第11話 また会えたこと自体が嬉しい

「槙理ちゃん、ここだよ」

 樒は住宅街の川沿いにひっそりと建つ民家を指差して到着を伝える。

 白熱電球に照らされた玄関脇の“Salon de thé La Girouette”と書かれた看板だけがそこを喫茶店だと主張している一軒家を前に、槙理はいぶかるように目を細める。

「ジ、ジロ……? あんた本当にここがお店なんでしょうね?」

「まぁまぁそう言わず。行って行って」

 ぐいぐいと背中を押してくる樒に負けて、槙理が嫌々ながら玄関を開く。と、その瞬間にコーヒーと、うっすらとシナモンに似た香りが鼻腔に届く。

 扉の向こうには、漆喰の壁とダークブラウンに塗られた木の調度品で揃えられた、シンプルだが確かに喫茶店らしい空間が広がっていた。

「すごい……こんなところが」望外の光景に思わず息を呑む。

「大丈夫だったでしょ? さ、こっち」

 樒はこの店の店主らしい初老の男性に軽い会釈と世間話を交え、槙理がまだ呆気に取られているのもお構いなしに手を引いて奥へといざなう。


 客入りはあまり良くないらしい店内の隅の席で早速メニューを開く樒だったが、程なくして前からの視線を感じて目を上げる。

「あんたって、ほんと読めないわね」樒をじっと見つめながら一言。

「どういうこと?」

「人見知りに見えて意外と話す。内気そうに見えて行動派。それに加えて天然に見えて目の付け所が良い。ほんと、付き合ってて面白いわ」

 槙理からの直球の誉め言葉――貶しているようにも取れるが――を受けて、樒は自分の頬が自然と赤熱するのを感じた。

「う、うーん。ありがと、う……?」

 どぎまぎしながら、ほんのりと頬を赤らめて小さく感謝の言葉を伝える。褒められ慣れていないのが一目でわかる仕草。そんな樒を見て、やっぱり面白いと言いたげに槙理が笑う。

「さて、良い場所紹介してもらった借りもあるし、今回はあたしがごちそうしてあげようかしらね」

「えっ、本当?」それを聞いた樒は顔の火照りも冷めやらぬままに目を輝かせる。「じゃあ……すいません!この大盛りオムライスとカツサンドと、あと五重メープルパンケーキと」

「ちょ、ちょっと! 本気にしないでよ!」

 樒の怒涛の注文にさすがに顔を青くして、手の平を返す槙理。


 穏やかな時間。話すことと言えば家族のことや学校のこと、週末の予定のこと。槙理もこの時ばかりは天才、あるいは当主の看板を降ろして、楽しげに語らっている。

「じゃあ今週も土日の予定は一杯、と。勉強熱心な事ね」

「一年で退魔士っていうのが先輩との約束だし、それにうんって言っちゃったのも私だから、今更退けないよ」

 樒は自分の向こう見ずを思い返して苦笑いを浮かべる。それを提案した杏華も大概ではあるが。

「その先輩が杏華って訳ね」

「うん、そうだよ」

 それを聞いて、槙理は意を決して話を切り出す。樒がデザートのパンケーキを喜色満面に頬張ろうとする矢先のことだった。

「ちょうどいい機会だわ。昔話させて」

「昔話」

 シロップが垂れそうになったホットケーキを慌てて放り込んだ口をもごもごさせながら、樒は槙理の言をオウム返しにする。

 楽しげに話していた先程から一転、今まで見たこともない切なげな表情をしている槙理がこれから何を話そうとしているのか分からず、とりあえず確認する。

「水月先輩のこと?」

「そう。『杏華』のこと」

「でも……なんで?」話の流れとしては分かるが、樒は解せない。「二人のことを私に話しても仕方ないんじゃ」

 旧部室棟での一件以来様子がおかしい槙理の助けになりたいという気持ちは確かにある。しかし、ただの目撃者でしかない自分にわざわざ槙理が込み入った事情を話す義理もない。樒はそう考えていた。が、槙理の判断は違うらしい。

「あたしを羽交い絞めにして止めたのはあんたでしょ? 今更無関係なんて言わせないわよ。それに……」

 槙理は次の言葉に詰まり、唇を噛む。大変なためらいを感じさせるため息と共に髪を掻いて、樒から目を逸らす。

「こんなこと、あんたくらいにしか話せそうにないんだから。言わせてよ」

 長考の末、蚊の羽音のように小さく漏れ出したそれは、今まで他人に弱みを見せまいと必死に覆い隠していた、槙理の弱音だった。

 彼女の弱り顔を前にして、樒は頷くしかなかった。


「あいつと初めて会ったのは4年前。その頃は“狩明かりあ”の娘だった」

「その、カリアって?」出鼻をくじいて申し訳ないといった表情を浮かべつつも、手を小さく上げて質問。

「昔々は京都に居を構えてた、ちょっと有名な魔術士で政治家の家ってとこ」

「先輩はそこの子供だったんだ」

「面倒な事情は省くけど、まぁそういう事」

 杏華がそんなに良家の出身だったとは想像していなかった。しかし、あの可憐な佇まいにお嬢様めいた言葉遣いを考えると確かに合点がゆく。

 思えば、樒は杏華のことを何も知らなかった。と言うより、彼女は尋ねるという選択肢を選ぶことができなかった。知りたくないと言えば嘘になる。だが、人の過去に安易に深入りしてはいけない、そのことを樒はよく理解していた。


