03. 暗雲の下の老婆
エマとダイスが戻ってきてからは、気まずい雰囲気が漂っていた。グリム兄弟にとってダイスとは相容れない部分もあり、ウレシアには例の動揺の件で話しかけづらい。かと言ってエマに話しかけることを、ダイスは簡単には許さないだろう。
この異様な沈黙のまま、グリム兄弟はエマ一行の後ろをついて歩いていた。
「おいどうするよヘルム」
「うーん、魔女について調べるなら彼らと一緒にいてもうまみはないんじゃないかな」
「よし、じゃあここで別れよう」
ヤコがそう決め、エマ一行に告げようとすると、先にダイスが口を開いた。
「これ以上はついてくんな!」
突然の訣別だった。グリム兄弟にとっては都合のいいことだったので良かったが、それでもダイスがここにきて急に同行を拒否してきたのには、どうしても違和感を感じた。
「ああ、俺たちもそのつもりだよ」
ヤコはそう言って、エマ一行から離れた。ヘルムも礼を言って離れた。
エマ一行はそのまま街の中へと消えていった。途中、エマが何やら物憂げな表情でこちらに振り向いたことに、グリム兄弟は気付いていなかった。
「多分、彼らの住処があるんじゃないかな?その場所を知られたくないとか」
「住処ってか、家だろ?」
「うーん、でもウレシアさんの話を聞く限り、彼らはここに住んでいるってよりも、一時的に身を置いてるって気がするから…あながち住処も間違ってなさそうだけど」
「言われてみりゃそうかもしれんな。魔女が厄災を食い止めた話をウレシアは知らなかったしな。この街に住んでいれば嫌でも耳に入ってくるはずだ。もっとも、知らないふりをした可能性もなくはないけどな」
兄弟は妙な詮索をしていたが一旦やめ、魔女について調べることを念頭に置いた。
二人は一度街を出て、近くの集落に入った。先ほどの街に比べて小さく、建っている家々もボロボロだった。
人の姿はちらほらとしかなく、皆痩せ細り憔悴しきっていた。
「さっきまでとは打って変わってって感じだな」
「魔女が関係してるのは間違いなさそうだね」
グリム兄弟は集落の入り口付近に座っていた痩せ細った男女に声を掛けた。
「魔女について知ってることはありませんか?」
ヘルムがそう尋ねるや否や、男女は小さな悲鳴をあげて更に縮こまってしまった。痩せ細って浮き出た背骨が際立つ。
「や、やめろ…魔女の話をするなぁ……」
祈るように声を引き絞っていた。目には涙が浮かんでいる。
「俺たちは魔女について知りたいんだ。知ってることを教えてくれ」
「あんたらは魔女の手先だ…そう言って俺たちを騙す気だろ?」
「もう私たちに関わらないで……殺さないでぇ…」
あらぬ疑いを掛けられていることがわかったグリム兄弟は一時、男女から離れた。
「こりゃダメだなぁ」
「別の集落に行ってみよう」
この他にも集落はごく規模の小さいものも合わせれば十個以上あった。
グリム兄弟はそのほとんど全てを巡ったが、結果はどこも同じだった。魔女の名前を出すと怯えて縮こまってしまう。
一時間ほどを費やしたが、得られた情報は無かった。
「時間が無駄になったなぁ」
「そうでもないよ。集落の人間と街の人間の魔女に対する認識の差がはっきりとした」
「そんなこと分かりきってたろ」
「いいや、違うアプローチで遠回しに質問をすればいいんだよ」
ヘルムは初めて入る集落へ入り、同様に人に質問をした。
「お腹減ってるんですか?」
ヘルムがしゃがみ込んで聞くと、座っていた男が頷いた。ヘルムは持っていたパンを男に差し出した。男は無我夢中でそのパンにむしゃぶりついた。
「何があったんですか?」
男は口に含んだパンを飲み込んだ。
「はぁ…ありがてえ。……俺たちはもうずっとこんな状況だよ。食いもんもロクに食えねえ、寒さもしのげねえ」
「近くに街があります。何か恵んで貰えばいいんじゃないですか?」
「それは…それだけはダメだッ!」
男は声を荒げた。その声に集落中の人々が反応した。グリム兄弟に気付くと、皆物乞いのように寄ってたかって食べ物を欲した。
