第21話-B 潜んでいた真犯人


「教官! ここまでで大丈夫ですっ!! ありがとうございました!!」


 ハンドルを握るチャス・ミノーグ教官に車を止めてもらうと、マーディーは大急ぎでシートベルトを外した。

 目的地であるエドセトア14番天見隊舎はさほど遠くなかったが、走っていくよりは車のほうが速い距離ではあった。

 なので、ネットが繋がらないからと仮眠していたミノーグ教官を叩き起こして、車を出してもらったのだ。

 彼は事情も聞かずに言う通りにしてくれた。

 いつもは事なかれ主義で、デリックがどんな騒ぎを起こしても知らんぷりなのに、生徒たちの必死さを見るとなんだかんだで協力してくれる人なのだ。


「ハスラー君」


 車のドアに手をかけたとき、ミノーグ教官が視線もくれずに呼び止めた。


「頑張りたまえ」


 マーディーが何を頑張っているのかも彼は知らないだろう。それでもかけてくれた言葉に、マーディーは全力で答える。


「はいっ!!」


 ドアを開けて車の外に飛び出す。

 車を停めたのは黒死病感染圏のギリギリ外。教官まで倒れさせるわけにはいかないので、中に入ることまではできなかった。

 マーディーは息を呑み、意を決して感染圏の内側に突っ込んでいく。

 体内魔力量に不安のあるマーディーでは、黒死病魔術にレジストすることはできないだろう。だが、適材適所だ――できないことはできる人にやってもらえばいい。


「――こっちですっ!!」


 ピンク髪のメイド少女が大きく手を振っているのが見えた。アンニカだ。

 マーディーが駆け寄ると、彼女はすぐに手を握ってくる。

 華奢な手に目一杯の力を込めて、アンニカはマーディーの目をじっと見つめた。


「いきますよ、覚悟はいいですね?」

「そっちこそ」


 手を伝って、アンニカの魔力が流れ込んでくる。

 霊子経の回路を他人のそれと直結させる感覚は独特なものだ。快感とも苦痛ともつかない感覚が、全身を駆け巡った。


「んっ……」


 暖かい。あるいは柔らかい。以前もこうしてアンニカに魔力を融通してもらったことがあるが、彼女の魔力はまるで母親の身体みたいな安心感がある。

 アンニカは少しだけ赤い顔で、こちらをちらっと一瞥した。

 それから、ふいと視線を逸らして、吐き捨てるように言う。


「……あんまり長くやっていると死にたくなりそうです。さっさと行きましょう」

「一言多いんだよ、ピンク髪っ!」

「ピンクじゃありませんっ! ストロベリーブロンドですっ!!」


 手を繋いだまま人通りのない街を走る。

 侵入してくる魔術ウイルスはアンニカの魔力が追い出してくれる。彼女と手を繋いでいる限り、マーディーも黒死病に蝕まれることはない。


 目的地の14番天見隊舎にはすぐに辿り着いた。

 静かな佇まいだ。天見隊舎とはこんなものなのだろうか。

 いや、ここは黒死病魔術の感染圏内だ。職員たちも倒れている可能性がある。


「……とはいえ、忍び込む算段はちゃんと立てたほうがいいでしょうね。例のハッキング犯――モーテンソン・クリニックの元研究員がどこに留置されているのかもわかりませんし」

