第27話 脇役


「――《耳あるものは聞くがいい》」


 真っ暗なマーディーの意識に、超越的な声が響いた。


「《捕らわれるべき者は捕らわれる。殺されるべき者は殺される。ここに要するは、聖なる者たちの忍耐と信仰である》」


 その声に引き上げられたように、意識が浮上した。


「……あ、れ……?」


 そっと瞼を開く。

 砂漠を歩いた末に口にした水のように、目に入ってくる光が尊いものに思えた。

 ぱちぱちと目を瞬き、状況を思い出していく。


(……そうだ……なぜだか急に、意識が薄れて……)


 辺りを見回す。場所は変わっていない。マーディーは、ミノーグ教官の自動車にもたれかかっていた。


「……あ」

「あ……」


 ふと、目が合う。

 隣で同じように気絶していたアンニカだった。マーディーの手は、彼女の小さく冷たい手をしっかりと握っている。


「……え、と」


 アンニカは繋いだ手を見下ろして歯切れ悪く呟いた。


「一体、何が――」


 そして視線を上げた瞬間、表情を失う。

 マーディーもまた視線を空に向け、思考を空白にした。


 空を、炎が覆っている。


 まるで山火事を上空から見下ろしているかのようだった。しかし現実には、地上にいるのがこっちで、燃えているのは空なのだ。

 もし、世界が終わるとしたら、それはこんな光景だろう。

 自然とそう思った。だから、空を覆う炎の雲が動きを見せたとき、さほど驚きはしなかった。


 ――ああ、それも当然だ。

 あれほど厚く垂れ込めた雲ならば、雨を降らすのが道理というもの。


「……ああ……」


 ただ、溜め息をついた。

 運命を受け入れることに、思ったほど抵抗はなかった。

 それほどに――その空は、絶対的な光景だったのだ。


 抵抗するように輝く、二つの光さえなければ。


「…………!!」

「……あ……!!」


 二人はかすかに声をあげ、空の輝きを見上げた。

 それらは、空のあちこちを飛び回り、降り注ぐ炎の雨を撃ち落としているように見えた。

 思い込みかもしれない。

 都合のいい錯覚かもしれない。

 だが、その輝きが、必死に叫んでいるように感じたのだ。


 生きろ。

 諦めるな。

 その命が、ある限り――


「――いきますよ……!」

「うんっ……!」


 マーディーとアンニカは握り合った手を力を込め、互いに引っ張り上げるように立ち上がった。

 空の輝きがいくらか撃ち落としているといえど、炎の雨のすべてをどうにかできるわけじゃない。それでも、逃げ場があるはずだ。彼らのおかげで、可能性が残っているはずだ。


「とりあえず建物の中へ……!」

「ちょっと待って! 教官は!?」


 近くにはミノーグ教官もいたはずだ。

 マーディーが振り返ると、中年の准教授は座り込んだまま呆けていた。

 マーディーは即断する。アンニカを引っ張るようにして走り、もう片方の手で教官の腕を掴んだ。


「――っ! 来ますっ!!」


 熱がちりりと脳天を焼く。

 落ちてくるのは炎の雫。雨と例えたのは間違いだったかもしれない。雨にしてはあまりに大きな粒だった。それは、むしろ雹だ。人間大ほどもある炎の塊が、バケツを引っ繰り返したように降り注ぐ……!


「中へ! 中へっ!!」


 悲鳴めいて叫びながら、アンニカ、ミノーグ教官と一緒に、近場の雑居ビルの中に駆け込んだ。

 直後、聴覚が壊れる。


 爆音。

 爆音。

 爆音。

 爆――――音―――…………。


 途中から五感が麻痺し、ただただ衝撃が意識を叩いた。3人で身を寄せ合い、ひたすらそれに耐えた。

 しばらくして、静けさが肌を包み込む。

 マーディーは顔をしかめて耳を押さえながら、恐る恐る外の様子を窺った。


 刺激臭がした。きっとアスファルトが溶けた匂いだ。

 外の道路にはいくつものクレーターが穿たれ、のみならず赤熱して溶解していた。

 まるで空爆だ。いや、空爆であったなら、ビルに逃げ込んだ程度では無事で済まなかっただろう。

 あれほどの炎の雨だったのに、どうしてあの程度の威力だったのか。空の二つの輝きがそうしたのか――あるいは、あえて手加減してあったのか?


