第6話 この既視感は

 槙理は手に持っていた鞄から小瓶数本と紙束、伸縮式警棒を取り出して脇に放る。

「五行の化身、古の契りに従い、渡衛の名のもとに具現せよ」槙理の周囲に蛍のような燐光が舞い始めた。

 渡衛家特有の魔術始動成句トリガーフレーズ。かつて唐にて五行を司る聖獣と契約を交わしたという逸話の遺伝記憶を励起させることで、槙理の力は初めて最大限に発揮されるのだ。

宣言するD e c l a r eごんの一行で以て、我、万物を鍛えん。かのえかせ、かのとよ凝らせ」

 辺りを浮遊するばかりだった光が槙理の言葉に合わせて加速し、全身に紋様を描く。

 槙理が詠唱を捲し立てている最中、奥の路地からふらりと人影が現れた。不格好な瓢箪のように伸びた首の先で、頭がぐらぐらと揺れている。それ以上のディテールはまだ遠くて判然としない。

「まったく、フル尺で詠唱するヒマもない」舌打ちしながら瓶を2本開栓する。

簡易詠唱機能S i m p l e S p e l l起動A c t i v e。展開せよ、金剛条衣こんごうじょうい

 振りまかれた小瓶の中身の金属粉が光の流れに合わせて混じり合い、太いワイヤーとなって服の下に隠れた槙理の細く柔らかい肢体に巻きつき、クモの巣めいた網を形成する。

 金剛条衣。これ単体で装甲アーマー衝撃吸収ショックアブソーブ膂力強化パワーアシスト応急処置ファーストエイドの機能を有する、魔術合金によって編まれた槙理専用の装甲強化魔術だ。

「ねぇヤバいよ渡衛さん! 渡衛さん!!」

 恐慌状態の樒が必死に訴える。姿を現した“それ”が奇妙な雄叫びを挙げながら、赤子のよちよち歩きを倍速再生しているような気色の悪い動きで槙理に猛然と突進する姿を、カメラは克明に記録していた。

「分かってるわよ!」振り伸ばされた警棒。耳障りな金属音の衝突音をビリビリと響かせながら“それ”の一撃を受け止め、「それくら……いッ!」押し返して、体重移動のままに一歩踏み込んで打ち払う。“それ”は何十メートルか弾き飛ばされた先で倒れる。

追加宣言するD e c l a r eの一行で以て、我、万物をおこさん。ひのえよ灯せ、ひのとよ煌け」手の中で燃え盛る数枚の紙片が天高く放り上げられると同時に形代かたしろに姿を変え――

