第009話:朋代 in 朋代
リョーコとお昼ご飯――かわいらし~いランチボックスに所狭しと詰め込まれていたリョーコのお弁当は、何と、早起きしたリョーコ自身がこさえたものとのこと。何この子、女子力高すぎっ! え、当時からそんなことしてたっけ? 私の知ってるリョーコじゃないっ! と思った。口にした。チョップされた。泣いた。色んな意味で。敗北感とか――を食べ終えると、私は先ほど廊下を突っ走っていた二人が気になって、後を追ってみることにした。起立。起立って、むかし、「きりっつ」だと思ってなかった? 体育館とかも。「たいくかん」よね。
「食後のトイレ? 私も行くー」
まーたこの子は。デリカシーないな。
「品行方正なリョーコお嬢様はそんなことをおっしゃるんじゃありませんですことよ、ヲホホホホ」
「突然に何キャラよそれ」
「トイレじゃなくてちょっと野暮用にね」
そう言って、ついて来るなよー、と手のひらをヒラヒラ。廊下へ向かう私。
「野暮用の野暮って何だろね。あ、それ自体、野暮なことは訊くなって感じ? 野暮ってマトリョーシカな感じになっちゃう? 何だっけ、その構造。マンデルブロ?」
「んん? そんな感じっぽいけどちょっと違うよね。フラクタルといえば当たりかも? って、高校生でそんなこともやってたっけ?」
「やったじゃん一学期に」
「……そっか?」
全然記憶に無いけど。そりゃそうか、私にとっては13年も前のことだ……。
とりあえず雑談をフェードアウトさせて私は単身で廊下に出ることに成功した。ただ、別にリョーコと一緒じゃダメってこともないような。……いや、でも、なんとなくね、勘でね、こう、胸のあたりがざわっとね、一人じゃないとねっていうね。
さて、あれだけ廊下を走ってたんだから、走っちゃいけませんって怒った生徒の一人や二人はいただろう。ただ、まだこの現場に居残っているかどうかが問題だよ。残ってて欲しい。好きなミュージシャンのライブチケットばりに残ってて欲しい。
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聞き込み20秒。案外、あっさり見つかった。しかも、中庭に向かったんじゃねって何人かが言っててそのまま中庭に行ってみたら深刻そうな表情して二人して向かい合っているのを見つけられたよーってところまでいけちゃったよ。
うっひょーライブチケット買えたーわーい! やったーらっきーひゃっふー! と思って当日を迎えてみたら、当日券まだまだありまくりっていうか、むしろホール内に入ってみたら開演のタイミング迎えてもまだ結構空いちゃっててスゲー残念な気持ちになってきちゃうっていうアレと同じだコレ。もうちょっと苦労しないと手に入れられないものであって欲しかったし、こんなに売れ残ってちゃこの公演赤字になっちゃうでしょ、ホール代とかスタッフ人件費とか附帯設備費とかあれがいくらかかってこれがいくらかかって、いやいやーやばいでしょ、とか心配しちゃったあの日のことを思い出してきたようああああああ社会人になってまでファンやってるとそういうことに想いを馳せてしまって純粋にライブを楽しめなくなってしまう職業病に冒されてる人って決して私だけじゃないよねそうよね!?
……何を脳内で叫んでるんだ私は。
いや、でも、漏れ聞こえてきた言葉を吟味してみると、私が混乱するのも全くもってよく分かる話であるというか何というか。
だってさー、
「分かりやすく時系列を追って整理するよ。数多くのカレンダー・時計が指し示している、今日が2011年9月14日であるという事実。俺は、ここに違和感を覚えている人間だ。まず、俺は、俺が認識している限りにおいて、今朝、目覚めてその日付を見るより前に、前夜に寝た時には、2017年の9月11日だった」
……とか、言っちゃってるわけですよ? しかもね、
「2017年の9月11日の夜、俺は、寝室において、隣に妻がいることを確認して就寝した。しかし、覚醒したら隣には誰もいなかった。ベッドはダブルでなくシングルであったし、部屋も全く見知らぬ場所になっていた」
……とかとか、言っちゃってるわけですよ? しかもねしかもね、
「そもそも、覚醒後の俺は、1988年生まれ、29歳の男性であるはずの八坂成仁ではなくなっていた。1985年生まれ、16歳の女性であるところの久留名美雨になっていた」
……とかとかとか、言っちゃってるわけですよ? こんなこと、センセーとかケーサツとかに聞かれでもしたら、薬物濫用の現場で逮捕でもされちゃうぞ? 私が官憲の類でなくて助かったね!
