第3話 忠実なメイドと気に食わないおんな男


 黒板にでかでかと『自習!(怒)』と書かれていた。

 朝からの大騒ぎによって、クラスの半分も登校してこないのが明白だったことからの措置だ。

 もちろん、教室には真面目に自習している生徒などほぼいない。ただ一人、優雅が服を着たような金髪の少女、リリヤ・エクルース・フルメヴァーラだけが、段々になった席の最前列で教科書を開いていた。


「リリヤ様」


 アンニカ・エルッコは控えめに主に話しかける。

 校舎内では規則として制服を纏うが、頭のヘッドドレスだけは外さない。これは主への忠誠心を示す指輪のようなものだからだ。

 リリヤは開いた教科書から目を離さない。


「なあに、アンニカ? 今、自習するので忙しいのだけど」

「……リリヤ様。体面は重要ですが、耽美小説を読むのならお部屋でがよろしいかと」

「う゛っ!」


 リリヤは慌てて教科書――と、その内側に隠していた小説――を机の中に仕舞い込んだ。

 王家に連なる血筋を持つフルメヴァーラ家の長女として、リリヤは優秀すぎるほど優秀な少女である。

 が、しかし。その一方で、をこっそり愛読する趣味があった。

 アンニカとしてはあまりうるさく言いたくないが、時と場所はわきまえてもらわなければならない。


「……こ、婚約者に裏切られた心の痛みを、小説に慰めてもらっていただけです」

「左様ですか」

「左様なのよ。なんて可哀想な私……」


 よよよと泣き演技までしてみせるリリヤを、アンニカは黙って見守る。

 公の場では仲良く振る舞っているけれど、リリヤがデリックを愛してなどいないのは、付き合いの長いアンニカからすると明白だった。


 それも当たり前の話だ。

 デリックはちゃんとした家の出なのに品行方正とは言い難いし、学院に蔓延る不良たちにも妙に慕われている。

 だから高貴なリリヤには相応しくない――などと言いたいわけではなく、単純にリリヤの好みに合っていなかった。

 彼女の好みは御伽噺の王子様みたいな男性なのだ。見た目だけなら《騎士団》のエーヴェルトが近い。


(……あんな好みと真逆なドワーフィア人と結婚させられるなんて、リリヤ様がかわいそう)


 と、アンニカは幼い頃から思っていた。

 幸い、妹のレイヤ様のほうがあの男によく懐いているのだから、旦那様も婚約をそちらに移してしまえばいいのに――というと簡単そうに思えるが、いろいろと難しい事情があるのだろう。エルフィアの貴族社会では体面がすべてなのだ。


「ご報告申し上げます、リリヤ様。第一機械魔術研究室の工房から、例の魔術機剣を奪取されました。その際、エーヴェルト・ベックストレームがデリック様に敗北しております」

「ふうん、そう。不甲斐ないわね。まあでも、実力差を思えば順当な結果かしら」


 リリヤの反応は素っ気ないものだった。彼女は距離の近い部下だからと言って過大評価をしたりはしない。それは人の上に立つ者として必要な資質だった。


「……もうひとつ、ご報告申し上げなければならないことがあります」

「なに?」

「デリック様ですが……どうやら、レイヤ様と行動を供にされているようです」

「……………………」


 リリヤがぴたりと硬直する。


「…………こんな朝から?」

「……申し上げにくいのですが、今朝、お二人が工房から腕を組んで出てきたとの情報も」

「……………………!!!」


 リリヤの全身がぶるぶると震え始めた。

 金に輝くプラチナブロンドがふわふわと重力に逆らっていく。怒りのあまり体内魔力が外に漏れ、緩く風を発生させているのだ。

 アンニカは一歩後ろに下がった。


「あ……あの、男っ……!! 前々から怪しいとは思っていたけど……!! 私の、私の可愛い妹をおおおおっ……!!」


 ブオオウッ! とリリヤを中心に竜巻が渦巻いた。

 床に固定された机がギシギシと軋む。アンニカは無言で、なびくストロベリーブロンドの髪を手で押さえた。


「あの男を見つけなさいっ!!」


 バンッ! とリリヤが机を激しく叩き、ついに天板にひび割れが走る。


「どんな手を使ってもいいわ!! あの下半身野郎を私の前に引きずり出すのよッ!!」

「承知致しました」


 アンニカは折り目正しく頭を下げると、荒れた教室を足早に後にした。





 アンニカは、エルフィア人らしくドワーフィア人を好ましく思っていない。

 まだ元気な木々を雑草のように伐採するし、綺麗な河川にどろどろした産業廃棄物を垂れ流したりもする。自然を我が物顔で蹂躙することをよしとする文化は、自然や精霊と共に生きるエルフィア人とはどうしても相容れなかった。


