ガーディアン・ストライカー

◆ ◆ ◆


 一体、どこで世界のバランスが狂ってしまったのだろう。生田誠一いくた・せいいちは擦り硝子越しに外界を見下ろし、肩掛けにした携帯無線機の紐を指で弄る。


 今から数えて二十年前。悪の組織ハーヴェスターは『原初の男』に依って完全に滅ぼされたが、それは同時に、奴らが造り育てた異能力者、バイオ融合生命体、改造人間といった危険物を平和な世に解き放つことでもあった。


 ひとりふたりなら容易く対処出来ただろうが、世界に数十万単位ともなると話は別だ。野放しにしておけば六十億を数える現・人類とかち合うのは自明の理。

『同族』の駆逐を良しとしなかった彼は、それらに『ガーディアン』という居場所を与え、同時に民衆が抱く畏怖への枷を括り付けた。

 お蔭で重大犯罪は姿を消し、非合法な組織は草も生えない根絶やしとなった。

 そこまでは良かったのだが――。


「それで仲間割れしてちゃ、計画倒れにも程があるよなあ」


 所詮この世は弱肉強食。優れたものがその役職を担うのは当たり前。知や力で常人に勝るガーディアンたちはあっという間に社会の要職に就任。

 政治家、警察、軍隊、営業マンや農家でさえも、超人崩れのガーディアンが独占することとなった。


 街の外ではたかがコンビニ強盗如きに"ガーディアン"五人が手柄を競い、善良な人々の暮らしを脅かしている。

 取り締まるべき警察もガーディアンの側に付き、平民の戯言など二の次三の次。

(これが……みんなが夢見た未来だっていうのかね)

 齢二十を数え、定職に就けず、屋内プールの監視員で糊口を凌ぐ彼も、そんな境遇に振り回された常人のひとり。

 しかも、明日には若手の『ガーディアン』が同じ職に就任し、首を切られることが確定していると来た。

 やるせないが、仕方ない。それが、『カレ』が決めたルールなら。

 誠一は溜息と欠伸を同時に噛み潰し、再び大プールの監視へと戻ってゆく。



◎ガーディアン・ストライカー︰第一話・『血と炎より産まれし者』より抜粋◎



※ ※ ※



『――あぁ〜っ。そう、そう。昨日のアレ観ました!? ピンチの末の大逆転に新形態! いっそ気持ち良いくらいの神回だったっスよねぇ』

「ウッソだろお前。あんなのおれに言わせりゃ下手打ちの尻拭いだぜ。前と後の脚本が打ち合わせ出来て無いんだよ。ずーっと前に解決した問題、なんで今更引きずってくんだって話」


 お日様の代わりに半月が空に昇り、赤白青の光が道路を輝かす頃。遅番業務を終え、自転車を漕いで帰路を急ぐおれを労うかのように、無料通話アプリから響く聞き慣れた友人の声。


 可愛らしい猫のアイコンを用いる彼は『メルシィ』。SNSサイト内の同じ特撮ヒーローコミュニティーに属する数年来の友達だ。少なくともおれより数年歳下らしく、今のヒーロー業界が抱える閉塞感を何事もなく受け入れている。



『――"スケープゴート"さんはアタマが固いんですって。俺たち、良い歳こいてヒーローにお熱なワケじゃないっスか。どっかで妥協しなくちゃでしょォ』

「ンなことぁ解ってるよ。けど、スポンサーとBPOの顔色伺って、毎年マンネリになってる今の状況は堪えられんのだ」


 我ながら、面倒臭いおたくだと思う。この界隈はモノの割に視聴者の年齢層が高く、自分の好き嫌いを厳しい口調で糾弾する輩が異様に多い。

 それでもなお、イチ友人として話に乗ってくれるメルシィのヒトの良さには感謝する。先日のマツリとの一件も話してみようか? 少し悩んで、それは違うと取り止める。


『――じゃあ、そんなセンパイにオススメを、っと』

 しゅっ、という口笛と共に、通話アプリのタイムライン上に商品宣伝のバナー広告。ライトノベル? の割に表紙に躍るわ黒い甲冑に紅い瞳の超人。どう観ても『そう』は見えないが、ハッタリの効いたポーズを取っているあたり、この本の主役なのだろう。


「ナニコレ」

『――えっ、知らないんスか、『ガーディアン・ストライカー』。かつて世界を救ったヒーローが残る常人を蹂躙する時代、《ガーディアン》という組織を作って群れるようになった超人たちに鉄槌を下す、イマドキ古風なダークヒーローものですよ』


