第4曲 華は火炎と共に踊る
第7話 わざとなのか、それとも無意識なのか
心象風景を作り出し、念じる。すると、神札の紋様がぼんやりと光り、浮き上がる。
「んふふ」
「もうちょっと周りの目とか気にしたらどうなのよ」
樒が顔を上げると、昼食の買い出しから戻ってきた槙理が
昼休みが半分過ぎた教室には、1人の机に集まっている一団もいれば、槙理と同じように購買から戻ってようやく昼食にありつく生徒たちもいる。生徒が教室の席の数よりも少ないのは、図書室に行っているか、他のクラスに顔を出しているのだろうか。何にせよ、みな思い思いの場所で楽しげに高校生活を謳歌していた。
「大丈夫、別に誰も気にしてないって」
「それ、あんたが無自覚すぎるだけだから」樒の机の前の席に勝手に座って向かい合う。
槙理が差し出した菓子パンを受け取ってから、樒は鞄を取ろうと身をかがませせながら、ほくそ笑んだ。
今朝は寝坊して弁当の準備が出来なかったが、一か八かで槙理についで買いを頼んでみて正解だった。それくらい自分で行きなさいよ、などと小言を言いながらも、特に拒否することもなく槙理は引き受けてくれたのだ。彼女は予想よりもお人よしだった。
槙理は膝の上にカバンを置いて中を探っている目の前の少女をぼうっと眺めながら、彼女の事を考える。
「なんていうかあんたって、時々急に周りが見えなくなるわよね」
ちょうど財布を見つけて顔を上げた樒が「うーん?」雑に聞き返した。
「普段人との会話とか人混みを嫌がるくせに、すぐ何かに釘付けになってまわりの目を気にしなくなる。自分の世界に飛んで行きやすいって所かしらね」
試験器に見とれている表情も、人混みを楽しげに歩く姿も、入学式後のクラスの自己紹介で顔を真っ赤にし、名前を告げるのが精いっぱいだったあの少女と同一の人物だとは思えなかった。
「あはは、それは確かにあるかも」他人事のように笑いながら槙理に小銭を手渡す。
「ま、そういう所があんたらしいってものだけど。さっきみたいな
「私の目に映らないなら無いも同然だよ。っていうか、槙理ちゃんにも何か言われる筋合いなんてないんだけどなぁ」
樒が菓子パンの袋を開けたのを見て「それもそうか」と会話を切り上げる。
頬杖を突いてさり気なく目配せする槙理。樒の席の周囲は、がらんと空いていた。
――わざとなのか、それとも無意識なのか。
栄養補助食品のバーを齧る槙理の目が細まる。
樒も今は呑気な表情で菓子パンを頬張っているが、槙理が離れればすぐにいつもの湿っぽい、陰気そうな顔に逆戻りしてしまう。クラスメートもその近寄りがたいオーラを察して自然と離れていく。そんなこともあって、自分以外で樒の友人と言えそうな存在は、槙理の記憶の限りでは1人もいなかった。
――あの笑い方、まるで……
「槙理ちゃん、怖い顔になってるよ」
ふと我に返ると、樒が不安げに顔を覗き込んで様子を窺っていた。
「何か嫌な事でも思い出した?」
図星をついてくる樒に「なんでもない」と一言返す。
一度深呼吸して、槙理は時計に目をやる。時刻は13時30分。
「やばい、次移動教室よ!」
「やっと気付いた」
慌てて立ち上がる槙理と、それを見てくすくすと笑う樒。以前とは逆の光景。
放課後の廊下はいつも通り、ホームルームを終えた教室から流れ出てくる生徒で賑わっていた。昇降口へと向かう流れから外れて、樒と槙理は大学へ通じる渡り廊下へ歩を進める。
歩きながら「ねぇ槙理ちゃん」と、樒が切り出す。「前に杏華って名前を聞いた瞬間に血相変えてたけど、知ってるの?」
「昔の知り合いと同じ名前」
そっけなく槙理が答える。西日に照らされ、彼女は眩しそうに顔をしかめた。
「ま、杏華なんて名前はありふれてるもんだし、どうせ別人」
「知り合いかどうかは一度会えば分かるよ」
