2.交歓の奇跡と喜び
女とデートや食事の約束を取りつけたとき、俺の心は浮かれる。
始まりの高揚と、その先の予感と期待に胸が高鳴る。
女と会話を交わすとき、俺は自分がいるべきところにいると感じる。
自分の知性や経験や体力を活用して発揮できる場がそこにあり、その時間に起こる出来事、見る景色すべてが俺の心を喜ばせる。
女と会話を交わすことほど、俺にとってやりがいのある仕事は他にはない。
女に受け止められ、認められ、褒められ、好まれる事で、自分がこの社会から完全に外れてしまったわけではない事を知る。
では、俺が女を抱くとき、そこには文脈依存的な、エクスキューズ的で象徴的な要素しかないのというのか。
もちろんそうではない。そこには肉体的な要素。
そして精神的、心理的な要素。それらの要素が指し示して意味する、そして幸運な時には意味を融解させる、快楽の要素がある。
俺が女との関係の中で最も幸福だと感じるときは、女性に「受け入れられ」「包まれる」ときだと思う。
そこには女の優しさ、おおらかさ、やわらかさといった性質がある。
それらが意味するのは俺の存在の歓迎とまではいかなくても、肯定だ。
女の口蓋が俺の男性器を包み、あまつさえ、いかにすれば俺を気持ちよくできるか工夫してくれているようなとき、女が俺の存在を受け入れてくれていると感じる。
というのは、普段の生活の中で、その彼女の眼前で男性器を露出しようものなら間違いなく眉をひそめられ、俺の社会的価値を底辺まで貶めるだろうその女が、その瞬間においては俺を許し、受け入れ、愛想のいい態度で協力的に俺のまたぐらに顔をうずめ、男性器をのどの奥まですすっているのだから、俺としては彼女のその優しさ、おおらかさ、寛容さに感謝し、簡単には立ち入ることの許されない特別な地位に自分がいるのだという実感に浸らないわけにはいかない。
彼女の頬の内側の肉と粘膜、舌、唾液、鼻息といったもののやわらかさ、あたたかさは、彼女のそうした優しさ、俺への祝福の、肉体的現実なのだ。
象徴などというケチなものではない。
肉体であり、現実だ。
語の正当な意味でのフィジカリティであり、それが現象として立ち現れる時間である。
立場を逆にしても事情はまったく同様だ。
俺が彼女の女性器に顔をうずめるとき、普段の生活の中では下着を不意に見ただけでも何か上手い取り繕いを求められるような社会的関係にある間柄の、肉体の中で最も秘められた部位(それゆえ話題に上がりやすいのでいささか肉体の主役めいてはいるが、それでもやはり最も秘められているという本来の地位に疑いはない)である性器を、こちらもまた肉体の中で最も敏感で繊細、かつ健康維持上でも礼儀作法上でも常に注意をもって取り扱われる口という部位でもって愛でるという、隠匿された秘儀。
その秘密の時間を分け合うことができたという幸運と、さらに加えて自分が彼女から肯定と祝福を得るだけでなく、自分が彼女に対しても祝福を与えているのだと知れる、彼女の鼻の奥から発せられる甘い吐息。
それらは俺をひどく励まし、幸福へつづく道へと導く。
そしてまた俺が趣味とするのは、コンドームを女に付けてもらうということ。
しかも俺が自分から頼んで付けてもらうのではなく、自然の流れの中で、当然のように女が協力してくれる態度で面倒見よく付けてくれること。
というのは、コンドームを付けてくれることが意味するのは、性器の結合という行為が俺一方のものではなく、二人の行為になるということだからだ。
これから執り行うのは、俺の欲望にもとづいたエゴイスティックな行為ではなく、積極的な同意にもとづいた好意的な行為なのだという保証がそこに生まれる。
女というものは男性器というものを自らの肉体に生やしてその構造や感触を知ったことがないから、どんなに手馴れた女でも男性器にコンドームを付けるときには繊細で探り探りの手つきになる。
まったく、その女の慎重な手つきの優しさと思いやりときたら!
この後の本番の行為の中で、俺はこの女を気持ちよくさせるために、精一杯の芸術的意志と体力で肉体の動きの限りを尽くしてやろうと、堅く決意しないわけにはいかない。
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