第4話 魔神たちの遠大にして崇高なる痴話喧嘩


「……マーディーはうまくアンニカを釣り出してくれたみたいだな」

「大丈夫でしょうか。アンニカさん、普段は冷静ですけど、怒ると容赦ありませんよ?」

「大丈夫だろ。マーディーはパッと見美少女だけどやるときはやる男だ。パッと見美少女だけど」

「パッと見美少女ですけどねー」


 指揮官が抜けたせいで、《騎士団》は統率力を欠いていた。

 これならば、リリヤのもとに辿り着くのは容易い。

 居場所もマーディーのおかげですでに知れていた。第2校舎4階の大教室だ。


「行くぞレイヤ。お前も説得に協力してくれ」

「はい。ちょっと惜しいですけど、さすがに国際問題にはしたくないので!」


 第2校舎のエントランスに踏み入ると、レイピアを携えた5人の男子がデリックたちに気がついた。


「むっ……!? デリック・バーネット!?」

「逆ギレしてリリヤ様を狙ってきたか!」

「報告は受けていないが……」

「我ら親衛隊、ここを通しは――」


「雑兵に用はない」


 ヴゥウン――とヴォルトガ弐式が低く唸り、紫の光をぼんやりと放った。

 雷光が奔る。

 男子たちが捉えたのは、きっとデリックが駆け抜けた後に残った稲光だけだっただろう。一瞬のうちに5度、ヴォルトガ弐式が振るわれて、流し込まれた電流が男子たちの意識を刈り取った。


「1階制圧クリア。次!」


 階段を駆け上り、2階へ。

 踊り場を折り返したところで、階段の上から声が聞こえた。


「なっ!? デリック・バーネット!」

「もう来たのか! だが、はははは! 来られるものなら来るがいい!」


 陰険にも、2階へ続く階段に大量の画鋲がばら撒かれている。普通に上れば足裏がただでは済まない。

 雷光がジグザグに奔る。

 大きくジャンプしたデリックが一度だけ壁を蹴って、階段には一度も足を着けずに3階に達したのだ。


「んなっ……!?」

「うそっ――」


 すれ違いざま、二太刀。

 階段の上に立ち塞がっていた男子二人が、力なく崩れ落ちる。


「2階制圧クリア。次!」


 休みなく3階を目指す。

 今度も何かあるだろうと予想してはいたが、踊り場を折り返したところで、ゴドンという重々しい音が聞こえた。


「階下が騒がしいと思えばやはり!」

「落とせ落とせ! 潰してしまえぇ!!」


 どこから持ってきたんだか、大きな樽が階段を転がってくる。直撃すれば骨の一本くらいは持っていかれるかもしれない。

 雷光が爆発的に奔る。

 デリックが突き出したヴォルトガ弐式から、激しい雷撃が溢れ出したのだ。転がる樽は一瞬で黒焦げになり、然る後に魔術機剣の一刀で粉々にされた。


「ばッ……!」

「ちくしょおおぉ……!!」


 一時として足を緩めなかったデリックは、3階にいた男子たちを樽と同じ目に遭わせた。

 とは言っても、焼き加減は少しだけ弱めレアだ。


「3階制圧クリア。次!」


 4階への階段に妨害はなかった。

 廊下に出て、左右を見回したが、誰の姿も見受けられない。


「……ここまで来れたら受けて立つってことかよ」

「姉さんらしいですね……」


 デリックとレイヤはゆっくりと廊下を歩いて、目的の大教室に向かった。

 ヴォルトガ弐式を起動状態にしたまま、扉を開く。


 少女が一人、窓際に立っていた。


 吹き込む風に、純金を鋳溶かしたような長髪が揺れている。袖の部分をカイトのように広げた改造制服は、基本的なデザインは同じなのに、彼女が着ているだけで煌びやかなドレスのように見えた。