「行け、轟衝符ごうしょうふ!」槙理の鬨の声で“それ”に殺到する。

 “それ”に突き刺さった形代たちが一瞬の間を置いて爆発。衝撃波に揺さぶられて樒は尻餅をついた。爆炎の後には、何も残らず。

「すごい、あっという間に」

 呆気に取られている樒。だが、槙理から発せられる殺気は未だ消えていない。

「ううん。まだ序の口みたいよ」

 槙理は険しい表情のままそう言い放った。事実、どこからかまた雄叫びが聞こえてくる。

 しかも、声は一つではない。最初の咆哮の後に続いて1つ、また1つと、そこら中から気の振れた喚声が響き渡る。

「ヤッちゃったのは悪手だったわね」なんとか立ち上がった樒を手招きで呼びながら、苦々しげにつぶやく。

「あいつら、どこかにある本体が物質化させてる死霊か何かだと思う」

 先程と同じ路地から、今度は大きな犬のような影が現れた。

「大本を絶たないと、倒せば倒すだけ増え続ける」

 ひしゃげた警棒を一振りで元通りに直した槙理が手振りで周りを見るように伝える。

「そんな、嘘でしょ」

 見回してみると、民家の屋根の上に3体、塀から顔を出しているのが2体、後方の路地裏から2体。

「どうするのよ、これ。私たち、囲まれて……」

 槙理の腕にしがみついている樒が震える声で尋ねた。死霊どもはこちらの出方を窺っているのか、動き出す様子はない。

「どうするもこうするも切り抜けるだけ。こうなったらあんたにも手伝ってもらうわよ」

 そう言って槙理は樒の手に簡素なペンダントを乗せる。

「受動機?」六角形に削り出された金属板のペンダントトップには複雑な幾何学模様が描かれていた。手にした瞬間、その模様にぼんやりとした既視感を感じる。

「使い方分かるでしょ。とにかく背中はあんたに任せたわよ」

「ちょ、ちょっと……ッ!」

 槙理は有無を言わさずに樒を腕から引きはがして後ろへと突き放す。その先には1体の雄叫びを引き金に、押し寄せてきた死霊がいた。

 樒に飛びかかる2体。この世のものとは思えない形相に彼女の生理的嫌悪感が最高潮に達する。

「いやあああっ!!!」ペンダントを手にしたまま身を庇う姿勢をとった。

 受動機。記憶回復促進記号と感情記号を利用し、知識に関係なく魔導の行使を可能とする簡易魔導機の総称。

 樒の中を無数のイメージが駆け巡る。盾、壁、大きな背中。それらの像が重なり合い、一つの心象風景を形作る。


 ――そうだ、この既視感は。


 死霊どもは突然目の前に出現した半透明の壁に衝突して跳ね返った。

「えっ、あ、やった」あっけのなさに驚きつつも、小さくガッツポーズを作る。

 義務教育を受けていれば誰でも扱えるように作られている護身具であるとはいえ、これが樒にとって初めての魔導の行使であった。

「馬鹿っ、伏せなさい!」

 浮かれている間もなく、槙理の一喝で樒は反射的にしゃがみ込む。

 背後でぶすぶすと何かが突き刺さる音が鳴り、どさりと倒れる。音がした場所には槙理の攻撃をすり抜けてきたのか、穴だらけになった死霊が転がっていた。危うくこれに襲われていたのだから、樒は冷や汗を浮かべざるを得ない。その身を刃で貫かれるような恐怖を覚えながらも、背中合わせで戦っている槙理のことを思い出して脚に力を籠め、再び壁を生み出す。


 警棒で撃ち返し、形代で貫く。死霊の波状攻撃を凌ぎ続けている槙理の表情には、焦りの色が浮かび始めていた。

 ――せめて、あと3分持ってくれれば

 簡易詠唱機能は詠唱を数語まで短縮することが出来るが、状況に即したパラメータ設定が出来ないため、魔術の制御が不安定になりやすい。不足制動で激しく波打つ金剛条衣を無理やり抑え込みながら、槙理は後どれだけ死霊の猛攻を防ぎ続けられるかを考えていた。

「がッ、く、はぁっ!」言葉通りの熱い息を吐きだして警棒を振りかぶる。

「もう、だめ……渡衛さん」

「わかってる! もう少し我慢してなさい!」

 槙理が動こうとしないのには理由があった。一つに闇雲に移動してもいたずらに体力を消費するだけである事、二つに下手に動いて死霊を刺激すればさらに仲間を呼び寄せかねない事。

 そして、三つ目の理由――1枚の形代が、どこからともなく槙理の元へと舞い戻る。槙理がそれに浮かび上がっている紋様を目にした瞬間、視界に道筋が浮かび上がる。

 これこそが槙理が待ち望んでいた物。魔術災害の中心部への経路だった。

「よし、行くわよ!」

 樒を呼ぼうと振り返った瞬間、ガラスが割れるような音が響く。樒の張っていた結界が今まさに破られたのだ。

 脳が状況を理解するよりも早く、槙理の脚が動き出す。死霊の一体が腕を大きく振り上げた。

「だめっ! 槙理ぃ!」

 槙理は樒の腰を引っ掴み、そのまま抱え込んで庇う。背中に受けた強打で意識にノイズが走る。

「うおぉぉぉぉぉ!!」真上にばら撒いた紙札が激しく燃え上がる。押し寄せる死霊どもは怯んで後ずさった。

「放て、環討符かんとうふッ!!」炎の中から無数の形代が次々と飛び出し死霊を襲う!

