おれを狂わす緑の小瓶

 早出の仕事が終わり、自転車を飛ばして約十分。

 席数が広く、古めかしい馴染みの店の真中にヤツはいた。


 長い黒髪を銀のバレッタで盛ってかき上げ、赤渕アンダーリム眼鏡を掛けた、見た目にゃ綺麗なあのオンナ。


「来たわね、大雑把マサル」

「や、だから大雑把じゃないって言ってるじゃん」

 桐乃菜々緒(きりの・ななお)。マツリがお世話になってたっていう担当編集者。

 仮にも代筆しているわけだし、そろそろ名前くらい憶えてくれよ……。



「そんなわけで、四巻の最後は新ヒロイン登場で〆るから、そのつもりで」

「はあ、あ……」

 成る程、その手があったかと膝を打つ。マンネリ打破で増やすとすればヒロインかライバル。ライバルが先じゃあ風来坊モノと差して変わらないし、順当な判断だと思う。

 思う、のだけど……。



「でも、どう言い繕ったって主役は人殺しの犯罪者だぜ。ヒロインして連れてゆくなら、そっちにも相応の理由がなくっちゃ」

 おれが考え、驚くことなら、マツリだって当然考えているわけで。

 旅は道連れ世は情け。時折それらしきヒロインを挟んで、短編を作った形跡はあった。が、一話完結の水戸黄門スタイルで、長期で主役にくっついてくヒロインを創造するのは難しい。



「それを考えるのが貴方のシゴト」

 ぐぅう、ここぞとばかり正論をぶつけてきやがって。

 認めたと言えど、ホンモノが見付かるまでの臨時採用。愛想や配慮なぞ無用ってワケ。

 昨日までのおれなら無理だと突っぱね、全力で逃げ出していたところだが、幸か不幸か、今日のおれはスペシャルだ。


「無茶言うよ、ホント……」

 先程の章で作品世界で屈指の大物・マッハバロンが斃された。彼は《原初の男》と共にハーヴェスターと戦った伝説の英雄。設定年齢五十の後半。

 理由なくぶらつく子をスカウトしても話の末尾で退場せざるを得ないが、そんな大物の、かつ父を殺されたとなれば、追い掛けない理由がない。



(夕方、五時、きっかり……)

 気になって時計に目を遣る。明日の早出に差し支えないとなると、デッドラインは後五時間ちょい。やってやれないことは無い。


「わぁったよ。考えます。考えりゃアいいんでしょ」

「理解が早くて助かるわ。ちゃっちゃとお願い」

 持ち込んだのはそっちなクセに、なんつー上から目線。

 ふざけるなと怒鳴ってやることも出来たが、指摘したって睨み付けてくるだけだろうし、不毛だ。

 男に二言はない。やれっていうならやってやんよ。

 けれど、その前に。


「あ、店員さーん。『スマック』ひとつ」

「はい、かしこまりました」


「すまっく……?」

「アタマ使うにゃあ甘いモノが必要だろ。それくらい奢ってよ。無理矢理呼び付けたの、そっちなんだし」

「いや、だから。スマック・is・何」


「ヘイヘイ、この辺に住んでて知らないのかよ」

 緑の小瓶に入ったミルキーな炭酸飲料。K市じゃ半世紀近くも前から製造され続けたご当地飲料のひとつだぞ。

「これがなきゃ、外での執筆に支障が出るの。いいだろ一本くらい。必要経費」

「経費、ね……」

 連れ出していけしゃあしゃあと抜かしたのはそっちだ。拒否出来る訳が無い。

 嗚呼、なんという僥倖。数少ない、スマックが飲める喫茶店で、それを他に奢って貰える日が来るなんて。


「お待たせしましたー。スマックでーす」

 来た・来た。かき氷のみぞれシロップみたいに真っ白で、しゅわしゅわと炭酸を発する緑の小瓶。

 同時に供されたグラスにセルフで注ぎ、喉を鳴らしてぐっと飲み干す。

 嗚呼、久々のこの刺激。程よい……この甘ったるさがグッと来る。


「さあ来いナナちん。ヒロインのひとりやふたり、おれさまがががーっと書いてやっからよ」

「はあ……」

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