「よお。おはようリリヤ、愛するオレの婚約者。ご機嫌麗しゅう」

「ええ。おはようデリック、愛する私の婚約者。機嫌はとっても麗しくないわ?」


 男女問わず見惚れさせる花咲くような笑顔で、しかしリリヤは激しい怒気を放つ。


「レイヤ、その男から離れなさい」


 リリヤが厳しい声音を向けたのは、デリックの隣に立つ実妹だった。


「私はあなたのことを愛しているわ。心からね。姉妹だもの。だから、あなたが選んだ殿方なら、たとえお父様が反対したって私は応援してあげたいと思っているの。――だけどね、その男はダメ」


 レイヤのほうを見ながら、人差し指だけをデリックに突きつけた。


「なんてったってだらしがない。真面目なのは機械をいじるときだけで、子供みたいなオモチャを未だに買ってるし、ろくに敬語も使えないし、髪型を変えても気付かないし、約束をすっぽかしてもへらへらしてるし! こんな奴と一緒になったら絶対後悔するわよ!! 暗黒の未来しか待ってないって断言できる!!」

「お前、ブーメランって言葉知ってるか?」


 まさにその男と一緒になることになっている女が言うことではなかった。


「ダメ! この男だけは絶対ダメ! こいつと結婚するくらいなら犬と結婚したほうがマシよ!!」

「よし、表に出ろてめえ」


 犬以下の扱いに憤慨するデリックの横で、レイヤが静かに表情を変えていた。

 むっと、ぶすっと、明らかに不機嫌そうな表情に。


「…………そんなにお嫌いなんでしたら、わたしがもらってしまっても構いませんよね?」


 静かな声は、しかし不思議と強く大教室に響いた。

 レイヤは所有権を主張するようにデリックの腕を強く抱き締める。

 そして、くすりと勝ち誇った笑みを実の姉に向けた。


「そうやって姉さんがぐだぐだ言ってるから、義兄にいさんもわたしに靡いちゃったんですよ? ね、義兄さん?」

「お? ……お、おう」


 どういうことだかいまいちよくわからなかったが、とりあえず流れでうなずいておいた。

 リリヤが、愕然とした顔で妹を見る。

 ぞわぞわと、時を追うごとに、長い金髪が重力に逆らって浮き上がった。


「で……デリック! あなた、やっぱり、私の妹に……! あのメールはレイヤへのものだったのね!?」

「はあ? あのメールはてめえの捏造だろうが!」


 あんなものをデリックが書くはずがない。というか普通の神経をした男なら書かない。つまりアレは、リリヤが足りない知識で自作したものに違いないのだ。証明終了!