 デリック・バーネットは典型的なドワーフィア人だ。

 いつも金属を触っていて、油まみれで外を出歩くこともある。協調性がなくて、自分の興味のままに行動する。

 魔術の才能があるから許されているだけで、それがなかったら丸っきりダメ人間だ。


 あんな男を慕う人間の神経が信じられない。

 レイヤだって、彼が姉の婚約者でさえなければ、あんなにも懐くことはなかっただろう。


『A班定期報告。発見できず』

『B班定期報告。発見できず』

『C班定期報告。引き続き捜索続行』


 そんなことを考えながら、アンニカは伝書精霊が運んでくる報告を取りまとめていく。

 他の生徒はトークアプリが使えなくなって右往左往しているようだが、エルフィアの伝統的通信手段は霊子回線を用いないものだ。

 機械に頼って暮らし、自前で精霊も構築できないドワーフィア人たちには不可能な芸当である。


『D班より緊急報告。第一機魔研の人間がデリック・バーネットと連絡を取った模様。至急指示されたし』


 ん、とアンニカはその報告に目を留める。

 脳裏に浮かんだのは、女子みたいな容貌をした少年だった。


(……まさか、彼が監視の目を盗んで……?)


 あんな男なのか女なのかもわからない輩にそんな気骨があるとは思えないが、だとしたら、これは利用できるかもしれない。


(彼を使えば、デリック様を釣り出せる……!)





 アンニカは研究棟に赴いた。

 第一機械魔術研究室があるのは3階だ。階段を上り、廊下を歩いた。

 この時間は、どの研究室にも人気がない。高等部の生徒が顔を出すのは午後になってからだし、教授たちもこの時間は会議だったりで席を外していることが多い。

 だからアンニカは、特に疑問に思うこともなく、第一機械魔術研究室のドアを開いたのだ。


「……えっ?」


 それから気付く。

 誰もいない。

 ここには、アンニカ自身が引き連れてきた、《騎士団》の男子たちが詰めていたはずなのに――


 どんっ、と背中を押された。


「きゃっ……!?」


 ふらついて研究室の中に入った直後、ガラガラピシャンッと背後で扉が閉じる。

 ――ガチャリ。

 外から施錠される音がした。


(しまった……!?)


 アンニカは慌てて扉に飛びつく。が、内鍵は糊のようなものでガチガチに固められていて、回すことができなかった。

 ダメ元で扉を引いてみるも、ビクともしない。


『あっはっは! 引っかかった引っかかった!』


 背後から癇に障る声がした。

 研究室のデスクの上――霊子演算機コンピュータのキーボードの横に、小型タブレット状のドワーフィア式情報端末ブラウニーがあった。

 声はそこから発される。


『僕たちの振りをしてデリックさんを釣り出そうとしたんでしょ? すでに同じ手を僕に使われているとも知らずにね!』

「すでに、同じ手を――」


 その意味を悟り、アンニカは歯噛みした。

 あの緊急報告は、この声――マーディー・ハスラーが《騎士団》メンバーに送らせたものだったのだ。そうすればアンニカがここに来ると予測して!


「ここにいた男子たちはどうしたんですか……!」

『べっつにぃー? ちょーっとドローンで脅かしただけだよ? 窓の外、見える?』


 そのとき、窓の外にブウーンと小型のヘリコプターのようなものが姿を見せた。


『授業中にさ、教室に蜂が入ってきたりすると大騒ぎになるだろ? あれと一緒だよ。君たち機械オンチのエルフィア人にとっては、コレは蜂以上に得体の知れないものだもんね。図体のデカい連中が揃いも揃って大わらわ! その後は外に待機してもらっておいた他のみんなが一網打尽ってわけ!』