 数秒後、二人を取り囲んでいた数十体の死霊は、消えてなくなっていた。

「いきてる……よね?」

 半ば放心状態の樒は、槙理に手を引かれてようやく立ち上がった。

「死んでる場合じゃないわよ。これからが本番」既に新手の気配を感じ取っているらしい槙理が釘を刺す。

「さぁ、目的地も分かったことだし、奴らが来ないうちにさっさと移動しましょ」

 顔を見合わせて、頷く。既に疲労がピークに達している身体に鞭を打ち、二人は走りだした。


 槙理がアパートの一室の玄関を蹴破る。追いかけてきた死霊を形代で吹き飛ばしてから二人は中に飛び込んだ。

「本当にこんなところが中心なの?」

 かまちにぶつけた脛をさすりながら、樒は訝しげに訊く。

「この気配は間違いない。奥にあるわ」魔術でドアを溶接した槙理は取り出した紙札に火を灯す。

 二人が踏み入った部屋はよくある細長いワンルームタイプの構造で、樒のすぐ真横に汚い流し台が置かれていた。奧は暗く、何も見えない。

 槙理を先頭に、ゆっくりと、慎重に廊下を進む。奥にある洋室も、よくある学生の部屋といった様子で、特に異常はない。尋常ならざる空気感を除いて。

 何かを察知した槙理がおもむろにクローゼットを開くと、そこに目的の物があった。

「うわぁ。これは触りたくないわね」

 槙理の手首から伸ばしたワイヤーがずるりと引っ張り出したそれは、小さな木箱だった。カラカラと小気味良い音を立てて転がる箱の継ぎ目から不可視の瘴気が噴出しているのが、樒にも感じ取れた。

「どっかのバカが作った呪具が暴走したってところかしら。報告内容がまた増えた」

「どうするのそれ」箱から絶え間なく放射される厭な雰囲気に、樒は思わず後ずさる。

「ちゃっちゃと済ませるわ。横で見ていな――」窓ガラスが割れる音で、槙理の声は遮られた。分厚いカーテンの向こうから死霊の唸り声が聞こえる。

「くそっ、あんた窓守ってなさい!」

「わ、分かった!」

 悪態をつきながらも槙理は冷静に樒に指示を出す。樒が受動機を起動させたのを確認してから、再び箱の方に向き直る。


宣言するD e c l a r eすいの一行で以て、我、万物を満たさん。みずのえほとばしれ、みずのとよ滴れ」

 厳かな声色で、樒は新たに魔術を詠唱する。

包囲陣形S i e g e追加設定cfs c f s - O p t i o n、0.7。標的固定T a r g e t L o c k

 ワイヤーで箱を放り上げると同時に、紙札を撒いた。瞬間、宙に浮かんだ箱の周囲を球状に取り囲む。

 意識のスクリーンに上書きされる実行結果を元に、槙理は次の詠唱に移る。

術式転写規定10番R e a d i n g : S S T P - N o . 1 0および封印術式4番読み込みC o n t a i n S y m b o l - N o . 4,封印術式生成P i p e , G e n e r a t e

 箱の周囲を飛び回る紙束に、複雑な紋様が浮かび上がる。

 何重もの描画処理が槙理の脳細胞をじりじりと焼き焦がす。

「槙理、早く……っ」

収容C o n t a i n有効化E n a b l e……N o w!」

 槙理の号令に合わせて札が一斉に箱に貼り付く。


 そして、静寂が訪れた。

「収容、成功」

 息を切らしながら、槙理はそう告げた。札に包まれて繭のようになっている箱を床から取り上げて、得意げな表情で樒に見せた。

「本当に終わったのね」緊張が解けて、その場にへたり込む。

「今度こそ本当に終わり。お手柄だったよ、樒」

 槙理は満足げな顔で樒の肩をたたいた。少し間をおいて、樒は違和感に気付く。

「いま、私の事、名前で?」

「あんただってあたしの事2回も呼び捨てにしてたじゃない。別にいいでしょ」

 気恥ずかしげに槙理は視線を逸らす。その表情がなんとなく可笑しく、樒は思わず笑みをこぼす。

「何よいきなり笑いだして」

「ううん、何でもない。ありがとう、槙理……ちゃん」

 その瞬間、槙理の耳が赤くなる。

「やめてやめてその呼び方! ふつうに呼び捨てにしなさい!」

 両手をぶんぶんと振り回して自分が今どのような状態であるかを必死に語る槙理。

「呼び捨ては私がその、なんていうかちょっと抵抗が」

「なら前のまま苗字で呼びなさいよ!」

 二人がそんなやり取りをしている間に、町には灯りが戻り、微かな生活音が混じり合う生きた静かさを取り戻していた。

 遠くの方からパトカーのサイレン音が近づいてくる。


「あっ、そういえばあんた、あたしのカメラどうしたのよ」

「え?」言われて気付いた樒。とりあえず全身を見回してみる。

「あぁーっ、無い! どこかで落としちゃったかも……」

「ウソでしょ!? どうしてくれんのよあたしの大切な証拠!」

「壊れてたらどうしよう」

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