第9話 私は、あなたに会う為にここまで来た

 課題を終えた樒は、ひとり自室の窓から向こうの景色を眺めていた。

 今見ている暗闇のずっと先で、槙理が魔術災害と戦っている。そう考えると、樒は彼女の幸運を祈らずにはいられない。


――やっぱりあんたは逃げたのね

――自分の役目を投げ出して、約束も放り投げて! 


 ふいに、夕方の出来事が脳裏をよぎる。

 槙理と杏華がどのような関係にあるのかは知りもしないが、その答えだけをあのように示されては、なんとも後味が悪い。

――嫌なもの思いだしたな

 かぶりを振って窓から離れようと一歩下がったところで、樒はふと思い立ち、机の隅に立てかけてあるノートPCに目を向けた。

――那智川家の事、少し調べてみよう。

 検索エンジンの入力フォームに“那智川家”とだけ入れて検索すると、すぐにウェブ百科事典のページがヒットした。

 那智川氏。古くは神代より名を刻む北人ハウリオの一族で、家名は真名の当て字とされる。

 代々神道主流派閥の祭主として国内祭祀の管理・監督役を務め、五家門の中で唯一、現代も神祇院に籍を置き続けている家系だとも書かれている。

 “無貌の狼”という呼び名の由来である能面めいた無表情は感情抑制魔術によって後天的に作られたもので、彼らの特殊な大規模儀礼魔術によってもたらされる精神負荷を軽減する目的があるという。

 ネット上の情報で知ることが出来たのは、これで全てだった。

「本当にみんな秘密なんだ」

 那智川家は文明開化の機運が高まると共にその実態を徹底的な秘密主義のベールによって包み隠すようになった。分かる事と言えば古い逸話と対外的活動の記録、歴代頭首の面相くらいのもので、今の家族構成や魔術の詳細といった、名家ならばとっくに知れ渡っていて当然な内部の情報がどこにも載っていなかった。

 秘儀の国外流出を危惧したという説が有力であるらしいが、当の那智川家は沈黙を保っている為、結局は不明のままだった。



 炎上する街の最中、杏華は最後の追手の脛骨を突き砕き、剣戟に終止符を打つ。

 大きく息を吐いて振り向くと、そこには護符結界に囲まれた目的地、中心霊が隔離されている小学校があった。

 整然と一定間隔で並んでいる札の壁に近づいて手を伸ばし、触れる。すると、相手が人間であることを認識した結界が、整列した札の間をジッパーのように広げて入口を作った。

「槙理がここにいるのね」赤熱する校門を飛び越えて敷地内に侵入する。

 結界を展開している術者が槙理であるというのは、触れた瞬間に感じられた魔導固有周期振動魔導の音色で即座に分かった。か細いが力強く、どこまでも伸びていくフルートに似た共鳴音。その音は何があろうと忘れるはずもない、槙理の音だった。

――あの子、まだ怒ってるのかな

 そんな不安を頭の隅に浮かべながらも、杏華は別の物に意識を集中し始める。彼女はすでに駐車場の奥から殺気を感じ取っていた。

 彼女の険しい目つきの先には燃える武者がいた。それは、また逃げ延びることの叶わなかった怒りをぶつける相手を求めて、紅蓮の炎をその身に纏わせ彷徨する、古い城主の末路だった。

 一歩、また一歩と地を踏みしめさまよう、限りなく現実的な亡霊。その憤怒を、狂気を凝縮した四白眼が、こちらを見た。

 怒号と共に突っ込んでくる男を見て杏華は素早く御の構えをとる。太刀を辛うじて受け切るが、その打ち筋は予想以上に重い。反動で後ろに大きく弾き飛ばされながら、身を翻して体勢を立て直す。

「事代B9! 交戦開始! 交戦開――っ!!」

 返事を聞く間も与えず武者が突進。叩きつけられる刃を境界で受け止めた。と思いきや、あまりの打ち込みの強さに境界が負け、裂けるようにして崩壊。咄嗟に横に飛び退き、鼻先一寸で回避する。

