第22話-A 天龍決戦


 伝説級精霊レジェンダリー・エレメンタル《オウリュウ》の鼻先が、ズズ、と窓の外に引き抜かれた。

 鋭いガラスが鱗の上に降り注ぎ、そのたびにパキンが砕け散る。

 エドセトア・タワー天望デッキのガラスは、安全面の問題から、万が一にも割れてはならないものだ。そのために与えられた強度は、強化ガラスという言葉では足りない。

 それが、砕ける。

 当たっただけで、粉々になる。

 一方で、オウリュウの鱗にはひっかき傷ひとつついてはいない。その頑強さは、もはや物理を超越していた……。

 デリックは頬を引きつらせて隣の婚約者に言う。


「おいおいどうするよ、このバケモン。生娘でも生け贄に出して見逃してもらうか?」


 リリヤはわずかに後ずさり、隣の婚約者に言った。


「さてね。もしかしたらメスかもしれないし、童貞野郎を差し出すという手もあるかもしれないわよ?」


 こんな軽口をいつまででも続けていたいと、そう思ったのはいつぶりか。

 もちろん、甘い理由からではない。

 軽口を叩いているうちは、目の前に存在する圧倒的な暴威から、目を背けていられるからだ。


 亀裂の走ったガラスの向こうから、《オウリュウ》がこちらを覗き込む。

 その瞳は思ったより理知的で、もしかすると大人しくしていれば何もせずに帰ってくれるのではないかと思えた。

 ……本当に、そうであったらどれだけよかったか。

 都合のいい妄想は、やはり妄想でしかない。

 恐ろしいアギトが軽く開かれたかと思うと、その奥からカッと紅蓮の閃光が弾けた。


「ばァあぁあああああああっっっか野郎ッ!!」

「伏せてっ!」


 視界のすべてが紅蓮の炎で埋まる。

 肌を焼く熱。失われゆく酸素。天望デッキは一瞬で地獄と化した。

 こうしてデリックが悠長に熱いだの痛いだの言っていられるのは、リリヤが展開した風のヴェールのおかげである。

 押し寄せる炎を、防ぐというよりはいなす形で、エアポケットのような安全圏を作り出しているのだ。


「うくっ……魔力が……喰われる……!」

「貸してやる!」


 リリヤの手をぐっと握り締めた。彼女は驚いたような顔で一瞬こちらを見たが、すぐに表情を引き締めて防御に専念する。

 手を伝ってリリヤに魔力を融通した。押し寄せる本能的な羞恥心を気合いで噛み殺し、デリックは頭を回転させる。


 ドラゴン。龍。どうやれば倒せる? 逆鱗? いや、エルフィアの精霊兵器は伝承性質フォークロア・プロパティをいじっていることもある。しかし、どこかしら欠点はあるはずだ……!


(そうだ……リリヤはこいつを、《オウリュウ》のだと言っていた!)


 初期型ということはその次の型があるということで、次の型があるということは何かしら改善があったということだ。

 改善があったということは、すなわち弱点の存在を意味する。


「なあ、リリヤ! お前、初期型だって言ってたよな……! この龍を、初期型だって!」

「言ったけど!? それが何!」

「つまり、こいつは飛べない……! この図体で300メートルも墜落すりゃ後腐れなくあの世行きだろ!」

「簡単に言ってくれるわ……! 具体的には!?」

「引きつけろ! あとはこっちでやる!」


 炎が途切れた。

 火の粉の向こうから現れるのは、思わずひれ伏したくなる巨大な怪物の顔。

 口の端から舌のように炎の残滓を漏らし、龍は轟然と鼻先を突き出した。ひび割れた窓ガラスが完全に砕け散る。さっきと同じだ。まるで重機がスクラップを潰すように、硬い鱗が視界いっぱいに迫る!


「任せたっ!」


 リリヤの肩を押しながら地面を蹴る。左右に分かれた二人の間に、オウリュウの鼻先が突っ込んだ。

 派手に撒き散らされる轟音が全身を震わせる。だが、むしろそれに背中を押されるようにして、デリックはオウリュウの頭の上に飛び乗った。

 目指すは背中側。硬い鱗の上を走り、砕けた窓の外に出る。


「滑り台にしてはスリリングだな……!」


 強い風が下から吹きつけてくる。地上が霞んでいた。もし足を滑らせても、頭の中で遺書をそらんじる程度の時間はあるだろう。そのくらいの高さだ。

 だが、怯えてはいられない。

 エドセトア・タワーに巻きついたオウリュウの長躯。デリックはそれをスロープのように駆け下りる。

 視界横には斜めに交差した特徴的な鉄骨。エレベーターシャフトの外側を覆う塔体鉄骨だ。


(ヤモリなんかは手足から生えた細かい毛によるファンデルワールス力で壁を走るが、龍――蛇はそうじゃない。登攀能力は意外と高いが、それは煉瓦や石なんかのわずかな窪みを足がかりにしているだけだ)


 これほどの巨体、巨重。かなりしっかりとした足がかりがなければ登攀は不可能だろう。すなわち、


(この鉄骨! この塔体鉄骨さえなけりゃ、こいつは自分の体重を支えきれない!)


