05. 相乗

 街は、火が消えた後も騒ぎは収まらなかった。街の人間の安否や他に被害が無いかどうかの確認など、せわしない。

 当然と言えば当然だ。朝日が降り注ぐ清々しい筈の朝が、白黒の煙で汚されたとなれば、街の人間もおとなしく出来る筈がない。


 グリム兄弟とウレシアは、元いた場所から離れ、共にエマとそれを追うダイスを探した。


「街の外に出たんじゃないか?」


「そうなると厄介だね。ダイスさんは街の中にいるのかな…それとも…」


 その時だった。どこからかまた激しい音と共に炎が上がった。ヤコが最初の火を消して数分足らずだった。

 その音に街の人々は悲鳴を上げる。


 先ほどの火事現場を見たところ、この街でまともな魔法を使える人間はまずいないだろうと、グリム兄弟は察していた。同時に、自分たちが現場に向かわなければならないことも分かっていた。二人は直ぐに火の手が上がった場所へ急ぐ。ウレシアも後に続いた。


 入り組んだ街並みを駆け抜け、現場にたどり着いた。五階建ての大きな建物が火に包まれていた。

 その建物に対峙するかのように、ダイスが剣を構え、グリム兄弟らに背中を向けて立っていた。


 そして、燃え盛る建物の屋根の上に、どこからともなく人影が降り立った。

 燃焼による煙で、その者の装束は靡いていた。片脇には、白い髪の少女を担いでいた。火の手があろうと、それがエマであると直ぐに分かった。


「エマ!!」


 ウレシアが咄嗟に叫ぶ。エマは大きな瞼を閉じて気を失っているようだった。


「兄さん、あれって…」


「ああ」


 グリム兄弟は、屋根の上に立つ老婆を見据える。黒い装束に紫色の帽子、片手には木の杖があった。

 見た目は前日の偽魔女とは変わらない。ただ、老婆自身は前日の老婆とは別人だ。老婆であることは変わりないが。


「もう偽魔女はいないと踏んでたんだけどなぁ」


「ヘルムの予想が外れるときは…相当厄介なときだ」


 ヤコは何故か笑みを浮かべた。そして、今にも攻撃をしてやろうと構えたところで、それに気付いたダイスが声を荒げた。


「馬鹿野郎!迂闊に攻撃すんな!エマに当たったらどうする!」


「当たらねえようにすればいいんだよ」


 ヤコは右腕を構える。ダイスは舌打ちをし、ヤコを静止しようとするが、それをヘルムが静止する。


「あまり派手な攻撃はできねえから…一発じゃ仕留められん。ダイス、とどめはお前がさせ」


「なにを…!」


 ダイスはヘルムの腕を振りほどこうとするが、ヤコは既に詠唱を唱え始めていた。


「ヴェポン、アイドラ ベル アローウ セクスタ」


 ヤコの手に、青白い光が溢れ、それが白い弓へと形を変えた。偽魔女は不適な笑みを浮かべ、屋根から飛び、逃げようと画策した。


「逃がすか!」


 ダイスが一目散に駆け出す。街の家を駆け上ったり、跳ねたりしながら、偽魔女を視界にとらえ続ける。驚きの身体能力だった。

 しかし魔女は宙を浮いており、ダイスとの距離は少しずつではあるが広がっていた。


 ヤコたちは既に建物に阻まれ、偽魔女とダイスの姿を見失っていた。


「兄さん、援護するよ」


 ヘルムはしゃがみ込み、掌を地面に当てる。


「何をする気?」


 ウレシアの言葉に微笑んだヘルムは、詠唱を唱える。


「ブリオール、アイドラ ベル スカッフォルト モンテ」


 ヘルムの腕から派生した数本の蒼い光の筋が、地面に染み渡り、やがて巨大な氷の山が地面から生え出てきた。ヤコはそのてっぺんに立つ。


 やがて街の建物よりも高く伸びた氷の山の上から、ヤコは遠くに偽魔女とダイスの姿を捕らえた。


「どう?兄さん!」


 ヘルムは弓矢を構えるヤコに問う。ヤコは狙いを定めているようだが、矢を放てずにいた。


「ダイスに当たるかもしれねえ…」


 ヤコは通常の鉄の矢を番えていた。魔法で錬成した矢を使えば、広範囲の攻撃が可能になり、攻撃も当てやすくなるが、近くにダイスやエマがいてはそうするわけにもいかない。


「私に任せて」


 ウレシアはそう言って、一歩前に出る。何を言い出すのかと、ヤコは思わず氷の山のてっぺんからウレシアの様子を窺った。

 ウレシアが目を閉じると、彼女の体が光に包まれ、徐々に人の形から、小さな鳥へと姿を変えた。


「うお!鳥になった!」


「これは…ブリオラスクアロ……高速で飛ぶ鳥だ」


 ヘルムがそう言うと同時に、鳥に姿を変えたウレシアは、凄まじいスピードで風を切り、ダイスの所へとあっという間に飛び立っていった。


 ダイスは背後の鳥に気付き、直ぐにそれがウレシアだと分かった。同時に、視線のずっと先にぼけて見える氷の山と、弓矢を構えるヤコの姿があった。ダイスは軽い舌打ちをした後、向き直って偽魔女を目で追ったが、これ以上距離を詰められないことを悟った。