ヤコはヘルムに質問を続けるように目で促すと、パンや果物や干し肉などを集落の人間に渡し始めた。
「何がダメなんです?」
ヘルムは優しく問い掛けた。男は俯いたまま、ゆっくりと答えた。
「集落の外には…出れねえ…。出たら…殺されるんだ」
「殺される?」
「ああ……ここらの集落は…ヤツの手に落ちた…もう俺たちは身動き取れねえんだ」
ヘルムは、街に行く道の途中で倒れていた男の姿を思い出した。彼も同様に痩せ細っていた。恐らく、街へ行くために集落を出て、殺されたんだ。
「そのヤツとは……魔女のことですね?」
男は魔女という言葉を聞いて青ざめたが、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます」
ヘルムは立ち上がった。
そして、ひとまず集落中に食料を配り終えたヤコに目をやった。ヤコはヘルムに近寄りながら言う。
「話は全部聞いてたよ。要するに魔女だろ?」
「うん、まあそんな感じ」
ヘルムは苦笑いを浮かべる。そして集落を出ようとすると、先ほどの男がうろたえて兄弟を止めた。
「しゅ、集落を出ちゃいけねえ!魔女に狙われるぞ!」
「…既に集落に入ってしまった我々も、魔女のターゲットというわけですね」
「魔女が出るのは夜だろ?今はまだ昼過ぎだ」
ヤコはそう言い捨てて集落から足を一歩踏み出した。
「ち、ちげえんだ!!」
集落の男が叫んだ直後、集落中が闇に包まれた。所々に立ててある松明が無ければ何も見えないだろう。
「なんだ!?」
この集落だけではない、あたりの集落を含むここら一帯が闇に包まれたのだ。
見上げると、分厚い暗雲が空を覆っていた。不可解なことに、街の上空は晴天だった。
「魔女はっ…魔女ぁ…夜に現れるんじゃない……魔女が現れると一帯が夜に…なっ…るんだ…ぁ…」
集落の男は茫然とただそう言った。グリム兄弟は集落から出て、道の真ん中で魔女を待ち構えた。
魔女は兄弟の正面にどこからともなく現れた。
黒い装束を身に纏い、紫色の帽子をかぶっている。右手には杖をもち、ただじっとグリム兄弟を見ていた。
「見た目は完全にババアだな」
「女性の年齢をいじるのはよくないよ兄さん」
魔女は杖を前に構えた。
「イッヒッヒッヒ、ギル、アイドラ ベル ジギザイト!」
魔女が詠唱すると、杖からの鋭い雷撃が兄弟を襲った。
ヘルムは無詠唱で盾を発動し、雷撃を防ぐが、同時に盾も砕け散る。
「うーん、やっぱり無詠唱じゃダメだよね」
ヤコが魔女に向かって走る。炎を纏った右手を魔女に向かって突くと、魔女はそれを杖で防いだ。
「ヒィ…若いと動きも速いねえ」
「あんたが魔女か?集落の人間を殺してるってのは本当か?」
「イッヒッヒ、集落の人間は私の養分なんだぁ…集落から出すわけにはいかないのよぉ」
魔女は杖でヤコを弾く。
「年増のババアはこっちの質問にもまともに答えらんねえんだな。まあでも大体わかった。集落の人間を殺したのは、お前だな」
「イッヒィィ!」
魔女は杖から雷撃を放つ。雷属性の魔法は攻撃力とスピードを兼ね備えた強力な魔法であることは、ヤコは重々承知だった。
雷魔法を躱すのはナンセンス。一撃目を躱せてもすぐに二撃目がくる。
「雷魔法は跳ね返すのが一番」
ヤコはそう呟き、右手を前にやる。
「ゼオン、アイドラ ベル セオセオ アーガライト」
三角錐を横に倒したような形状の盾は、雷撃を受け止める。
「イッヒッヒ!その程度の盾で雷魔法を防げると思うなぁ!」
「その程度?」
三角錐の盾は雷撃を見る見る吸い取った。そして、三角錐の底面の部分から三倍の大きさの雷撃を魔女に目掛けて放った。
魔女に目掛けて放たれた雷撃は音を立てて黒い煙をあげた。
「俺の魔法の程度を知らねえだろ、お前」
黒い煙と暗雲が混じり合った頃、ボロボロになった魔女が姿を現した。
「イヒッ、イッヒッヒッヒッヒ…若いのは怖いねぇ」
「そうだな、ババアには荷が重かったか」