「……二人とも」


 呻くような声で、ミノーグ教官が言った。


「あれほどの空爆だ、地盤がやられているかもしれないよ……。ビルからは、離れたほうがいい」


 マーディーとアンニカは無言でうなずいて、逃げ込んだ雑居ビルを出る。

 地獄めいた熱がアスファルトから立ち上り、全身の肌を刺した。火傷しそうなほどだったが、アンニカが魔術で風のヴェールを展開し、熱を遮断する。


「空は……真っ黒か……」

「不気味ですが、炎が降ってくるよりマシです……! 今のうちに遠くへ!」


 離れたところでなんとかなるものではないのかもしれない。それでも、今はできることがそれしかなかった。

 自動車は当然やられている。3人は赤熱するアスファルトを避けて走り始めた。


 しかし。

 逃避行はすぐに中止を余儀なくされる。


「――ストップ!!」


 アンニカが制止した直後、ズンッ!! と前方に何かが落ちてきた。

 粉塵が立ちこめる。

 その中に、シルエットが浮かび上がる。


「……虎……?」

「いえ、熊……」


 四足歩行の、大きな獣の影だった。粉塵が晴れるにつれて露わになる正体に、マーディーは息を呑む。

 石像だ。

 獣の石像だった。

 ゴーレムか。ガーゴイルか。種別は判然としないが、獣をかたどった石像が、本物の獣のように獰猛な呼気を吐き、光のない双眸でこちらを見据えているのだ。


「下がってくださ――」


 知らず、マーディーはアンニカを突き飛ばしていた。

 反射的だった。

 本能的だった。

 理屈とは異なる理由で、マーディーは理解したのだ。


 ――こいつには勝てない。


 直後に来たのは、全身を叩く衝撃だった。

 記憶が途切れる。

 痛みさえ、感じる暇がなかった。

 ただ、悲痛な声だけが耳を刺す。


「マーディーっ!!」

「ハスラー君っ!!」


 ――ズンッ!! と。

 何かが着地する衝撃が、いくつもいくつも重なって、背中越しに聞こえてきた。




※※※




「――てンめぇえぇええッ……!! ふざけるなああああッッ!!!」


 デリックは天上のメガセリオンを睨み上げ、怒りのままに吠え猛った。


「何が信仰だ。何が忍耐だ! 人間を虐めてもてあそぶのがテメェの神話とやらかッ、終末黙示録ペイルライダぁあああッ!!!」


 必死で炎の雨を撃ち落としたかと思えば、次は獣の石像が無数に地上へ投下されたのだ。

 直感でわかる。あれら一体一体が伝説級精霊だ。あの軍勢だけで、人類を七回滅ぼして余りある!


「最速でメガテリオンを潰すのよ!! それしかないわ!!」

「ちくしょう……! ちくしょうッ、ちくしょうッ!!」


 エドセトアのそこかしこで煙が上がっている。建物にさほどの損傷が見られないのは人類文明への慈悲なのか。だが時間の問題だ。獣の石像たちが暴れれば、ものの数十分で皆殺しになる!


 翼持つ精霊が、第六のラッパを吹き鳴らした。

 メガテリオンの背後、遙か天上に赤い影を透かし見せるマスターテリオンが、首を六つに増やす。

 残り一つ……!


 天上に佇むメガテリオンを守るように、鳥型の石像が無数に舞った。それらすべてが《オウリュウ》に比肩する精霊だが、魔神にとっては雑魚に過ぎない。


「露払いは引き受けてあげる! トドメはあんたがやりなさい!!」

「でもどうする!? メガテリオンは傷付けても再生するぞ!!」

「……わからない。どうしようもないのかもしれない。でも、そのときは全部終わりよ! つまり、わかるでしょっ!?」

「意地でもなんとかしろってことだろ、クソッたれ……!!」


 相手は神霊だ。世界を運営するシステムの一端だ。しょせん精霊の一種だなどと考えたのが間違いだったのかもしれない。神に弱点などあるのか?

