昔の私なら信じなかったろう。だけど、今の私なら信じられる
私が通っている中学校は、中高一貫校だ。
地域の中ではかなり評判がいい学校で、難関大学への進学率もいい。
その割には、校則もそこまで厳しくないし、勉強漬けというわけでもない。どちらかと言えば、比較的自由だし、部活動も盛んだ。
普通、中学三年生になると最上級生なわけだけれど、うちの場合、高校の先輩達を見ているせいか、何となく空気がふんわりしている。多分、数年前まで女子高だったのも影響しているのかもしれない。なので、居心地はかなりいい。
他の中学校へ進んだ友人達曰く『私も行きたかった……』とのこと。
私が、ここを選んだ理由は単純で、自分の家から自転車通学出来る、という点が建前。真の理由は、ある人の姿をもう一度見たかったから。
「あ、今日も御二人が来たわよ。はぁ……八重垣先輩、今日も凄く綺麗……。どうしたら、あんな風になれるのかしら? それでいて成績も学年トップクラスなんだって」
「あんた、本当に八重垣先輩が好きよねぇ。私は、西連寺先輩の方がいいなぁ。凄く可愛いし、親しみやすいし!」
「うぅ……私は選べない……。だって、御二人とも、凄く綺麗で可愛くて、良い方なんだもの。この前も――」
目の前で友人達が、中庭に設置されているベンチ(定位置が決まっていて、そこを取らない事は暗黙の了解になっている)へ座った先輩達を見て、キャーキャー、と歓声をあげている。
それが聞こえたのだろう、西連寺先輩が笑顔で手を振ってくれた。歓声が大きくなる。
八重垣先輩は、そんな西連寺先輩へ何かを話され、肩を竦められている。
そして、お弁当箱をガラス製の丸テーブルへ置いた。
一度だけ、近くで見たことがあるけれど、凄く手の凝ったお弁当だった。多分、先輩のお手製なんだろう。
今日は、幸い先輩達が座っている席の近くを確保出来た。
声が聞けるといいけれど……。
『それで――どうしたの?』
『何の話かしら』
『……百合、流石にそれはちょっと無理があると思う』
『何もないわ』
『嘘だぁ。きっと――』
聞こえた!
はぁ……これだけでちょっと幸せになれる。
私がこの学校に入ったもう一つの理由――それは、学校見学の時に見かけた、八重垣先輩にもう一度会いたかったからだ。
文化祭のステージ(確かミスコンだったと思う)に飛び入り参加した先輩を見た時、私は息を飲んだ。
嗚呼……世の中には、こんなに綺麗な女の子が存在しているのだ、と。
その日、家に帰った後、私は両親に『受験する』と告げ、理由は、単に『近いから』とだけ答えた。
……子供心に恥ずかしかったのと、後ろめたさがあったのだ。
一つ年上の女の子をもう一度見たくて、あわよくば声も聞きたい。大それた望みが叶うならば、話をしてみたい。
そんな理由で、多くのお金がかかる私立中学受験をするなんて……私は周囲よりも多少大人びていたから、いけない事だと分かっていた。
けれど、抑えきれなかった。どうしても――私はあの、美しい少女に会いたかったのだ。
『その卵焼き美味しそう! 一個頂戴!』
『あ!』
『――これは、ちょっと、犯罪ですね――』
『……百合』
『ごめんなさい。すっごく美味しかったぁ。もう一個』
『駄目よ』
『う~百合のケチー』
風の具合で、微かに聞こえてくる声。
それだけで、心臓が高鳴ってしまう。嗚呼……。
中学入学後、私が悩んだのはどうすれば、あの先輩(中学生なのは分かっていた)に出会えるか、ということだった。折角、入学したのに、会えないのでは意味がない。
……けれど、それは杞憂だった。
八重垣百合と西連寺千代。
この二人の先輩は、私が入学した時点で学内で知らぬ者がいない有名人だったからだ。
それは同時に、私からすれば数多の恋敵――そう、これは私にとって初恋なのだ。それが同性であることに悩みはしたものの……今では開き直っている。好きなものは好きなのだ――が存在することを意味していた。
また、八重垣先輩と西連寺先輩は部活に所属しておらず、その線から近付くことも、不可だった。では、生徒会? とも思ったものの、二人共、そういうものにも興味がないらしい。
結果――入学して三年が経ったものの、私はまだ八重垣先輩と話すどころか、接点すら見いだせずにいる。
唯一、良かったのは一時期、噂になった先輩の転校話(あの時は、家に帰っても沈んでいたのを覚えている)がガセネタだったことと、彼女が高校受験をしなかったことくらい。
でもいいのだ。私は満足している。こうやって、時折だけど、彼女の声も聞けて、一日一度は姿を見ることが出来ることに。
八重垣百合と西連寺千代。
この二人のように、私は綺麗でもないし可愛くもないし、才覚もない。
平々凡々どこにでもいる女子中学生に過ぎないのだ。
そんな女が、先輩に近付きたいなんて、大それた望みだった。
だから、私はこうしているだけで
『さて、本題よ――さんには甘えれたの?』
『…………』
――その表情を見た時、私の中で何が崩れた。
『人は恋をすると変わるらしい』
この言葉、昔の私なら信じなかったろう。けれど、今の私なら信じられる。
私が見ている前で……私の想い人、八重垣百合は、今まで見た事もない輝くような笑顔を浮かべて頷いていた。
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