目には目を歯には歯を、推しには相応の……

※ ※ ※


「おはよう、大ざっぱ。随分眠たげじゃないの」

「飯田さんには負けますよ。んじゃあ、申し送りをば」

 時刻は間も無く午前六時半。昨夜遅番勤務としておれに後を託したフロアリーダーが、今度は朝の早出に切り替わる。

 碌に眠れていないだろうに、そんな素振りはどこにも無く。流石はプロだなと感心するばかり。

 おれが同じ立場だったら、欠伸をたたえてぶん殴られてただろうな。



「とまあ、そんなところで。此方からは以上です」

「はい、ありがと。パソコンを打ち終わったら、ゴミを捨てて来て頂戴」

 簡便な申し送りを伝達し、夜勤最後の大仕事。

 朝方、一斉に取り替えたオムツ・尿パッドをゴミ袋に詰め、台車に乗せて外の捨て場へ放り込む。

 換えている最中は重いしかさ張るとうんざりしたものだが、これさえ過ぎればもう終わり。タイムカードに夜間帯勤務を打点して、夜明けとともにおさらばだ。


 ふう、今日も何事もなく終わったか。

 パソコンと日報に今晩の事象を綴り、帰り支度をする中で、気付いたことがひとつある。


「そういや、こっちのユニットの早番……どうした?」

 飯田フロアリーダーに申し送ったが、今おれが立つこの場所に早朝出勤者は居ない。

 あれ? あれれ? おい、ちょっと待てよ。まさか遅刻か!? 定刻に此処に来てない、っていうことは。



「ゴメン大ざっぱ。そっちの早番、福田さんが風邪で来られなくなったって」

 まあ、そうよね。そうなるよね。

 ってェことは、つまり。

「さっき、パートさんと話をつけたから、来てくれる九時まで、そっちの仕事、お願いね」


 ほぉら来た。そぉら来ましたよ。

 冗談じゃないよ。おれァ夜通し真面目に仕事したんすよ。ホンの締切だって迫ってる。一刻も早く床につき、続きを書き加えなきゃならないんだ。

 などと、面と向かって言えるはずもなく。おれは憤慨する己を律し。


「解りました」

 不本意ながら頭を下げ、そのまま早番業務に入って行った。



※ ※ ※



「ではこれで。ヒトが足りない中、苦労を掛けます」

「いいのいいの。大ざっぱ君は早く帰って休んでね」

 そこからきっかり二時間後。ようやっと出勤して来たパート社員に申し送りをし、今度こそ本当に退勤である。

 やー、夜勤の延長ほどキビシイものはない。七時の時点じゃおむつ交換ラッシュの疲労が響き、八時になればその疲れが眠気に変わり、それでも粘って現在朝九時。疲れは失せたが意識が何処か宙に浮いている。


 はてさて。向こうからのお墨付きも貰ったことだし、早いとこ帰って寝よう。メシ? それは二の次。この状況で腹なんか膨らませたら、まともに眠れなくなっちまう。


「む……?」

 そういえば、端末の右角っこに見覚えのない封筒アイコン。

 留守番電話の通知かな。うえっ、夜中の一時半。相手は――? 何だ、この番号……。


「おいおいおい、冗談じゃないぜ」

 電話番号検索に掛けてみたら、引っ掛かって来たのはウチの近所のM県警。前に、うちの前にパトカーを横付けたやつらだ。

 遺書めいた文言の手紙を残してはいるものの、今もなおマツリの消息も、死体が上がったなんて報告もない。

 故に、おれと菜々緒は容疑者として週一くらいでサツに出向き、近況報告代わりの事情聴取を受けている。


(そういや、そろそろ一週間経ったか)

 どうせまた、聴取に都合の良い時間を伺おうとしたんだろ。

 警察の職務怠慢を紛糾するつもりはないが、成果ゼロでヒトを呼び付けられるばかりじゃ腹が立つ。

 はてさて、何と言ってやるべきか……。



 ――ぉおはよぉおお!! おぉはよぉおお!! 着信だよぉおおお!! とってぇええええ!!!!