 それでも前を向くしかない。できることをやりきった先にしか、未来が生まれることはないのだから……!


「―――《轟き砕く雷霆の剣ゼウス・ケラウノス》―――!!」

「―――《舞い踊る風姿の光エンリル・メラム》―――!!」


 二つの奇跡が、獣の石像を薙ぎ払った。




※※※




 わたしは暗い舞台の上で、青ざめた馬の騎士と戦っていた。


「はあっ……はあっ……ぁ、ぐっ……!!」


 とはいえ、最初から勝ち目なんてない。

 騎士が突き放った槍が、肩を貫いていた。

 走り抜ける痛みは、身体の痛みじゃない。かといって心の痛みでもなく、というか痛みですらない。

 それは甘美な誘惑。

 諦めてしまえと。委ねてしまえと。魂に広がる、甘い甘い安らかな諦念……。


「《汝は幸いである》」


 騎士が勧告する。


「《すべての封印が解かれたのち、あらゆる者が死に至る。世界の三分の一は飢え乾き、三分の一は焼き尽くされ、三分の一は黒く染まる。水は血に変わるだろう。人々は火に焼かれるだろう。すべてが闇に覆われ、激しい苦痛が何もかもを平等に蝕む。そのとき、地と海とは不幸である――汝の望み通りに》」


 ああ、確かにそれがわたしの望み。

 みじめで醜いわたしの願望。

 そんな自分に耐えられなくなったから、わたしは肉体を捨てる道を選んだ。

 悲しみも、苦しみも、みじめさも、寂しさも――肉体さえ捨てれば、なくなってしまうと思ったんだ。


 でも、それは思い違いだった。

 脳すらなくなってしまっても、結局何も捨てることはできず。

 そのまま、癖になったかさぶたのように……わたしは、亡霊になった。


「…………ふふ、ふ」

「《笑みの理由を問う》」

「皮肉だと、思って……」


 契約者の義理か、わざわざ質問してくれる騎士に、わたしは答える。


「肉体を捨てて、何百年も眠って、その果てに、ずっと会いたかったものに会えた……。なのに……あは、あはは! ねえ、聞いてよ! わたしがあの二人の存在に気付いたときのこと! あの病院で、臨床実験に付き合いながら、ネットである動画を見つけたの……。何の動画だと思う?」


 傷から血を流しながら語るわたしを、騎士は黙って見据えた。


「婚約式よ……。まだ幼い、10歳の男の子と女の子が、教会で婚約指輪を贈り合う姿……。

 ああ、あのときの気持ち、なんて言ったらいいんだろう……。嫉妬すらできなかった。敗北感すら覚えなかった。

 きっと、気付いていたのね……。自分が何もしていないってこと……。できることをしていなかったってこと……。気付いていたから、悔しいって気持ちにすらなれなかったのね……」


 今にして思えば、まるでおままごとのような婚約式。

 当の二人にとっても、仕掛け人の政治家たちにとっても、プロパガンダ以上の意味はない茶番劇。

 でも、わたしにとってはそうじゃなかった。

 あのとき、亡霊だったわたしは完全にトドメを刺されたのだ――主役ヒロインになることを挫折し、別の役割を追い求めたのだ。


「《安堵せよ》」


 と騎士は告げる。


「《全生命が汝と同じになる。誰にも顧みられることのない孤独に、すべての生命が落下する。誰もが平等に運命に嫌われ、誰もが公平に人生を挫折する》」

「……そうね……とっても、素敵ね」

「《残る障害は別なる雫の力を振るう魔神たちのみ。もはやそれも無力に等しく、此なる綻びは誰にも止めること能わず。思い人が復讐に走ったときのように。婚約式を目撃したときのように。ゆえに》」


