第010話:成仁 in 美雨

「俺は、俺自身の名を、八坂 成仁(ヤサカ ナリヒト)と認識している。そして、1988年に生まれ……、2017年、29歳の男性として生きていた。昨日まで」


 中庭に連れてこられた俺は、久留名美雨を自称する大内叶恵相手に、俺自身が認識しているところの名前を打ち明けた。名前だけでない。自覚している西暦、年齢、性別、その他諸々……。


「数多くのカレンダー・時計が指し示している、今日が2011年9月14日であるという事実。俺は、ここに違和感を覚えている人間だ。まず、俺は、俺が認識している限りにおいて、今朝、目覚めてその日付を見るより前に、前夜に寝た時には、2017年の9月11日だった」


 そして、久留名美雨を自称する大内叶恵にとって、核心となる部分についても言及する。


「覚醒後の俺は、1988年生まれ、29歳の男性であるはずの八坂成仁ではなくなっていた。1985年生まれ、16歳の女性であるところの久留名美雨になっていた」


 大内叶恵の肉体を持つ久留名美雨。もはや、目の前の少女のことを、そう認識してもよい頃合いだろう。その根拠として、棄却されるべき仮説について、披露することにもした。


「俺は仮説として、俺が、本当に久留名美雨であったけれども、何らかの脳の障害で、久留名美雨であることを忘れてしまったどころか、2017年まで生きた八坂成仁なのだと勘違いしている可哀相な女子高生だ、ということも考えていた。だが、これは、君が本当は久留名美雨本人だと自称していることから、仮説としての価値がほとんど消えたと考えていい。もちろん、君が本当は大内叶恵であって、何らかの脳の障害で、大内叶恵であることを忘れてしまった……、という仮説も、考えられなくはないわけだが」


 ただ、その可能性は極めて低いだろう。そうであって欲しくはない、という願望が入っているのかもしれないが、俺がこの仮説を有力なものとして考えたのは、時空間の跳躍や、物心二元論的な発想に基づく肉体と精神との入れ替わりなどというものが、21世紀初頭における物理学では、ニュートン力学の支配するこの地球上の人間の肉体に限っては起こり得ないだろう、というところによるものだ。つまり、人間によって観測された事実のみが、人間にとっての科学的な真に近づくための橋頭堡となりうる、と考えるならば、この俺の体験している「今・此処・私」というのを、肯定的に捉えた方がよいのかもしれない。そう考えるようになった。

 ……ただし。最悪の仮説として、これまで言語化してこなかった「水槽の中の脳」という考えが、脳裏をよぎらんわけでもないのだが……、それは、嫌だな、もう、ほんと、ただの願望で。


「えーと、要するにさ。あんたは、現状の私たちの状況を、ほとんど何も分かってないし、打開する方法も分からない、ってことね?」

「その通りだ」

「「はぁ……」」


 俺の頷きに、溜息が重なったように聞こえた。一人は、目の前の久留名美雨 in 大内叶恵。……もう一人、いる?


「ごめん、話は聞かせてもらっちゃった」


 スターリンかよ。ツッコミを内心で入れながら、声のした方を向く。欅の幹の裏に、一人隠れていたらしい。……って。え? は? おい……? まさか……? その顔……?


「あ、だいじょぶだいじょぶ、安心して。他の人に言うつもりはないっていうか、その……、私も、たぶん、あなたたちのお仲間? みたいなもの? っぽいから」


 ……仲間? 俺たちの仲間? ってことは……、そう、なのか? 結婚式の時くらいしか、昔の写真を見せてもらったことなどないから、若干、その、化粧っ気のほとんどない幼げな顔については自信が薄らいでしまうが……、いやしかし、前述の通り、人には隠しきれないオーラというものがある。呼吸の取り方、表情筋の使い方、目つき、視線移動や一挙一動の速度、そういったもの一つ一つで構成される雰囲気。それが、俺のよく知っている、俺にとって一番身近な人類と言っても過大評価ではないであろう彼女のそれと、全く同じものだった。

 

「な、何? ごめん、盗み聞きされたからって、そこまで口ぽっかり開けちゃってなくてもいいんじゃない? オーバーリアクション芸人?」


 両手を挙げて、ひらひらさせてるそのしぐさ。それも、よく見るポーズだった。ケンカした時に、開き直った時によくやってくれる。ああ、やっぱり、そうだ、そうだよ。


「……おま、え……、朋代、か……?」

「はい?」


 首を傾げるて口を開ける朋代に対して、俺は、俺が八坂成仁だと証明しようと考えを巡らす。どうすればいい。今の俺は、久留名美雨の姿をしている。何を言おうと、怪しまれるだろう。

 朋代は、どこまで聞いていたんだ? 俺が、八坂成仁だと名乗ったところは聞いていたのか?

 ……まあ、いい、どちらでもいい。八坂成仁だからこそ知っている事実を突き付けてやろう。だからって、あまりにも赤裸々すぎることはやめた方がいい。すぐ近くに、久留名美雨 in 大内叶恵――……ああ、面倒だな呼称が。今後どうしようか……――がいる。彼女に聞かれてもそれほど害がないような話がいい。そうだ、アレにしておこう。


「朋代、なんだな? 間違いなく。高野朋代。1988年生まれ。生まれは新潟。小学校まで新潟にいたけれど、スキーが苦手だった。東京に転校してきて、新潟から転校してきたんだからスキー得意なんでしょってみんなから言われるのがウザかった」

「ちょ、ちょっ……!? 何でっ……、そんなことっ……!?」

「小学校の冬のスキー教室で、初恋の男子から、スキーが下手なことをからかわれてショックで大泣きしたところ、まさかその声が原因じゃないはずだけれど、近くの崖で雪崩が発生して、以来、雪の女王と呼ばれるようになり、中学時代まで引きずって恐れられることになった」

