07. エマ一行の秘密

 酒場にはすっかり沈黙が訪れていた。今さっき入ってきたダイスにとっては、時間帯も考えれば何ら違和感のない沈黙だが、先ほどまでその賑わいに荷担していたグリム兄弟ら四人にしてみれば、違和感だらけの沈黙だった。


「ある女…ですか?」


 素面しらふのヘルムはいつもと何ら変わらない調子でダイスに尋ねた。


「そうだ。たぶん50か60そこらの婆さんだ。最初に俺の所に突然来たんだ。丁度5年くらい前の話になる」


 ダイスはここでもう一口酒をあおった。ウレシアは相変わらず黙ってダイスに言葉を委ねていた。エマはと言うと、先ほどまで微睡んでいたにもかかわらず、今はすっかり目を覚まし、何やら神妙な面持ちのダイスをまじまじと見つめていた。

 ダイスは再び話を続ける。


「婆さんは、小さな女の子と手をつないでいた。それが、当時まだ3歳だったエマだ」


 エマは自分の名前を呼ばれてもなお、戸惑うところか考えさせられるような眼差しをダイスに送っていた。


「その後、俺は婆さんとエマと三人でウレシアの所に向かった。ウレシアとは子供の頃からの幼馴染みでな。何事かと思えば、俺たち二人でエマを護ってくれ…と言われた」


「護る?何から?」


 ヤコはすっかり酔いがさめているようだった。


「詳しくは教えてくれなかった。ただ一つだけ、変なことを言って帰りやがった」


「変なこと?」



 突然ウレシアがここで口を開いた。その一言に、グリム兄弟は一斉にウレシアを見た後、それとなくエマに目をやった。


「賢者…だと?」


「厄災を食い止めたとされる…あの賢者ですか?」


「ええ、多分そう」


 ウレシアは俯いたまま言った。それを見たダイスはグラスの酒を飲み干した後に、再び話し始める。


「そうとだけ言って婆さんは消えた。名前も教えてくれなかった」


「それで…二人は引き受けたんですか?」


「最初は訳が分からなかったな。当時まだ俺らは16歳だった。俺もウレシアも、まあ俺の場合は剣術をそれなりに身につけてたし、ウレシアも魔法を十分に扱えていたから、大丈夫だろうとその場では了承した。だが考えてみりゃ不自然だった」


「確かに…見ず知らずの人から急に女の子を預かるなんて…普通じゃ無いですよね」


 ヘルムは苦笑いを浮かべた。ヤコは黙って聞いていた。

 今度はウレシアが話し始める。


「結局一年が経ったある日…私たち、ふと気付いたことがあった」


「何ですか?」


「私の両親と、ダイスのお父さんは…賢者にまつわる仕事をしていたの」


 そう聞いて、グリム兄弟は一斉に立ち上がった。


「賢者にまつわる…か?」


「え、ええ。5年前だと…私の両親もダイスのお父さんも、どこかへ行っていたから…エマについては確かめることが出来なかったけど…。私とダイスが小さい頃からお互いを知っているのは、親の繋がりがあったからなの」


 ヤコとヘルムは顔を見合わせた。そして少し微笑んでいるようだった。ダイスはそれを見た後、目を逸らし、口を開く。


「とにかく、結局俺たちが護衛についた理由も、その目的も分からねえまま5年が経った。賢者とやらについて調べていたんだが、このあたりじゃ大したことは解らなかった」


「5年も…この街にいたんですか?」


「基本的にはな。目的が分かりゃ移動もしてたんだろうが、何せ分からないことだらけだ。とりあえずエマに危険が及ばないよう、あまり動き回らねえでここで隠居してたってわけだ」


 ダイスはグラスに酒を注ぎながら言った。そうしてそれを、今度は一気に飲み干し、深く息を吐いた。


「まあ、そういうことだ」


「ごめんなさい、隠していて…。でもエマが危険に晒されるかもしれないことも考えて…他言は出来なかったの」


「何も問題ありません。むしろ、話してくれてありがとうございます」


 ヘルムは淀みない笑みを浮かべた。そうして、ヤコに目配せをした後、少し頷いた。ヤコは勝手にしろと言わんばかりの表情を浮かべた後そっぽを向き、酒を飲んだ。


「あの、ダイスさん、ウレシアさん!」


 期待を込めた声でヘルムは続ける。


「良かったら僕たちと一緒に旅をしませんか?エマについて何か分かるかもしれません。僕たちも魔法について研究していて…。実は賢者と魔法には何かしら関係性があるだろうって仮説もあるんです!だから―――――」


「それは出来ねえな」


 ダイスはヘルムの言葉を遮り言い放った。


「確かに旅に出りゃ分からないことも分かってくるだろうな。どっちにしろこの街の俺たちの住処は偽魔女に燃やされた。もうここを出なきゃ行けねえ。だが、お前らを巻き込むつもりはねえ」


