第7曲 軋む若木

16話 あんな奴ら

 七月、夏の只中。太陽から強烈な日差しが降り注ぐ。

 開け放たれた窓の向こうのグラウンドからは野球部の掛け声、階上の音楽室からは金管楽器の音色。正午過ぎにして既に放課後の校舎内に、約2週間ぶりの賑わいが戻った。

 十幾年か前の学院総長殿の強い意向で、葉槌学院大学付属高校は期末試験が始まる1週間前から「テスト準備期間」なるものが始まり、部と同好会の活動の一切が停止される。

 空いた時間は名目上任意参加のテスト対策の補講に充てられるのだが、部活動に本気で打ち込んでいる生徒たちからすれば堪ったものではない。

 教員にとっても放課後の追加授業の類は部活動以上の長時間労働の種でしかなかったので、結局この施策は学校中からの大不評を買っていた。

 そう言う事情からか、前学期の試験期間終了直後は体育会系の部活がいくつかのグループに分かれて今年度一回目の“部活初め”をするのがこの学校毎年の恒例となっている。今もちょうどサッカー部と野球部がそれぞれの顧問教員の号令で一か所に集合し、綺麗に整列したまま校門の外へとランニングに出ていったところだ。

 住宅街とは隔たれた山中にあるから良いものの、彼らの気合が入りすぎた掛け声は近くの森でがなり立てるセミの騒々しさを押し切らんばかりの激しさだった。

 彼らほどでないにしても、高校生にとって期末試験の終わりというのは嬉しいものだ。

 死相の浮かんだ成績不振者ももちろんいるが、夏休みを目前にして浮ついた気分で課外活動に励んだり、一足早く遊びまわっている生徒が大多数なのはどこの高校でも同じである。

しかし、例外とはどこにでも存在する。とある教室にはそんな例外の2人が対面で座して、分厚い専門書とノートを見ながら未だに難しい顔をしていた。

「88点。上出来よ、樒」

 採点の終わったプリントを返しながら、感心しきった様子で槙理は言う。

 紙面に化学の問題がずらりと並んだそれは、つい先日杏華から渡された追加テスト。解答者本人である樒は受け取ってすぐに間違えた箇所を確認してはふんふんと頷いていた。

 樒にとっての試験はまだ終わっていない。

 国が主催する魔術の取扱に関する資格試験は科目ごとに月と週をずらしてそれぞれ年3、4回行われる。その中で樒が目下のところ受けるべき科目である魔術取扱者試験、いわゆる“魔術士免許”の次の開催日は7月の第3日曜日。1週間後に迫ったその日こそが樒にとって本当の“試験期間”の終わりだった。

 そんなだれしも気分が落ち込むような日々を過ごしていながらも、この1週間の樒の様子は何一つ変わらなかった。呑気にあくびをしながら教室に入り、ぼやっとした顔で正課の試験を受けて、休み時間に未知の問題で慌てふためくクラスメートを後目にまたあくびをひとつ。

 そんな気の抜けたような調子でも彼女は少なくともクラスの平均以上の成績が取れる自信があったし、事実として数カ月前の中間試験は特待で入学したエリート集団にも引けを取らない好成績をたたき出して教員達から称賛の嵐を受けていた。

 そして、彼女に期待の目を向けているのは大人だけではない。

 魔術災害の渦中でも発揮された、ブレることのないマイペースさと度胸、いざという時の計算高さ。それこそ彼女が内気そうな顔の裏に隠し持っている強みであり、魅力である。槙理は樒の事をそう評価していた。が、しかし……

「いやぁ、ここまで来たら逆に来週が楽しみになってきたよ」

「あんたねぇ……さすがに緩みすぎよ。午後も予定あるんだから」

「分かってるって。それより、もう学食も空いてるだろうし、先にお昼にしようよ」

――ここまでマイペースなのも考えものね。

 お気楽な様子で席を立った樒に槙理は思わず眉をひそめた。

 何となくそんな気はしていたが、釘を刺しても全く効果が無い。大量の出血で朦朧としながらも、震える唇で「大丈夫」と言って起き上がろうとする程なのだから、もはや危機感が無いと言った方が正しそうだ。

 だが、時間も時間。朝を抜いているのも相まって空腹がそろそろ我慢の限界なのも事実だし、こんな所で小言を垂れ流しても仕方がない。

「ったく、しょうがないわね」

 そうぼやいて樒の後に続いて廊下に出た槙理は、前を行く背中に目を移したところでふと思う。

――一体どこまでがあいつの考えの内なのだろう?