「まずはそこからか。くそっ。時間がかかるなあ」


 マーディーは遠くに聳えるエドセトア・タワーを見やる。時計はずっと止まったままで、それ以外に変なところはない。

 今頃デリックたちはあそこに辿り着いて、レイヤに乗り移った《ペイルライダー》を止めようとしているはずだ。


「――ん? 君たちは昨日の!?」


 時間のなさに歯噛みしたとき、突然、聞き慣れない声に呼び止められた。

 隊舎の入口から、天見隊の男が二人、飛び出してくる。

 捕まるのか? まだ何もしてないのに!? と驚いたが、その顔にはかろうじて見覚えがあった。


「あれ? あの二人、もしかして……?」

「あ……。昨日、病院で助けた――」


 モーテンソン・クリニックにデリックとリリヤを探しに行ったとき、閉じ込められているのを見つけて助けた二人だった。


「よかった! 無事だったのか!」

「昨日は本当にありがとう……。君たちのおかげで命を拾った。ずっとお礼が言いたかったんだ」


 自分より一回りほども年上の大人に感謝されて、マーディーはむずがゆい気持ちになる。

 が、今はそれどころではなかった。


「……お礼ついでに、お願いがあるのですが」


 アンニカが躊躇いなく切り出す。

 この出会いは天の恵みだ。利用しない手はない。

 ハッキング犯の男に会いたい旨を伝えると、天見隊の男たちは真剣な表情を作った。


「……昨日、命をかけて怪物から我々を救ってくれた君たちだ。それは、必要なことなのだな?」

「わかった。案内しよう。いずれにせよ隊舎の中は正体不明の流行病でてんてこ舞いだ。部外者が紛れたところで見咎められまい」


 話が早くて助かる。

 男たちに先導されて、裏口から隊舎の中に入る。

 道中、男たちがなぜここにいるのか説明してもらった。


「実は、私たちも昨日のことでモーテンソン・クリニックを不審に思ってな。そのハッキング男と面会しようとしていたのだ」

「だが、ちょうどそのときにこの流行病の騒ぎが起こった。俺たちのような訓練された一部の人間はどうにか耐えているが、一般職員や拘留されている連中は軒並みダウンしている」

「え? それじゃあ、そのハッキング犯も?」

「当然」


 アンニカと一緒に渋い顔をした。それでは証言を得られるかどうか……。


「……証拠品はありますか?」


 マーディーは考えつつ言った。


「逮捕されたときに、犯人の私物も証拠品として回収されますよね。もしその中にハッキング犯の端末ブラウニーがあったら……」

「……なるほど。そうですね。そちらを先に当たったほうがいいかもしれません」


 ううむ、と男たちは唸る。


「持ち出すのは難しいが、見るだけならできなくもないか?」

「今ならな。行こう!」


 足を向ける先を変える。

 本当に倒れている人が多いようで、まともな警備もなかった。男たちは辺りに目を配りつつ、倉庫のような部屋にマーディーとアンニカを導く。


「おそらくこの辺りに――あった。これだな」


 男たちはあっという間に目的の証拠品を見つけて、マーディーに渡した。

 透明な袋に入った、小型タブレット状のドワーフィア式ブラウニー。

 マーディーは袋に入れたままそれを起動した。


「《ペイルライダー》はブラウニーを媒体にして活動してた可能性が高いと思う。だとしたらこの中に、人体操作魔術の痕跡が残っているはずだ……」

「任せます」


 マーディーはうなずいて、ブラウニーの中身を調べ始める。

 すぐにハッキングの証拠となるマギグラムやログがいくつも出てきた。おそらくこれらが逮捕の決め手となったのだろう。

 そこからさらに深く、ブラウニーのシステムそのものを引っ繰り返すかのように漁り続け、


「……え……?」


 信じられないものが見えて、顔をブラウニーの画面に近付けた。


「こ……これって?」

「どうしたんですか?」


 マーディーは表情を厳しくする。

 間違っていた。

 誰もが間違っていたのだ。


「…………この人は冤罪だ」


 苦々しい声で、マーディーは言う。


「この人はハッキングなんかしてない。ブラウニーを遠隔操作されただけの人身御供だ!」


 アンニカが、天見隊の男たちが、唖然と表情を変えた。

《ペイルライダー》がハッキングで通信障害を起こした。だからその犯人であるモーテンソン・クリニックの元研究員が《ペイルライダー》の前の宿主だった。そう考えてここまで来た。