「私は試験器の所有者と会いたいだけだし。そいつが誰であろうが興味深いのには違いないわ」
樒には、槙理が自分自身に言い聞かせているように聞こえた。会話の間の空白。樒はおずおずと槙理の方へ視線を向ける。
渡り廊下を過ぎて、大学側の校舎に入った。が、日陰に移っても、槙理の眉間にはしわが寄ったままだった。
訊くべきではない、と本能的に察していた。だが、樒は聞かずにはいられない。
「杏華さんと、なにか良くない事でもあったの?」
瞬間、槙理の鋭い視線が向けられる。喉元に刃物を突きつけられているようで、呼吸もままならない。
講義終わりの喧騒が、遠くなる。
「くだらない喧嘩別れよ」どことなく自嘲的な声色。刃は降ろされた。
「それも、語り聞かせるまでもないほどに、ね」
槙理は大振りに肩をすくめた。彼女がこれ以上詮索されることを望んでいないのは明白だった。
「それよりさ、あんたは魔術の始動で何が見えるの?」
「そ、それ今聞く?」
思考の間を与えない槙理の問いに、樒は思わず声を裏返させる。
「あんたが湿っぽい話するからでしょ。陰気なのは顔だけにしなさい」浮つく声にわざとらしさが浮かぶ。
「えぇー、それ酷くない? っていうか何のこと?」
「自覚なしなのねアレって」
2人並んで騒がしい人混みの中に飛び込む。
樒は再び、隣の同級の顔を見やる。彼女が怒りを解いた瞬間、目元に浮かべていた悲しげな表情は既に跡形もない。
「あなたが東野要一郎さんでしたか。噂はかねがねお伺いしておりますわ」
「いやぁこちらこそ。まさか渡衛の次期当主殿とお会いできるとは、光栄です」
自己紹介をして早々、名刺交換でもしそうな挨拶を交わしている2人に樒、歩、凌の3人は苦笑いを浮かべる。杏華はまだ来ていない。
「では改めまして」と、要一郎が仕切りなおす。「ようこそ“対プロ”へ。紹介は先程の通りですが、お会いになりたいと言う水月さんは大学の用事で遅れるそうです」
形式的な説明をする要一郎そっちのけで、槙理は軽く一礼した泣きぼくろの青年にターゲットを変更する。
「たしか篝家さんは錬金魔術を勉強していらっしゃるんですよね?」
嬉々として迫り来る年下の先輩に対して、凌は若干引き気味になる。
「ああ、そうは言っても僕のは西洋式だけどね。君の東洋式とはだいぶ様子が違うだろう」
「だからこそ気になるんです! 家の魔術を継ぐためにずっと東洋式ばっかり触ってたんで西洋式のこと勉強する機会がなくって……」
天才魔術士に詰め寄られてたじたじの凌であったが、説明をするうちにいつもの冷静さを取り戻していった。槙理も熱心に彼の話を聞いてメモを取っているせいか、二人がいる一角だけが講義中のような雰囲気を放っている。
「相変わらず魔術の話には食いつきがいいねぇ彼女」歩が感心の声色で呟く。
「本当に魔術が好きなんでしょうね。話す側になると止まらないんですから」
残った3人は邪魔にならないよう少し離れて小声で話している。
先輩の2人は槙理を活動に迎え入れたいようだ。樒としても、彼女と活動でも行動を共に出来るのなら、これ以上ない程に嬉しいものだ。
しかし、肝心の槙理は何と言うのだろう? 槙理の目的はあくまで杏華と会うことであるし、目的外の物に対して淡泊な彼女が「興味ない」の一言で一蹴する姿を想像するのは、難しい事ではなかった。
「もしウチに渡衛さんが来てくださるのなら、物凄く心強いんですけどね」要一郎も望むべくもない、と言外に含んだ言葉をため息で吐き出す。が、しかし。
「決めました!」その言葉を聞いてか聞かずか、槙理は目を輝かせながら振り返る。「私、ここ入ります!」
「随分あっけなく願いが叶いましたぜ代表」
「茶化さないで下さい風見鶏さん」
脇を肘で小突いている歩も、見上げて
