まるで……。
「なァナナちん。お前さ、違ってたらいい。いいんだけど」
恐らく、間違ってはいまいという、根拠のない確信がある。出会い頭におれを犯人扱いし、めたくそに糾弾したのもそれが事由。
だが、今この場で、彼女から『それ』を聞き出すことは叶わなかった。
奴が虚を突かれ、目を丸くした瞬間、上着にしまった携帯端末がぶるると振れる。
――着信だよぉおおおおお! 出てぇえええええええ!! 着信だよぉぉおおおお!!!!
「何、そのうっとおしい叫び声」
「ヒトの着メロに文句付けンなよ」
次からは、奴と合う時はバイブに設定しよう。恥を頭の片隅に放り、ディスプレイに躍るはM県警刑事課の文字。
(何なんだよ、こんな時に……)かけ直さないならもう一度ってか。分かっちゃいるが、もっとタイミングは選んでほしかった。
それだけなら何でもないのだが、受話器を取れと促すのは、どうやらおれの端末だけじゃないらしい。
――お嬢様、着信が入っております
――電話だぞォ、あんまり俺を苛つかせンな
――姫、着信に御座います。速やかに受信ボタンをお押しください
おれのすぐ真向かいで、何人かの男が代わる代わるに電話を取れと矢の催促。
誰かって? 辺りを見回して、聞こえる位置に電話に焦る人間は居ない。と、なれば。
「何、その着メロ」
「ヒトの着メロに文句付ける権利、貴方にあるの?」
そりゃあごもっとも。言えた義理じゃないが、仕事とプライベートは分けた方がいいぜ。まじで。
しかし、同じタイミングでデンワが鳴るなんて。こんな偶然あるものか?
否。どうやら偶然ではないらしい。液晶画面に目を移した瞬間、菜々緒の眉間に皺が寄る。
「A県警……、こんな時に何よ、何だってのよ」
「え。県警……」
電話の主は、二人揃って警察のもの。何故にWHY?
成る程、話が読めて来たぞ。とすれば妙にタイムリーだな。
躊躇う菜々緒を尻目に、おれは迷わず着信ボタンをタップして、右の耳へと押し当てる。
『あの。雑葉大さんの携帯で間違いないでしょうか』
「はい、はい。昨日は申し訳ありません。直ぐ電話に出られず」
『良かった』電話口の何某はおれの言葉を聞いてか聞かずか、お構いなしに話を継ぐ。『上代茉莉さんの件で、その……お話が』
(やはりか)
冴えに冴えてるおれの勘、ここへ来て絶好調。で、何よ何々。おれに何を伝えようっての?
後先考えずに浮かれ、視線を左右に彷徨わすその最中。
「え……?」
か細く、喉の奥底から絞り出すような声が聞こえた。
どこでって? そりゃあ勿論お向かいよ。いつの間にか電話を取り、同じく警察官を相手に対応するナナちんの――。
「嘘……ですよね? 嘘だって、嘘何でしょう!?」
何だ、妙にヒートアップしてるじゃない。おれを叱り飛ばす時より迫力あるぞ。
幾ら日常生活を圧迫するサツ相手だからって何をそんなと内心鼻で笑っていた。
そこから数刻と間を置かず、自分も似たような反応に至ると知らぬまま。
『あ、あのう。もしもし』
「すみません。います。いますよ、何でしょう」
『ハイ。付きましては、これからK警察署に来ていただけないでしょうか。“ご両親”が此方でお待ちです』
「う、ん……?」両親? 親? 誰のよ、おれの? ハハハ馬鹿な。どうしてそうなる。
「申し訳ありません。言っていることの意味が」
『いえ。大したことじゃないんです。ただ、あちらから要望がありまして』
――昨日夜半にですね。“遺体”の方が見つかりましたので、確認の方をお願いしたい、と。