 しかし、元研究員はハッキング犯ではない。

 すなわち、《ペイルライダー》の前の宿主でもありえない。


「くそっ!! もう時間がないのに……!!」

「待ってください」


 焦るマーディーに、アンニカが冷静な声で言う。


「ブラウニーを遠隔操作するマギグラムを見つけたんですね? だったら、そのマギグラムはどういう経路でインストールされたんですか?」

「え? ……あ、ああ……ちょっと待って」


 調べれば答えはすぐに出る。


「……ネット経路じゃないな……。別のブラウニーか、何かの外部媒体から直接?」

「つまり、この元研究員と真犯人――《ペイルライダー》の前の宿主は現実で接触している。もしかすると覚えているかもしれません」

「あ……! そ、そうか!」

「まだ道は絶たれていません。行きますよ!」






 病に臥せった者たちが集められているのは、閉塞感のある屋内運動場だった。床一面にシーツが敷かれ、苦しそうに息をする人々があちこちに寝かされている。


「さすがに死にかけの人間を牢屋に入れておくわけにはいかないからな。ほとんどがここで看護を受けている」


 足の踏み場を探しながら寝かされた人々を見る。顔や手足の末端が炭のように黒ずんでいた。背筋が震える。もし自分がああなったら、果たして正気を保てるだろうか。


「……いた。彼だ」


 天見隊の男の一人が、ある男の傍にしゃがみ込んで言った。


「彼がハッキング犯として逮捕された男。名前はボエル・ノルデン」

「ありがとうございます」


 アンニカがボエル・ノルデンの枕元に膝をついた。手を繋いでいなければならないマーディーも一緒になって座る。

 ノルデン氏の首は黒い腫れに覆われていた。果たして喉は無事なのか。声帯が潰れているのではないか。とても喋れるとは思えない。


「喉が使えなくても、喋らせる方法はあります」


 アンニカは、マーディーと繋いでいるのとは逆の手で空中にくるくると魔術陣を描く。


「風の魔術は空気の魔術。そして空気は音に通じます」


 虚空から現れたのは、紅蓮の炎でかたどられた鳥だった。


「《フェニクス》……!」


 歌と詩の精霊。等級は確か、ごく簡単なものでも伝承級レアに相当する。

 すうっと、アンニカは軽く息を吸った。


「――《歌って聞かせてごらんなさい。あなたの詩を、あなたの心を。わたしが聞いて記してあげる。あなたの命を、あなたの意味を》」


 子守歌のように歌われたのは、ドワーフィアから見れば伝統芸能以外の何物でもない、呪文によるコマンド入力だ。

 しかし、その柔らかでありつつ凜とした歌声に、ノルデン氏の瞼がうっすらと開いた。

 その隙だとばかりに、フェニクスが我が身を火の粉に散らして、ノルデン氏の耳の中に飛び込んだ。


「わたしの声が聞こえますね、ノルデンさん?」


 ノルデン氏の瞼が驚いたようにぴくりと動く。彼にはアンニカの声が頭の中で響いているように聞こえるのだろう。


「単刀直入に言います。わたしたちはあなた方が精神科病棟でしていたことを知っています。黙っていてほしければ、わたしの質問に答えてください」


 本当に直球な脅迫だった。ネクロキメラの製造は重大な違法行為だ。世間にバレれば、その研究員であっただろう彼はタダでは済まない。

 ノルデン氏は恐れるように唇をわななかせ、それから諦めたように瞼を閉じた。それを確認してから、アンニカは尋ねる。


「《ペイルライダー》はどこに行ったのですか? あなたが逮捕される前に、誰かの手によって持ち出されたはずです。それは誰なのですか?」


 しばらく沈黙があった。

 だが、やがて、マーディーの脳内に声が響く。


(……証拠は、ない。憶測に、過ぎないが)


 フェニクスの力だ。霊子経を繋いで魔力を共有しているマーディーにも効果が表れているのだ。


「構いません。あなたは誰が《ペイルライダー》を持ち出したと?」


 ノルデン氏は語る。

 脳裏では彼が語る人物を調べる算段を立てていたが――次の瞬間、そのすべてが不要となった。


(み……ミノーグ……)


 ざわっと、全身の皮膚が粟だった。


(《ペイルライダー》を、持ち出したのは……ミノーグ。エドセトア魔術学院の准教授……チャス・ミノーグ、だ……)

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