第21話-A エレベーター・シャフトの攻防


 ピンポーン、と音がした。

 別に正解というわけではない。むしろ、それは始まりを告げる音。

 ペイルライダーの背後で、エドセトア・タワー天望デッキに向かうシャトルエレベーターが扉を開けたのだ。


「行かせるもんですか!」


 リリヤが《五衛精》を踊らせた。

 豪風が唸る。それは屋内でもお構いなしに暴れ狂い、天井の晶灯や窓ガラスに亀裂を走らせた。それから最後の仕上げとばかりにペイルライダーを絡め取ろうとしたが、


「――《空気感染》」


 青カビ。

 最初はそう思った。

 だが違う。

 ほとんど直感だ。しかし、たとえ外れていたとしても。それに――空気中に漂う青カビに似た粉末に、精霊を触れさせてしまうのに比べれば!


「よせリリヤ! 微小精霊ナノエレメンタルがいる!」

「ッ!?」


 リリヤは反応は早かった。

 寸毫。

 精霊が青い粉末に触れる寸前、それを自ら霊子に還す。

 豪風が急速に凪いだ。

 そよ風に銀髪を靡かせ、ペイルライダーが賞賛するように笑う。


「ああ、惜しかった――やっぱり目に見えてしまうのはデメリットね?」


 デリックは空気中に漂う青カビのようなものに目を凝らす。

 小さく、そして多い。数えようなんて思えない。一体どこの世界に、空中に舞う小麦粉の粒を数える人間がいる?

 しかし、あのすべてが精霊なのだ。あのすべてが、ペイルライダーの支配下にあるのだ。


「くすくす……。そんなに警戒しないで? 1匹1匹の霊子強度レベルは木っ端のようなもの。エルフィア流の格付けで言うならせいぜい風聞級コモンってところよ?

 でも、ええ、塵も積もればなんとやらね。《五衛精》だったかしら? そのご大層な叙事詩級精霊エピック・エレメンタルも、寄って集れば一瞬でハックできる。

 ほら、追いかけてみてごらんなさいよ――手塩にかけて作った精霊を奪われてもいいならね?」


 余裕を見せつけるような笑みだけをその場に残し、ペイルライダーは扉を開けたエレベーターに駆け込んだ。

 追いかけたい。しかしできない。青カビに似た微小精霊がその背中を守っているのだ。

 もしあれを体内に吸い込んでしまったら? 考えたくもなかった。ペイルライダーが操ったスポーツカーやヘリコプターのように、今度は自分自身がなるかもしれないのだ。

 エレベーターの扉が閉まった。

 それと同時、微小精霊もまた消える。


「もう! どうすればいいのよ、あんなのっ!」

「落ち着け! 術者はペイルライダーだが、エネルギー源はレイヤの魔力だ。レイヤは体内魔力が多いほうじゃない……!」


 1匹1匹は弱小だとしてもあの数だ、制御するだけでも多くの魔力を必要とする。他の魔術を使わせて魔力を消耗させればいい!