 おそらくは純粋な慈悲をもって、神霊はこう言った。


「《信じたまえ。崇めたまえ。さらば救われん》」


 きっと、その言葉は正しい。

 ただ信じていればいい。

 ただ崇めていればいい。

 きっと、それだけで救われる。

 だって、自分自身で何かを求めることを、諦めるということだから――


「――クソッたれよ」


 それでもわたしは、肩を貫いた槍を力強く掴む。


「あまりナメないでくれるかしら? 運命に愛されてない脇役の力を―――!!」


 槍が砕け散る音が、無人の劇場に音高く響き渡った。




※※※




 ふわふわと……闇の中に、浮いている。

 あれ? とマーディーは思った。

 どこだろう、この心地のいい場所は――

 確か、アンニカや教官と一緒に逃げていて――


 闇の向こうから、のしのしと歩いてくる獣がいた。

 石でかたどられたそれを見て、そうだ、と思い出す。

 あいつだ。あいつに轢かれたんだ。


(ああ……それじゃ、死んじゃったのかな……)


 朝の微睡みのような靄が、頭の中を薄く覆っている。

 こんなに気持ちがいいのなら、自殺する人の気持ちもわかろうというものだ。


 石の獣が目の前まで近付いて、高圧的にマーディーを見下ろした。

 こいつには、勝てない。

 どうやっても、どう考えても――できることが何もない。

 だから諦めるのは簡単だった。

 理屈として、それが最善手だった。


「さあ……連れていって……」


 か細くそう言うと、獣は頭でマーディーを持ち上げ、背中に乗せた。

 そのままふわりと、上のほうに浮き上がる――どっちが上なのかなんてわからなかったが、何か目に見えない力に引っ張り上げられているかのようだった。

 天国に行けるんだろうか。

 それとも地獄行きか。


(アンニカなら、『あなたみたいないやらしいおんな男は地獄行きに決まっています』とか言いそうだなあ……)


 そんな風に思いながら、闇の天井を仰いだ。

 と――

 狼煙めいた一条の煙が、獣の頭部から立ち上っていることに気付く。

 なんとはなしにその先を目で探し、そこに、ものすごい大きさの存在感を見つけた。

 それは、なんだか、まるで――


「――あっ……!?」


 ざわりと、鳥肌が駆け巡った。

 それはまるで――


「まだ、だ……! まだだ、まだだ、まだだっ!!」


 微睡みめいた靄が晴れる。

 曇っていた目が開く。


 まだ、できることがある―――!!


 マーディーは力一杯に暴れて、獣の背中を飛び降りた。

 無窮の闇が一気に白く染まり、彼方から少女の声が聞こえてくる。




※※※




「――マーディーっ!!」


 ハッと目を覚ますと、アンニカの顔がいっぱいに広がった。


「……ぅげほっ!! げほっ、げほっ……!!」


 急に苦しくなって激しく咳き込む。

 口の中に溜まっていた血を、コンクリートの床に吐いた。


「よかった……! 蘇生した……! あなた、一度心臓が止まって――」

「……それ……よりっ!!」


 息が整うのも待てない。

 マーディーは血に汚れた手でアンニカの肩を掴んだ。

 彼女ならできる。

 そう、実際にこの目で見たのだ。


「初歩……なんだよね……っ!?」

「え……? な、なんですか? 初歩……?」

「病院、の……! デリックさんたち、を、探すときに、使った、あれ……! 初歩の魔術、なんだろっ!?」

「え? え?」


 困惑するアンニカに、それでもマーディーは必死に叫んだ。


っ!! 獣の石像と……を、紐付けている魔力にっ!!」




※※※




 この瞬間、マーディーと同じ発想に至った人間が、エドセトア全土で合計23人存在した。


 あるいは、天見隊の隊員。

 あるいは、コンビニの店員。

 あるいは、残業中だった会社員。

 あるいは、何の取り柄もないただの学生。


 彼らは勇者ではない。英雄ではない。特別な才能を持って生まれたのでもなければ、前世の記憶をもって転生したわけでもない。

 そんなものは不要だった。

 運命に愛されている必要は皆無だった。

 決して歴史に名を刻むことのない彼らは、だからこそ自分たちにできることをする。


 ――霊子の魔力に色を付ける。


 それは、普通の中学ですら習うような、初歩的な魔術だった。




※※※




 エドセトア上空。獣の石像を薙ぎ払いながらメガテリオンに迫るデリックの目に、不可思議な光景が飛び込んでくる。

 とりどりに色づいた煙のようなものが、地上から幾条も幾条も立ち上ってくるのだ。


「なんだ……!?」


 それが魔力の籠もった霊子に色を付けて可視化したものだということはすぐにわかった。

 だが、合計で23にもなるそれら魔力の煙は、一体どこから上ってくるのか? そしてどこに繋がっていくのか?


