第004話:? in 彼女

 高校の教室に入るなんて、優に10年を超えるだけの月日が流れていた。久しぶりだ。しかし参った。さすがに、予習してきた情報群の中に、どの席に座ればよいかということまでは書いていなかった。どこだ。席は。


「お? おっはよー、ミウ? どしたの? ぐるぐる見回して突っ立ってて」


 逡巡している俺へと声をかけてくる女子生徒がいた。その顔は予習済みだ。助かる。


「おはよ、リノ」


 遠海 りの(トオミ リノ)。

 俺、こと、この肉体の戸籍上の氏名である久留名 美雨(クルナ ミウ)の友人。らしい。中学時代からの友だちで、同じ高校へ進学したとのこと。


 席も前後のようで、彼女が座っている席の後ろまで進み、鞄を置く。特に何かを言われることもないので、ここが俺の席ということで間違いないのだろう。一安心した。


「あっれ」


 安堵の息を漏らしていると、まじまじとこちらを見てきているリノが、ぽつりと呟いた。


「何か雰囲気ちがう?」

「え? 何かって?」

「何か。何だろ? 何か。表情? オーラ?」

「いやいや、何それオーラって、わけわかんないんだけど」


 笑って誤魔化すしかない。

 オーラ、というのは言い得て妙で、呼吸の取り方、表情筋の使い方、目つき、視線移動や一挙一動の速度、そういったもの一つ一つで雰囲気というものは構成される。人格が変わればそうした雰囲気は必然として変わるもので、こればかりはいかに携帯メールを見たり過去の卒業文集を見たり宿題の作文を見たり、古い日記を見たりしたところで得られるものでもない。

 会話における口調だけは、何とか母親と話しながら癖をつかんだつもりであったが――朝、いろいろツッコミを受けたが、別人になった夢を長らく見ていて、その時のクセが何か残っちゃったみたいで、とか何とか言ってむりやりに切り抜けた。納得してもらえたかどうかは定かではない――雰囲気は、むしろもう、周りに、これが今の久留名美雨なのだ、自然体なのだ、ということを錯覚していってもらうほかない。慣れろ。


「何かさ、昨日、変な夢見てさ」

「変な夢?」

「うん、そう。未来の夢。2017年とか」

「へえ? 何つーかまた、えらい中途半端な。ねえ」

「でしょ? しかもそこでさ、私、男の人になってんの」

「うっそ、まじ? うけるんだけど」


 ケラケラと笑うリノにあわせて、俺も笑う。そこまでおかしいことでもあるまいに、何をそんな笑うのか。脚をバタバタさせるな。スカートが舞ってる。


「男になってるってさー、ちんことか見た? どんなん?」

「げほっ!」


 思わず噴いてしまった。ここ女子校だからって、はっちゃけすぎだろう。ちんこて。年頃の女子が言うな。しかもお前、スカートめくれてるぞ、パンツ見えるぞ。見えたところでどうこう思うこともないが……。

 どうしたってこんな身になってしまった以上、久留名美雨の裸体を視認せざるを得なかった。しかし、この身体の頭蓋におさまっている脳がそうさせているのか、本来自分ではないはずの見知らぬ女子の裸を見てしまうという罪悪感の微塵も感じることはなかったし、言うまでもなく興奮することもなかった。あくまで、ただ単に、ああ、これは自分の身体だな、という、納得感を覚えてしまった。おかしなもので、主観では昨夜まで三十路男性であったはずなのに、だ。


 と、家で着替えをした時のことを思い返していると、案の定、リノのスカートの中が覗けてしまった。やれやれ。俺も既婚者だ。いや、結婚した男性という記憶が一応はある身だ。そんなに女子に幻想を抱いているというわけでもない。にしたって、異性の目がないとこいつらほんとフリーダムなんだな。メールのやり取りを見返してみたのもあって、けっこう慣れてるつもりだったんだが。女子校とはこれほどまでか。いや、これもまだ片鱗に過ぎないのだろうか。


「あー、そのあたりはあんま覚えてないっていうか。夢ってリアルに覚えてるもんじゃないじゃん?」

「んー、まあ、そりゃそっか。あー、残念。聞いてみたかった」

「何をよ」

「ぶら下がってると重いのかなーとかさー。立ちションとか? 便利そうじゃん?」

「おまえねえ……、花のJKが何を言うか」

「は? じぇーけー?」


 ……しまった。この時代だと、JK=女子高生の略ってのは通じないのか。いや、それはそれとして、押し切ろう。2017年の夢を見たという話を出したところだ。


「JK。女子高生の略。2017年で使われてたんよ」

「JKって。ないない。何その略。コギャルかよっていう」

「コギャル」


 懐かしい。懐かしすぎるにも程があるだろ。そういや、俺、っていうか、美雨という人物は、ルーズソックスを所有していなかった。リノの足元もルーズソックスではなく、普通の白色のストレートなソックスだ。この高校の校則で禁止でもされてるのだろうか、あるいは既にこの2001年においてはルーズソックスが流行ってはいなかったのだろうか。当時13歳で中学にあがったばかりだった俺は、流行なんてまったく疎くて知らぬ存ぜぬものだったからな……


 そんなバカなことを話し合っていると、時刻は08:30に近づいてきて、朝のホームルームも始まろうとしている。さすがにほとんどの生徒が集まったようで、席が埋まりつつある。しかし俺の右隣の席は、まだ空いていた。


「ん? ああ、カナエ、まだ来てないね」

「カナエ。ああ、そうだねえ」


 空いている席に座るべき人物は、カナエ、というらしい。カナエ。そういえば、メールで見た覚えがあるな。フルネームは何だろうか。アドレス帳に入っていたはずだから、後で再度確認しておこう。


 そう思った矢先。廊下を走ってくる音が聞こえる。カナエが来たのか、と推測したのは正解で、写メで見た覚えのある顔が教室に入ってきたし、リノが、おはようカナエ、と言っていた。

 そのカナエの顔は、リノを見て、俺を見ると、何があったのかというくらいに歪んでいく。目を見開き、口はぽかんと半開きに。あー、驚いてんなー。何だろ? と、呑気に眺めていると、カナエは絶叫した。


「私いるしっ!?」

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