「へぇ〜……」あらすじだけでお腹一杯になりそうなほどニッチな話。ンなもん書いて、果たしてそんなに売れるのかねえ。

「これ、人気あんの」

『――好きな人とキライな人とで二分っすね。ヒーローものとしちゃあ閉塞感あるし、ちょくちょく歯切れも悪いけれど、センパイなら楽しめると思って』


「何だかよくわからんが……」読んでもいないのに判断するのは早計か。「勧めてくれてありがとう。暇な時にチェックしてみるよ」

 直に家だ。会話しながらだと鬱屈とした帰り路も、『法蓮荘(ほうれんそう)』なんてとぼけた名前のアパートも気にならなくなる。週一で時折下の階から写経が聞こえて来るのは苦痛だが、社割りが効くし、何より職場に近い。


 さて、今夜は何をしよう。朝からずっと掛けっぱなしの洗濯物を取り込んで、ハイター漬けした食器を水洗い……。ああ、全く持って夢が無い。


「おや……?」茂みに隠れた駐車場で、見覚えのない赤光りする回転灯。

 気になって近寄ってみれば、上下で黒白に塗られた軽乗用車。左サイドにはM県警にPOLICEの文字。

 あの出で立ちには見覚えがある。その周囲で手持無沙汰にうろつき回る、青い制服の男たちにも。

 だが、こんな辺鄙へんぴな場所で何をしている? ここの住人が、警察の御厄介になるような事態に陥るとは思えないのだが――。


「貴方は……ここにお住いのヒト?」

 警官らの隣に立つ、しかめ面の女性と目が合った。肩まで掛かる黒髪を三角バレッタで止めて持ち上げ、赤フレームの楕円眼鏡。糊の利いたスーツをぱりっと着こなす様は、ドラマに出て来る性格のきつい、ヤリ手のキャリア・ウーマン・そのものだ。

「ええ。ここの302号室ですが……。それが何か?」

「302」数字を聞いて、女の目がぎらりと光った。今までに被った苦い経験が、おれの頭で赤信号を輝かす。何かやばい。


「やはり、ここで待ってて正解だったわ。大雑把マサル・っていうのは、あなたのことね?」

「いや。大雑把じゃなくて雑葉ざっぱ。雑葉大です。大は名前」

「ふぅん」だから何、と言わんばかりに冷淡な態度。よく間違われるので気にしないけども。

「そういえば、自己紹介が未だだったわね。私はこういうものです」

「あ。どうも、ご丁寧に」

 渡された名刺に書かれていたのは『F書房・編集者・桐乃きりの菜々緒ななお』なる名前。

 ヒトのことを言えた義理じゃないが、どちらが姓で名なのかはっきりしてほしい。

 しかし、出版社の編集者? なんでそんな人間が、警察と一緒にうちの前でたむろしてるんだ?


「あの。ウチか、この近所に何か御用ですか? ここアパートなんで……、あまり夜に騒がれるのはちょっと」

「何か。何か、ですって」

 何が契機となったか判らないが、逆さ鱗に触れてしまったのは確からしい。桐乃菜々緒はかなりの早口で切り返してくる。

「それを問い質したいのはこっちの方! 貴方、『茉莉』に何したの。『遺言』の偽装なんて狡い真似して、あの子の"連載"を横取りするつもり!? そんなことして何になるの。さあ、早く彼女の居場所を吐きなさい。こちとら公権力を味方に付けているのよ。女だからと甘く見ないことね!」


 駄目だ。早口なのも相まって、まるで意味がわからない。遺言って何。だいたい失恋を苦に自殺するなら、振った方よりフラれた方ではないのか。

「興奮されてるとこ大変申し訳ないのですが、幾ら何でもそりゃあ無いですよ。だいたい、現れるなりヒトを疑って。何か証拠でもあるんですか」


「証拠」眼鏡越しの菜々緒の瞳がぎらりと光る。半ば冗談だったのに、まさか、本当に証拠があるとでも?

「何かと思えばあァ白々しい。打ち合わせで家に尋ねて来てみれば、部屋は整頓、端末はデータを消してテーブルの上! 加えて、『こんな』書き置きがあったとなれば、貴方を疑わない理由が何処にあるっていうの!?」

「書き置き……?」

 鼻息荒く、彼女がおれの鼻先に突き出したのは、チラシの裏に走り書いた杜撰な置き手紙。筆跡はマツリのものと見て相違ないが、そこに書かれた文言は何だ。

 本当に、彼女が書き記したものだというのか?



 "誠に不本意ながら、作家・上代茉莉は死を選ぶ。だが、苦心して産み落とした己が子どもを放置しておくのは忍びない。

 大ざっぱマサル君。あなたを生涯の友と認めてお願いする。キミに、アタシの子ども、『ガーディアン・ストライカー』を完結させて欲しい。一度広げた風呂敷を、きっちり畳んでほしいのだ!"



「これが……、夜中に人んちの前で、警官と一緒に待ち伏せてた理由?」

「他に理由がある?」

「……冗談じゃないよ」

 なぁ、メルシイ。お前の言ってたオススメって、これか……?

 死ぬ理由にしてはポジティブすぎて、とてもセンチメンタルな理由にはなれなかった。

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