 自分が朝食をあまり食べない事を樒は何度か聞いて知っているはずだ。もし今の説教を中断させるのも、言っても無駄と思わせる態度も、全て彼女が意図的にやっているとしたら?

――いや、考えすぎね。

 そう結論づけて、一言。

「教室の戸締り、先生にやれって言われてたでしょ。忘れたの?」

 さっさと事を運ばせたい奴が、こんな簡単な事を忘れるはずがないだろう。所詮、憶測だ。

 ぎくりと肩を跳ねさせて振り向く親友の姿を目の当たりにして、槙理は肩を竦める。


 葉槌学院大学と付属高校を繋ぐルートはいくつか存在する。それぞれ利用する目的と道中の特徴に合わせて“実習坂”、“居残り橋”などの愛称で呼び分けられているが、二人が今向かっているのは大学側にある学食に一番の近道になるルート、通称“昼飯トンネル”だ。

 高校の1階教員玄関前の事務室から廊下をまっすぐ進むと、体育会の前を通り過ぎたあたりで急に天井と壁の形が変わる。そのまま少し薄暗い通路を歩いて突き当りにあるドアを抜けると、そこはもう崖上にある大学の建物、人文学部教室棟。なんといきなり地下2階である。この通り道はかつて付属高校が人文学部棟の一部だった頃の名残であり、数度の改修工事を経ても変わらないカマボコのような形をした廊下こそ“トンネル”の所以である。

 トンネルを少し進んで左手側にある大きな階段で1階に上がると人文学部の表玄関にたどり着き、そこを出ると大学生協の第二食堂が真正面に現れる。高校の生徒が訪れることも見越しているのか、キャンパスの外れにあるにしては大きな建物だった。


 当然、樒たちは昼食のためだけに大学まで上がってきたわけではない。

 早々に昼食を終えた2人が次に向かうは、体育館。

 広い板張りのフロアの端、ジャージと体操着に着替えた樒は数人の学生と肩を並べ、開始のブザーと共に一歩前に出る。

Mi rigardas私は望む――」

 詠唱と共に脳裏に一つの情景を強く思い描いて、手を伸ばした円筒を握りしめる。すると、側面に塗られた蛍光塗料がぼんやりと黄緑色の光を帯びる。それを見届けた審査員は軽く頷いてストップウォッチのラップタイムを記録した。

「正常な動作を確認、次」

 続いて右のテーブルに向き直る。両手を炊飯器大の装置の横腹に当て、二言の詠唱。上面の小窓を覗き込んでみるとアクリル板の向こうで魔導機モーターの回転が見える。

「正常な動作を確認、次」

 そうして樒は次の試験装置の前に移って新しく詠唱を始める。

 樒がこなしているのは魔術士免許の実技試験と同じ内容の模擬演習だ。

 魔術士免許の試験は提示された術式原文ソースコードを術式に書き下すことから始まり、魂に埋め込まれた術式処理器官エンジンの起動、小型の魔導機の駆動や小規模な化学変化促進など多岐にわたる。それらは全て魔術士免許で使用が使用が許可される魔術で構成されており、受験者は項目ごと異なった観点から“安全かつ安定して指定の魔術を使用できるか”を試されることとなる。

 葉槌学院大学は在学生全員に魔術士免許の取得を推奨していることもあってか、魔術関係の資格試験に関する支援が非常に手厚い。無資格者向けの練習に使える施設を持つ大学は少なくないが、学生の受験対策のために実際の試験と同様の演習を無償サービスとして提供している学校は他に類を見ない。

 だが、学生が本当にそれを求めているかは、やはり別の話である。賢明な学生たちはこの模擬試験がわざわざ事前に予約してまで受けに行くようなものではないと気付いていたし、それ以前に日々のレポートや課外活動で手一杯な大半の学生たちは入学から半年の内に存在そのものを忘れているのが実情である。

 そんな理由も相まってインストラクターを担当している大学職員は高校生の樒がこの半月で既に五回も模擬演習を受けなおしている事に感心どころか驚きを隠せないでいるようだった。


 試験を一通り終えて休憩室に足を踏み入れた樒はまばらに散った利用者の中から槙理の姿を見つける。

 “酔い”とも表現される、魔術に慣れていない者がよく感じる気分の悪さがまだ抜けきっていないが、「やるじゃない樒」とテーブル席で目を輝かせている槙理に対してピースサインと笑顔で返事するだけの余裕は残っていた。