※ ※ ※
「おまたせしました。どうぞ……ご覧下さい」
ヒト一人分も有る大きさの引き戸を開け、モノに掛かった白い布を剥がしてもらう。
信じたくは無かった。死体安置所に着いた今もなお、どこかで『ドッキリ大成功』というプラカードの登場を待っている。
高をくくる……否。祈るように続く言葉を追い掛けたが、無駄だった。
見開いたまま永遠に動かない目、虹彩を欠き、生気の失せた瞳。
水の中で藻掻いたのだろう。衣服は身体にぴったりと張り付いており、薄っすら開いた唇からは、呑んだ水が僅かに滴り続けている。
トレードマークの赤みがかった黒髪は、濡れて冷え固まり、重力に従ってだらりと垂れ下がっている。
これは誰かって? 決まっている。長年連れ添った幼馴染の顔を、どうして忘れる事が出来るというのか。
「ねぇ、マツリを返しなさいよ。こんな偽物に騙されるものですか、本物のあの子は何処に居るの!」
おれのすぐ後ろでは、現実を受け入れられず、ヒステリーを起こして警官に詰め寄る菜々緒の姿。
気持ちは解かる。おれが『そう』なっていないのは、彼女がおれの分まで怒ってくれているからだ。
警察にとっては傍迷惑極まりないだろうが。
菜々緒を視ていて頭が冷えた。少し視点をずらし、下半身の方へと目を向ける。
右足首には何かに掴まれ、抑えつけられたと思しい赤痣が今なお残る。余程硬かったのだろう。それを外さんとした跡があり、彼女の両手指は血溜まりを作ってひしゃげている。
「死ぬ前に、苦しくなって逃げ出そうとしたのでしょう」
聞きもしないのに尤もらしい理由が飛んできた。声のする側に目を向けると、項をしっかり刈り込んだ初老の警察官。
おれは即座に会釈をし、続く言葉を真正面から受け止める。
「そこには鎖に繋がれた……、鑑識が言うにはボーリングの玉ですね。それがくっついて、湖底に沈んでおったわけですわ」
マツリが見付かったのは、ここから数十キロ先にある山中の湖だったそうだ。
そこに住まう町民村民たちが、見覚えのない車を見付け、不審に思ってタイヤ跡を追ったところ、湖岸に停車するそれを発見。
そこから伸びる歩幅の狭い足跡は、真っ直ぐに湖を目指していた。これはまずいと探りに来たが後の祭り。
周辺の消防が出動し、水中を攫って見たところ、溺死した若い女が見付かったのだという。
「死亡推定時刻は一昨日前の日の入直前。重石のボーリング玉には彼女の指紋しか残っていませんでした。他殺ではなく自殺です」
「はあ」
「というわけで、あなた方に掛かった容疑は晴れたと、それが言いたくてお呼びしたのですが……。大丈夫ですか?」
「はあ」
この時おれは一体どんな顔をしていたのだろう。気になるが、積極的に確かめる気にはなれなかった。
自殺。溺死。あのマツリが、自殺。
やっぱり、あの手紙はデタラメだったのか。ではなんで嘘をついた。今頃になって何故死を選ぶ。
色んな想いがアタマの中でとっ散らかり、悲しんだり、怒ったりするだけの余裕がない。
「あの、あなたは……もしかして」
顔をしかめ、なんとか平静を保とうとするおれの背中に、人を尋ねる女の声。
今更何だと振り返ると、上代茉莉を二十年ほど老けさせた容姿の女が、そこに居た。
「やっぱり……やっぱり雑葉くんね。しばらく見ない間にずいぶん大きくなっちゃって」
「何なんすか……」傷心中に話し掛けるなと言いかけ、待てよと喉元で言葉を引っ込める。
その上で、向こうの姿を二度見三度見。あぁ、ああ……。あぁっ!