「……《バーネットの雷雲児たち》」


 リリヤを信奉する生徒たちが《フルメヴァーラ騎士団》と呼ばれるように、デリックを慕う生徒たちは《バーネットの雷雲児たち》と呼ばれている。

 彼らは主に落ちこぼれ、または元・落ちこぼれの集団だ。その全員がデリックに見いだされた異端の才能を持ち、今まで幾度も学院の常識を覆してきた。


 この声の少年もその一人である。

 学院史上初めて、魔術行使能力最低ランクで中等部を首席卒業した、稀代の少年魔術研究者――


『これだから原始人はダメだよね。知識が足りないから何でもないものが怖く見えるんだ。何のために学校通ってんのって思わない?』

「姿も見せずに、よくもぬけぬけと……!」

『えー? 出てこいってこと? イ・ヤ・だ・ね! 数学しか能のない僕に、魔術ゴリラの相手なんてできないっての!』

「ゴリっ……!?」


 ――ゴリラぁあああ……っ!?

 普段は職業意識の裏に封じられている少女としての誇りを、マーディーの言葉が一撃で深くえぐった。


(頭に来た、頭に来た、頭に来たっ……!!)


 このままナメられてなるものか。

 アンニカは閉じられた扉を前に、体内魔力を大気中の霊子に注ぎ込む。


風の精霊シルフ!」


 即興で作り上げたのは、複雑な機能は何も持たない、暴力的な風の塊だった。

 ――ぶっ飛ばせ!

 与えられたのはシンプルな命令。風の精霊シルフは詳しい姿もデザインされないまま、ただ風という猛威として扉に突進する。

 ベニヤ板のようにぶっ飛んだ。

 ガキンガチャンガシャガシャンッ!! と変形した扉が廊下を転がっていく。


『うわっ!? ゴリラが檻を壊した!?』


 またゴリラって!

 アンニカは怒りのままに廊下に飛び出し、窓から外を見た。

 

 アンニカの魔術師としての得意分野は、情報収集とそれをまとめる推理力である。

 風聞。あるいは風の噂。古来より風は情報を乗せて運ぶもの。彼女はそれを正確に拾い上げ、たったひとつの真実を導き出す。


(――どうしてわたしが扉を壊したってわかった?)


 端末ブラウニーを通じた聴覚情報だけでは、そこまではわからないはずだ。『何を壊したんだ?』と驚くのがせいぜい。

 なのに、マーディーはアンニカが扉を壊したのだと、すぐに気付いたような反応をした。


 つまり、彼は研究室の扉が見える位置にいる!


 アンニカは廊下の窓を開け放ち、サッシに足をかけた。

 さっき組み上げた風の精霊シルフがまだ残っている。

 今度はそれに、鷹を模した外見テクスチャを与えた。


 ――飛べ!


 アンニカは窓から外に飛び出し、鷹の姿をした風の精霊シルフの足に掴まる。

 向かい側に校舎があった。

 長時間は飛べないが、あそこまでならこの精霊で充分……!


 地上3階の高さを、鷹に掴まった少女が飛ぶ。


 向かい側の校舎が迫ったところで、アンニカは鷹型の精霊を窓ガラスに投げつけた。

 ガラスが粉微塵に砕け散り、直後にアンニカが校舎内に飛び込む。


「うっそお!?」


 廊下の床に着地して振り向けば、案の定、窓の下にマーディーが隠れていた。

 アンニカは問答無用で飛びかかり、男にしてはひどく華奢な身体を床に押さえつける。


「いだっ! ったぁ~! 頭打ったぁ~!!」

「……わたしの勝ちです」

「ったたた――それはどうかな?」


 マーディーが不意に笑って、不敵な目つきでアンニカを見上げた。


「君、こんなことしてていいの? 《騎士団》の指揮官は君だよね?」

「……あ……」


 指揮官であるアンニカがいない今、リリヤのほうが手薄だ!


「とりゃーっ!」


 気を取られた瞬間、マーディーが予想以上の力強さで起き上がった。

 くるりと体勢が入れ替わり、今度はアンニカが床に押し倒される。

 間近にある少女めいた童顔が、誇るように笑っていた。


「こんな顔でも、男なんでね!」



 ――むにゅっ。



 アンニカの左胸に、マーディーの指が埋まった。


「…………あっ」

「…………なるほど」


 確かに、こんな顔でも男だったらしい。


「あ、いや、ちょ、これはわざとじゃな――」


 アンニカは女みたいな男の顔に向けて、全力で張り手を振るった。

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