「い、言うに事欠いてっ……! もう無理! 限界だわ! 今ここで引導を渡してやる!!」


 リリヤの周囲に、5体の精霊が同時に出現した。

 夫婦つがいの妖精、青い小鳥、宙を泳ぐ蛇、つむじ風をまとった魚――リリヤの魔力を受けて模られた5体は、一様にデリックへと敵意を向けている。

 その名を《五衛精》。元・魔神であるリリヤが自ら組み上げた、完全戦闘特化の魔術兵器だ。

 サイズは小さいながら、等級はいずれも叙事詩級エピック。戦車とさえ真正面から戦える。


「はッ! 上等だ! 今のうちに断末魔を考えろ!!」


 デリックもまたレイヤを離れさせ、右手に握るヴォルトガ弐式に指令を送った。


 ――ヴォルトガ弐式、抜剣。


 鈍色の鞘が爆発したように弾け飛んだ。

 無数の破片は、しかし無秩序に散らばったわけではない。磁石に引き寄せられたようにして、デリックの身体の各部に張り付いていく。

 それは鎧だった。デリックの身体を守り、同時にその身体能力フィジカルを向上させる簡易パワードスーツである。

 露わになった剣身は、眩い紫色に発光していた。刃に埋め込まれた電線の中に、デリックの魔力で生成された電気が流れているのだ。

 これが、ヴォルトガ弐式の真の姿。元・魔神が知識の粋を尽くして開発した魔術兵器――


「ちまちました小手調べはおしまいだクソアマ! そのご自慢の金髪を黒焦げのアフロにしてやる!!」

「気が合いましたわねクソ野郎! その土みたいな色の身体を風化させてやるわ! 光栄に思いなさい!!」


 罵詈雑言と共に、雷と暴風が教室の中に吹き荒れた。




※※※




「うわあ、もう始まってる!」


 頬に大きな赤い手形を作ったマーディーが駆けつけたとき、校舎の壁には大穴が空いていた。

 すでに多くの野次馬が集まっている。彼らは一様に屋根の上を見上げていた。

 そこでは、雷と風が嵐のように荒れ狂っていた。デリックとリリヤ――エドセトア魔術学院が誇る二人の天才魔術師による正面対決が始まっているのだ。


「さあ、張った張ったァーっ!! 現在のオッズはデリック・バーネットが1.8倍! リリヤ・エクルース・フルメヴァーラが1.2倍!」

「デリックさんに10だぁーッ!」

「リリヤ様に15よ!」

「デリックに12!」

「リリヤ様に20ーっ!」


 野次馬の中で声とコインが飛び交っていた。

 いいところのお坊ちゃまやお嬢様が多いこの学院だが、だからこそ、たまのイベントでははっちゃけることが多かった。デリックとリリヤの痴話喧嘩は、今となっては学院祭と並ぶ恒例行事のひとつである。


「デリックさーんっ!! がんばってーっ!!」


 マーディーは敬愛するデリックの誇りを懸けた戦いを、賭け事にして茶化すような真似はしなかった。屋根の上の雷と風に向けて、精一杯声を張り上げる。

 していると、


「――リリヤ様に100」


 すぐ隣から、静かに高額ベットをする声があった。「「「おおーっ!!」」」と周囲の野次馬たちがどよめく。

 振り向くと、ピンク色の髪と、白いヘッドドレスが見えた。

 アンニカだった。

 彼女はちらりとマーディーのほうを見て、ふっと口の端をあげる。


 ――この程度のこともできないの?


 彼女の目がそう言っていた。

 少なくともマーディーはそう受け取った。


「――デリックさんに110!」


 手を挙げて叫ぶ。野次馬たちが「「「うおおーっ!?」」」と興奮した。

 しかし、すぐにもうひとつの手が挙がる。


「リリヤ様に115」

「デリックさんに120!」

「リリヤ様に121!!」

「デリックさんに122っ!!」


 かくして、もうひとつの戦いが際限なき過熱を始めたのだった。




※※※




 リリヤと殺し合うのは、これが何度目のことだったか。

 前世、魔神と呼ばれていた頃は言うに及ばず、転生してからも、この学院に入学してからも、幾度となく殺し合いを繰り返してきた。

 結局のところ決着なんてつきはしないのだが、そのたびにデリックは『今度こそ』と奮起し、新しい魔術や武器の研究に血道を上げてきたのだ。


 今度こそ。

 本当に、終わるかもしれない。

 そう考えると、少しだけ、名残惜しく――


「――思わねぇえぇえええええっ!!! 死ねぇえええええっ!!!!」


 まったく何の躊躇もなく、デリックは空へと雷撃を放った。

 さあ死ね。すぐ死ね。今死ね!