「エマに当たったら…殺してやる…」


 ダイスは呟きながらも、自らの体をヤコの射程から逸らした。ヤコはその直後、思い切り鉄の矢を放った。


 勢いよく放たれた矢は、スピードに乗って飛んでいく。しかし、偽魔女との丁度中間あたりでその勢いが急激に落ち始めた。


「ダメか!?」


 その時、勢いを落としたはずの矢が、再び勢いを増し、あろうことかみるみるスピードを上げていった。風に乗った鉄の矢は、あっという間にダイスを追い越していた。


「なんだ、急にスピードが…」


「そうかウレシアさんだ!ブリオラスクアロが風に矢を乗せてるんだ!」


 これなら、エマに危害を加えず偽魔女をとらえられる。グリム兄弟は同時に確信した。


「いけえええええええぇぇぇ!!」


 鳥の風に乗った鉄の矢が、偽魔女の背中から、胸の中心を貫いた。


「あがぁっ…!」


 偽魔女はうめき声を上げる。血を吐きながらスピードを落とし、近くの家の屋根に不時着した。ウレシア扮するブリオラスクアロは、そのまま先の方へ飛んでいきながらスピードを落とし、偽魔女の更に奥で着地し、人の姿に戻った。


 偽魔女は抱えていたエマを一度離し、血がドクドクと流れ出る胸を押さえた。


「く、くそ……こんな…がっ…!」


 更に血を吐いた。


「こんな傷…直ぐにふさいで…」


 治癒魔法を発動しようとした時、杖を持っていた腕が音も無く空中を舞った。血しぶきはエマにまで降りかからんとしていたが、剣士の背中がそれを受け止めた。


「きぃ…きさまぁ…!」


 老婆の声がダイスに降りかかるが、ダイスは無言で、しかし怒りに満ちた剣筋で、剣を老婆の腹に突き刺した。


 老婆は白目を剥いて倒れた。辛うじて息はあるようだ。鉄の矢も、今の突きも、意図的に急所を外してあった。


 ダイスは舌打ちをし、剣を鞘に納めた。そしてしゃがみ込み、ゆっくりと意識を取り戻したエマを抱き上げた。


「悪かったなエマ、もう大丈夫だ」


 人が変わったような優しい声色がエマの耳に届く。エマは微笑んで、ダイスに抱きついた。


「ありがとうダイス…ごめんなさい…」


「大丈夫だ。…それに……」




 少しして、グリム兄弟とウレシアがダイス達の元へ駆けつけた。ヘルムは死にかけている偽魔女の方へと駆け寄った。


「あなたも魔女ではないですよね?」


 その一声に困惑していたのは、偽魔女だけでなく、ダイスとウレシアもだった。偽魔女は血の付いた口で微笑んだ。


「エヘヘヘ…知ってたんだね…」


「ええ。あなた以外にも同じように魔女に成りすます人がいたので」


「あぁ、あの…アホな婆かぁ……」


 老婆は老婆を哀れんでいた。


「集落の…人間などにかまけて……本来の目的を失いかけてた…あの哀れな婆と一緒には……されたくないねえ…」


「本来の目的?」


 ヤコは呟く。しかし死にゆく老婆にはそれが聞き取れなかった。老婆は一人で勝手に口を動かしている。


「やっぱ、きのう殺しておくべきだったねぇ、あの婆…集落の出入りなんか…気にしやがって…」


 この言葉で、ヘルムは昨日、集落を複数回出入りしていたのに偽魔女が襲ってこなかった理由が分かった。

 昨日の偽魔女は、きっと今ここに倒れているもう一人の偽魔女と対峙していた。だから何度も集落を出入りするグリム兄弟に気付けなかった。


「あなた達は同じ偽魔女だ。どうしてこんなことをするんです?目的はなんですか?」


「エッヘッヘ……若いの。首を突っ込んじゃあ…いけねえ……未だ死にたくない…だろ?」


「死にたくない。でも、知りたいこともあるんです」


「世の中にはねぇ…知らなくて良いことも…あるんだ……」


 ヘルムはそれ以上は何も返さなかった。どこか憂鬱な表情を浮かべて俯くヘルムに変わり、ヤコが前に出た。


「偽魔女。どんな理由があろうとな、お前のしたことは間違ってるぞ」


「エッヘッヘッヘッヘ」


「まあせいぜい…そこでゆっくりじっくり死ねばいいさ」


 ヤコは残酷な言葉を最後に投げかけ、立ち上がり、偽魔女に背を向けた。


 その直後、鈍い音と共に、偽魔女の喉に剣が突き刺さった。

 ダイスが、表情を強ばらせ、自らの手で偽魔女の命を奪ったのだった。


「ダイス…お前…」


「エマに危険が及んだ。だから殺した」


 ダイスは先ほどまでと違い冷静になっていた。剣を鞘に納める。


 そして、何も語らずにそこから離れた。

 ウレシアはしゃがみ込んでエマを撫でた。

 エマは、人が目の前で殺されているにもかかわらず、涙や困惑は見せていなかった。それどころか、その表情は憂いに満ちていた。


「ウレシア…あのね…」


 エマがウレシアに何かを話そうとした時、遠くの方で声が聞こえた。全員一斉に声のする方を見ると、偽魔女が立っていた建物が未だ燃えており、人だかりが出来ていた。


「兄さん!早く消火しないと!」


「しまったぁぁあ忘れてたあぁあぁ!」


 グリム兄弟は直ぐにその場から離れ、急いで火事現場へと向かった。


 ウレシアは再びエマの頭を撫でた。


「…どうしたの?エマ、何か言おうとしてなかった?」


 エマはウレシアでは無く、遠くのグリム兄弟を見ながら、少しだけ首を横に振った。


「ううん、あとで言う」

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