第3話



どう、する。


叔父さんが死んだこと。

推測するに、普通の死に方ではないらしいということ。

そして死んだ人間は「物」として扱われることを、経験として、知った。





死後の世界ってあると思うか。


6歳の誕生日に、大好きだった叔父さんは、私に人魚姫の絵本をくれた。


夏生まれの私は、夏が似合うが暑さに弱い叔父さんが、はるばる海外のどこかから帰国して、私の誕生日を祝い、プレゼントを渡すためだけに、わざわざ家に来てくれるその日が、一年のなかで一番のたのしみであった。


欧州の諸国を巡って美の真髄に触れてきたと、なにやら目をキラキラと輝かせ見るからに楽しそうに語る叔父さんの言うことは、正直半分も理解できなかったけど、今でも時折ふっと、声と風景を思い出す。


絵本は、銀細工ふうの飾り文字でデンマーク語の文を彩っており、透し彫りのような技法で1ページ1ページ丁寧に描かれた、かなりしっかりとしたもので、今思えば結構な値段がしたんだろうな、などという下衆な感情も湧いてくるくらいに、とても美しいものだった。



「死後の世界ってあると思うか」



絵本に夢中になって、叔父さんの話をBGMにしていた私は、彼のその呟くような、それでいて私に向けられた音域で発せられた声に、すぐさま顔をあげた。


叔父さんの顔を見たかったのだが、炎天下の縁側、直射日光が真上より少し偏った所から降り注いでいた昼下がりの午後、麦わら帽子を深く被っていた叔父さんの表情は、すぐ側にいた私にでさえ、暗い影になっていてわからなかった。


たぶん、見えていたとしてもわからなかったんじゃないか、などと、少し後になってからぼんやりと思った。


メラニンを構成する能力が弱く、夏でも全く日焼けしない叔父さんは(彼はよく、夏には真っ黒に日焼けする私を黒ん坊黒ん坊といってからかった)、庭の石でも見つめていたのだろうか。

だらんと力なく猫背で座り、長く細いが筋肉のしっかりとついた脚を乱雑に投げ出していた。

その端正な口元だけを少しばかり緊張させ、きゅっと結んでいる様子で、その言葉を口に出してからの時間を過ごしていた。


私はなにも言えなかった。


本で読んだ最後の審判の話。

日本の極楽は、海外の天国とは違うこと。

異国の宗教の話などが、今すぐにでも口をついて出そうにうずうずしたけど、その叔父さんの様子を見た瞬間、体系を持っていない漠然とした知識達は静かに形を潜めた。


活動的な性格でありながら相当な読書家でもある、生きる辞書のような叔父さんは、そもそもそんな、幼い私が知っているようなことを知らないはずはなかった。

知っていても、たとえ全て微細に知り得ていたとしても、疑問として私に投げかけたのかもしれないと、なぜか思った。 

だが、それはなぜか私に向けられてる、というだけの独り言のようでもあった。


蝉時雨が滝のように頭に流れ込んでくるのを感じた。


叔父さんの太陽にように明るい部分は、彼の中に同時に存在するのかもしれない、深い影の存在も浮き彫りにするものなのだと気付いた。


叔父さんは何も言わなかった。


ただずっと、なにかに耐えるようにして肩と口元にだけ少し力を入れ、そして私ではないどこかを見ていた。


時間にしては一分、あるいは数十秒に満たないような瞬間であっただろうことは想像に難くないのだが、その一瞬だけ叔父さんは叔父さんの中に存在する『なにか』の存在を私の前で少しだけ漏らした。


存在しれぬものに向けるような恐怖、も多少あった。

見知っていた『叔父さん』という人物が、まるで遠い存在になったような気もした。

だが、いずれも直後に、そんな私自身をむしろ、私は強く恐れた。



沈黙を破ったのは、母だった。



「スイカ切りましたよー!縁側!縁側の2名!居間に来なさい!」


台所からそう叫ぶ母の声は家中どこにいても耳に入るくらい大きかったので、私と叔父さんは同タイミングで



びくっ



っとしてから、悪事をはたらき叱られた子供同士が、親に見せない所で舌を出して笑い合う時のように、顔を寄せ合ってへっへっへ、と笑った。

少しばかりきまりが悪いのを誤魔化して。


結局、長らく居間に来ない私と叔父さんに痺れを切らした母によって、スイカは縁側に運ばれてきたのだが、そうなるのは、また流暢に意気揚々と話し始めた叔父さんと、今度は絵本を投げ出して、ただ目をキラキラさせて熱心にそんな話を聞いていた私とにとって、もう少し後の話になる。


スイカは中がぐちゃぐちゃで、水っぽいばかりの甘みが少ないものだったので、私と叔父さんは、口に溜めた種を庭に飛ばすことの方に目的を変え、ケラケラと笑いながら、楽しく遊んだ。


叔父さんはその日を境に消息不明になった。


死んだのかもしれないという話は耳に入っていたし、私自身もいつからか、少なからずそう思っていた。


叔父さんがあの日、私に見せた静かな影は、私の心の隅にずっと、引っかかりとして残っていた。







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