「まさか、マツリのおばさん!? こっ、こここちらこそ、ご無沙汰しておりますッ」
中学時代、出来合いの作品を奴の家に届ける中、何度かニアミスしてたっけ。あの頃の容姿とマツリの姿を照らし合わせると……。成る程、不思議なくらいしっくり来る。
そして、同時に理解する。
彼女が此処に居るということが、一体、どういうことなのかを。
「あ、あの。この度は……お悔やみを」
「いいのよ。もういいの。気にしないで」
両の手でお構いなくのジェスチャーをしてみせるが、目元に残る黒ずみは涙の跡か。一番最初に此処に来たのは彼女だ。愛娘の変わり果てた姿を見て……。
これ以上は語るまい。虚しいだけだ。
「実は、あなたに渡したいものが……」おばさんは手提げのバッグをあぁでもない・こうでもないと探ると、「あった。これを……受け取って貰えないかしら」
「おれに……?」
差し出され、つい受け取ってしまった縦長の白封筒。宛名欄に『ざっぱーさまへ』と平仮名で走り書かれ、他には何の情報もなし。
マツリが、おれに、書き置き? 兎角見ねば始まらない。おばさんの了承を得、封を切って、三角折りの手紙を引き伸ばす。
『親愛なる友人、ざっぱーへ。キミがこれを読んでいるということは、私はもう……。
なーんて。手紙を認めるんなら一度はこういう書き出ししたいって思うじゃん? 思うよね? えっ、まさか、思わなかったり、する?』
このアタマのネジの緩み具合、間違いなくマツリの文だ。あの野郎、このタイミングで書くことがそれかよ。
『とまあ、ジョーダンはこのくらいにしておいて。読んだよ、ざっぱーのガーディアン・ストライカー。餅は餅屋ってのはこのことだね。キャラがみんなきらっきらしててさ、わたしの『ニセモノ』とは大違い。作者交代して正解だった』
まあ、そりゃあ、触れるわな。シカトするわけにはゆかんだろーし。
ニセモノ、ねえ。おれからすれば、忘れていたコレを掘り起こし、世に送り出したお前の方が、本物だと思うのだけど。
『ね。中学時代、ざっぱーがガーストをわたしに見せてくれた、あの頃のこと、覚えてる?
呑みの席、ずいぶんと盛り上がったでしょ。だから、あなたに任せたいって思ったんだ。約束、守ってくれて、ありがとう』
うん……? 寄りにも依ってそこ? なにかあると思ったがやっぱり。呑みの席でテキトーなこと言っちゃってたか。
死んだやつに言うのも何だけど、覚えてないってそんな話。酔っ払いにした愚痴でそんなこと言われてもさ……。
――やっぱり、ざっぱーに話してよかった。
――だろォー? おれだってなやる時はやるんだョ。ざまーみろ。
――はい、はい。チョーシ良いんだから、もう。
――なあ、マツリさ。お前、何泣いてんの?
――ナイショ。ざっぱーにはいわなーい。
――ンだよ、気になるだろ。何だよ、何だってんだよーっ。
あ、れ……?
なんだ、今の会話。
あの時の話なんて、何一つ覚えてないはずなのに。
ちがう。覚えてないんじゃない。
意図的に忘れていたのだ。
キオクを、サナギに、閉じ込めて。
ナンデ? 忘れる必要があったのさ。
ナンデ……? なん、で
「そ、う、か」
「雑葉くん?」
思い出した。だから、おれは。
何でだよ。なんで、こんなことを忘れていた。
ちがう。おれのせいじゃない。おれはただ、アイツの笑顔が見たくてやっただけなんだ。
「大雑把」
「あ、ああ……」
やめろ、おれを視るな。
お前がマツリに抱いたキモチが何なのか、見てりゃあだいたい察しが付く。
だのにおれは。おれってやつは。
ちくしょう。なんで、なんでだよ。
「ごめん」
「ごめんって何よ。アンタ、ちゃんと話を」
「ごめん」
「答えになってない。何かあるなら」
そこから先の言葉は聞いてない。
続く言葉を想像して慄き、取るものも取らず、警察署の死体安置所から逃げ出してしまったから……。
目には目を、歯には歯を。推しには相応の死を。
この度の新作を書くに当たって、面白くなるよう悩んだ末に選んだ結論。
けれど、だからって。こんな結末を用意しているだなんて。
カンベン、してくれ……
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