「それで」と、槙理が仕切りなおす。「あたしが親の用事で狩明の家に行った時、あたしの相手してくれたのが杏華だった。4つは歳が離れてたはずなのにあいつは私の話を真剣に聞いてくれて、何度か一緒に遊んでるうちに友達というかお姉ちゃんというか、そんな感じになった」

 頬杖をつき、ティーカップの底を覗き込んでいる槙理の表情は、相変わらず暗い。

「あいつ魔術もそうだけど、何やってもあたしより上手くて。そりゃ年上だから当たり前なんだけどさ、私もムキになって頑張って、あいつを追い抜こうとしてた。」

 樒は雰囲気に耐えられず、思わずテーブルナイフに手を伸ばす。が、ホットケーキの残りなど、食べられる気分ではなかった。

 槙理は続ける。

「よくあいつに言ってたわ。『あんたが偉くなるより先にあたしがもっと偉くなってやる』なんてさ。でもさ……」

 言葉を詰まらせ、さらに俯く槙理の顔。

「でも……?」と、樒はおずおずと促す。

「あいつ、急にいなくなってさ」

「いなくなった!?」

 思いがけないの言葉に、思わず聞き返す語気が強まる。槙理は声を無理やり絞り出すように続ける。

「狩明の家の人に訊いても、うちの家族に何度も、何度も訊いても……。みんな口揃えてさぁ、『そんな子はいない』なんてさ……」

 うなだれた槙理から溢れ出したものが滴り、真下にある紅茶に波紋を残す。

 あの槙理が、泣いていた。

 樒は慟哭する槙理になんと声を掛ければいいのか、分からなかった。何を言っても火に油を注ぐだけの気がして、黙っている事しかできなかった。

 しばらくして、異変に気付いた店主が慌てて駆け寄ってくるまで、彼女は目の前で泣きじゃくる友を、ただ見つめていた。


 帰り道、左腕をぶんぶんと振り回しながら先程までとは別な理由で槙理が吠える。

「不覚! 一生の不覚だわっ!」

 右手は彼女が駆けださないように樒が両手で掴んで必死に引っ張っている。

「あ、危ないって!」と、冷や汗をかきながら言い聞かせる樒。「言いたいこと吐き出して気が晴れたのはいいけど、静かにして! 暴れないでって!」

「昔のことで泣きわめいて、挙句友達に介抱されるなんて渡衛の名の面汚し……天才の名が聞いてあきれるわ! こんなんじゃ当主になんてなれないしお婿さんも貰えなぁぁぁいっ!!」

「わっ、ちょ、まだ赤信号! めっちゃ車通ってる!」

 力負けしてずりずりと引きずられる樒。夜道を行く人々の視線を一身に集めるその絵面は、まるで猛犬の散歩のようだった。

 怒りのボルテージが下がって尚もぐずる槙理を宥めながら、樒は何とかアパートまで彼女を運び、玄関を開けさせるところまで漕ぎつけた。時間を確認すると行きの倍近い時間がかかっていた事に気づき、嘆息する。

「世話、かけたわね」

 あれだけ暴れて槙理も気が咎めたのか、小さく謝罪の言葉を口にする。今ではすっかりクールダウンして、むしろメランコリーに逆戻りしているようにも見える。

「何とかなったし、そんなに気にしなくても良いよ」

 怒るでもなく、同情するでもない。そんな樒の対応に槙理は気を楽にして表情を緩める。

「今日はありがとう。じゃ、また明日」

「うん。じゃあね、槙理ちゃん」

 最後に別れの挨拶を交わし、ドアを閉じようとする槙理。だが、しかし。

「ごめん、最後にもう一個」

 槙理は閉める手を止めて声を掛ける。

「たとえ話よ……久しぶりに会った友達が前と全然違う雰囲気で、別人みたいになってたら、あんたならどうする?」

 その質問が何を意味しているのか、容易に理解できた。おそらく槙理も分かってほしくてこんな訊き方をしているのだろう。

 樒は彼女をまっすぐに見つめて、自分の意見をそのままに伝える。

「私は、素直に喜ぶよ。その友達とまた会えたこと自体が嬉しい。雰囲気が違うとか、別人みたいとか、昔のこと気にしすぎなくても良いんじゃないかな? ……と、私は思う」

 樒の言をしかと受け取り、槙理はゆっくりと頷く。

「そう、よね……」

 迷いが抜けきらないような声色だが、それでも槙理の気は晴れたようだ。

「ありがと、樒。満足したわ」

 槙理が今度こそ玄関を閉めるのを見届けて、樒も自室に入る。


――私は彼女の助けになれただろうか?

 風呂に鼻の下まで浸かりながら樒は一人、考える。吐いた息がぶくぶくと泡になり、水面で弾けた。

 槙理はまだ悩んでいる。杏華との和解はまだ先の話になるのだろう。

 二人の仲を取り持てたら良いのだが、自分がどこまで踏み込んで良いものか、それが分からない。

 槙理との関係が壊れるリスクを背負って厄介事にさらに首を突っ込むか、それとも静観を決め込んで現状を維持するか、樒の頭の中で天秤がぐらぐらと揺れ動く。

――そういえば、なんで時怒ってたんだろう

 再び、数週間前の出来事が脳裏でフラッシュバックする。

 あの時、槙理は杏華を殴らんとする勢いで掴みかかっていたし、自分が取り押さえてもなおその怒りは消えることが無かった。

 あの日の怒り顔と今日の泣き顔の理由が、どうしても噛み合わない。

 そして、槙理が激して叫んでいた言葉。

 役目とは? 約束とは……?

――もうちょっとだけ、やってみるか

 樒は重い腰を上げ、湯船から出る。

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