4 関所を越えて

 どれぐらい歩いただろうか。

正確には分からないが、とにかく随分な時間を歩き続けていた。

いや、明確な目的地が定まっている訳ではないのだから、この場合は徘徊と言うべきかもしれないが。


 大通りの両脇には無骨な石造りの家屋が立ち並んでいるがその殆どは廃墟同然で、通りを吹き抜ける風が執拗に肌を刺し辺り一帯には絶えず砂埃が立ち込めていた。

どこまで行ってもこう代わり映えのしない景色では、方向の感覚すら曖昧になってしまう。


 勿論、目的は人探しだ。

しかし、目的があることと目的地があることは必ずしも同一ではない。

ましてやこの街は、私にとって不案内な土地だ。

この街の人間と接触出来ないことにはどうしようもない。


 ところが、肝心な人の姿が無い。

正確に言うならば、人の気配はあるが人影が見えない。

ここまで通りを歩いて来るまでの間も人の視線は絶えず感じていたが、それらは何かに怯えるように頑なに室内に立て籠もったままだ。

痺れを切らせて何軒かの扉をノックしてみたがやはり反応は無かった。


 このままでは埒が明かないが、流石に扉を蹴破って上がり込む訳にもいくまい。

どうしたものかと途方に暮れながら通算五つ目の角を曲がったところで、私はようやく人の姿を認めた。


 一人の少女が建物の残骸の前で、三角に足を折って両膝に顔をうずめるようにして座り込んでいた。

彼女の前には、土器色の小さな小鉢がちょこんと置かれている。

その姿を一目見た瞬間に物乞いだと分かった。


 年は七つか八つ程だろうか。

少なくとも、十はいかないはずだ。

腰元あたりまである長い黒髪は、伸びるままに任せているのか傷んでボサボサに乱れている。


 私が顔を伏せたままでいる少女の前まで歩み寄ると、それでようやく私の存在に気付いたのか、小動物のように素早く顔を上げた。


「ごめんなさい。驚かせてしまったかしら?」


 私の言葉に、少女はふるふると首を横に振る。


「ここはいつもこんなに人が少ないのかしら?」


「うん。だって意味が無いもの」


 少しだけ考えて、少女が“人が来ないから物乞いをする意味が無い”と言っているのだと理解する。

同時に、この街では外の人間に施しを乞うぐらいしかやることが、出来ることが無いのだという事実を察し、僅かに心が痛んだ。


「なら、どうしてこんな場所で座り込んでいるの? ここにいてもきっと誰も通らないわ」


「でも、おねえさんが来たでしょう?」


 そう言って少女は悪戯っぽく笑った。

賢い娘だ。

彼女の笑顔につられて、私も本当に久し振りに笑顔を作った。


「おねえさん、あたしになにかご用?」


 少女の反応は悪くない。

逃げ出したり、口を噤んでしまったらどうしようかと思ったが、幸い私に対して大きな不信感を抱いてはいないようだ。

本題を切り出すには悪くないタイミングだろう。


「実は、人を探しているの。『先導者様』がどこにいるか知っているかしら?」


 私の質問に、少女の表情に微かに警戒の色が浮かんだように見えた。


「心配しないで。おねえさん、のお友達なの」


 咄嗟に鎌をかける。

この街の人々が『先導者様』と呼ぶ人物に心当たりが無いわけではないが、所詮は風の噂だ。

この二択を外していれば、もうこの少女から実のある話は聞けないだろう。

そうなったら、また“人探しの為の人探し”を再開しなければならない。

それだけは勘弁願いたいところだったが、すぐにその心配は杞憂に終わった。


 少女は右腕を上げると、東の方角を指差した。

彼女が指差す先、廃墟と廃墟の隙間から見える景色。

そこには小高い丘が、そして丘の上に建つ古びた教会が見えた。


「この時間はたいていあそこにいるわ。でも、最近とっても疲れているみたい」


 心底心配そうな表情を浮かべながらそう言った少女は、『お友達を助けてあげてね』と付け足すと私の瞳を真っ直ぐと見据えて、汚れを知らぬかのような無垢な笑顔を浮かべた。


「どうもありがとう」


 私は彼女と同じ目線の高さまで屈むと、最後の一枚になってしまった銀貨を、器の中に静かに置いた。

私も、出来ることならを助けてやりたい。

だが、恐らくそれは難しいだろう。

そのことを分かっていながら、目の前の少女に対して気の利いた言い訳の一つも出来ない自分に対して、私はほんの少しだけ嫌悪感を覚えた。



 頂上の教会を目指して丘を登ってゆく。

こんなに歩き詰めの日も随分と久し振りな気がする。

そう感じるのは、近頃すっかり馬ばかりに頼るようになったからだろう。

一歩、また一歩と緩やかな斜面を登るにつれて、足元の悪さも手伝ってか私の呼吸は少しずつ早くなっていった。


 身体には不快な倦怠感。

思考はどこか纏まらず、判然としない。

この無骨で不躾な道程以上に、陰々たる憂鬱が私の身体を苛んでいる。

だが、私はとうにその原因に気付いていた。


 許されるならば、踵を返してルティーティアに帰ってしまいたい。

許される……?

誰に……?

そう、このまま何事もなかったかのように黙って引き返すことを許さないのは、他でもない私自身だった。


 重い足取りのまま歩き続け、気が付けば教会の扉の前に立っていた。

頭を左右に振って、強引に意識を覚醒させる。

ここでいつまでも呆けているわけにはいかないのだ。


 両腕を眼前の扉に差し掛けて、ゆっくりと押し込む。

この扉に鍵が掛かっていればどれだけ良いだろうか。

この期に及んで脳裏に浮かんだ甘い考えをあっさりと否定するように、老朽化した大きな扉は易々とその口を開いた。


――その光景を目にした瞬間、全身に懐かしさが広がった。


 本来であれば、郷愁とはどこか温かさを感じるもののはずだ。

だが、今、私の中にはそれとは真逆の感情が渦巻いていた。


 燃えるような赤い髪。

後姿を見ただけでもはっきりと感じ取れる粗野な雰囲気。

間違いない。

そこにいるのは、私が知っている以前の彼女そのものだ。


 覚悟はしていた、していたはずだった。

だが、やはり心のどこかで信じたくなかったらしい。

その証拠に、私は今、心にぽっかりと穴が空いてしまったかのような何とも形容し難い喪失感を覚えていた。


 声を掛けることを躊躇ってしまう。

私にとって眼前の彼女の存在は、かつてはきっと愛らしいもので、そして今は悲しく、儚い。


 私達は一体どこで道を違えてしまったのだろうか。

もしも、きっと、何故、どうして……

無数の自問が頭の中を駆け巡り、瞬く間に消えていく。

今日は無駄なことを考えてばかりだ。

だって、そんなものは今更だ。


 私はゆっくりと息を吸い、左手に握られた長物を、覚悟を決めるように今一度強く握り締める。

そして、口を開いた。

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