 ヘルムは残念そうにうつむき、トスンと椅子に座り込んだ。ウレシアはヘルムを慰めるように優しく口を開く。


「あなたたちには感謝してる。でも、やっぱり巻き込むわけにはいかないの」


「借りがあったな、そういえば」


 今の今まで黙り込んでいたヤコが、語気を強めて突然言った。


「偽魔女討伐に協力して、エマを救った借りだ。それをまだ返してもらってねえな」


 ヤコは不敵な笑みを浮かべてダイスを見た。ダイスは露骨に舌打ちをして、酒を一気に飲み干した。


「ちっ、どうしろっつーんだ」


「借りを返せ。俺たちと一緒にいなきゃ、借りを返せねえだろ」


「てめえ…」


 ダイスは歯を食いしばった。しかし、熱くならず、小さなため息を吐いた。


「分かった。同行を認めてやる。だが、お前に借りを返したと思ったら、そこまでだ」


「分かりゃいいんだよ、分かりゃ」


 こうして、交渉は成立した。


 交渉が終わり、落ち着きを取り戻した一行は、すっかり夜中になっていたことを再確認した。とりあえず解散しようと皆が立ち上がるが、エマだけは立ち上がらず、じっとヤコとグリムを見ていた。


「エマ?どうしたの?行くよ」


 ウレシアが差し伸べた手に捕まって椅子から降りると、手を離し、グリム兄弟の所へと小さな体を寄せた。


「エマ…?」


 エマはじっとヤコの目を見つめた。その青い目は、決意に満ち足りているとか、覚悟を決めているとか、そういう類いの言葉の似合う目だった。エマはウレシアの方に向き直った。


「わたし…ヤコとヘルムと一緒がいい」


「え?」


「ヤコの言葉…ずっと聞こえてた」


「俺の言葉?」


 ヤコは自分を指差した。今の今までのことを思い出す作業に入るが、エマに言葉を掛けた記憶は思い出されなかった。ヘルムは困惑しつつも冷静になり、エマの身長に合わせてしゃがみ込んだ後、優しく問いかけた。


「兄さんが…なにか言ってたかな?」


「うん。すごく、あったかい言葉…」


「あったかい?」


「だから怖くなかった。大丈夫だっておもった」


 エマの言葉を、誰も理解することは出来ていなかった。ダイスはヤコに近づき胸ぐらを掴んだ。


「てめえ、エマになんか吹き込んだか?」


「吹き込むか。ロリコンと一緒にすんな」


 エマはその様子を楽しそうに見つめていた。ウレシアは微笑み、しゃがみ込んでエマの頭を撫でた。


「エマ、ヤコとヘルムと一緒にいたい?」


「うん!一緒じゃないと、だめ」


「これからは暫く一緒にいれるわよ」


「本当?嬉しい!」


 エマは無邪気に喜んだ。無愛想で人見知りな少女だとばかり思い込んでいたグリム兄弟にとって、その無邪気な笑顔は予想外だった。しかし確かに、温かかった。その笑顔で、ダイスの手はヤコの胸ぐらから離れ、ヤコもそれ以上は何も言わなかった。


 ウレシアは立ち上がった。


「じゃあ、明日にこの街を出ましょう。まずはどこに行くの?」


 ウレシアの言葉に、ヤコが応えた。


「一番賢者の情報に近づけそうなのは、ダイスとウレシア、お前らの親だ。賢者にまつわる仕事をしてたんだろ?」


 ヤコは、自らの魔法の研究と、エマのことを知る為にまずは賢者について調べることを提案していた。

 彼の中で、いや、彼だけでは無い。グリム兄弟の中で、賢者と魔法とエマは繋がりがあると踏んでいた。それは、ダイスやウレシアにも自ずと理解できつつあった。


「そうね…だいたいの働き場所は知ってる…でも…」


 ウレシアの歯切れが悪かった。ヘルムが尋ねる。


「どこですか?その、だいたいの働き場所は…?」


「海を渡った先の――――――ウオン大陸よ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 青い海が広がりを見せている。大陸の沿岸には建物が密集している。橋や船も様々あり、海道添いを賑やかしていた。


 沿岸の一部に聳える巨大な丘の頂上で、仮面の男は佇んでいた。岸から離れるにつれて荒れていく海の波を見つめている。


 その背後に、二人の従者がどこからともなく姿を現した。


「セロ様、ご報告に上がりました」


 仮面の男は背中越しに従者の声を聞き、少しだけ振り向いた。長い袖丈が風に揺れていた。


「やはり、セロ様の仰る通りでした」


「…そうか」


 仮面の男はそっと海の方向へ向き直った。従者は暫く黙った後、再び口を開いた。


「セロ様。これからどこかへ行かれるのですか?」


「…ああ。海を渡る」


「では、我々も共に―――――――」


「いや、いい。一人で十分だ。お前らはここに残れ」


 従者は立ち上がりかけていた体を低くし、再びひざまずいて黙って頭を垂れた。

 仮面の男は両腕を広げる。袖丈の長いローブの袖口から手は出ていなかったが、男の体はみるみる宙を浮き、そのまま粒子のようになって海の中へと消えた。



 

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