 などと考えている最中、端末から鳴り響くけたたましい着信音。

 相手は……ま、そりゃあ、ナナちんしかいないわな。あの野郎、ちったあ気ィ遣えってんだよ。こちとら夜勤明けだってんだぞォ。


『――朝早くにごめんね。今日、さ。少し……話せる?』

「はい?」

 勝ち気で鼻持ちならぬいつもの感じは何処へやら。今日の菜々緒は声に少し覇気がない。

 原稿のことか? でも、打ち合わせのことをそんな風に言うか。否、否否否。


「まあ、今夜勤上がりなもんで。昼頃で良ければ」

『――ありがとう。じゃあ、いつもの喫茶店で待ってるわ』


 まるで、仕事明けに逢瀬を取り付ける恋人のようなやりとり。下手に出て、何か七面倒なことを押し付けるつもりだろうか。

 何にせよ、行ってみなけりゃ始まらない。おれは欠伸を噛み潰し、眠るために家路を急ぐ。


 警察が電話して来たことなど、既に頭の片隅に消えていた。



◆ ◆ ◆


「『時間切れ』……か」

 右足を振り上げ、今まさにトドメの一撃を与えんとしたリチャードは、わざと狙いを外すと共にそう独り言ち、膝折れを起こし、己が育て・花をつけたばかりの作物の中へと崩れ落ちる。

 思い掛けず命を拾う格好となったストライカーは、その横顔――、彼の眼に生気が無いのに気付く。



 公にされてはいないが、彼は最期の戦いに於いて、《原初の男》をハーヴェスター首魁の元に送り届ける中、磁力線発生器官に損傷を損傷。重篤な障害を負っていた。


 緩やかに、確実に、死神の足音が『苦痛』を伴い追い縋るのを感じながら、余生を争いと無縁のこの場所で過ごしてきた。

 そこへ来て、殺気を伴う悪党の登場だ。加減をして追い返せる相手じゃない。リチャードは決死の覚悟で『ネバー・サレンダー』に戻り、命という名の残り火を文字通り、『燃やし尽くした』のである。


「何か――、言い残すことは無いか」

 ストライカー……。否、生田誠一は、苦心して寝返りを打ち、大の字を作るリチャードを見下ろし、努めて冷たく言い放つ。

 もう長くないことを悟ったのか、かつての英雄は嗄れた声で言葉を紡ぐ。



「私は、君に負けたんじゃない。ヒーローがその意義を無くし、『ガーディアン』という枠組みに当て嵌めた、この時代に敗けたのだ」

「何だって」

「『あの時代』を見ただろう。平和を願い、個をころして戦ったあの日々を。それがどうだ。いざ恐怖を払ってみれば、生き残った弱者同士でエゴをぶつけ合うばかりじゃないか。

 君は特別な存在なんかじゃない。遅かれ早かれ起き得るべき、このささくれた時代が産んだ『煮凝り』だ。

 私は脱出する。澱み狂ったこのセカイから。水を引いて種を撒き、野菜や牛たちに囲まれた楽園へ、脱出する」


 最期はもう、言葉というカタチを成してすらいない。呼気も絶え絶え、喉奥に絡み付く血を噴いて、息を引き取るその瞬間まで、ストライカーの顔から目を離さず話し続けた。

 俗世を離れ、山奥で密やかに生き続けた伝説の超人。その最期は何とも呆気なく、虚しい幕切れか。



……………………

…………

……



「ストライカー。そうすることに、何か意味あるの」

「意味なんてないよ。結局は俺の自己満足だ」

 畑の真中に穴を掘り、事切れたリチャードを埋め、愛用のスコップを十字架代わりに突き立てる。

 茉莉花の言う通り。ガーディアン殺しのお尋ね者が、こんなことをしたって喜ばれる訳が無い。

 それでも、あの死体を野晒しには出来無かった。死線を生きた彼の『やすらぎ』を、どのような形であれ遺しておきたかったのだ。


 もう、作物の世話を焼く人間はいない。実りに実った肥沃な大地は、数日と持たず貪欲な雑草に覆い尽くされるだろう。誠一に、それを護る義務など無い。


「これで、善し」

『ストライカー』に戻った彼は、盗品の大型二輪車に跨がり、茉莉花にヘルメットを放る。

 そこに、先程までの感傷的な態度は無い。すっかり殺戮者の濁った瞳に戻っている。



「行くの?」

「行くよ。ヒトゴロシにやすらぎなんて無い」

「そう」


 どこか、悟ったように答える彼の背中を見、茉莉花は何時もよりきつくストライカーの腰に腕を回す。自分の知る彼が、ずっと遠くに行ってしまいそうだったから。


 人殺しに和らぎなんてありえない。

 目には目を、歯には歯を。皮肉には皮肉をか。嫌味なファンも居たものだ。


 ガーディアン・ストライカーは涙腺が焼け爛れ、涙を流せぬその瞳で、主を喪った小さな農場を物憂げに見つめていた。


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