08. 一行の足取り

 遙か昔、世界中を巻き込んだ厄災があった。突如として降り注ぐ天変地異に人々は為す術もなく、ただ全てが打ち砕かれていくのを見ていることしか出来なかった。

 徐々に人々の数は減り、見るも無惨になった大地に転がる死体の山は、もはや元の形を成してはいない。


 その厄災という絶望の生みの親は、留まるところを知らなかった。

 しかし、これまた突如として厄災は止んだ。それまでの死の予感は曇天と共に振り払われ、悲惨な世界はまぶしい青空と太陽に照らされた。


 一人の魔女が、その類い希な魔法で厄災を打ち消した。魔女はその後、ある地方を復興させ、街を気付いた。

 その地方の人々は、やがてその救世主を魔女様と呼んで称え、後世にその名を語り継ぐこととなった。


 それ以降、魔女は姿を現すことは無かったが、街は長い年月をかけて巨大なものへと発展していった。

 

 やがて人々は、その街の名をルッカと名付ける―――――――――。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 グリム兄弟を加えたエマ一行は、朝になりルッカの街を出た。

 結局例の火事騒動を気にする人間は現れなかったが、またいつ誰かが思い出すかも分からない。エマ一行はそれを考慮し、誰にも何も言わずに朝方街を出た。


 すべてが解決した後に、この街に戻り、話そうと決めた。


 賢者にまつわる仕事をしていたダイスの父とウレシアの両親が向かったウオン大陸を目指そうというヤコの提案を胸に、一行は歩を進めた。

 一行が目指しているのは、ウオン大陸…に行くまでの手段だった。当然海を渡る必要があるため、一行は船を求める。


 ダイスが先頭に立って歩き、その少し斜め後ろをグリム兄弟とウレシアとエマが歩く。無意識に出来上がった布陣である。


「ウオン大陸かぁ、行ったことねえな」


 ヤコが何気なく呟いた。ヘルムは何やら自信なさげに説明をし出す。


「…ここエーアール大陸と海を隔てて存在する大陸だね。人口も面積も、ここに比べたらだいぶ小規模なものだけど、いろいろと進んでる…らしいよ」


 ヘルムはいつもより歯切れが悪かった。兄ヤコは勿論、ダイスもウレシアも、その歯切れの悪さに直ぐに気付いた。


「どうしたの?あなたらしくないわ」


 ヘルムの熱弁経験者であるウレシアは、意地悪そうにヘルムに詰め寄った。ヘルムは得意の苦笑いを浮かべる。


「あはは…あの、まあ当然ウオン大陸には僕も興味がありまして…前々から色々と調べてはいたんですけど…その、情報があまりに手に入らないんです」


 ヘルムの、歯切れの悪さに対する弁明に対し、ダイスが応えてみせる。


「確かに、新聞でもウオン大陸についての記事は殆どねえな。…お前ら兄弟はそれなりに色々研究してて、それでも大して知らねえってのは信じられねえな」


「ま、俺はともかくヘルムが知らねえなら誰も知らねえだろうよ」


 ヤコはわざとらしく自分の無知を棚に上げるが、この場にいる誰もが無知であった。


「百聞は一見にしかず…。現地に行って見てみるのが一番だと思うんですけど、なかなか海を渡ってこの大陸から出る勇気がでないんです」


「てかそもそも、俺はまだこの大陸に未練があるしな」


 ヤコがヘルムの肩をガッと掴み、並びのいい歯をむき出してヘルムに笑いかける。しかしその後、その眼差しは真剣になった。


「まあでも、今回は別だ。そのウオン大陸とやらに魔法に関する何かがある可能性があるとすりゃ、喜んで海にでも出てやるよ」


 ヘルムは淀みの無い笑みを浮かべる。

 

 一瞬静まり返った直後、エマが無邪気に声を上げた。


「海に出るの?」


 ウレシアは手をつなぎ共に歩いていたエマを優しく見下ろす。


「そうよ」


「海はあっち?」


 エマは一行が進んでいる先を指差した。


「そう。でもまだ海には出られないの」


「どうして?」


「海に出るには船が必要なの。だからまずは船を探さなきゃいけないの」


 エマはウレシアを見上げていた目をじっと進行方向に向けた後、きょとんと首を傾げ、再びウレシアを見上げた。


「ふね……ガーヒルのこと?」


「え?」


 ウレシアは一瞬エマの発言の意味が分からなかったが、すぐに理解した。


「あ、あれは違うわよ。あれはお風呂のおもちゃでしょ?船っていうのは、木で出来た乗り物のことよ。水に浮くの」


 ウレシアとエマの微笑ましいやり取りを、ヘルムは思わず口角を上げて見ていたが、ヤコは露骨に首を傾げ、ヘルムの耳元で囁く。


「なあ、ガーヒルってなんだっけ?」


「ガーヒルは湿地にいる白い鳥だよ。たぶん、お風呂に入るときにガーヒルのおもちゃで遊んでるんじゃないかな?水に浮くから」


「あー、なるほどな」


 ヤコは普通に納得していた。

 戦闘においてこそヤコの潜在能力や、悪くいえば悪知恵が発揮される。こういった日常会話に等しいやり取りでは、その思考回路は半減以下になることはヘルムが一番よく分かっていた。単純に関心事以外のことには頭を使わないでいるようにしているだけだが、それにしても…と、ヘルムはたびたび呆れることがあった。


