嗚呼、明日も朝が眠い

「同族殺しの面汚しが、地を這い赦しを請うがいい」


 青々とした草木が茂り、多種多様の野菜を蓄えた広大な畑。

 その守り人たる『五番目』の男、『ネバーサレンダー』、"リチャード・ホプキンス"は、己が子どもにも等しい作物らを踏み荒らし、招かれざる乱暴な客への対応に当たっていた。

 現役の殺戮者相手に引退後の老頭児では厳しいか。額から脂汗を垂らし、肩で息を吐いている。


 言葉通りに地面に顔を擦りつけ、ぴくりとも動かぬ彼こそ、我らが復讐者・ストライカー。

 斃すべき敵。滅ぼすべき組織。それはわかる。それもある。

 しかしそれでも彼は、自らが敵から奪取したかのチカラを、眼前の男に打ち当てるのを躊躇っていた。


(ネバー……サレンダー……)

 復讐者となるその日まで、彼――生田誠一は、この世界を悪の組織ハーヴェスターから救った超人たちの大ファンだった。知識量だけでいえば、『おたく』と言っても差し支えのないほどに。

 マッハバロンから加速力を得、茉莉花と行動を共にする以前。拙い技と自己治癒能力だけで多くのガーディアンを下して行けたのもそれが事由だ。少年の頃から繰り返し、繰り返し観続けた超人たちの活躍。

 それが巡り巡って、彼らを破滅させることになろうとは。


(立てよ……。彼は、斃すべき相手なんだ。やらなければ、こっちが殺られる)

 幾度折り合いを付けようと、子どもの頃視た映像がフラッシュバックを繰り返す。目の前の超人に憧れた自分も、眼の前に立つ超人を殺さんとしている自分も、偽らざる己自身。

 殺せば地獄、殺さねば此方が殺られる。最早退転などあり得ない。ガーディアン・ストライカーとなった誠一は、今まさに


……………………

…………

……



※ ※ ※


「ちっくしょう、またか……」

 創作の沼に沈むおれを、一昔前の猫型ロボットアニメのテーマが現実へと引き戻す。

 首から提げたPHSを掴み、アラートの出ている場所を確認。ユニットの端、十番のサイトーさんか。


「はい、はーい。どうかしましたか」

「お茶。喉乾いた。お茶を頂戴」

「了解。ちょっと待っててくださいね……」

 寝床の脇に置かれた吸飲みを掴み取り、ベッドを挙上させ、角度を付けた上で口へと運ぶ。

 飲み終えて『ありがとう』を聞き終わる頃には次の報せ。真向かい三番のコダテさんか、この時期・この時間帯ってェと、恐らくは……。


「なんだかお尻の方が冷たいわあ。どうしてかしらねえ」

「さあ、おれが聞きたいですよ。動いたり、触ったりしないでくださいよ」

 今日は大丈夫かと思ったが、やっぱり尿失禁。飯田リーダーのオムツ止めで『なる』ってことは、ズレじゃなく尿量過多だな。

 タオルウォーマーから清拭を掴み取り、オムツを剥いで患部を拭き、また戻しておやすみのひとこと。


 これで終わりならまだ良いが、そうは問屋がおろさない。続け様に五番が点灯(不吉な数字ということで、『四』と『九』は居室に割り当てられていない)。

 あぁあ。オオガキさんったら、まぁた夜中に起きてきて……。



「ひろき、ひろきぃ。ごはん、ご飯はまだかァ?」

「おじいちゃん、今はまだ夜中の一時。ご飯は七時まで待ってくださいよ。みんなぐーすか寝てるんだから」

「そっか。そうだ……、そうだなあ」


 おれをお孫さんと勘違いしているのだろう。説明すればちゃんと判ってもらえた。手を引いてベッドに誘導し、念押しをして部屋を出る。

 ここで、不用意に違うなどと言えば、不穏極まり施設から出て行こうとするだろう。時折ふらつくその足で、外に出れば転倒は確実だ。



 これが、夜勤に於ける『日常』だ。

 バタバタと忙しいが、こんなものまだまだ序の口。膝折れで転倒の危険があるオオガキさんと、失禁しやすいサイトーさんやミズタニさんが絡んだ時はどちらが先が、判断に迷う。


 介護職を長く勤めるにあたって必要なのは、己が行動の優先順位・『取捨選択』を見極めることだ。

 夜間、利用者が訴えることや行動は様々だ。支えを失い転ぶという緊急性の高いものから、水が欲しい・ナースコールの押し間違いなど、後に回して差し支えないものもある。


 ちょっと前に辞めてった先輩に、昔何度も何度もどやされたっけなあ。闇雲じゃなく、周りを見て動けって。あの時は何を馬鹿なとテンパったもんだけど、この辺は結局のところ、慣れなのだ。


 総てが終わったのを確認し、詰所代わりの共同室のパソコンデスク前に戻る。

 まだ半分ほど残っていたエナジードリンクを飲み干し、日報に起きた事案を書き加わう。

 ふと、壁掛け時計に目をやる。深夜一時か。仕事上がりにゃ、まだまだ遠い。



※ ※ ※



「あぁ、駄目駄目。休憩・きゅーけー!」

 未だ先の埋まらぬワードアプリの空白を見つめ、オフィスチェアーに足を投げ出し、もう駄目だと嘆息。仕事を除き、物理的に邪魔の入らぬこの環境ならばと思ったが、今回ばかりはそれが裏目に出たか。


 ネバー・サレンダーはその名の通り絶対に降伏しない。ガーディアン・ストライカーが続くためには、彼を殺して終わる他無い。

 だが、本当にそれでいいのか? 伝説の九人はどれも思い入れあるキャラクタたちだ。殺して終わるにはあまりに惜しい。


「けど、他に代案もないしな……」

 おれがゴースト・ライターとして関わった時点で、九人を薙ぎ倒すのは既定路線だった。既にひとり殺している時点で路線変更は不可避。

 夏休みに読書感想文を綴れと言われた子どもたちは、こんな思いで原稿用紙を埋めているのだろうか。とすれば酷な話だ。このクニで、想像力に満ちた書き手が育たないのもよく分かる。


 四コマ漫画で、一と二が出来ているのに、三を飛ばして四コマ目に取り掛かっているようなむず痒さ。どうにかして、抜けた三コマを取り戻すことは出来ないか。腐心して頭を抱えるこの耳に、またも流れるかのマーチ。


「八号室……」時刻は間も無く草木も眠る丑三つ時。そこへ来てキシダさんがヒトを呼ぶとしたら。

「飲み物か、押し間違いか、覚醒か」

 三番目だとしたら、今夜もここはあのテーマがヘビーローテーション。おれだけでなく、他の利用者さえも起きかねない。

「いっそのこと、コードごと引き抜くか、釦を隠しちまうか……」

 そう思い、悩み、それは駄目だと取り止める。

 妥当なる理由なくナースコールを押せなくするのは違法行為である。入居者の虐待が大々的に取り沙汰されるご時世、どこに何が仕掛けられているか、解ったものじゃない。


「ま、結局最後は『誠意』ってことね」

 サボれないならぶつかってゆく他ない。おれは欠伸を堪え、早足で八号室へと駆けてゆく。


 ――只今、電話に出ることが出来ません。御用の方は発信音の後にメッセージを……。


『雑葉大さんの携帯で宜しかったでしょうか。私、M県警K署の者です。夜分遅くに申し訳ありません。御都合の良い時間、出来れば早いうちに、署の方に来ていただけないでしょうか――』



 この最中、一つの命が消えてしまったことなど、

 今のおれには、知る由もなかった。

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