「こんな話を信じられないのは、当然だろう。俺自身、半信半疑だ。ただ、ひとつだけ、消去法で仮説を消すことができそうなのは、幸甚だ」
「こーじん?」
向かい合って話を聞いているもう一人の女子生徒が、魂の抜けたような声で聞き返す。こうじん。幸甚? かな? なかなか漢字変換できないよね、口頭で言われたって。変換しやすい単語使って欲しいもんだよね、会話ではさー。私はそのへん気ぃ遣うよー。
それはそれとして、あい対している女子生徒さん、だいじょぶかな、息はしてるようだけど生きてる? トンデモ話で脳細胞壊れてない? 私、ちょっとヤバめ。
「幸い、ってことだ。俺は仮説として、俺が、本当に久留名美雨であったけれども、何らかの脳の障害で、久留名美雨であることを忘れてしまったどころか、2017年まで生きた八坂成仁なのだと勘違いしている可哀相な女子高生だ、ということも考えていた。だが、これは、君が本当は久留名美雨本人だと自称していることから、仮説としての価値がほとんど消えたと考えていい。もちろん、君が本当は大内叶恵であって、何らかの脳の障害で、大内叶恵であることを忘れてしまった……、という仮説も、考えられなくはないわけだが」
饒舌に喋る喋る。
……久留名美雨と、大内叶恵、か。隣のクラスの女子生徒。うーん。
「ごめん、あんたが何こむずかしーこと言ってんのか、どんどんわかんなくなってきた。けど、えーと、要するにさ。あんたは、現状の私たちの状況を、ほとんど何も分かってないし、打開する方法も分からない、ってことね?」
「その通りだ」
「はぁ……」
大内叶恵……、と呼ばれた女子生徒が深い溜息をつく。や、しかし、この子もなかなかやるもんだよ。うちの高校、レベル高めだからみんな一様に頭はキレるんだろうけどさ。要するに、って要せちゃうのがすごいよ。
ちなみに彼女と同じくして、私も溜息をついていた。大内さんに感心したっていうのもあるけど。盗み聞きしてれば、色んな情報を得られるかなーと思っていたのに、このあたりが限界らしいな、っていう諦念によるものかな。
だったら、どうする?
そりゃ、今の話を聞いてたら、私もこの二人とは無関係じゃなさそうな身だし。二人から認識されてない蚊帳の外の立場を貫いてみたところで、何の得もありそうじゃないから。
「ごめん、話は聞かせてもらっちゃった」
ソ連の独裁者みたいな登場の仕方でスミマセン。中庭の大木――ケヤキ? でいいんだっけ?――の裏に隠れていた私が姿を見せると、二人は、いかにも隠し事を聞かれてしまった子供のように慌てふためいた表情を浮かべる。君たち、ちょっとカワイイゾ。
「あ、だいじょぶだいじょぶ、安心して。他の人に言うつもりはないっていうか、その……、私も、たぶん、あなたたちのお仲間? みたいなもの? っぽいから」
「はぁ……?」
言い訳をしながら歩み寄っていく私に対して、大内叶恵さんは怪訝そうに眉根を寄せている。
そのかたわら、やたら小難しい言い回しをしていた偏屈者っぽい元男性の八坂成仁君――1988年生まれってことは年下なわけよね。あれ、でも、29歳って考えると同い年? うーん? や、でも、どのみち今は、同い年か――こと、久留名美雨さんは、違った感じで目を見開いてる? あれ? そんなに驚かなくても……?
「な、何? ごめん、盗み聞きされたからって、そこまで口ぽっかり開けちゃってなくてもいいんじゃない? オーバーリアクション芸人?」
両手を挙げて、降参の意を表明してみせる。怪しい者じゃありませーん。
そんなおちゃらけた私に面して、久留名さんは震えた声で訊いてきた。
「……おま、え……、朋代、か……?」
「はい?」
……名前。教えたっけ?
いや、名乗ってないはず。私の当時の交友関係を思い出そうとしてみる。でも、1年の時の隣のクラスの久留名美雨さん……、って、うーん、さっきも思い出そうとしたけど、覚えてない。少なくとも、今の時点じゃ携帯でメールのやり取りなんてしてないし。これは今朝チェックした。
じゃあ、何で知ってるんだろう?
首を傾げる私。その私が、今度は、口をあんぐりしちゃう番になった。
「朋代、なんだな? 間違いなく。高野朋代。1988年生まれ。生まれは新潟。小学校まで新潟にいたけれど、スキーが苦手だった。東京に転校してきて、新潟から転校してきたんだからスキー得意なんでしょってみんなから言われるのがウザかった」
「ちょ、ちょっ……!? 何でっ……、そんなことっ……!?」
「小学校の冬のスキー教室で、初恋の男子から、スキーが下手なことをからかわれてショックで大泣きしたところ、まさかその声が原因じゃないはずだけれど、近くの崖で雪崩が発生して、以来、雪の女王と呼ばれるようになり、中学時代まで引きずって恐れられることになった」
「うぐああぁぁぁぁあぁっ!? や、やめっっっ……!!」
アイエエエ!? ユキノジョオウ!? ユキノジョオウナンデ!? 何で私の黒歴史をォォォォッ!?
絶望の表情に染まる私を、唖然として見てくる大内さん。見るな、私をそんな顔で見るんじゃない……! 三者三様、どうしてみんなてして顔面崩壊させてるんだ! 誰一人として真っ当な精神状態じゃないよ今これ何なの誰かどうにかしてお願い神様仏様!
「やめっ、やめて、分かった、分かったから! アンタ私のストーカー!? ってこと!?」
「ストッ!? 違うっ!!」
「じゃあ何でそんなこと知ってるんだって話でしょ!」
「夫だからだよ! 結婚したの! お前と! 俺! お前の今の名前、八坂朋代!」
「……」
……ほげえええええええええぇっっっっ!!??
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