「追いかけるぞ!」

「他のエレベーターは!?」

「シャトルエレベータは一基だけだよ!」


 デリックは閉まったエレベータに駆け寄り、ヴォルトガ弐式を振るった。

 電熱を帯びた刃が金属の扉を溶断する。さらに蹴りを入れて、扉の残骸を蹴倒した。

 身を乗り出し、長い長い昇降路シャフトを見上げる。ほんの数秒の間に、エレベーターのケージは遥か上方に霞んでしまっていた。


「チッ。磁力は届かねえか……!」

「仕方ないわね。掴まって!」

「おうっ!?」


 どんっと背中を押され、シャフトの中に落ちる――かと思いきや、リリヤに腰を掴まれて、ふわりと風に体重を支えられた。

 デリックはリリヤの肩に手を回す。顔を上げれば、ケージは見る見るうちに遠ざかっている。


「行けるか? 天望デッキまでは300メートルもあるぜ?」

「たかが1000フィートよ。ペチャンコになりたくなければ変なところ触らないでよね!」

「わかった! おっぱいやケツは触らねえ!」

「はっきり言うな!」


 ボウンッ! と足元で空気が爆発した。

 予想以上の速度と衝撃。猛然としたGが頭の上から襲いかかり、だが一気に二人の身体が押し上げられる。

 地下鉄が駅に着くとき強い風が吹くのと同じだ。狭いエレベーターシャフトの中ならば、リリヤの飛行魔術はスペック以上の高速移動を可能とする。


 シャフトの側面はシースルーになっていた。複雑に交差した鉄骨の向こうにエドセトアの街並みが垣間見える。それが下へ下へと遠ざかり、豆粒めいて小さくなっていった。


「ふん! エレベーターなんかに負けてやるもんですか。天望デッキに着く前に追いついてやる……!」


 300メートルにもなるシャフトを、あっという間に半分ほど過ぎる。

 ケージは徐々に近付きつつあった。

 それを見上げたデリックは眉を寄せる。

 ケージの床をすり抜けるようにして、何かが飛び出してきたのだ。


「黒い鳥……? カラス型の精霊か!?」

「ペイルライダーお得意の動物由来感染症? 私たちを感染させる気!? それで鳥――って、まさかH5N1!?」

「は? なんかヤバいのか、それ!?」

「聞いたことくらいあるでしょう! 鳥インフルエンザよ! 絶対触らないで!」

「げっ……!?」


 今そんな重病に冒されたら、150メートル下まで真っ逆さまだ。デリックはリリヤに掴まったままヴォルトガ弐式を構えた。


「このっ……!」


 リリヤの《五衛精》が風撃を放つ。

 エレベーターシャフトを矢のように墜落してくるカラスたちは、カアッと強く鳴きながら軌道を変えた。

 何匹かは風撃を避けきれない。しかし何匹かは見事に回避してみせる。

 1匹だ。1匹でもデリックやリリヤに届けば、その時点ですべてが終わるのだ。


「くっ……!」

「任せろ! 突っ込めッ!!」


 緩みかけた飛行が速度を取り戻した。死の尖兵たるカラスたちが見る見る迫る。

 デリックはヴォルトガ弐式のトリガーを引いた。


「オレは電線みたいに優しくねえぞ、カラスども……!」


 紫電が迸った。

 まるで網のような放射状の電撃がシャフトを塞ぐ。そこにカラスたちが突っ込んだ。

 すれ違ったときには、すでにその機能は終結していた。羽根の一枚すらデリックたちに触れることはない。カラスたちはさらさらと崩れるように霊子へと還る。


「だぁーからもうっ! 傍にいるときにバリバリしないでよっ! また髪に静電気!」

「お前に雷が苦手っていう可愛らしい一面がなくてよかったぜ。もしそうだったら落ちて死んでた」

「おかげさまでね! あんたと会う前は結構苦手だったんだけどね!」


 カラス精霊の妨害で、ケージとの距離を少し離された。天望デッキまでに追いつくのは不可能か。

 いや、だとしても、さらに100メートル上にある天望回廊までには追いつけるはずだ。あとはマーディーたちの作業が間に合えば……!


 辺りが暗くなった。


「ん?」

「え?」


 狭いエレベーターシャフトの中とはいえ、その側面はシースルー。日光は入りすぎるほど入っていた。

 時刻はまだ夕方だ。夜になるまでにはもう数十分はある。いや、そもそも、こんなにも急に夜になるなんてありえない。

 だとしたら?


 横合いを見たデリックは慄然とした。

 巻きついていたのだ。

 複雑に交差した鉄骨の外側。エドセトア・タワーの外壁に、何か、が巻きついていた。


 上昇していくと、そいつの顔が見えてくる。

 細く伸びた鼻先。悠然と伸びた2本の髭。ゆっくりと呼気を吐く口には、恐るべき牙が無数に並んでいる。

 それは――


「――ド……ドラゴン……!?」


 超長大。

 全長にして100メートルはあろうかという細長いドラゴンが、あたかもアサガオのツルのように、エドセトア・タワーに巻きついているのだった。


 愕然としているうちに、エレベーターシャフトの頂上が近付いた。ケージはすでに停まっていた。ペイルライダーは天望デッキに出たのか。

 そんなことを気にしている余裕は、もはやない。

 追う者は追われる者に堕ちたのだ。

 タワーに巻きついた龍が獰猛な双眸でデリックたちを捉え、タワーの外壁を這い上がってくる!


「や、やばっ……ヤバいヤバいヤバい! ヤバいわよあれっ!!」

「天望デッキに出たらすぐ避けるぞ! いいな!?」


 停止したケージの床を溶断して内部に飛び込む。体勢を入れ替えて壁を全力で蹴り、開いていた扉から天望デッキに飛び出した。

 直後。

 高度350メートルから望むエドセトアの全景が、龍の顔に塞がれる。


「ぐっおおッ……!?」


 リリヤの肩を抱きながら全力で横に飛んだのと、天望デッキの窓ガラスが一斉に砕け散ったのは、ほとんど同時のことだった。

 龍が強引に鼻先を突っ込ませたのだ。気圧差によって猛然と風が荒れ狂い、デリックはリリヤを抱き締めたまま床を転がされた。


「だ……大丈夫か!?」

「だ、大丈夫……」


 胸の中でリリヤが答え、ハッとした顔で付け加える。


「あ、いや! あんたなんかに心配される義理はないわよ!」

「意地張ってる場合じゃねえよ。なんなんだアイツは!」


 ガラスだらけの床から起き上がると、顔だけを天望デッキに突っ込んだ龍が、じろりとこちらを見つめていた。


「あれはたぶん《オウリュウ》よ……」


 リリヤは身構えつつ立ち上がり、苦々しげに言う。


「ずいぶん昔、エルフィアがセリオニアの伝承を元に作った戦術精霊兵器。翼がないから初期型ね……」

「はあ? あんなもん神代にもそうそういなかったぞ! 霊子強度レベルは!?」

「85」

「はちっ……!? 5.66EEMPAエクサ・エンパのバケモンじゃねえかよ!? 街でも焼き尽くす気か!?」


 このスペックは、岩をも砕く力を持つ《五衛精》と比べてもおよそ724倍に相当する。機械魔術で言えば戦艦一隻分だ。

 リリヤは引き攣った笑みを浮かべながら、冷や汗をこめかみから垂らした。


「等級は文句なしの最高位。数いる精霊の中でも最強のひとつ――伝説級精霊レジェンダリー・エレメンタルよ」

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