13.賢き人


 トシとイチがこの日五十種ほどのメニューの中から選んだ一人前のパスタの価格は、東京における普通の自給が九百円ほどのこの時代に、税込みで七百円から八百円ほどだった。

加えて、清潔で冷たい水が何杯でも無料でサービスされる。


 それから二時間ほど、人工皮革で張られた座り心地のいいソファと、布地のクッションがあてがわれた背もたれつきの椅子にそれぞれ座り、二人はくつろいで言葉を交わした。

空調が快適な空気をつくりだし、落ち着いたピアノの演奏が小さくかかっている。

教育のゆきとどいた店員は、必要な時には呼べばすぐに応え、それ以外の時には静かに店内を回り、店内の快適さを守るいろいろな仕事に従事していた。


 地下にあるレストランから階段を上って外に出ると、街はすっかり夜の景色になっていた。

まもなく午後八時になるアーケード街は、両側に立ち並ぶ店や天井からの無数の光に照らされて明るかった。

仕事帰りや買い物に出てきた人々が集まり、昼間よりもずっとにぎわっていた。

「悪くない気分だな。今日、誘ってくれてありがとう」

 先に階段を上り終えたトシがふり返りながらイチに声をかけた。

「いえいえ、来てくれてよかったです」


 イチも道路に出て、二人は横に並んで駅のほうへとゆっくり歩き出した。

「こうやって人の流れの中に身を任せて、声や光やにおいをただ受け入れて味わっていると、生活は簡単なことに思えてくるよ」

 たかが歩いているだけで人生論に飛躍するのは、レストランの中でもずっとそういう話を交わしていたからだったが、妙に結論付けじみたことを言ってしまったので、二人はしばらく黙って歩いた。


 この辺りの右手、線路側のほうにはこぢんまりしたアウトドアグッズの店があり、登山が好きだったトシの両親は、その店からの割引のダイレクトメールが届くとよく買い物に来たものだった。

両親に連れられてやってくる吉祥寺は、まだ幼いトシにとってはとても広くて複雑な世界で、駅からそのショップまでの短い道のりでさえほとんど把握できず、知らないうちにたどり着いたような気持ちになった。


 十五歳のとき、桃源郷の彼女と初めて二人で地元から外に出たのも、吉祥寺だった。

目的もなく、ただ二人で出かけて、帰っただけだった。

「吉祥寺へ行く」というただそれだけのことが、当時は十分に目的になったのだ。

駅前のサーティワンアイスクリームから線路沿いにパルコのほうに向かい、右に折れてたどり着くのが、ちょうど今トシとイチが通りすぎた茶屋の角だ。

今となればトシと彼女がその辺りを歩いたことがわかるが、当時のトシはまだ地理に疎く、サンロードの知った風景に出会った時にようやくほっとしたのを覚えている。


 十六歳のとき、当時付き合っていた別の彼女と井の頭公園を訪れたことも覚えている。

トシはイトーヨーカドーで母親に買ってもらった、なんの洒落っ気もない黒のジャンパーを着ていたはずだ。

井の頭公園以外に何も知らない二人で池の見えるベンチに座り、十代らしく無邪気に距離をちぢめながら、お互いに相手と一緒にいることに愉悦を感じていたはずだ。

同じ彼女と二十二歳のときにもう一度出会ったとき、改めて二人で初めて出かけたのも吉祥寺だった。

パルコのさらに先、仲通りを歩いたのを覚えている。

今度も、奇妙な縁がもう一度始まるのをお互いに感じていたはずだ。


 トシの前方に見える交差点の周りを、たくさんの人々が歩いてすれ違う。

子供は子供の、少年は少年の、青年は青年の、大人や老年もそれぞれの目で見た世界を生き、通り過ぎていく。

他の誰にもわからない、その人だけの生を生きていく。

たまたま二〇一一年の東京で二十四歳のトシは、不景気でテロや放射能などの社会不安のある、先行きの見通しの悪い時代を生きる。

そのことに対して何か意見を言う気もなく、すべての人々が彼自身でなければならないことに不平を言っても何も変わりはしないことを知っているのと同じように、トシも人波の一部として生きていくことを受け入れている。