魔女は杖を前に構えた。何やら巨大な魔法でも放ちそうな雰囲気が漂っていたが、ヤコはそこから微動だにしない。
「イッヒッヒッヒッヒ、こいつを喰らいな!ギル、アイドッ…」
魔女の詠唱中、杖が音も無く砕け散った。魔女は思わず唖然とし、詠唱の口を止める始末。
「なっ…」
魔女の背後から首元に氷の刃が置かれる。ヤコとの戦闘中、ヘルムは魔女の背後をとっていた。
「あなたの杖はシカの木で出来ているので…腐らせておきました」
「ば、ばかな…いつの間に」
「さあ、いつでしょうね」
ヘルムは更に首元に氷の刃を近付けた。ヤコはゆっくりと魔女に忍び寄った。
「お前を殺してやりたいのは山々だが、聞きたいことがある」
「イヒッ…聞きたいことぉ?」
「ああ。…魔法の詠唱についてだ。俺たちは新しい詠唱法則を見つけたんだが、何か詠唱について知ってることはないか?」
一瞬の沈黙が流れた。
「イッヒッヒッヒッヒ、若僧。詠唱は魔法の効力を上げるための手段だよ。それ以上でも以下でもない!」
「…違うよ。詠唱は魔法本来の効力を100パーセント発揮させる手段だ」
ヘルムが耳元で囁いた。
「イヒッ、どちらも同じさ」
「違うな。まるで違う」
ヤコは呆れたように頭を掻きながら言った。
「まあいい、別にお前に期待なんかしてない。…最後に一つ聞いていいか?」
ヤコは老婆の目を見据えて言った。
「本物の魔女はどこにいる?」
再び沈黙が流れた。老婆はヤコの質問に冷や汗を流し長い沈黙で答えた。その反応が、“この老婆は本物の魔女ではない”というグリム兄弟の疑惑を確信に変えた。
「ほ、ほんもの?…なんのことだい?」
「知ってるおばあちゃん?魔女っていうのは詠唱を使わないんだよ。魔女の使う魔法は普通の魔導師が使う魔法とは少し違うからね」
ヘルムの解説に、老婆は更に狼狽えた。
「なぜ…そのことを…?」
「研究の賜物だよ。なんてことない」
ヤコは溜め息を吐いた。
「最後にもう一度聞くぜ。本物の魔女はどこだ」
「ほ、本物の魔女は…」
老婆が何かを話そうとした直後、それまで集落周辺を覆っていた暗雲が、音を立てて崩れ、ある男の指先へと集まっていった。
一瞬にして空は晴れわたった。
「誰だ!?」
ヤコは構える。いつの間にか、白いローブを着てフードを被った男が、そばに立っていたのだ。
男は自分の口元に人差し指を立てた。何も聞くな、とでも言いたげだった。
「あっ…がぁっ…かぁっっ…」
突如、老婆が苦しみ始めた。ヘルムは首元に置いていた氷の刃を離し、老婆の腕を拘束していた手を離した。
老婆はその場に力なく倒れ、ミイラのように痩せ細り、服を残して灰になった。
「まさか、暗雲が消えたから…!」
ヤコとヘルムは再び白いローブの男がいた方向へと目をやるが、そこには既に男の姿はなかった。
「くそっ!なんだってんだ」
「白いローブに…七対の杖が連なった紋章…」
ヘルムは呟いた。
「あれは…
魔導十衆とは、魔導師の秩序と鉄則を定める十人の魔導師のことだ。
実質上魔導師界の覇権を握り、統べる十人。全員が類まれな魔力の持ち主である。
普段は公粛魔導師にはたらきをさせており、魔導十衆自らが動くことは滅多にない。
しかし、七対の杖が連なった紋章が刺繍された白いローブは、魔導十衆の証だと、ヘルムは知っていた。
「魔導十衆が動くってことは…魔女関連の事件はそれほどおおごとってことか?」
「そうだね。魔女がそもそもどういう立ち位置なのかは分からないから、この偽魔女が本物の魔女の意図するものなのか、そうではないのか…それはわからない。だとしても、魔導十衆が魔女と絡んでいることは間違いない」
「面倒なことにクビを突っ込んだかもな」
ヤコは大きく溜息を吐いた。ヘルムは苦笑いを浮かべたが、集落を見渡し、やがて自然な微笑を浮かべた。
「でもまあ、これで集落は安全だ」
集落の人々は、自分らを脅かした偽魔女の死を、涙を浮かべて喜んでいた。
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