 杏華はそのままもう一歩退いて攻撃の姿勢をとる。一気に踏み込み、地面に切っ先を付けて隙だらけになった男の胸へ斬りかかるも、寸前で打ち返される。流れのままに二の太刀を見舞う。が、十字に交差した刀身で強引に払い落され、脇に致命的な隙をさらしてしまう。この幽霊武者は杏華に打ち込ませるため、わざと刀を落として見せていたのだ。

――まずい

 杏華、半ば本能的に意識を集中。脇腹を庇う右手に光をも遮る分厚い境界が現れ、彼女を殺傷するはずだった白刃を受け止めた。金属質の衝突音と共に再び吹っ飛び、アスファルトの地面を転がる。


「さすが……お強いのね」

 杏華は呻きながらも何とか立ち上がり、刀を構えた。

 派手に飛ばされたが、事前に展開していた防護境界狩衣のお陰で目立った外傷はない。とは言え、相手は部分境界障壁真澄鏡の防御すら突破する膂力りょりょくの持ち主だ。体に一撃でも食らえばひとたまりもない。

――最悪とはこのことか

 絶体絶命の状況にも関わらず、彼女は震えのひとつも見せない。凛とした面持ちで眼前の敵を睨みながら、考えを巡らせていた。

 今、杏華はコの字状の校舎の合間に追い込まれている。左右から抜け出そうにも、ただでさえ狭い空間が炎でさらに狭まっているし、何よりあの亡霊がそんな逃げを許すはずがない。無策に前進すれば、またあの重打を凌ぎ続けることになる。

 魔術系統は健在。先程の境界の超高出力展開の影響で酷い頭痛がするが、境界は問題なく維持されているし、術式エンジンも正常稼働している。脳と中枢神経系へのダメージは無い。

 

――型業かたむ暇はない。壁は炎で使えない。単純なパワーと持久力勝負では私が圧倒的に不利。だが……

 杏華は攻撃の構えに直す。中段、槍術に似せた構え。無駄な力を抜き、一直線に男を見据える。

「早言伝。春霞はるかすみ、伝え給え」色のない霧が足元に立ち込め、渦巻き始める。

 杏華の重心が前に移った瞬間、霧の噴流と共に急加速。

 勢いの乗った杏華の刺突を大武者はギリギリで払い落として切っ先を逸らす。触れ合う刀身から火花を散らして一瞬ですれ違う二者。と、杏華が180度急ターン、がら空きの背に斬りかかるべく構える。しかし、男も伊達ではない。太刀を素早く逆手に持ち替えて背後を薙ぐ。杏華はそれを縮地めいたバックステップで回避して、距離を取った。

 追いすがる武者と剣戟を繰り広げながら杏華は徐々に後退していく。目的は校庭への誘導。

――機動力だけはこちらが上。広い場所に誘き出せば奴を翻弄できる

 斜め上からの乱打の衝撃を鋭く受け流してまた後ろへ高速スライド。ブレーキをかける後ろ足から伝わる地面の質感は、まだアスファルトのままだった。


「遅い!」

 腕組み仁王立ちで従属霊を掃討する槙理は、仏頂面のまま吠える。

 今や亡霊どもは組織的な行動を捨て、数に任せて突撃するだけのゾンビに変わり果てていた。

 それが自棄ヤケにせよ、思考のリソースを中心霊に奪われた結果にせよ、敵は黙っていても隙だらけで目の前に出てきてくれる上に、自立攻撃術式が近寄る敵を勝手に吹き飛ばしてくれるので、槙理がすることは魔術の維持だけだった。

「早くしなさいよ全く」

 槙理は振り返って結界とフェンス越しに無人のグラウンドを睨む。これで7度目だ。

 杏華が無線で交戦開始を告げてからしばらく経つが、それきり鎮圧完了の報告も無ければ、戦っているような音も聞こえてこない。とは言っても、感じ取れた結界の侵入点が現在地の反対側なのだから、当然そこで鎮圧作業を進めているというのは容易に推測できるのだが。