 コピスからの道と交わる十字路の手前、レンガ館の辺りまで来たところで、イチが口を開いた。

「ぼくの先輩でお寺に入って、今はウパニシャッド哲学を学んでる人がいるんですけど」

「うん」

「その人は修行の中で、無になる瞬間というのを、やはり学ぶらしいです」

「禅みたいなことなのかな」

「わからないですけど、まあたぶんそうなのかな。ぼくもよくわからないです。煩悩とか悩み事とか、こだわりを忘れていくっていうのは、やっぱり簡単じゃないらしいです。ただ、そこまでいけると、物事がすごく単純で居心地がいいみたいですね。トシさんが今言ってたことも、近いのかなあと思って」

「そうねえ」


 トシは言葉を探した。感覚の中に沈み込むと、景色は意識の背景へと遠のいた。

「でも不思議なのはさ、人間が動物の原始状態から抜け出すのに必要だったのが、理性と言葉でしょ。理性的で賢くあるために、まずは世界に対する認識の明確な区別と形而上的思考を獲得したわけだ。それで、その思考を徹底的に進めていくと、最後にはその思考を捨てることが一番賢いらしいってことに気づくんだから、不思議だな」

「はあ、なるほど。そうですね」

「無になるっていうことが野性に戻るってことだとしたら、理性とはつまり愚かさのことなのだと理性によって気づいて理性を捨てる、ということになる」

「回りくどいですね。人間が一番アタマが悪いってことですね」

「ところがおそらく、それは野性とはまた違うんだな」


 サンロードの入り口とぶつかる、駅前のロータリーがアーケードの出口のほうに見えるのを感じながら、トシは話した。

吉祥寺商店街の始まりの場所。

「悟りをひらく人間は、自分が何をしているかを知っている。自らその状態になろうとして、なるわけだ。ただの客体としてそこに存在する野性とは、また違うね。自分がそうであることを知っているし、そうであろうとしている。認識と意志、人間性の良き希望が託されているのは、そこだろうな」

「なるほど」

「『ランアウェイ』のカニエ・ウェストの苦しみは、自分の意志を失ってしまったところにあると思うよ。ハリケーンのことでブッシュを批判したころのカニエは、自分が何をしていて何をしたいか知っていたと思う。それなのに、今では欲望に流されて他人を食い物にするばかりだ」

「カニエは一時期、ポルノ中毒も告白してましたしね」

「そうなのか、アディクトって苦しいよな。自分の行動を自分で選べない感じが。結局、ライアン・レスリーの消費主義的なビデオなんかを見ててもそう思うけど、どれだけ豊かになっても自分の意志を持たない人は不幸だよな。ル=グウィンは『マラフレナ』の中で、どんな生活も自ら選び取る限りそれは自由な生活なんだって言っている」

「出た。ぼくらの大御所」

「教わったことを、俺たちはどうしても忘れていくよね。忘れていたことに気づくと、自分の愚かさがショックだ」

「基本的に浮ついた気持ちで過ごしてますからね。気が散ってますよ」


 「俺たち」と勝手に一緒くたにくくっても、打てば響くように共感して応えてくれるのがイチだ。

同じ時代の同じ土地に生きる同年代同士近しくなるといっても、それだけの友人を得られたのは幸運なことだと、こういうときにトシは思う。

「親鸞は日に何度も念仏を唱えるんだって。念仏は本当に心から唱えられれば人生に一度でも十分なんだけど、自分はどうしても芯から決定的になれないから、何度も唱えなきゃならないんだと言ってるよ」

「賢い人の言いそうなことですね。自分の扱い方を知っているというか」

「愚かさを知ることこそもっとも賢い行いだというわけだ」

「でたー、かっこよすぎる」

「今の自分とのギャップに驚くばかりだな」

「自分、果てしなくダサいっすよね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る