 反対に、戦闘中はヘルムがヤコに救われることが多い。勿論逆も無いわけでは無い。


 暫く歩くと、関所が目に入った。

 石造りで出来た高さのある門だ。脇には同じ素材で出来た小さめの建物もある。


「関所?検問でもしてんのか?」


 ヤコの言葉にヘルムが応える。


「たぶん、この先に海道があるからだと思う」


「海道?たかが海道の手前に関所なんかあるか?」


 ウレシアが応える。


「この先はシオルマナス海道っていう有名な海道があるの。美味しい海産物とか、海で取れた綺麗な宝石とか…。景色も最高に綺麗だから、そういうのが損なわれないように 厳重に警備がされているんだと思うわ」


 ウレシアの説明にヘルムは感心を示す。


「さすがウレシアさんです。補足すると、シオルマナス海道は七つの区画に分かれていて、それぞれに特徴があって、それぞれが独立したような形で反映しているんです。一つの海道とは言っても、七つが合わさって一つってことです」


「おいおい、それじゃそのシオなんとか海道はどんだけ広いんだよ」


「エーアール大陸最大級の海道だから、一日二日じゃ歩ききれないと思うよ」


 ヤコは何やら気後れしたように肩をがっくりと下げた。空かさずエマがウレシアの手から離れ、ヤコに近づいた。


「ヤコ、元気出して」


「おぉ、エマよ。お前はなんて良い子なのでしょう…」


 ヤコは宗教家のような口調でエマの頭をぽんぽんと撫でる。それを怪訝そうに見つめながら、ダイスは振り返った。


「ウレシア、ここの関所は越えられるのか?」


「やましいことが無ければ越えられるはずよ。…あんたの剣はちょっと危ないかもね」


「はっ、ダメだと言われたら斬って通ればいいさ」


「ダメに決まってるでしょ…」


 ウレシアは呆れてため息をついた。


「とにかく、話せば通してくれるはずよ。私たちの目的はあくまで船よ」


「問題は船が手に入るかどうかですよね。当然行って帰ってくることも考えたら、安くて小さい船じゃ不安です」


 ヘルムは妙に絶望感がある言葉を吐いた。ウレシアは少し気後れするが、気を取り直した。


「じゃ、関所に行くわよ」



 関所の門の下には、二人の兵士の姿があった。それぞれ剣と槍を持っており、門を防衛しているようだった。

 兵士はエマ一行の姿に気付くと、二人同時に近づいた。


「この先のシオルマナス海道に行きたいのか?」


 渋い声の兵士だった。一行を代表してウレシアが頷いた後に、応える。


「私たち、船を借りたいんです」


「船か。…では身体検査をさせてもらう必要があるが、よろしいか?」


「構いません」


 ウレシアがそう言った後、各々が問題ないと頷いた。エマも、皆に合わせて何となくコクリと首を縦に振ってみた。


「その前に名前を聞かせていただきます。何かあったときのためです、協力してください」


 渋い声の兵士では無い別の兵士が口を開いた。こちらの方が若く見える。口調も丁寧だった。


「えっと…ウレシア・ミナです」


 若い兵士は手に持った紙が貼られた板に名前を記入する。渋い兵士は何もせずにじっとしていた。


「こっちの女の子が…エマです」


「エマさん?…えっと、フルネームでお願いします」


 フルネームと聞かれ、ウレシアは少し戸惑った。何しろ、エマを引き渡した女からは、エマという名前しか聞いていなかったからだ。

 ウレシアは知りもしないエマのフルネームを詰問されてたじろぎそうになったが、怪しまれてはいけないと、直ぐに冷静になった。


「エマ…ポーラントです」


「エマ…ポーラント…っと」


 若い兵士は特に怪しむことも無く名前を記した。そして続いてダイスに目を移す。すると、渋い兵士が突然口を開いた。


「君、武器の持ち込みは禁止だ。ここで預からせてもらう」


「はぁ!?」


 ダイスは信じられないと言った風に声を上げた。


「てめえ、この俺から剣を取ろうってのか?」


「君が何者かは知らないがこれは規則だ。従ってもらう」


「上等だコラ」


 ダイスは剣の柄に手をかける。それを予想していたのか、ウレシアは即座にダイスの頭にげんこつを振り下ろした。ダイスは痛さのあまり黙って蹲ってしまう。


「こいつはダイス・ヴォルボットです!ごめんなさい!」


 ウレシアは痛がるダイスの腰から二本の剣を取り上げ、渋い兵士の方に手渡した。苦笑いを浮かべる若い兵士が、空かさず説明を加えた。


「海道を出るときにお返しいたします」


「ありがとうございます」


 ウレシアはぺこりと頭を下げる。蹲るダイスの傍らに近づいていたエマも、ウレシアに合わせて何となく頭を下げた。


「では次、そちらのお二方…」


 若い兵士の視線にグリム兄弟は気付き、名乗る。


「あ、ヘルム・グリムです」


「ヤコ・グリムだ。よろしく」


「…グリム?」


 若い兵士は静かに呟いた。ヤコは自分の名前を呟かれたことに、反応を示す。


「ちょっとした有名人だ」


「……そうですね、よく知っている名前です。…ではこれで問題ありません。身体検査に移らせていただきますね」


 その後、グリム兄弟とダイスの三人は若い兵士に身体検査を受け、ウレシアとエマは門の隣の施設の中で、別の女兵士に身体検査を受けた。


 身体検査を終え、一行は再び門の前に集められた。


「では、通行を許可します」


 エマ一行は無事門を越えた。

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グリム兄弟の不思議な詠唱 @syosetu_rotonmu

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