「こんな凄い人たちに囲まれて勉強できるってどんだけ運良いのよ樒!?」
「そ、そうなの?」
あまりのテンションの高さに、樒でさえも扱いに困る。ここまでタガが外れるとは予想だにしなかったな、と心の底で思う。
「はしゃぎすぎて喉乾いちゃった。確か1階に自販機あったわよね?」頬を熱気で紅潮させながら、無造作にリボンを外して首元のボタンを開く。
「うん。階段のすぐ近くにあるはずだよ」
樒は槙理が脱いだブレザーを受け取り、送り出す。
「それにしても、あの槙理ちゃんとよく友達になれたね」
定位置の席に戻った歩が言う。槙理の才能とプライドの高さを考えれば、不思議に思うのも当然だった。
「実は私も良く分かってなくて……」そう打ち明けながら、樒は自分と槙理を結び付けた物――あの魔導試験器を取り出して見せた。
「水月先輩から借りてるこの試験器を見たら、持ち主に会ってみたいって言われて」
短冊を受け取った歩が苦も無くそれの仕掛けを動作させる。自分がやる時よりも強い光を放っているのを見て、樒は自らの未熟さを思い知らされた。
「うーん、なんというか、確かに精巧だけど普通だね」何度か作動させて、確認する。
要一郎は魔導試験器を遠巻きに興味深そうに眺めてはいるが、槙理のようにこの場にあること自体があり得ないというような反応は示さない。凌もまた、特に思う所は無いようだった。
「でも、那智川の家紋入りなんてねぇ。杏華のやつ、どこで手に入れたんだろ」
「流石にそこまでは聞いてないですね。槙理ちゃんは『そんなもの部外者が持ってる訳ない』って言ってて。水月先輩が那智川の人と関係があるんじゃないかって考えてるらしいです」
「杏華が那智川の関係者……あの白銀とは程遠い毛並みに、ポーカーフェイスの対極にあるような常時
那智川家。日本の祭祀を司る銀毛にして
大規模儀礼魔術の精神負荷を軽減する感情抑制魔術で作られたあの能面のごとき表情は、やはり杏華とは似ても似つかない。
では、あの試験器の出処はどこなのだろう?
槙理はそう易々と作れるものではないと言っていたが、やはり杏華が自ら作ったのだろうか。ならば、なぜ意匠に那智川の家紋などを使ったのだろう?
詮無い思考の堂々巡りに見切りを付け、意識を現実に向けなおしたところで、樒はある予感を覚える。
「槙理ちゃん、戻るのが遅いですね」努めて自然に、誰に言うでもなく呟く。
「言われてみれば。あと杏華も全然来ないね。時間的にもう来てもおかしくないけど」
樒に言われて、歩は壁に掛けられた時計を見上げた。時間は既にいつもの活動開始時間を過ぎている。
「下に降りて様子見てきますね。もしかしたら何かあったのかも」そう言って部室を飛び出す。
樒は足早に階段を降りる。下の方からは緊張と混乱が入り混じった、いやな空気。いつもと様子が違う騒めき声の中に、
――やっぱり下で二人が……。
階段を駆け下りながら、樒は思う。槙理と杏華が1階で鉢合わせになったのだと。
そして樒の予想は的中する。より悪い方向へ。
樒が人だかりをかき分け、その先で目にしたのは、槙理が杏華の胸ぐらに掴みかかる瞬間だった。
「やっぱりあんたは逃げたのね。自分の役目を投げ出して、約束も放り投げて! あんたは――」
「ちょ、ちょっと槙理ちゃん! なにやってんの!?」慌てて槙理を羽交い絞めにする。
「放しなさい樒っ! あいつにはまだ言い足りない!!」
「まずは落ち着いて! 一回外出よう? ね?」
「いやだっ、放しなさい! 放しなさいよっ!」
暴れる槙理の身体を必死に押さえつけながら出口へ引きずっていく。その間、杏華は俯いたまま、何も言わなかった。
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