優しい。でも、ちょっとだけ優し過ぎる
「よし、やりますか」
誰もいない台所で自分に気合を入れる。
ようやく、風邪が完治した週末だけど、今日の私にはやらなきゃいけない事があるのだ。
今年は彼の誕生日を祝えず、ヴァレンタインもベッドの中で過ごした。
数日間、凹んでいたものの……ジャガイモを包丁で勢いよく切断。うふふ、今宵の包丁は野菜が良く切れる。
『百合、今度の土曜日なんだけど』
聞けば、柊は朝からお出かけらしい。都心で打ち合わせかぁ……いいなぁ。
昼食は作り置きをしてくれるみたいだけど、帰りは夜になるから外で済ませて欲しいとのこと。
私の中で、名案が浮かんできたのはその時だった。
『だったら、私が作っておくね。その代わり、今度私も何処かに連れてって』
自然に言葉が出て来たのは、今思い返しても我ながら良い反応だったと思う。
彼は一瞬、驚いた表情をし、優しく微笑んでくれた。やった。
なので――今日の私には重要なミッション『柊が帰ってくるまでに、夕食の準備をしておく』が課せられているのだ。調子外れな鼻唄が出てしまう。
――なんか、新婚さんぽくて、ドキドキ。
ジャガイモ、人参、玉ねぎ、トマト、それとお肉。
この材料で連想される料理。本日のメニューはカレーライス。簡単だしね。我が家ではトマトを入れます。
包丁を握ったことがない、という事はない。これでも一通りの事はやれると自負している。小さい頃から鍵っ子だったしね。でも普段、料理は彼任せ。と言うか、一度包丁で指を浅く切って以来。中々やらしてくれない。変な所で過保護なのだ。
それと私が作るより絶対的に美味しいという現実がある。因みに、お菓子も絶品。高校の友人に食べさせた時は真顔で『え……何処のお菓子屋さん?』と聞かれたっけ。
……何だろう。この妙な敗北感は。
だけど、柊だし。あの男、昔から女子力が高過ぎるのだ。思い出すとちょっとイラっとする。
まったく、もうっ! 多少は隙を見せてくれればいいのに。出来れば私にだけ見える形で。見せてくれないと、とても困る。困るのだ。主に私が……攻略の糸口を掴めないじゃないっ。高難易度過ぎると人気がなくなる――それは歓迎だけど。
高スペックな従兄への文句を材料へぶつけつつ、お肉を先に焼いて、取り出す。次に野菜を炒める。うん、これ位かな。
お肉を戻して、水とローレルを入れて後は灰汁取りして、ルーを入れれれば完成。なお、うちのカレーは中辛です。
えっと……お米は硬めで炊飯中。サラダも冷蔵庫に準備済み。時計を見る。一通り終わったかな?
現在の時刻は夕方6時。携帯を確認。もう打ち合わせは終わって帰路に着いているらしい。家に着くのは夕方7時前だろう。
うん、丁度良いかも。少し置いた方が味も馴染むし。
さて、後は――何をしておこう?
洗濯はとっくの昔に終わってもう取り込み済み。
あ、お風呂も沸かしておこっと。ボタンをポチっと。
うふふ……帰って来たら、テンプレ的な問答をしなきゃ!
それと、柊のシャツにアイロンかけとこっかな?
そうした方がいい気がする。いい気がしてきたっ。そうしよっと。
鍋をかき混ぜ、味を確認。美味しい。火を止めて蓋をする。
お皿とスプーン、フォークの準備も万端。良し。
さてと……いざいきますか。
決して変な事を考えてるわけじゃないからっ。
「それで、何か申し開きはあるかな?」
「べ、別に悪い事してた訳じゃないし。あれは必要な――そう必要な事だったのっ」
「ふ~ん」
「……ひ、必要だったのっ!」
向かい合い、座っている彼の顔には意地悪そうな笑み。
状況は不利だ。何しろ、現場を押さえられてしまっている。
不覚……何か今週、この言葉を一生分唱えた気が。
「まぁいいよ。カレーは美味しかったしね。黙認しようか。だけど、さ」
「な、何よ?」
「変な匂いがしてたかな……ちょっと傷つく」
「そんな事ないっ! あれは……その、あの……もうっ! 分かってて言ってるでしょっ!」
「はは、百合の百面相は本当に面白いね。さて、カフェオレ飲むけどいるかい?」
「……いる」
まぁそういうことである。アイロンがけを一通り済ませた後、彼のシャツに顔をうずめてみたのだ。
……気付けば時間が経っていて、目撃された次第。
絶対、あのシャツからは何か変な成分が出ていたと思う。だってそうじゃなきゃああならないし……多分。
目の前に私のマグカップ。描かれている白猫まで呆れ顔な気がする。
むすっとしながら一口飲む。優しい味だ。
「ミルク多めにしてみたよ。どうかな?」
「……美味しい」
「そ、良かった。今日はありがとう。さっきも言ったけど夕飯美味しかったよ」
「……ありがと」
「いい子でお留守番をしてくれた百合にはお土産です。はい」
テーブルの上に置かれたのは小箱。可愛い包装がしてある。何だろう? 嬉しくて心臓が高鳴る。
……いけない。流されないようにしないと。
柊の顔をジト目で見る。
「ねぇ」
「何だい?」
「本当なら、私がこういう風にプレゼントと、チョコを渡そうと思ってたんだけど……」
「前にも言ったろう。僕はこういう風に毎日話せるだけで十二分だよ。それは、可愛かったから衝動買いしたのさ」
そう言い柔らかく笑う。むぅ……またこの展開なのね。
柊は優しい。でも、ちょっとだけ優し過ぎる。
その晩は、彼のマグカップに描かれた黒猫の絵も優しく微笑んでいた――。
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