「お呼びじゃねえんだよワガママ女!! お前を殺してオレはレイヤと結婚する!!」

「誰がくれてやるか大切な妹を!! あんたなんてどうせ結婚したって浮気するでしょ!!」

「しねえよ!!」

「する!!」

「絶対しねえ!!」

「ぜーったいするもん!!」


 肉体年齢よりなお低い、子供じみた罵詈雑言を交わしながら、デリックの身体が躍動し、リリヤの身体が空を舞う。

 雷光のごとく屋根の上を走り回るデリックに、改造制服に風をはらませて飛行するリリヤが、風の砲撃による絨毯爆撃を行っていた。

 ドカドカドカドカッ!! と校舎の屋根に次々と穴が空く。しばらく雨漏りに悩まされることは間違いなかった。


「大体あなた、毎朝の挨拶だっておろそかにするようなズボラじゃない! 私が婚約者の義理で毎日メール送ってるのに!」

「なあーにが婚約者の義理だ! メール送り合うような相手がオレ以外にいねえだけだろぼっち女!!」

「なっ……!? い、いますしぃー!! ぐ、グループ? にだって、20個くらい入ってますしぃーっ!!」

「無理すんなよネットオンチ! SNSなんて高度なもん使えねえだろ? 脳味噌が1000年前で止まってるもんなあ!!」

「だっ……誰がババアですって!?」


 リリヤの周囲にはべる《五衛精》が、ボウッ! と風の砲弾を放った。

 対し、デリックのヴォルトガ弐式が閃く。紫の光を放つ剣身が、バリィッと雷を迸らせながら風を斬り裂いた。


「バーバーア! バーバーア! 杖はどちらになくされたんですかァー!?」

「こ、このっ……! それを言うならあんただってジジイでしょうがあっ!!」


《五衛精》のうちの2体、つがいの妖精《第一衛精オベロン》と《第二衛精ティターニア》が、互いに身を寄り添わせた。

 にやりとデリックは笑う。

 あれは取り分け強力な砲撃を放つときの予備動作だ。この瞬間、リリヤを守る《五衛精》にはその陣形に決定的な隙が生まれる。


(キレたほうが負けなんだよ、戦いってのはなあ!!)


 ウォオウンッ、とデリックがまとった鎧が唸り声をあげた。

 屋根の上の貯水タンクを垂直に駆け上がり、あたかもカタパルトのようにして、自らの体躯を打ち出す。

 バギンッ、と足場にした貯水タンクにヒビが入った。

 鎧に強化された脚力があっさりと重力を振り切り、空を舞うリリヤに迫る。


「……っ!? 《第一衛精オベロン》! 《第二衛精ティターニア》!」


 リリヤが慌てて妖精たちに指令を送り、槍のような突風を放たせた。

 それは岩壁にさえ容易く穴を穿つ大気のドリルだ。空気に抵抗されるどころか巻き込んで威力を増し、跳び上がったデリックを迎え撃つ。


「――ヴォルトガ弐式、大剣クレイモアモード!」


 紫に発光する魔術機剣が、ガシャガシャと高速で変形した。

 シルエットが一回り大きくなり、より暴力的な大剣となる。デリックはその柄を両手で握ると、斬るというよりは叩きつけるように、迫る風の砲撃に振り抜いた。


 交錯の瞬間、引き金トリガーを引く。

 通常形態に比べて表面積を増やしたヴォルトガ弐式が、眩い雷光を放った。空気が弾け、弾け、また弾け、風の砲撃をする。

 リリヤの表情が愕然と歪んだ。


「デタラメなっ……!?」


 デリックはにやりと口元を歪ませながら、リリヤの間近に迫った。

《五衛精》による迎撃は間に合わない。

 バチバチと殺人的に帯電したヴォルトガ弐式を、轟然と振り上げる。


「遺言は?」

「くうっ……!!」


 リリヤは最後までデリックの顔を睨み上げていた。

 さあ、おしまいだ。

 遙か1000年前、神代より続く因縁に終止符を!

 振り上げたヴォルトガ弐式を強く握り込み――



 ――ウウゥゥン……と、不意に剣が沈黙した。



「……あ」

「……え?」


 二人揃って、唖然と光を消したヴォルトガ弐式を見上げる。

 デリックはすぐに思い至った。


(……ね、熱暴走……!!)


 ヴォルトガ弐式は完成したばかりで、まだ試運転をしていないのだ。だというのにいきなり酷使したものだから……!

 リリヤが唇を三日月に歪めた。


「……形勢逆転ってやつかしら?」

「やべっ――」

「死に晒せえっ!!」


 優雅さの欠片もない怒鳴り声と共に、精霊から風撃が撃ち出された。


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