「うぐああぁぁぁぁあぁっ!? や、やめっっっ……!! やめっ、やめて、分かった、分かったから! アンタ私のストーカー!? ってこと!?」

「ストッ!? 違うっ!!」


 ストーカー!? 何でそうなる!? 相変わらず、発想の飛躍するやつだ! だからやっぱり朋代だな! 俺は確信する。


「じゃあ何でそんなこと知ってるんだって話でしょ!」

「夫だからだよ! 結婚したの! お前と! 俺! お前の今の名前、八坂朋代! ……あ、今の名前、っていうと、おかしいか。えーと、だな……、俺が昨夜まで認識していた2017年世界において、俺とお前は結婚していて、お前は俺の隣で寝ていた」

「……ってっ! ちょっ! 学生のまなびやで何て破廉恥なことおっしゃいますの!」

「破廉恥って何だよ古いなおい!」


 どの部分に引っかかったんだ。俺とお前は結婚していて? お前は俺の隣で寝ていた? あ、ここか。いや、寝ていたってそういう意味じゃないからな。すぐそういう発想になるのは欲求不満の証と捉えられかねないぞ。


「っていうか私、結婚なんてしてないんですけど!? まだピチピチの絶賛彼氏募集チューな二十代独身女子なんですけど!? 勝手に既婚者にしないでくれますかね!?」

「……あ?」


 見知らぬ世界で妻と再会できた! と歓喜に噎ぶ俺だったが、一転、冷や水をぶっかけられたような気分に落ちた。そのことばは、俺の頭から股ぐらにかけて、身体を真っ二つに叩き切ってくれるほどの衝撃を与えてくれた。

 ……それゆえ、興奮して声を荒げるあまり、他の生徒が何だ何だとこちらを注目してきていることにも、気づくことができるようになった。いや、すまん、JK諸君……。


「……こほんっ、落ち着こう、すまん、悪い。あまり他人に聞かれるべき話ではない、な。精神病棟に送られてもおかしくない」

「……そ、そう、ね。こちらこそ、ごめん」

「……」


 真の久留名美雨――呼称に困ってる……――は、すっかりだんまりだ。話にまるでついていけてないのだろう。解説してやれるような余力もない。


「どういうこと、だ? 結婚してない……? いやしかし、確かに君は、高野朋代……、なんだよな? プロフィールは一致したし、性格も、しぐさも、顔立ちだって、俺の知ってる朋代とそっくりだ」

「うん、でもごめん、私、君のこと知らない」

「……」


 ……永遠の愛を誓い合った人に、あっさりばっさり知らない人扱いされるの、マジ死にたくなってくるんだけど……。身体が入れ替わってたり時空を超越しちゃったりっていう事実よりも、お腹がズーンと重くなってきたんだけど……。


「あー……」

「えー……」

「ま、まあ、まあ、二人とも、落ち着いて落ち着いて。考えよう」


 互いに言い淀む俺たち。そんなとき、助け船を出してくれたのが、真の久留名美雨――もう、これでいいか――だった。よっぽど俺の顔が危なくなっていたのかもしれない。真の久留名美雨からすれば、自分の顔が死にそうな表情になってるんだから、何とかしないとって思うのも当然といえば当然か。


「えーと。何だっけ、名前」

「八坂成仁」

「八坂。八坂ね。八坂は、朋代ちゃんと結婚した、と言っている」

「そうだ。結婚式の日取りも当然覚えてるぞ。2016年11月22日。いい夫婦の日にしたい、という朋代の願望を叶えた。その日に入籍もした」

「や、だから、してないっつの」

「まあまあ、待ちなさいな」


 脊髄反射的に否定する朋代を押さえる真の久留名美雨。今は真の久留名美雨がものすごく頼もしく見えてくる。やばいな、年下の子相手に……。いや、生年月日だけは年上なんだけれどな。


「朋代ちゃんは、八坂と結婚してない、と。独身だ。彼氏もいないわー。っていう自覚ね?」

「うっす」


 何キャラだよ。よくつっこんでたな。懐かしい新婚生活が記憶に蘇ってくる……。


「……まあ、単純に考えよう。別に矛盾はしてないんじゃね? って思うんだけど」

「「……マジで?」」


 夫婦揃って仲良く聞き返した。いや、朋代は今は夫婦と認めないだろうけれど。でも、息ぴったりだろう? だろう? ……やばいな、俺、ちょっとウザキャラになってる。自覚はある。


「確かめたいことが一点、あるの。八坂は、2017年から来た、って言ってるよね」

「ああ」

「……? 2017年? あ! あー、あー、そうか、そうかそうか、なるほどそういうことかー」


 俺より先に合点のいった朋代が、腕を組んで訳知り顔になって何度も頷いている。何だ? 何だ何だ? 情報の非対称性があるのか? 俺に隠されている事実が何かありそうだ。


「朋代ちゃんは気づいたみたいだね。朋代ちゃん、何年から来た、って自覚してんの?」

「2014年っす。9月11日? 12日? かな」

「2014……、2014!? そうか……、俺から見たら、過去の朋代……、が、そのまたさらに過去に飛んできた……、ってこと、か……」


 2014年といえば、ちょうど朋代と出会った年だ。あれは、秋口だった。だから、俺と出会う手前の朋代。それは、俺を知らなくても当然というわけだ。


「……って、え、えええぇぇぇぇっ!? じゃあ何っ!? 君……、私の未来の旦那さんなわけぇっ!?」


 今さら驚くのかよ、そこに。

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