東京の一番あつい日【休筆中】

流々(るる)

第一話:川の手 二月二十六日 ―密談―

【ナレーション】(田口トモロヲ)

~プロローグ~ 

 二〇三〇年、自動車利用者数の大幅な低下と構造体の劣化を理由に、政府は首都高速道路の解体・撤去を決定した。


 閣議決定後わずか二年の間に、首都高速道路は影も形もなくなった。

 入れ替わって脚光を浴びたのがである。

 塞いでいた蓋が取れたかのように、文字通り光の当たる場所となったのだ。


 川面がきらめく様子は周囲の景観をも一変させた。


 もとより江戸時代には水路として活用されていたため、船による交通網が整備されていく。

 “川の手線”と名付けられた就航路線は渋滞がなく、都心部に直接アクセスできる利便性をうたい、それを利用する専用の桟橋を持つことが高級マンションとしてのステイタスとなる。

 川の手エリアは高級住宅地区へと変貌を遂げた。


 一方、山の手エリアは“古き良き街並み”をキャッチフレーズにして存在感を放っていた。

 二〇四〇年に展開されたJR東日本とのタイアップ「そうだ。山の手へ行こう。」キャンペーンでは、ベテラン女優・新垣結衣をメインキャストに迎え大人の街としてのイメージを定着させることに成功した。

 同年に築五十年を迎えた新宿都庁舎は長期間にわたる増改築に着手し、「二十一世紀のサグラダ・ファミリア」と呼ばれ東アジア有数の観光名所となった。



 こうした時代の変化を受けて、特定行政庁の立ち位置にも変化が現れる。


 過去には下町とバカにされてきた墨田区・台東区・江東区・江戸川区と言ったあたりは地価の高騰と共に税収も増え、それに比例して発言権も増していた。

 その中心となっていたのが江東区である。

 古くは焼却場のあった「夢の島」により『ごみを燃やすところ』だの『埋め立てで出来た町』などといったイメージを背負い、ようやくバブリー住宅街・豊洲を擁して巻き返しを狙った際にも市場移転問題でケチが付いてしまっていた。

 永年にわたり受けてきた嘲笑を見返す機会を、臥薪嘗胆がしんしょうたん虎視眈々こしたんたん一日千秋いちじつせんしゅうと狙っていくことこそが江東区長に代々引き継がれてきた使命であった。


 それに対し、古くからの歴史を持つ街、文京区・港区・新宿区などは川の手地区の台頭を快く思ってはいない。

 観光収入は増加したものの人口の減少、地価の下落といったマイナス要因が強く、財政は逼迫ひっぱくしていながらもプライドを保持していた。

 “武士は喰わねど高楊枝たかようじ”といったところだ。

 二十三区による特別区長会においても、その対立がたびたび表面化してきた折も折、あの事件が起きたのである。




 二〇六五年二月十六日、バレンタインデーから二日後となるこの日、新宿区長・シンジュクが台東区の視察を行っていた。

 観光地域として浅草を有する台東区は、シンジュクにとってもモデル地域として見習うべき点がたくさんある。

 視察の最後に、浅草から出ている水上バスに乗船したシンジュクは視察の手応えを感じ上機嫌だった。

 台東区職員に頼み、特別に船上デッキへ立たせてもらう。

 暖かな日差しを浴びながら、かすかに潮の香りを含んだ風が頬をなでた。

 その気持ちのよさに思わず伸びをしようとしたとき。


 急に船体が大きく揺れた。


 川の手線の船からの横波を受けたのだ。

 バランスを崩したシンジュクは隅田川へと落ちていった。泳げない彼は、救助の浮き輪につかまりびしょ濡れになって引き上げられた。

 その様子は対岸の隅田公園にいた観光客によって、一部始終がSNSにアップされた。

 赤っ恥を書かされたと思ったシンジュクは、翌二月十七日に台東区との断交を一方的に宣言する。



 二.一六ニ イチロク事件から十日が過ぎ、世論はシンジュクの間抜けな落ちっぷりと、逆ギレとも言える対応に話題が集まっていた。



     *    *    *    *    *    *



「やはり、こちらから出向くとするか」


 電話機の内線ボタンを押し、秘書を呼び出す。


「江東区長にアポイントを取ってくれ。

 向こうの時間に合わせるから。

 ああ、そうだ。なるべく早くな」


 テーブルの上に広げた地図を眺め、独り言ちた。


「問題はチュウオウだな」






「これは、これは、墨田区長さんがわざわざお見えになるとは。

 どういったご要件かな」


 江東区長・コウトウ(役所広司)が区長室の椅子から立ち上がり、スミダ(武田鉄矢)を笑顔で出迎える。

 慣れた様子でソファへ座りながら、スミダが答えた。


「世間話をしに来たわけじゃないことは分かっているだろ?」


「このタイミングで急遽会いたいなんて言ってくるんだからな。

 例の二.一六事件の件か」


「あぁ」

 両手を組んで膝の上に置きながら、身を乗り出して続ける。

「あの件ではシンジュクのやつ、逆切れしやがって。

 いきなり断交ときたからな。

 いったい何様のつもりなんだ」


「俺のところにもタイトウから泣きが入ってきてる。

 まるで赤穂浪士あこうろうしに出て来る吉良上野介きら こうずけのすけのような言いがかりだと」


「それだよ。

 世間でも、今回の件はシンジュクに非あり、との論調だ」



 スミダは一呼吸おいてから、さらにコウトウの方へ顔を近づけてゆっくりとこう言った。



「この機に乗じて、今こそ我々で二十三区を制圧してみないか」



「なんだって!?」


「あんたと俺が中心になって、タイトウの後ろ盾として立ち上がるんだ。

 シンジュクが仕切っているこの二十三区を我々の手に取り戻すのさ」



 コウトウは高い背もたれのソファに深く座り直し、背中を預けながら視線を上に向けた。

 スミダはコウトウが口を開くのを静かに待っている。


「本気か?」

 コウトウの短い問いに、すかさずスミダが低い声で答えた。

「あぁ。本気マジだ」


「なら、もっと戦力が必要だぞ」


「さて、そこでだ」




「はぁ? チュウオウとぉ?!」


 立ち上がりそうな勢いでコウトウが叫ぶ。


「まぁ落ち着けって」


 両手でコウトウをなだめるようにスミダが続けた。


「あんたとチュウオウは反りが合わないのも知っている。

 築地市場の移転の頃から区同士が仲違いしているのも周知の話だ。

 だからこそ、敵も江東と中央が手を結ぶなんて考えていまい」


「うーん。

 確かにそうだが」


「必ず俺があいつに会って、イエスと言わせてみせる」




 しばらくソファで腕組みをしていたコウトウがいきなり立ち上がった。

「いや、俺が直接会おう」


「あんたが!? 大丈夫なのか?」


「お前には、お前にしかできない役をやってもらいたい。

 お前の敬愛する龍馬の役だ」


 スミダがニヤリと笑った。

「そう言われたら受けるしかないじゃないか。

 よし、わかった。

 二人を合わせる段取りは俺に任せてくれ」





【ナレーション】

  果たしてスミダとコウトウの誘いに、チュウオウは応じるのか?

  対する山の手一派の首領ドン、シンジュクはブンキョウとの会食に臨む。

  次回、「第二話:山の手 三月二日  ―噂―」お楽しみに!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る