 貧乏ゆすりをして、無意識にまた振り返る。そんな自分に苛立ち、槙理は頭を掻きむしる。

 いや、この感情は本当に苛立ちなのか? 彼女はふと考える。

「心配してるって言うの……この私が、あいつを?」なんとなく声に出してみる。なんと馬鹿々々ばかばかしい発想か。

「こんな所で立ちっぱなしで待たされる身にもなってみなさいよ。ったく」

 考察の結果、結論付けられた感情を口にして、深々とため息をつく。

 もう正面から目を離すまい。そう思っていた槙理が9度目に振り返った直後、遠くで爆発音。彼女は目を凝らして、結界の反対側の壁の近くに土煙の柱を発見した。

 もうもうと巻き上がるグラウンドの砂の中から、2つの影が飛び出した。

 槙理は校舎の炎に照らされながら激しくぶつかり合う二者の、小さな少女の方に意識を集中する。

「な……なによ、あれ」

 その姿に両目を見開き、槙理は悄然と言葉を漏らす。


 金色の残像を残しながら、杏華が高速でグラウンドを駆けまわる。その激しい機動に追いつけず棒立ちになる大武者に、不意に肉薄した杏華は容赦ない一太刀を浴びせて、相手の打ち合いを無視して再び距離を取る。空戦における一撃離脱戦法によく似た戦法。

 杏華の不規則な打ち込みに男は次第に対処が追いつかなくなり、今、打ち負けて刀を大きく弾かれて姿勢を崩す。杏華は気が逸った大武者の上段正面斬りを一歩退いて避けながら、右手首へ刃を振り下ろす。肉と骨を断ち切る感触が手に伝わる。獰猛な笑みで口元を歪めて、そのまま鳩尾に太刀を突き入れ、加速する。

「掛けまくもかしこ祓戸大神はらえどのおおかみの大前に、斎主いわいぬし水月杏華、かしこみ恐みもうさく!」

 フェンスに叩きつけられる男。彼の脊椎を折り砕いて貫通した刀の先が結界にぶち当たり、耳障りな金属音を響かせる。

空蝉うつせみの世にでたる枉津日まがつひりし荒魂あらだま神鎮かむしづめに鎮めんと欲し!」

 弱々しく伸ばされる左腕を、手のひらが焼け焦げるのも構わず押さえ込む。

厳潮みかしお播磨はりまにて称辞たたえごとえ奉る天目一箇神あめのまひとつのかみより賜りし霞立つ御太刀みはかしに、御神徳みめぐみを乞い祈願奉ねぎまつらんと恐み恐みもうす!!」

 辺りに立ち込めるたんぱく質の焼ける臭い。男の獣のような咆哮。

「水月流境界術、十五の型。露形見つゆがたみ!!」

 杏華が銘を告げた瞬間、刀身に刻まれた金の刻印が大武者の体に食い込み、燃え盛る炎ごと全身を覆いつくす。


 そうして出来上がった金色の人形ひとがたは、杏華が太刀を引き抜くと同時に崩れ去り、後に残ったのは水晶に似た滴の形の石だけだった。

「事代B9より本部。収容成功。魔術災害を鎮圧しました」全魔術を解除。刀が霞へと還ってゆく。

「どうか、お休みください」



 槙理はやっとのことで詠唱を絞り出して結界術式を解除し、護符を手元に呼び寄せる。

 次第に解体されてゆく護符の壁の向こうの、槙理のちょうど目の前に、今しがた魔術災害の中心を仕留めた杏華がいた。


 かつての友の姿を、槙理はフェンス越しに見つめる。

 慣れ親しんだ面影は、どこにもない。もはや同じ顔をした別人だ。

「あんた……本当に杏華なの……?」震える声で尋ねた。

「ええ、私は水月杏華」

 幻影の血と煤で全身を汚した友は、そう答えた。

「私は、あなたに会う為にここまで来た」

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