 糸のように細長く伸びる魔力の煙は、やがてある一点で合流した。

 天上より世界を見下ろすメガテリオン――

 ――の、背中。


「……まさか」


 頭の端に引っかかっていたことがある。

 メガテリオンの言葉は、すべて聞き取り不可能な冒涜言語だ。

 ならば、『信じたまえ』と、『崇めたまえ』と、超越的に宣告したあの言葉は誰が言った?


「――行く価値はある!!」


 デリックは《轟き砕く雷霆の剣ゼウス・ケラウノス》を振るって邪魔な獣の石像を一掃し、魔力の翼を力強く羽ばたかせた。

 一気にメガテリオンの頭上にまで上がり、その背中を見る。


「いた……!!」


 メガテリオンに比すれば、豆粒のような大きさだ。

 魔力の煙がそいつに集約していなければ、メガテリオンの体毛に住むノミか何かだと思ったかもしれない。


 デリックはメガテリオンの背中に舞い降り、そいつの目前に立った。

 羊のようなねじくれた角と、鉄でできた錫杖を持つ、二本足の獣人だった。


「……よお。てめえが本体だな?」


 デリックを前にして、獣人は一歩後ずさる。

 そう、後ずさった。神霊なりし終末黙示録が、デリックに――そして、たった23人の普通の人間に。


「いくら傷付けても再生する。なるほどなるほど? はっ! うっかりビビらされたが、蓋を開けりゃあなんてことはねえな――要は、本体が別にいたってだけの話か!」


 錫杖を持つ獣人はついに背を向けて逃げ出したが、デリックが雷霆の剣を振るうほうが早かった。

 獣人は一瞬で消滅し、片手に携えた錫杖だけがその場に残る。

 次いで、デリックの足元で変化があった。

 豹に近い姿のメガテリオンが、その巨躯を崩れさせる。熊のような太い足が末端から霊子に還り、獅子のような口はもはや冒涜的な言葉を放ちはしなかった。


 デリックは飛び離れ、巨獣が崩れ去る様を眺めた。

 その隣にリリヤがやってきて、くすっと微笑む。


「褒めてほしい?」

「別にいらねえ」

「可愛くないわね」

「自分がもっと可愛くなってから言え」

「なにをー!?」


 吹き鳴らされたラッパは六つまで。……どうやら間に合ったようだった。

 デリックは遙か地上のエドセトアを見下ろす。

 ……きっと、豆粒のように見えるあれらのひとつひとつで、デリックたちにも匹敵する戦いがあったのだ。それに彼らが打ち勝ったからこそ、本体を特定することができた。


「……尊敬するぜ。人間の底力ってやつに――」




 ラッパの音色が響き渡った。




「――は?」

「えっ……!?」


 デリックとリリヤは視線を上げる。

 漆黒に染まった空に、鉄の錫杖が浮いている。さっき獣人が携えていたものだ。その先端から黒い手が伸びて、金色のラッパを握っていた。


 第七のラッパ。


 ラッパはひび割れて消滅する。

 鉄の錫杖は手を引っ込めさせると、せせら笑うように軽く揺れて、重力に身を任せた。


「う……嘘だろっ……!?」

「見て! 上っ!!」


 黒天の向こうに透けて輝く赤き竜。

 終末の獣マスターテリオン。

 その首が、七つに増えていた。


 黒天に、大きな亀裂が走る。

 それはまるで、雛鳥が卵を破るかのよう。

 内側から漏れ射す強烈な輝きは、未だ一部でしかないにもかかわらず、世界を真っ赤な血の色に染め上げた。


「……ぅ、ぁ……」

「……っ…………」


 二人の魔神が、揃って言葉を失う。

 あれほど強烈だった二人の光輝も、鮮血色の光に一瞬で塗り潰された。


 遙か空で、七対の双眸が光り輝く。

 絶対的な終末が、この世に顕現した。

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