 ヴォルトガ弐式の剣身が赤熱する。

 高度350メートルの澄み渡った空気もろとも、塔体鉄骨の継ぎ目を焼き切った。


(パーツ同士を直接溶接して繋いでやがるから継ぎ目がわかりにくい! よく探せ……!)


 さらにオウリュウの巨体を駆け下りながら、目を皿のようにする。鉄骨の継ぎ目。継ぎ目。継ぎ目! 継ぎ目を正確に溶断しなければ、効率的にオウリュウの足場を奪うことはできない……!

 見つけては斬る。見つけては斬る。見つけては斬る。5つ目を斬ったところで、ついに鉄骨の一部がガゴンと外れた。


「まだだ! 次ッ!」


 オウリュウの全長はおよそ100メートルにもなる。そのうち半分、いや3分の2程度の足がかりをなくせば、巨重を支えることはできなくなるはずだ。

 しかし、とデリックは歯噛みする。それまでにどれだけかかる? 何分かかる?


「くそっ! こうしてる間にペイルライダーが……!」


 二箇所目の鉄骨が外れた。オウリュウが少しだけふらつき、もぞりと動いた。

 その瞬間だ。

 バリンッ!! とけたたましくガラスが割れる音がした。

 頭上を見上げる。長い金髪が空に泳いでいた。一人の少女が、天望デッキから空に飛び出したのだ。


「リリヤ!?」


 少女の周囲に5体の精霊が侍っている。それが星座のように陣形を作ったかと思うと、ドウンッ! という風の咆哮が胸の底に響いた。

 放たれしは風の槍。切っ先がオウリュウの顔面に当たる。龍の威厳ある顔が、怒りに歪んだように見えた。

 オウリュウが、長躯を伸ばす。

 エドセトア・タワーから離れた場所に飛ぶリリヤを追いかけたのだ。

 そのぶん、タワーに巻きつき、巨重を支えていた蛇身の多くが空中に浮いた!


「――ナイスアシストだぜ、不本意ながら!」


 今ならば支点となっている尻尾側の負担が大きい。自重が最大限にのしかかっている!

 デリックはオウリュウの身体を一気に駆け下りた。尻尾の近くまで来ると、塔体鉄骨の継ぎ目を探す。

 ――さあ、梯子を外すときだ。

 立て続けに五箇所、継ぎ目を溶断した。

 鉄骨が外れる。剥がれ落ちる。遙か300メートルを落下し、地面に激突してバラバラになる。


 龍の身体が、虚空に泳いだ。


 巨躯が、傾ぐ。支えを失いバランスを崩す。ずりずりとタワーの外壁で身体を滑らせて、


 そこにトドメの一撃が来た。

 リリヤの《五衛精》が目一杯に風を充填し、それを砲弾としてオウリュウの顔面に叩きつけたのだ。


 蛇身がエドセトア・タワーを離れる。

 全長100メートルの巨躯が、しかし、無様にばたつきながら縋る藁もなく、ただの蛇にも劣るみっともなさで落下する。

 高度300メートル。

 如何な怪物とて、この高さはそれだけで致命傷だった。


「うおっ……と!?」


 そして、オウリュウを足場にしていたデリックもまた重力に囚われる。

 ヴォルトガ弐式を電磁石コイルモードにしようと思ったが、その前に金色の風がやってきた。

 ふわりと、甘く柔らかな風を振り撒いてデリックを受け止めたリリヤは、その顔を見下ろしてくすりと笑った。


「褒めてあげるわ、ドラゴンスレイヤー」

「やめろ、なんだその二つ名。……っていうか、お姫様抱っこはやめてくれませんかね」

「悔しかったら、今度は私をお姫様抱っこしてみせることね」

「よーしわかった。そのときは容赦なく落としてやる」


 オウリュウの巨体が地上に叩きつけられる。

 その音も、衝撃も、300メートルもの高空にはわずかにしか伝わってこない。


「下の商業施設、大丈夫かしら?」

「大丈夫なわけねーだろ。めちゃくちゃだよ」

「公共事業が増えて経済が潤っちゃうわね」

「どんなポジティブシンキングだ。普通に考えて損害のほうがでけえだろうが」


 壊した鉄骨のこともあり、エドセトア・タワーの観光事業はしばらくストップするだろう。経済損失がどれほどになるかは考えたくもない。

 だが。

 全人類が黒死病に沈むのに比べれば、こんなものはまだまだ明るい未来予想図だ。


「行くぞ。……これで追いつめた」

「ええ。ケリをつけに行きましょう」


 二人が見上げるのは、天望デッキのさらに上。

 シャトルエレベーターの終点。

 フロア410、天望回廊―――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る