「上から見てたわよ。あんだけしっかり魔術を走らせられてたら試験も楽勝そうね」

 今しがた買ったばかりのスポーツドリンクを手渡しながらそう言う槙理の言葉尻と表情は、出会ったばかりの頃からは想像もつかない程に軟化していた。

「そうでもないよ。インストラクターの人にも言われたけど、テストの最後の方は集中力が切れてボール落としそうになったし」

「自覚があるんなら制御の手綱を握れてるって訳だし、短期間でそこまで仕上げられてたら十分もいいとこよ」

「それが出来たのも槙理ちゃんの教え方が上手かったからだよ」

 普段は歯に衣着せぬ物言いが目立つ槙理のべた褒めに満更でもなさそうな顔のまま樒は言葉を切り、もらった飲み物に口をつける。


 彼女のめざましい成長は座学だけでなく、今のような実技にまで及ぶ。

 本腰を入れて練習を始めてから数週間にして、既に合格ラインまで一歩手前の完成度。この成長速度は天才と呼び称えられる槙理をしても称賛するほかないものだ。

 座学でも、実技でも、「槙理と杏華の復縁と、それによって連携した2人から重複のないよう魔術を学ぶ」という樒の目論見は予想以上にうまく回っていた。

 両人とも常人を越えた能力を持つ人物なだけあって得られる情報量は段違いだ。その上、座学は噛み砕いた解説が得意な杏華が、実技は感覚の具体的な説明が得意な槙理が、と分野を分けて教えるようになってからはさらに学習の効率が上がった。

 もっとも、樒自身の能力と気力が伴わなければ成り立ちえない習熟スピードのなのは間違いない。

 樒自身は「まぁ頑張ったのは否定しないけどね」とおどけた態度をとっているが、魔術取扱者試験の合格するまでには高校のカリキュラムでは二年、純粋な試験勉強だけに限定しても半年以上の勉強時間が必要である事を鑑みれば、彼女のそれが一般的な“頑張った”の範疇を超えているのは明らかだった。


 悪い言い方をすれば、無自覚が過ぎる呆けた顔。乾いた喉が潤されて細く息をつく樒の緩み切った表情を眺めて、槙理は改めて不思議に思う。

「にしても、よくここまで続けられたわよね」

「え、どういう意味?」

「いや、さ」と目線を外しながら、「あんたは誰かに憧れて魔術士になるって決めたって言ってたけど、そういう奴って大抵すぐ飽きるか何かしてやめてくからさ、根性あるなって思って」

 槙理遠い目の先に、今まで目にしてきた有象無象の顔が浮かぶ。テレビに脚色された“私”に影響された同級生、ヒーローショーを間近で見ているかのように目を輝かせていた子供、自分のせいで誰でもできると勘違いした大人――そんな連中の中で一体どれだけの人が本当の魔術士になれただろうか? どれだけの時間が無駄にされたのだろうか? 

 彼らが抱いた感情の裏とその先に待っている失望を知っているからこそ、槙理の憧憬に対する否定的な感情は大きい。

 槙理からすれば自分が実力を認めた樒がそんな夢の類型に過ぎない理由だけでなぜ意志を保てているのが理解できなかった。


 人は自分が理解できないものに相対した時、自分の経験則もとい世界観を元にして勝手な理解を試みる。それは槙理にも当然、当てはまる。

「あんたって自分のこと全然話してくれないけど、案外あんたも家族に期待されてたりしてね」

 しかし、それが樒に対しては最悪の言葉である事に槙理は気づけなかった。

 家族。それを聞いた瞬間、樒の表情が凍りついた。そして。

「どう? 家から離れた私学に一人で通わせてるくらいだし、わりと当たってるんじゃ――」

「あんな奴らッ!!」

 突然の怒号。賑やかだった休憩室が水を打ったように静まり返った。

 倒れた椅子の音が反響して、長く尾を引く。

 絶句する槙理の目前、怒りの頂点を抜けた樒は自分が周囲の視線を一点に集めている事に気づいて、その表情を恐怖へと変える。

 そのまま樒は訳の分からぬ叫び声を上げながら弾けるようにテーブルから離れ、そのまま人にぶつかるのも構わずに転がり出ていった。

 その場に残された槙理。次第に元通りになる雑踏の中に1人、呆然とする。

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